夜の街角で
「警戒されるのは尤もです。でもその必要はありません」
フードを目深に被った男は、僅かに見える口元に誠実そうな笑みを浮かべる。
年を重ねた落ち着きのある声音にも女は緊張を解こうとせず、依然として目の前の男から間合いを取っている。
「この薬を」
男の差し出した小箱に、女は誘われるように視線を向けた。
「隣国の大切な友人に届けて欲しいのです」
手のひらに載る程度の小さな長方形の木箱に見慣れた印を見つける。側面に焼き印された翼は矢杜衆医療部門を示している。
女は小箱を持つ男の手を見つめる。
無骨な指に出来た固そうなタコは、剣を武器とする矢杜衆によく見られるもので、目の前の男が長年、矢杜衆の戦闘班として任務についていたことが窺い知れた。
手のひらで転がった小箱がチャリチャリという軽い音を発する。中身は瓶に入った錠剤のようだ。
木箱に記された薬品名を読んでも、どのような効能があるのか、また、その薬の価値さえ女には皆目わからなかったが、一つだけ明確なことがあった。
「それ、矢杜衆開発の医薬品ですよね。販売できる業者やルートは議会によって厳しく審査されているはず。勝手に持ち出したり正規以外のルートで他国へ持ち込むことは、重大な違反行為ではないのでしょうか」
「いいえ」
男は即答する。
毅然とした男の声音に、女は訝しむようにその顔を見上げた。
小柄な女からは顎を持ち上げなければ男の顔が視線に入らない。かなりの長身で、外套に隠れているとはいえ鍛えられた体躯を持っていることがわかった。
「私は老牙衆直属の機関に属するものです」
「老牙衆……ですか? 矢杜衆退役者で構成される相談役の? 老牙衆に医薬品を扱う組織があるとは寡聞にして存じませんが」
「普通の方は知らなくて当然です。我々はその存在を公にされていませんからね。存在を把握しているのは老牙衆のメンバーと矢杜衆上層部のごく一部、そして当該機関の所属メンバーだけです。もちろん議会も知りません」
男はゆっくりとした手つきで被っていたフードを後ろへと払い除けた。
「我々の任務は、通常の販売ルートでは行き届かないところへ必要な医薬品を直接、届けることなのです」
街灯に照らされた男の顔を見て、女はハッと息を飲んだ。
矢杜衆の式典で見かけたことのある顔だった。
名前は知らない。
しかし矢杜衆長と並ぶ高位の参列者の中に確かに見た顔だ。その左の首筋には、矢杜衆を示す朱い犬神の印を戴いている。
六十代とおぼしきその男の銀縁眼鏡の奥から、知的な眼差しが女をひたと見つめている。
「あなたは大切な医薬品の運び手として選ばれました。我々の組織にその名を連ねることは大変、栄誉あることなのですよ。これは重要な任務です。もちろん、それに見合うだけの特別報酬も出るでしょう」
男の言い様は矢杜衆として上を目指したいと望む女の自尊心を見事にくすぐった。
同年代の友人達と比べて難易度の高い任務を与えられており、自分にはそれなりの能力があるという自負が女にはある。
直に上位のものから評価されたという感慨に、女の警戒心は呆気なく解けた。そして報酬という言葉が女を閉ざす最後の門扉の鍵を開けにかかる。
共に矢杜衆に属していた両親は、隣国ニリとの大戦の折り、父親は再起不能の大怪我を負い、母親は殉死した。祖父母とまだ幼い弟妹達のために一家を背負わねばならない身としては心揺らぐ誘い文句だった。
「イカルのためなのです」
矢杜衆はイカルを護るために存在する。
それ以上の名目は必要なかった。
「その任務、矢杜衆の印に懸けてしかと承りました」
最早、何の迷いもなく女は深く頭を下げ、男からの命を受けた。
次の更新は明日(9/2)です。
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