求めた光の先(1)
「八束」
懐かしい声が自分を呼んでいる。
「八束、大丈夫か? おい! 間に合わなかった、なんてことないだろうな」
「大丈夫です! 癒やし手の力を信じてくださいよ〜加内様」
若い声が答える。
真鳥のすぐそばをいくつかの足音が通り過ぎていく。重い軽いはあっても、どれも矢杜衆の軍靴の音だ。それがゴトゴトと煩くて、我慢できずに真鳥は瞼を押し上げる。
「目が覚めたか」
「……せ……先生」
矢杜衆養成所を出たばかりの新米だったとき、訓練ではなく本当の闘い方を戦場で指導してくれた師匠が、真鳥を見下ろしている。ぼんやりとした意識の中で、かつてのように呼んでしまう。
「解毒剤を打ったから大丈夫だ。しばらく身体は動かないと思うが」
「巫女……は」
「無事だ。母親と一緒に神殿に向かっている。長がついているから問題ない。あっちでは女官長が鬼のような形相で待っているらしいがな」
巫女の無事を知り、真鳥の身体からふっと力が抜ける。
「それは……大変……だ……あの方が怒ると……とても怖い……から」
「なんだ、怒られたことがあるような口ぶりだな」
「あの巫女のおかげで……毎日」
加内が声を出して笑う。
「笑わないでくださいよ。とばっちり……なんですから」
少しずつ口も動くようになってくるのを感じながら、真鳥は気になっていることを問う。
「あの、彩葉は」
加内がすっと横を見る。
身体はまだ動かなかったが、視線を送る。
ちょうど白い布を被せられた担架が運び出されていくところだった。薄い茶色の髪が一房、担架からこぼれ落ちている。
真鳥はぎゅっと瞼を閉じる。本当は顔を覆ってしまいたかったが、腕を持ち上げることはできなかった。眉根をきつく寄せる。
加内はそばにいた癒し手に、外すよう手振りで指示した。
真鳥を診ていた若い癒し手がそっとその場を離れる。
「あの者と、何を話した?」
その声は審問ではなく、真鳥を労るような静かな声だった。
瞼を開けたが加内の顔からわずかに視線を逸らせて答える。
「……助けて欲しくないと、言われました」
貴方には、助けてもらいたくないの。
彩葉ははっきりとそう告げた。
そして毒を含ませて動けなくなった真鳥の前で首を突き、自害した。
「そこにいたのがオレでなければ彩葉を助けられたのでしょうか。なんでオレじゃダメだったんでしょうか」
私は、弱い人間なの。
護って欲しかったのは、私自身だったんだもの。
そんな風に言いながら、助けて欲しくないと言う。
真鳥のすべてを拒否するような言葉に、真鳥の心が揺さぶられる。
じゃあ、どうすれば良かったのかと。
「人は、我が儘で貪欲で汚くて、おまけに浅ましい生き物だ。いつも何かが足りないと騒ぐ。それを他人に求める。誰しもそういう弱い部分を抱えている。それは心に巣くう闇だ。自分に闇があるから、光の中にいる者を求める。自分もそこへ行きたいと切望する。そして手を伸ばして、そこでふと、気付くんだ」
真鳥が目を開けると、自分の手のひらを見つめる加内の姿がそこにある。
「自分が汚れていたことにな」
そう呟いて、加内は自分の手のひらを握り込む。
何かを強く誓うような目だ。
そこは加内だけの世界で、誰も入れない。
手を差し伸べることさえ許さない、そんな決意を加内の中に感じる。
彼が背負うものを、真鳥はまだ知らない。
いつかそれを知ることができたとき、今度は手を伸ばせるだろうか。
助けなど不要と言われても、それでも進むことはできるだろうか。
真鳥は、そんな加内からふっと視線を外す。
「オレだって綺麗じゃありませんよ。年下の矢影の毒をくらってこんな有様だし。部下の一人も助けられなくて無力感のどん底だし。家の中もぐちゃぐちゃだし。光の中になんていないし。誰かに求められるような存在じゃない」
ふっと加内が笑う。
「知らないのか?」
加内はにやりと唇の端を持ち上げる。
「隣の芝生は青く見えるんだ。私からしたらお前だって光の中の住人だ」
「そんなつもりはないですけど」
「そういうのは自分じゃ見えないものだからな」
加内が空を仰ぐ。
眩しそうに目を細める。
いつの間にか、雨は止んでいる。
流れゆく雲の隙間から、陽光がこぼれ落ちている。
最後の爆発で開いた穴には雨水が溜まっている。
そこに落ちた太陽の光が、キラキラと輝きを放つ。
真鳥の視界に入る焼け跡には、僅かに残っていた人々の生活の名残も消えていた。先刻の激しい爆発でもう柱も壁も残っていない。
検分が終われば更地に戻されるだろう。
ここに絡みついた哀しみが浄化され、いつしか記憶する人はいなくなる。
やがて新しい家が建ち、新しい人々の暮らしが始まるだろう。
そこにはまた幸も不幸もやってくる。
誰の上にも同様に。
けれど、彩葉のような者は増やさない。
