第5章14話
陽はすでに傾いている。
商店街が賑わい始め、街中には夕餉の気配が漂っている。
国境付近から戻った一颯は、議会のある建物およびその内部の人々の動向を探っていた。
議会は矢杜衆詰め所から二ブロックほどの距離にある。サイズ的には詰め所の方が数倍大きい。また建て替えを行っているため比較的新しい。議会の方が建物自体が古く荘厳さを感じさせる。
長からの情報によると、議長を狙う者として名が上がっているのは、議会衆ばかりだった。
これまで二名の候補者を極秘裏に調査した。結果は白だ。気持ちの上では祈織退陣を願っているが、実際にその状況になれば自身の方が不利益を被る、そのことを知っている輩だった。
残るは一人。
幼い頃から議長になることだけを目的に教育されてきたその男は、二年前の議長選で祈織に負けた。
見るからに一番怪しいのだが、もし事が発覚すれば議員生命を失うどころか、代々議長を輩出してきた家柄に泥を塗ることになる。真っ先に疑われる要素が揃っている。軽率な行動に出るだろうか、というのが一颯の見解だった。そのため、先に疑わしき者たちを調査し、最後に回した。
芳司守土は、矢杜衆詰め所での長と加内との会談を終えた後、議会へ戻っている。幹部を集め、アカギとの会合の報告を行っていた。本来ならば議長から為されるはずの報告は、守土が議長の体調不調による欠席を告げ、自ら代理を務めていた。それを疑う議員は誰もいない。いたずらに議長不在を公にしないところは、彼もまたイカルを動かす議員なのだとわかる。その後は、執務室で膨大な書類を処理している。
守土に動きがあったのは、夕刻だった。
矢杜衆から派遣された専任護衛二人に守られるようにして、旧家が立ち並ぶ一角にある自宅へと戻るのを一颯は姿を隠して監視している。
守土の自宅は旧家でも格が上らしく、立派な門と塀に囲まれており、高いところからでなければ中の様子は窺えない作りになっている。
守土が到着するとすでに門は開いており、数名の使用人たちが守土の帰宅を出迎える。
護衛を含めて守土たちが中に入ると、重厚感のある門扉が音を立てて閉まる。権力の象徴のような門だ。
事前の調べでは護衛も守土の家に部屋をあてがわれていることがわかっている。彼は二十四時間の警護を受けているのだ。
正直、守土にそれだけの敵がいるようには見えないが、家柄による悪しき風習が続いているのだろう。
守土の家の向かい側の屋根の上に身を隠し、少しばかり家の様子を探る。
守土の帰宅から程なくして、一人の男が門前に現れる。
長い外套を羽織る身なりは旅人のものだが、その身のこなしから矢杜衆としての訓練を受けた者だと一颯にはわかる。
深くフードを被っているためその顔は見えないが、訓練された一颯の鼻が僅かに男から漂う血臭を拾う。
一颯は警戒レベルを上げて様子を窺う。
できれば式を飛ばして長に一報を入れたいが、相手も矢杜衆となれば式の気配を感じ取られる恐れがあり断念する。
男は明らかに守土が帰宅するのを待っていたようだった。一度、周囲を見渡した後、門を叩く。その叩き方やリズムは、矢杜衆が使う暗号と良く似ていたが、一颯には理解できない。独自のルールを用いているのだろう。
門の横の小さな木戸が開き、守土の護衛の一人が顔を出す。
男は突然、護衛の腕に縋り付くと、何かを懇願し始める。
男の行動に護衛は油断していたのか、すぐに動けなかったようだ。我に返った護衛が男を引き剥がそうとする。
一颯の位置から視認はできるが、声を潜めている彼らの会話を拾うには距離が在りすぎる。立ち並ぶ旧家はどれも大きく、道も家々の間隔もまた十分すぎるほど広い。
血の匂いを纏わせた男が何を言っているのかはわからない。
しかし、突然、男が門番に両手で掴みかかり、喚き出す。
「卑怯だぞ!」
その声が通りに響き渡る。
男が護衛を押しのけ木戸の中へ入ろうと強硬手段に出たところを、護衛が男の服を掴んで投げ飛ばす。被っていたフードが落ちると、その右頬と右耳に白いガーゼがあてられているのが見える。まだ血が止まっていないのか、さきほどの押し合いで傷が開いたのか、血が滲んでいる。
男が道端に転がされると同時に木戸は音をたてて閉まる。
男は必死に木戸を叩く。
「お前ら上のもんはいつもそうだ! 俺たち末端を人間とも思っていない! 命かけてんのは俺たちだ! 手を汚しているのは俺たちだ! お前らはわかってない! 組織を動かしているのは俺たちだ! そんな俺たちを見捨てるのか! お前たちク……」
男の怒鳴り声はそこで途切れる。
通りの向こうから、灯りを灯した一行が現れる。
木戸は開かない。
男は再びフードを深く被り、副議長の家を離れる。
一颯もまた、男を追って闇に紛れた。
今日もお読みいただきありがとうございます。
昨日、アップできずタイミングがズレて申し訳ありません。
次は土曜日に更新予定です。