◇02◆ 誰の足がバオバブの木だって?(太もも)
◇◆◇◆◇◆◇
喧噪が絶えない街がある。
日本有数の繁華街は、空に漆黒の帳が下りた夜でも明るい。
強烈な人工的な光が当たっているからだ。
複数の商業施設を内包した大きなビル。
その外観に取り付けられた、巨大なスクリーンが街の象徴だ。
出力される映像や音が、街行く人々の視線を奪う。
無数の娯楽施設と、居酒屋がひしめきあう街。
足早に帰路に就く者が集中する駅を除き。
喧噪に包まれた繁華街の秩序はいささか乱雑だ。
泥酔しおぼついた足取りで目的も無くフラフラと歩く酔っ払い。
ガラの悪い若者たちは、輪を組んで下品な笑い声を響かせる。
片手大の棒にスマホを括り付けて、物見遊山にしてはやけに挑発な態度で動画配信を行っている者もいる。
そんな街の一角。
街を不気味に照らす人工的な光さえ行き届かないような、人通りも極端に少ない漆黒の曲がり角。
若い男の声がする。一人ではなく、複数だ。
「おねーちゃんさぁ、そこどけよぉ? 俺ら通れないじゃん?」
四人ほどの男が行く手を塞がれていた。
髪や顎髭をくすんだ金色に染めたを筆頭に人相の悪い集団だ。
見せつけるように鎖骨や腕にタトゥーが入っており、身に着けたアクセサリーからはチャラチャラと音を鳴らしている。
「……」
道を塞ぐのは一人の少女だ。
女子高校生ぐらいだろうか。
対面に立つ男連中とあまり変わらない少女にしては高身長な痩躯。
やや肩幅が広いきらいがあるもののモデル体型でスラリとしていた。
衣服と素肌の割合が上下で不釣り合いな少女だった。
ダボダボのパーカーを着た上半身。
下半身は短いショートパンツ。
足の付け根からくるぶしまでの素肌を夜風に晒している。
肩に担いだギターケースが目に付くがそれよりも目立つ部位があった。
真っピンクの髪だ。
緩くウェーブのかかった、ボリュームのあるツインテールの髪は、鮮明で濃い桃色をしていたのだ。
対面している男たちの傷んだ金髪とは違う。
サラリとした髪質を保ったピンクの髪は、自然な光沢を保っている。
少女は漆黒の一角において目を引くほど明るい。
そんな少女に、男たちが訝し気にしかし挑発的な態度で話を続ける。
「あー、分かった。俺らに仕事紹介してほしいんでしょ? 家出した訳あり女子高校生って感じだしさ」
「まぁ、紹介できなくもねぇけどな。ほら、俺らそこらの半グレと違ってヤクザ連中からも一目置かれてっし」
「……。はぁー……」
沈黙を破り、男たちに聞こえるようにため息を漏らす少女。
美しい髪を持つ少女の顔は、これまた美しい。
切れ目で吊り気味の目は、はっきりと意志の強さを感じさせる瞳を持ち、端正な鼻と艶のあるリップに彩られた唇。
もし、このまま人々が集まる夜の歓楽街の通りに出れば、殊更に注目されるような美貌だった。
整った顔立ちの少女は、しかし苛立ちを隠しもせず小さな口を開く。
「盗んだ財布。持ち主に返しなョ」
声色だけ聴けば、高く澄んだ美声。
だがその声に込められたトーンは間延びしていて、なんとも気怠そうな声だった。
男連中のズボンのポケットを、少女がネイルで彩られた指でさす。
四人の男たちのズボンは、不自然に全て膨らんでいた。
男たちは一瞬呆気に取られた顔をしたが、すぐさま肩をすくめて不敵な笑みを浮かべる。
「バレてて草。何、おねーさん、盗るとこ見てたの? 俺らのこと大好きじゃん」
「でもさー、普通に考えたら盗まれる方がバカっしょ? 危機管理能力ゼロ過ぎてさ」
不自然に膨らんだポケットから多種多様のデザインの財布を取り出し、自らの犯行を見せびらかす四人。
悪びれる様子は一切無い。
むしろ、挑発的に笑みを浮かべたままだ。
「はぁ? 開き直りとか、盗人猛々武田信玄ってやつなんですケド。これだから蝶々以外の虫って無理だわ~……」
挑発的な態度の男に対して、造語を交えて煽る少女もまた挑発的だ。
「あ~?」
そんな少女が癪に障ったのか、男たちの持つ雰囲気が変わる。
険しく刺々しい雰囲気に、だ。
明確な敵意。
男たちが一歩前に出て少女に近づく。
「おねーさんさぁ、こんな誰もいない裏路地で俺らに喧嘩売ったらどうなるか分からねぇの?」
