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第6章4話

「ルル殿下!」


 森の中の道なき道で足元を取られ、思い切り転ぶ。

 場違いな紺色のドレスに、縫い止められた小さな宝石がまるで夜空の星々のように広がる。さながら、長い銀の髪は夜空を流れる星々の集まりのようだ。


「ちっ!」


 周囲に聞こえない程度に舌打ちしたのは、美しいドレスの主である。


 旅装とはいえ、王族の姫として他国を訪ねるため衣装は豪華である。

 王宮内では、常に第一王女に相応しい所作に気をつけているため、裾の長い衣装に煩わされることはなかったが、今は違う。

 整備された街道を外れ、木々の根が張る森の中を、追手から逃げるために全速力で走らなければならないこの状況では。

 ドレスの裾も、長い髪も、邪魔にしかならない。


「服が邪魔だな」

「殿下! 何を!」


 裾をたくし上げた王女は、服の中に忍ばせていたナイフでドレスの裾に刃を入れる。

 鍛錬を積んだ護衛の女騎士が、止める間もない動きだ。


「このままでは捕まってしまう。あの方の思惑通りになんてさせない。私は必ずソムレラへ行く! 国を守るのはこの私だ」


 引きずるようなドレスは脛が見えるほどになっている。裾はギザギザだ。

 王女は長い銀の髪を一つにまとめ上げると、落ちていた小枝を刺して留める。

 その身なりはとても大国の王女と呼べるものではない。

 しかし、真っ直ぐに立つその全身から、王族としての威厳と気品が溢れ出る。まっすぐに前を見つめる眼差しと気迫だけで、仕える者たちを跪かせる。


「御意」

「先を急ごう。だいぶ道を逸れてしまった。今日中にソムレラに入りたい」

「殿下、お待ちください。せめてこれを」


 侍女がフードのついた上着を差し出す。女騎士に確認した後、王女の目立つ銀の髪を隠す。

 ここまでついてきた侍女は、薄茶色の髪をお団子に結い上げ、腰に細身の剣を下げたこの者だけだ。

 他の侍女は、騎士四名を護衛につけて馬車とともに置いてきた。追っ手から逃げるなど、貴族出身で結婚前の行儀見習いに来ているだけの彼女らには無理だからだ。彼女らはニリ王都への帰路に着いているだろう。

 王都へ戻る彼女たちに追っ手はかからない、というのがルル王女の見解だ。


 彼らの狙いは、ニリ王国第一王女ルヴェル・イェンス・ニリスのソムレラ行き阻止だ。

 殺すほどの殺気もなく、怪我をさせるほどの仕掛けもしてこない。ソムレラへ向かう馬車の行手を邪魔し、それでもなおソムレラへと向かおうとする王女たちを追っている。捕まれば、縛り上げられ、そのまま王宮へ強制送還されるだけだろう。


 王宮で待ち構えている一人の女の顔が王女の脳裏によぎる。


 あの人なら、王女暗殺くらいは画策しそうだ。


 しかしソムレラの政権交代が噂される今、他国へ嫁がせ駒として使うことのできる王女を排除するのは得策ではない。

 

