◇09◆ ヒポカンパスジャマー!(護符)
◇◆◇◆◇◆◇
「才能無いです、微塵もありません、諦めてください。無理ですから。才能無いですから。皆無。残念。無理無理、ブッブー!」
「なによこの面接官っ!!!」
今しがた、腕をクロスし×印を向けブッブーと言い放ってきた面接官にブチ切れたココ。
魔法管理局が実施するプリマジョ選考試験の第一次試験。
受付を済まし、筆記試験が行われる会場へ移動中に呼び出された。
そして面接を行っているこの狭い部屋にて、声が響き渡る。
「なんで不合格なのよ! 魔法の才能が無いってどういうことっ!?」
試験も受けていないのに冷酷に不合格であることを告げられ、その理由が魔法の才能が無いという実に簡素な言葉で片付けられた。
そしてこの態度だ。
急に煽り始めた面接官の女性に、小学生のココが怒りを顕わにするのも無理からぬことであった。
と、思っていたら。
「……ふぅ」
目の前の面接官が急に動いた。
ゆっくりと落ち着き払うように肩の力を抜き、ため息を落とす。
やや乱れた髪を直しながら椅子に座りなおした。
いきなりこちらを煽ったと思ったら、急に静かになり沈着した態度に戻る。
コロコロと急変させる態度やその温度差に戸惑う。
机を挟んで鼻息を荒くしていたココも自然と興奮が冷めていった。
そんなココを見て、面接官の女性は口を開く。
煽るような口調ではなく極めて冷静な口調で、だ。
「魔法の才能が無い……。これは現状であなた自身が証明しているんです」
「え……?」
面接官の言葉に呆気にとられるココ。
ココが納得できない理由は、ひとえに才能という不可視で曖昧な言葉に信用できないからだ。
面接官が告げる。
「ここまで怒らせているのにあなたからは何の反応も出ないのです。感情の反応ではなく魔力の反応が。A判定という並外れた血中含魔量なのに」
一つ一つを丁寧に説明する面接官の女性。
「魔法というものは術者の感情の昂りに大きく左右され、呼応するのです。プリマジョに受かるかもしれない、受かりたいという期待や希望を私に否定され、そして私の挑発じみた言葉にあなたは激怒した。感情が大きく動いたはず――」
ですが、と前置き。
「ただ、それだけ。体の反応として、動悸が速くなって顔の血管は広がり血流が著しく巡った……。ですが血液の中に眠る魔力は眠ったまま」
面接官はやや視線を落とし、ココの顔からココ全体を見渡す。
「血中含魔量A判定の人が、あそこまで怒りを顕わにすれば、感情に呼応して魔力が何らかのアクションを起こします。魔法の才能がほんの少しでもあれば……」
そこまで言われてなお、ココは唖然とした表情を作り替えることが出来なかった。
面接官の言葉を頭の中で整理するのに集中しているからだ。
(な、なにアクションってどういうこと? 何かしらの魔法が出てたの? 分からないよ、面接官はわざと私を怒らせたってこと……?)
疑問符で埋め尽くされた頭の中を必死に整理するココを手助けするように、面接官は例を出した。
「あなたと入れ違った受験生を覚えていますか? 涙ぐみながら出て行った受験生を?」
「は、はい……彼女も不合格だったのでは……?」
筆記試験会場に向かう途中に呼び止められ、係員に連れられてこの部屋に来た時、すれ違った少女がいたことを思い出すココ。
気弱そうな少女で、涙ぐむというよりも、泣きじゃくっていた。
今にして思えば自分と同じように不合格を告げられ、この面接官に酷いことを言われたのではないだろうか。
「合格不合格で言うならば、彼女は合格です。これから遅れて別室にて筆記試験に挑みます」
えっ? と驚くココに説明がされる。
「彼女は先ほどのあなたのように、私にボロクソに煽られて泣き出しました。すると極端な悲しみの感情を癒やそうとした魔力が呼応し、その場で回復魔法の発動が確認されたのです。指のささくれが少し塞がる程度の微々たるものですが」
「な、泣いて……回復魔法……?」
「もちろん、泣けばよかったと言っているわけではありません。この面接を通過した者は皆一様に、感情を揺さぶられた結果、魔法を発動させています」
そう言うと、面接官は人差し指を真下に向けて机を指さす。
厳密には机のさらに下である床、部屋全体を指さしているようだった。