「それなー。正義マン気取りにしてはバカ過ぎるよな、俺らに襲われても誰も助けてくれないのにな」
「正義マンっつうか正義ウーマンっつうか、プリマジョさんですかっつーの」
「……は?」
最後の男の言葉に少女の整った眉がピク付いた。
睨むような視線を男たちに向ける。
「誰がプリマジョだって……?」
オウム返しをした少女の声は、震えていた上に小声だったからか、にじり寄る男たちの耳には届かなかった。
男たちが少女を取り囲んで、値踏みするかのように見回し始める。
女の身体を服越しに隅々まで見抜いてやろうという、あまりにも下品な気概が見て取れる双眸の動かし方だった。
「いるんだよね~、プリマジョ卒業して無駄に正義感振りまくアマ。こいつも元プリマジョかぁ?」
「いや違くね? 雰囲気がプリマジョって感じじゃないんだよねー。元プリマジョの女ってめちゃくちゃ華奢だし」
「そう言われるとこの女は、ちょっと筋肉質過ぎるわな。とくに太ももとかちょっと太いしな」
太い、という言葉に、少女の整った眉がさらに二度ピク付いた。
だが男たちは気付かない。
「まぁ、ワガママボディってやつでしょ。元プリマジョじゃなくてもいいだろ。俺、こういう太ましい足も嫌いじゃ――」
次の瞬間だ。
少女の太ももをのぞき込んでいた男の後頭部に――
「うげっ!!」
――少女のかかと落としが振り下ろされた。
刹那のクリーンヒットだった。
柔軟な股関節をフルに使って右足を天に掲げ、全ての力を下半身に集中させ、太ももに大腿四頭筋を浮かび上がらせる。
極限に硬化した右足をそのまま踏み砕くように男へ直撃させた。
少女の脚力の暴力に伏した男は気絶したのか、微動だにしない。
一瞬の出来事に脳が追いついていないほかの男に対して、静かに、しかし確かな怒りを孕ませた瞳を向ける女子高生。
艶やかなピンクの髪も逆立ちそうな勢いだ。
「誰がプリマジョだって……?」
プリマジョ。魔法管理局の特殊部隊に所属する、魔法少女たち。
高い魔力が特徴的で、人類の敵であるムネン獣を退治する。
「誰の足がバオバブの木だって……?」
バオバブの木。南アフリカ、サバンナ地帯に広く分布する樹木。
非常に太い直径が特徴的で、太いものは10メートルを優に超える。
「言ってねぇよ……!!」
「このクソ女がっ!」
男たちが拳を構える。
女だろうが構わず殴る。そんな姿勢だった。
対して少女は肩のギターケースに手を突っ込み、勢いよく引き抜く。
ギターケースから抜かれたのはギターではなかった。
楽器ですら無い。
「陸奥守ヨピ行……!」
刀だ。
少女の手には、鞘に入れられたままの刀が握られていた。
「はぁ? 何だよそれ!」
コスプレグッズか本物か。
男たちが刀の真偽を推し量りつつも。
数の利とばかりに一斉に少女に襲い掛かった。
「日本の夜明けぜョ――ってね!」
少女はピンクの髪をなびかせながら、刀を振り回して迎え撃った。
◇◆◇◆◇◆◇
雲に覆われた夜空の真下の歓楽街は、しかし明るく賑やかだ。
光源を担う高くそびえ立ったビル群が建ち並ぶ。
ひと際高い、一つの商業施設がある。
その商業施設には巨大なスクリーンが備えられていた。
『愛のキラキラフィナーレ――!!』
スクリーンから、底抜けに明るい声が街全体に響き渡る。
活気あふれる声に足を止め、スクリーンを仰ぐ人々。
その視線の先にはキラキラと輝くドレスに身を包んだ少女が複数映っている。
『――で、お馴染みのプリマジョ特戦隊ですっ!!』
プリマジョだ。
人類の脅威であるムネン獣を倒し平和を守る少女たち。
絶大な知名度を誇る人気者だ。
街行く人々はスクリーンに映るプリマジョを見る。その誰もが笑みを浮かべ好意を露わにしている。
写真を撮る者も一人や二人ではない。
テレビやネットのSNSなどで見る機会などいくらでもあるのに、だ。
だが特段珍しくない光景であり、巨大スクリーンにスマートフォンを構える者を不審に思う者は誰一人としていない。
『私たちの新メンバー加入を記念した新商品のお知らせです! 今回は、皆さまを守るとっても大事な防犯グッズ、新型のムネン獣検知機です!』
