09 レイニ :盛大な根回し
走り去る音がして、そっと片目を開けて様子を見る。
黒い服の女が走る後ろ姿がみえ、あっという間に姿を消した。
気を失ってたわけではない。
日頃から鍛えているし、こんな高さで気絶とかただの笑いものだろう。
…可愛かったな。
仰向けになって、思い出す。
彼女はこの国の人間とはまるで対象的だった。
木に引っかかった時から思っていたけれど、線の細い体に糸みたいにきれいな髪だった。肌も青白く見えるほど白くって、まるで月みたいに人を惹きつける。少し気になったのはあの耳と髪だ。走りさる後ろ姿に結んだ長い髪が見えたが黒い気がした。だが、今はまあいい。
体を起こす。
だいたい誰かも予想がついた。
ある人の言ったことが頭をよぎる。
『お買い得だよ。』
「参ったな」
思わず声に出る。
あの怪しい奴の言うことはどうやら本当だったらしい。
波の寄せる音が静かにしている中、街のほうが騒がしい。おそらくこれを恐れて、彼女は早々に去ったんだろう。俺もここにいるのはあまりよろしくない。
立ち上がり砂をはたく。
身体が軽いことにふと気づいた。彼女が何かをしたようだったけれど、ここ最近の疲れがまるでないかのように体が軽い。頭もすっきりしている。身体を動かし異常がないことを確かめると、とりあえずここを離れることにした。
それにしても可愛かったな。
どうしたものか。
あの言葉の続きをさらに思い出す。
『今しかないし、あなたがいらないというなら、ほかに譲るまでだ、アフィリアの王』
ミネリがティドーに呼ばれ皇城内に来た日よりもかなり前。
王なのに残務が続き、仕事から逃げ出して夜になると飲み歩くという日が続いていた。
正直言って、何をどうしていいかわからないぐらい国の中は乱れて、自分でも混乱気味だった。なのに貴族どもは公務をすることよりも世継ぎを、とうるさい。
問題の本質がわからなくて、何より何かに振り回されているような感覚が付いて回る。
それは何も証拠はない。
ただの勘だけれど、自分の勘はよく当たる。
よく当たるけれど、このところの勘がさえない感じはひどかった。
自分の爪が静かにもがれていく、そんな感じにへどが出そうだった。
だから見知らぬ女が変なことを言ってきたとき、確信をつきすぎていて驚き、もう一度聞いた。
「いま、なんて言った?」
自分でも驚くぐらい声音が低く、いら立ちがにじみ出ていた。
この目の前の女に対してではないのもわかっていたが、日々のストレスでついいらっとしてしまった。
その女は揺らぐことなく、笑っていった。
豊かな赤い髪が特徴的な女だった。
目がぎらぎらとしていてただの商売人には思えなかった。
サイの店で飲んでいたのに、なぜかその時はサイがいなかった。
ほのぐらい店内で、ほどほどに騒がしく、こんな奴が近くにいることにも気づかなかった。
カフィス商会という貿易商社の会長だと名乗ったこの女は続けた。
「この国に必要なのは正式な方法による聖堂の修復だ。違うかね?」
聖堂の修復は祖母がなくなってから、禁句になったかのように誰も触れなくなった。
そして父の代に封じられてしまった。
何か対策をするとかそんなこともなくひっそりと。
今は当時の見る影もない。
「…なんでお前が知ってる。」
「正確には、聖遺物だ。聖堂の中でも格別で格上で、段違いの聖堂なのに、もったいなくはないかな。」
「おい」
怒りがにじみ出る。
イライラさせるのが得意な女だった。
「ちょっとだけ情報通なだけだ。この国以外のことも同じだから、あんまり気にしなくていい」
「俺が誰か知っていってるのか?」
「知らないでこんなこと言ったら、私が自分の首をさらすだけだ」
女はしゅっと自分の首を切る真似をする。
そうなるかどうかはわからないが、闇討ちは合うかもしれない。この国の貴族たちは教会員を嫌っているし、恐れているようなものだ。
「バカな人間が集まるとろくなことにならない。簡単な解決策への道は複雑極まりないものにされ、簡単そうに見えるものはとんでもない罠が仕掛けられている」
「何が言いたい?」
「この腐りかけた国を立て直すには、ちょっとした揺さぶりが必要なんじゃないかってこと」
「俺に教会員を呼べというのか」
「皇妃としてね」
「お前、誰だ」