「この狭い部屋の中では素質を図るために、常に魔力を感知する機械が設置されているのです」
このような感知器はいずれ一般化して広く普及されるでしょう、と面接官の説明を聞きつつもココは周囲を見て感知器を探したが、どれがそれなのか見つけられないまま、眼前の女性の言葉を聞く。
「さらに言えば、この小さい部屋には、魔力を増幅させる透明の魔法陣が敷かれています。その上昇幅は通常の何倍にもなります。ゆえに私なんかは魔法を封じる措置を一時的にしているくらいです」
ココは困惑する。
ここが特別な部屋と言われても、ココは実感が湧かない。
広い公民館の、変哲も無い小さな会議室にしか見えないからだ。
「会場では素質を見抜くことに長けた係員が何人も見張っています。彼らの役割は魔法の才能が無い者をこの部屋へ連れてくること」
そして、と面接官は一拍。
「この部屋で最終判断をするのです。係員が受験生の才能を見抜けなかったのか、それとも受験生に本当に魔法の才能が無いのか……」
面接官は再び例題を切り出した。
煽る言葉に怒りを顕わにして、面接官を黙らせるように指先から小さな火の粉を出した者。
面接官の突き放す言葉に嘆き悲しみ、耳を塞ぐように周辺にバリア魔法の片鱗を生み出した者。
係員が見抜けなかった受験生でも、そうやって最後のチャンスを掴み取りスタート位置に立ったのだと言う。
しかし、と面接官はココのワナワナと見開かれた瞳と目を合わせる。
「私に噛みつけるほどの、豊かな感受性の持ち主であるあなたが怒っても、魔力は呼応しなかった。血中含魔量が多いのにも関わらず……」
そこで初めて面接官が悲しい表情を、憐憫の表情をココに向けた。
同情的な優しさも垣間見える、やるせない表情だった。
「あなたは魔法が使えないんです。血中含魔量は多くても、より根本的な部分の問題なんです」
「才能が無い……魔法が使えない……」
才能という不可視で曖昧な言葉が、鮮明になっていくココ。
それも実体験を持って。何も起きないという実体験で、だ。
本来ならば使えている条件下においても魔法が発動されない。
他の受験生が出来たことが出来ない。
才能が無いから魔法が使えない。
それがどういうことか分かってきた。
そして同時に一つの事実が、ゆっくりとココを押し潰すように、酷く重くのしかかる。
不合格、という事実が。
「そんな……」
呟きながら思い出す。
何度もプリマジョの活躍を見てはしゃいでいたこと。
血中含魔量でA判定が出た時、採血の痛みで浮かんだ涙を吹き飛ばして喜んだこと。祖父と祖母も大いに喜び近所に自慢しに回ったこと。
塾では毎回のように最前席に座り、好成績を残し続けたこと。
そして塾の首席で卒業し、記念品を貰ったこと。
プリマジョになるために努力し続けた期間が走馬灯のように巡る。
そんなココの口が自然と開いた。面接官に尋ねるように言葉が出る。
「ムネン獣……倒せない…んです?」
それは質問と言うよりも、半ば放心状態のココから零れ落ちた独り言のようなものだ。
「……ええ。ムネン獣は魔法以外の攻撃を無効化しますから。魔法の才能が無ければ倒せません。血中含魔量が多いので魔道具とかは使えると思いますが……それでも雀の涙ほどの威力ですし……」
「空も、飛べない……? キラキラなドレスも……?」
「箒も衣装も魔法管理局がプリマジョの特性に合わせて作るものですから……」
ココの呟きに律儀に答えるのが心苦しくなったのか、面接官は困ったように提案する。
「プリマジョは難しいですがサポートする職員、私たちはプロンプタと呼んでいますが……そういった職に就くのも――あ、でも魔法が使えないとなると……」
言っている途中で失言だと思ったのか言い淀む面接官。
初めて見せる面接官の困惑した表情に、ココはいた堪れなくなる。
気を遣わせているのだと、幼いながらに分かった。
だからココはそれ以上何も言わなかった。
魔法が使えなくて、
だから不合格で、
プリマジョにはなれない。
シンプルにそれだけを心に刻み、会場を後にした。
ココを心配して何人かの試験管に見送られる形でだ。
その後の記憶は曖昧だった。
傘を忘れたのか? と試験管に言われるまで、自分が雨に打たれていることすら気付かなかったくらいだ。
シャワーのように降り注ぐ雨をポカンと見つめていた気がする。
◇◆◇◆◇◆◇