『ムネン獣の発生を予測して、私たちの声で危険をお知らせしますっ! 新メンバーのボイスはもちろん、既存メンバーのボイスも新録しましたっ!』
『さらに新機能としてGPS搭載で最寄りの避難所までのルートを紹介っ! 政府と魔法管理局の共同開発ですので――』
満面の笑みで、淀みなくカメラ目線を崩さずに商品の説明を続けるプリマジョ。
そんなプリマジョが華やかに映るスクリーンを、睨むような目つきで見る少女がいた。
人であふれる街の、しかし誰も近寄らないような裏路地だ。
ボリューミーでゆるふわなツインテールの色は真っピンク。
ド派手な髪を夜風に揺らしている女子高校生。
ココだ。
彼女は激しい敵意を伴った視線をプリマジョに向けていた。
「うう……」
ふとその視線を下に落とす。
ココの足元には、倒れている男が五人。
いずれも微動だにせず、悪い人相を苦痛に歪めている。
「んじゃ、警察呼んだから。来るまでゆっくり寝てなョ」
通報するのに借りた不良のスマホを投げ捨てるココ。
ココは愛刀である陸奥守ヨピ行をギターケースにしまう。
結局一度も抜刀しなかった。
抜けるわけがない。
本物の日本刀だからだ。
ギターケースと同じくスワロを盛った鞘だけ見れば、偽物や痛いグッズと言い張れるかもしれないが、中身は真剣だ。
極力見られるわけにはいかない。
陸奥守ヨピ行を無造作に突っ込んだギターケースを肩にかける。
「雑魚すぎなんですケド。あんたらもジムで鍛えたら?」
多少汚れた服の埃を払いつつ、男たちに吐き捨てる。
あっ、と思い出したかのように素肌を晒している太ももを叩く。
むっちりとした太ももを叩くと、パァンと乾いた音がよく響いた。
「ジム行けば誰しも足に筋肉付くっての! あたしの太ももが太いんじゃないからっ!!」
早口。
その言葉を最後にココは歩き出し、振り返りもせず後にする。
裏路地から大通りへ。
人通りの多い道に出たココをビル風が歓迎する
冷たい強風がココのピンク髪をブワっとかき上げる。
乱れた髪を戻すココの頭上から、また明るい声がした。
『愛のキラキラフィナーレ! で、お馴染みのプリマジョ特戦隊です!』
繰り返される広告。
プリマジョによる宣伝がループされていた。
先ほどと微塵も変わらない、愛らしい笑顔と高いテンションで商品を説明している。
街行く人々の移り変わりは激しい。
ココにとっては二度目の再生だが、初めて広告を見る者もいて、その多くは大画面に映るプリマジョに沸きスマホで撮影していた。
プリマジョには自然と笑顔を向けてしまう。
それが当たり前だった。
ピンク髪のココだけが険しく双眸をぶつける。
喧嘩をけしかけるように。はたまた視線だけで殴るように。
「プリマジョ……ふんっ」
心の中で指を立てる。真ん中の指、立ててはいけない指を、だ。
「大っ嫌いなんですケド!!」
思わず声にして叫ぶ。
周囲の人間が何事かとココを見るが、それも一瞬だった。
パトカーだ。ココの呼んだ白黒の車両が、繁華街を走る。
スクリーンに映るプリマジョの声よりも遥かに響くサイレンが近付く。
人々の関心は、叫んだピンク髪のココから白黒の車両に向けられる。
警察車両は救急車を伴ってココが通ってきた裏路地へと入っていく。
「警察、早い方じゃん。さっさとヨピ行をしまって正解なんですケド。銃刀法違反は勘弁だし」
ココの足取りは警察が向かった現場から離れるように逆方向へ。
大嫌いなプリマジョからも離れるように。
自分を認めなかったプリマジョから離れるように。
「あー…それにしてもスッキリしたぁ。ジムだけじゃなくて本格的な運動もしないと身体、鈍っちゃうしね」
プリマジョの試験に落ちるというココ史上最大の事件から五年後。
そこには髪をピンクに染め上げ、繁華街で元気に刀を振り回すココの姿があった。
「んー、でももうちょっと暴れたいなぁ。また不逞の輩いないかな~。半グレでも迷惑系配信者でもいいなぁ。どうせバレないし。ふふん、成敗ぜョつってね♪」
――それにしてもこのココ、ノリノリである。
すべての歯車が狂いだしたのは、五年前。
プリマジョ選考試験が行われたあの日、だ。