女は高笑いを始めた。
「いやいや、大したものじゃないよ。ただの気まぐれ、いや、こちらも実は都合があるのさ」
女はグラスを揺らしながら言った。
疲れてる上にいきなり知らない人間に確信を突かれたから、思わずいらだっていたが、聖堂のトラブルは国民も知っている。それ以来、国のごたごたが収まらないことも。
だから一度、落ち着け。
こいつが何をしようとしているのかを知らなくてはいけない。
「皇后としてこの国に赴き、聖遺物を直すのにちょうどいい人物がいる。」
女はこちらをじっと見ながら抑え気味の声で言った。
「さらに彼女をおとせたら、遺物が直ったとしてもそのまま皇妃にしていい」
「…俺が皇后にするかどうかは、教会が理由で決めるわけじゃない」
「そうだろうとも。でも皇后というのは形でも別に構わん約束なのだよ。極端な話を言えば、男でもいいわけさ」
「確かに決まりとしてはそういう話になっているのは知っている」
教会と取り決めた約束で、あくまで皇后とは聖堂を修復・管理する教会員を守るためであり、形式でしかない。
裏を返せば、男でも構わないということだった。
当時はこれが精いっぱいだったんだろうと思う。
この国は土地柄にも恵まれていて、教会の関与など必要ないといわれ続けていた。
聖堂の存在は確認していたけれど、教会の協力をはねつけ、受け入れなかったのは自国の教えを盾に変化を恐れる気持ちだろうと思っている。でも昨今の皇国の不安定さは祖父の代になって問題視され始め、教会からも世界全土を見て、この国の聖堂を活性化させてほしいという経緯があった。
しかし相当もめたあげく、聖堂に手を入れるため、このような取り決めになったとか。
「聖堂を早急に直すべきだ、違うかね?」
女は言った。
それは確かにそうだった。
国は政権争いで乱れ、聖堂がないためなのかはわからないが、不作や治安の乱れが色々なところで起こっている。
せめてできることをやりつくしたいし、誰かが図ったかのように全てがうまく回らない。
その一つが聖堂の整備だった。
「聖堂を直せる人物がいる」
「さっきも聞いた」
「お買い得だよ。今しかないし、あなたがいらないというなら、ほかに譲るまでだ、アフィリアの王。」
「なんで王が俺だと思うんだ」
「はは、簡単だ。あなたが王かどうかがわからないなら、そいつは私の界隈ではちょっとしたもぐりだ。」
「言ってる意味がわからない」
「簡単だ。あなたのその祝福、ああ印か、それを見れば、あなたがこの国の王だとすぐわかる。でも祝福が見える人間は、私のいる界隈ぐらいだろう」
こいつは貿易業じゃないのか。
ますます怪しいが、ただこの女が嘘をついているわけではない気がした。
証拠はない。ただの勘だが、勘はあまり外れたことがない。
「なぜ俺になら譲るというんだ」
「ふむ、簡単だ。会ってみて、あなたならうまくいくだろうと思ったのさ。きっと気に入る。」
女は今までの攻撃的な態度から一転して、にこやかに笑い始めた。
「あまり深く考えるな。答えは出てるだろう。私の提案に乗ってみたまえ。悪いようにはしない」
そういうと女はカバンから一通の手紙を取り出した。
真っ白な封筒だった。細かく光が反射する不思議な紙だった。
表には六つ羽の竜が凹凸で描かれている。
教会は確か四つ羽の竜だったはず。
「これに皇后を求むと書いて教会あてに送ればいい。あなたの名前を書けば必要なところへ届く。邪魔されることはない」
「あんた名前は?」
「私はただの商会の会長だ。名前はあまり意味がない」
怪しさしかないが、その紙を受け取った。
「よろしい。とてもよろしい。あまり時間をかけないように。」
「…どういう意味だ」
「あなたの国は時間がない」
六つ羽の竜の紋章なんて、めったにみるものではないと思っていた。
教会の一部の人を指す模様だと聞いたことがある。
あれを見たとき信じてみようと思った。
送ってくるのは本当に使えるだろうと。そしたら直すだけ直させ、皇后として入城を正式にする前にお帰りいただこうとそんなことまで考えていた。
参ったな。
今日何度目かになるこの言葉をまた吐く。
あれは、欲しい。
『あれを落としたら直ったあとも置いていい』
あの赤毛の女のセリフを思い出す。
どうしたもんかな。
まだまだ続くよ