雨のように降り注ぐシャワーをココは止めた。
体にこびり付いた汗を流し、洗髪も終えたココはジムのスパエリアを出る。
誰もいないロッカールームで、無造作に投げ捨てていたスポーツウェアの上下をキャラクターがプリントされた布袋に回収しギターケースに突っ込む。
フカフカのタオルを体に巻きながら水気を取りつつ、全裸のままロッカールームを出て受付横、レンタルのロッカーにマイシャンプーなどの洗面用具や照明のランタンなどを仕舞う。
ロッカールームに戻るココ。備え付けの時計は午前4時を超えている。
いささか睡魔が強烈になってきた。
早いところ自宅に帰り寝床に着きたいところだった。
ひとまず睡魔に負けないようにドライヤーを当て真っピンクの髪をフワフワと舞わせる。
温風により熱される頭を使って思い出すのは面接のことだ。
プリマジョになるための試験を受けたあの日。
プリマジョの根底であり、絶対条件である魔法が使えないと分かったあの日。
プリマジョになれないと分かった日。
夢が破れた日。
あれから5年は経った。
髪が乾ききった自分の顔を見つめる。
色々変わったとココはしみじみ思う。自分も、自分を取り巻く環境も。
あの日、ずぶ濡れになった自分を迎えに来てくれた大好きな祖父と祖母はとっくに天寿を全うしている。旅立つときは二人とも安らかだった。
「あたしだけが心残りって言ってたっけなぁ……。まっ、落ち込んだりもしたけれど、あたしは元気ですってね」
ハンガーに掛けているスカートを穿いてワイシャツを羽織る。
筋肉質な体を色気でごまかすためにボタンは第四まで開けてVネックを常に意識している。
近所の実家に帰るだけなのでツインテールにはせず真っピンクの髪を自前の櫛で整える程度にした。
着替えを完了させ、姿見に見せびらかせて確認。
ボリュームある髪がフワリと宙を舞う。
「一番目立つアプデはやっぱり髪だけどね~。あんまり気にしなさそうだなぁ~あの二人緩かったし、それより――」
外見より内面を重視するあの二人なら、髪色よりも、
「あれだけプリマジョプリマジョ言っていたあたしが、今じゃプリマジョ嫌いなんだ~って方が驚きそうなんですケド」
と言いつつ鏡の中にいる自分に苦笑を向ける。
髪は黒から真っピンクへ。
プリマジョは大好きから大嫌いへ。
5年という月日は、人を変えさせるのに十分な長さを持つ。
だが、変わらないものはある、とばかりに。
ココはギターケースから手帳型の日記帳を取る。
愛らしい模様が入ったリングノート型の手帳に挟んだシャーペンも取り出す。
二回ほどノックし、芯を出したシャーペンを手帳に近づける。
本日、厳密には昨日である金曜日の日付のところだ。
「今日も魔法は出ませんでした、と。悲しみも汗と流せば一周回って平常心なんですケド」
コロッとした態度で手帳に×印を書き込んだ。
×印だらけの手帳だった。書き込んだ今日より以前、土日の二日間を空けて全て×印で埋まっている。
魔法の才能が無いと発覚しても魔法の練習だけは欠かさなかった。
×印はいずれも魔法が不発だったことの証左だが、あの日以来魔法の練習は欠かしていない。
閉館後のフィットネスクラブという、一人で魔法の練習をするのに適した場所を見つけてからは、より綿密に、詠い、歌うことが出来た。
「まだあたしは異例の血中含魔量A判定だし……きっと!」
魔法に関する常識として年々、血中含魔量は下がっていくのが周知の事実だが、ココは未だに血中含魔量はA判定のままだ。
血中含魔量の減少により若くして引退するプリマジョも多い中、これは異例の体質だ。
ひょっとしたらいつか魔法をこの手から発動するときが来るかもしれない。
「今でも魔道具だけは使えるんだし、その内使えるようになるって」
シャワーを浴びて奇麗サッパリしたことと、眠気に襲われる体を起こすために上げているテンションのおかげでココは前向きだ。
「そんでプリマジョを見返してやるんですケド!」
そう言ってココはロッカールームを出る。
「え?」
「あ、やば……」
ココは、ジムのスタッフと鉢合わせた。
「だ、だだ、誰だぁっ!!?」
まずいっ、今日は土曜日で出勤時間が早いんだった、と思うや否や、
ココは素早く行動。
ギターケースから一枚の紙を取り出し、叫ぶ。
「ヒポカンパスジャマー!!」
直後、紙から青く強い光が迸った。