 それくらいは理解しているだろう。

 愚かだが頭は回る女だ。

 そして計画を実行する手段も持っている。


 厄介だが、いずれ相対せねばならない。

 その時が近づいている。


 王女にはそう思えた。



 再び、三人は走り出す。

 今、王女を守るのは、幼い頃から王女付きの女騎士と、貴族であり身の回りを世話する侍女一人。


 女騎士は王女の背後を守るように離れず走る侍女をみやる。

 この者だけは、絶対に王女について行くと言い張った。


 確かこの者は騎士の家系の出だったか。


 女騎士は思い出す。


 日頃から鍛錬をしているのだろう。剣の扱いは悪くはない。

 ここまでよく付いてきている。

 ルル王女への忠誠心は、日頃、王宮の中でも他の侍女よりも高いことを、王女付きの女騎士は知っている。

 王女に着いていくと言い張った時は、少しばかり警戒したが、この者ならはあり得るか。

 騎士はそう考えた。


 下草を踏む音が聞こえる。

 女騎士が王女を止め、剣の柄に手をかける。

 同時に、小動物が茂みから飛び出す。

 ほっと王女の口から息が溢れる。

 緊張しているのだろう。汗がこめかみから流れ落ちる。


「大丈夫です。ルル様。行きましょう」

「ああ」


 王女と、女騎士と、女官一人は、再び走る。


 彼らが向かうは、大陸の北方にある大国ソムレラだ。その第一皇位継承者であるイルュシオン・フェルノク・ソル・ソムレラに謁見する。


 ソムレラ皇帝の容態が悪いという話は、昨年からニリにも届いていた。

 この旅は表向き、ニリ国王の代理として皇帝を見舞うという体裁が整えられている。

 その名目で、ソムレラ皇国の次期継承者の探りを入れるため、ニリより王族を派遣することになった。

 真っ先に手を挙げたのが、今は亡き正室の長女であり、第一王女ルヴェル・イェンス・ニリス、通称ルル王女である。


 ソムレラへの使者派遣は、ルルにとって好機だった。

 ニリはソムレラよりは南側に位置するため一見、緑も豊富で農業にも適しているように見える。しかし、実際には土壌の質と乾燥した気候により育つ作物が限られており、見た目ほど供給力がない。

 一方、ソムレラはその大国ゆえに土地は広い。雪に閉ざされる期間が長くとも自国民の食卓を賄うくらいの自給率がある。

 少なくとも、ルルにはそう見えた。

 ルルは王宮から一歩も出たことがない。王族内での突出を恐れた父王の命により帝王学も学ばさせてもらなかった。政治経験の無い箱入りなりに、食糧が豊富そうに見える大国ソムレラの恩恵を得たい、そうすればニリのこの先を守る一手となる、そう信じきっていた。

 そしてニリの王位継承者の一人として、兄より先にソムレラの協力を得たいと願っていた。


 ルル王女には兄が一人いる。側室の子で第一王子、ラグナス・シュヴァルト・ニリスだ。他に兄弟はいない。


 ラグナスにソムレラ行きの役目を奪われないよう、早々に、そして内密に根回しに動いた。

 しかし、心配していた王子は名乗り出るどころか、ルルに対してこう言った。


「お前が行けばいい。お前ならソムレラで不敬を働いて処刑されてもこの国になんの影響もないからな。せいぜい次期皇帝殿のご機嫌取り行ってくるがいい」


 この時、ルルは改めて思った。


 バカが!


 第一王子つまり次期ニリ国王として育てられたラグナスは、凡人の王子と言われている。頭脳はそこそこ、剣術もそこそこ、性格は悪い。良いのは顔だけと言われている。狡猾な側室に育てられたのだから、さもありなん。


 ルルは何の苦もなく、国王よりソムレラ行きを拝命した。

 しかしその時、すでに側室が動いていたことに、ルルもルルに仕える者たちも、誰一人気づいていなかった。


 そして王宮を経って二日目、追っ手にソムレラ行きを阻まれている。

 ルル王女の味方は、女騎士と侍女一人のみ。

 今はもう、どこを走っているのかもわからない。


 心だけが、ソムレラへと逸る。

 こちらだよと、森の木々が王女たちを誘い込んでいるような感覚さえ生まれて来る。

 息が上がる。

 衣装が重い。

 いっそ脱ぎ捨てたい。

 身軽になりたい。

 なんで、こんなところを走っているのか。

 なぜ、やりたいことがすんかりできないのか。

 なぜ、在りたい自分でいられないのか。


 ルル王女の中でさまざまな想いが駆け巡る。


 いま目の前に敵が追っ手が現れたらどうする。

 心を乱すな。

 止まるな。


 自分を叱咤し続ける。

 出口は見つからないまま。

 森はどこまでも続いている。



***



「うわ〜長にそっくりですね」

「ほう。その口の減らぬところは父にそっくりだなお前は」


 今日の護衛対象と合間見えた真鳥と、護衛対象である伐永樹の初めての会話はこれだった。


 ルーの中心部にある高級旅館の前。

 馬車の用意をして待っている伐家の従者および永樹の補佐役たちに緊張が走る。

 客を見送るために外に並んでいる宿の女将と主人と仲居たちは、顔色ひとつ変えていない。さすがイカルでも五本の指に入る老舗の従業員たちである。


 伐永樹は、イカル北東部に位置するヨギ市において、ソムレラとの国境をこの二十年間守り抜いてきた歴代最強の市長と名高い。

 相手が矢杜衆の精鋭だろうが、ソムレラ辺境を根城にし度々国境を超えて悪事を働く少数民族の盗賊団であろうが、容赦なく切り捨てる。自身は矢杜衆ではないが、妹であり瑛至の母親が矢杜衆であることを最大限利用し、自身も剣術体術を修得している。