決して繰り返さない。
それが彩葉の願いでもあると真鳥は感じていた。
「加内様、彩葉は私に彩葉を誘い込んだ者の名を告げようとしていました。そのとき邪魔が入ってしまったのですが……」
「もう受け取った」
加内はポケットから小さな紙を一枚だし、指の間に挟んで見せた。二つに折りたたまれているので中身は見えない。
「巫女にかけてあったフードの中に忍ばせてあった」
「私には見せてもらえないのですね」
「これは私の仕事だ。私たちの代ですべてを終わらせる。お前達にしがらみのない世界を受け渡す。そのために私は存在している」
真鳥は加内の中に伐と同じ覚悟を見た。
自分などが出る幕は到底ない。そこに僅かながらの淋しさを感じながらも、今はまだ師の意志に従うしかないことを理解する。自分はまだ未熟なのだと、もっと強くならなければと、真鳥もまた覚悟する。
「はい、先生」
「よし、そろそろ帰るか。後始末もすぐ終わるだろう。お前は私が負ぶってゆく」
「は?」
「お前がガキの頃はよくやっていただろう」
思い出したのだろうか。
いやそれはないだろう。
一颯を助けた犬神の術は完璧だったはずだ。
真鳥の泳ぐ視線の前で古い写真が一枚、ぴらぴらと揺れている。
「ほら、これだ」
まだ若い加内が疲労困憊して傷だらけの真鳥を背負って笑っている写真だった。
「これは……」
「伐が撮った。十五年前だ。お前は八束真鳥。私の生徒だった。記憶はなくなっても、ちゃんとここに残ってる。いつでも取り戻せるようにな。便利だろう?」
写真機がニリの技術だというところが気に食わんがな、と加内が笑う。
その笑顔は、十五年前の彼の知る師と同じだった。
泣きたくなるような、懐かしい笑顔だった。
「先生」
加内が応えるように真鳥の頭をそっと撫でる。
その手の温もりから、温かい囁きが聞こえた気がした。
同じ世界にいてもいいのだと、許された気がした。
真鳥は懐かしい写真をもう一度見る。
「先生、若いですね。眉間の皺がない」
「十五年も経てば人は老けるものだ。でも半分は伐のせいだろうな」
加内の言葉に真鳥が笑う。
「あ、その写真、加内様ですか?」
戻ってきた癒し手の青年が、加内の手の中の写真を覗き込んだ。
「加内様、若い! うわっ、こっちのおんぶされてるの八束さんですよね? やばい可愛い〜」
「何がやばいんだ?」
癒し手の声に誘われるように、加内の部下たちがぞろぞろと集まって来た。
「へ〜、八束さんって加内様の教え子だったんですね〜」
「指導教官が加内様?」
「俺には無理! 絶対無理! 生きて家に戻れる気がしねえ。八束さんすげえ」
「お前、加内様の前で何言ってんだよ!」
「そんなことより八束さんを見てくださいよ! これ、この寝顔! ヤバイでしょう!?」
「……まじ可愛いな」
「ほんとに可愛い……」
「俺にも見せろ!」
「ちょっと! もう見なくていいです!」
可愛いを連呼され、真鳥の頬が羞恥に紅く染まる。そんな真鳥の抗議も虚しく写真は部下達の手を渡っていく。動かない自分の身体が憎い。
「これ、誰が撮ったんですか?」
部下の問いに「撮ったのは伐だ」と加内が答える。
「長も八束さんの知り合いなんですか?」
「八束の父親とは昔なじみだ。八束が赤ん坊の頃の写真もあると言っていたぞ。ミルクをやったり、水浴びをしたり……」
「見たいです!」
「俺も!」
「俺もぜひ!」
「加内様から長にお願いしてください!」
写真一枚を元に異様な盛り上がりを見せ始めた周囲に、真鳥は指一本動かせない身体で逃げることも隠れることもできず、泣き出したい気持ちでいっぱいだった。癒し手が真鳥の身体を起こすのに手を貸しながらくすくすと笑っている。
「もういいですって。加内様、どうにかしてください〜」
加内は笑みを返し立ち上がる。真鳥の上にその長身の影が落ちる。
「撤収準備」
加内の指示が飛ぶ。
一瞬前までわいわいと騒いでいた部下たちが一斉に消える。蜘蛛の子を散らす勢いだ。
「というわけで、お前は俺が背負ってやろう」
「結構です。これ以上、変な噂話は困りますから」
「遠慮は無用だ」
「いいです」
「じゃあ僕で良ければ。これでも力持ちなんです!」
癒し手が背を向ける。
「ありがと。そうしてくれる?」
「はい! 喜んで」
「私はだめでもそいつはいいのか? 師弟の仲なのにつれないな」
加内がからかう。
「撤収準備完了しました!」
部下の一人が加内に報告を入れる。
「帰投する」
「諾!」
一糸乱れぬ声が響く。
ふと見上げた空は青く、夏の初めのような眩しい太陽が真鳥の眼を灼く。
久しぶりに、陽の光を見た気がした。
今日もお読みいただきありがとうございました。
もう少し続きます。
次の更新は明日(9/17、日曜)です。
よろしくお願いします。