 議会でも頭の上がらない議員が多いという。


 玄馬でさえ、その評価は聞き及んでる。真鳥の隣に控え、まずは様子見しようとしていたところだ。

 真鳥の発言に思わず吹き出しそうになるのを必死に堪えている。


「え〜オレ、親父に似てます? どっちかというと母親似って言われるんですけど。あ、市長のその腕組みして眉根を寄せてる感じ、ますます長みたいです〜背も長と同じくらいじゃないですか? 扉とかに頭をぶつけたりしませんか?」

「……お前、もてぬであろう」

「はい、モテません〜。いつも遠巻きに悪口ばかり言われてます〜」

「笑顔で言うことではないだろう。母親そっくりの美麗な容姿があるというのに宝の持ち腐れだな。その年で女を知らぬとは」

「嫌だなあ〜。さすがにそこまで子供じゃないですよ〜。後腐れない感じでちゃんとやることはやってます〜」

「こんなのが今をときめく最高ランクの矢杜衆か。まあ瑛至が好きそうではあるが」

「はい! 長とは仲良くしていただいてます〜。なんせ親父その一なんで〜」


 真鳥がそう言ったとき、永樹はわずかに目を見開いて目の前の青年を見た。


 自分よりも少しばかり背の低い真鳥を見下ろす。

 嬉しそうに笑いながら、瑛至を父親と呼ぶ青年にぐっと興味を引かれる。


 永樹自身に真鳥という青年の記憶はない。しかし、その父である華暖のことはよく知っている。瑛至と共に、ヨギ市にある伐家に何度も訪れていた。ともに酒を酌み交わし、夜通し語り合うこともあった。

 シラフでも品のない会話を平気でしてくるくせに、下品な印象を与えず妙に人を惹きつける男だった。瑛至や祈織、華暖、その相棒であった臨也たちの中で、絶対に結婚できない男と言われながら、一番先に結婚した。

 その一人息子である真鳥について記憶がない理由については、瑛至から聞かされている。

 犬神様との契約らしいと。

 一時期、イカルで新聞に載るほど噂になっていた。その時、懐かしい者たちを思い出したのだ。

 それ以来、一度、会ってみたいと思っていた。


 こんなところまで、華暖とよく似ておる。


 永樹からふふッと笑いが溢れる。


「何かおかしいことありました?」

「いや、本当に華暖の息子なのだなと思って。お前は可愛いな」

「長にも早く子供ができるといいですね。きっと可愛いですよ。そしたら市長もおばあちゃ……」

「ちょ、バカ、やめろ」


 玄馬が慌てて真鳥の口を塞ごうとしたが遅かった。

 周囲が凍りつく。

 真鳥の鳩尾に強烈な足蹴りが入った。


 ゆっくりと進み始めた馬車の後ろを歩きながら、玄馬は酒と風呂に釣られて任務を引き受けたことを少しばかり後悔していた。


 足蹴にされ数メートル吹っ飛んだ真鳥は、平気な顔で歩いている。おそらく、蹴りが触れるか触れないかくらいのところで、自分から後方へと跳んだのだろう。

 蹴りを繰り出した直後、玄馬は永樹の舌打ちを聞いている。


「玄馬さん〜長の叔母上って面白い人ですね〜」


 叔母上などと、軽々しく言っていい相手ではないのだが、真鳥はまるで気にしていないようだ。

 そして永樹もまた、こんな真鳥とのやりとりを楽しんでいる風がある。


 あの伐永樹と、この真鳥の間で、この後も何も起こらないわけはない。

 まるで想像もできない何かが絶対に起きる。

 予感では無く、確実な未来予測。


 ふんふふ〜ん♪と鼻歌を歌いそうな顔で横を歩く真鳥を見ながら、二人に何かあったら止めるのは。


 俺だよなあ。


 そのための生贄だったのか。完全に騙されたと伐と加内に対して心の中で愚痴る。


 真鳥との初任務を楽しみにして浮かれていた玄馬は、心の中でヤダヤダ怠りぃ〜と溢す。

 しかし、これから起こり得るだろう何かに対して真鳥がどう対処するのか。それを目の前で見ることが出来るのだ。

 自らを生贄だと言いながらも、玄馬にとって真鳥との任務が楽しみなのは間違いようのない事実だった。


 ヨギ市まで馬車であれば丸一日。

 途中の街で一泊するコースである。


 それぞれの想いを抱えて、一行は街道を進んだ。


更新お待たせしました。

4話目いかがでしたでしょうか。

いつもお読みいただきありがとうございます。

物語はまだ始まったばかり、これからしばらくお付き合いいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。

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