08 出会いは突然に
派手な音を立てて落ちていく。
体で彼女をかばいながら、崖から落ちる途中の木に飛び乗った。
がささ!
かなり落ちたところでようやく止まった。
ふう。
ほっとした。
崖の下に森があったのは知っていた。崖の途中に木が生えているのも。実際落ちるとなかなかだった。
昔から街のつくりが悪くて、いきなり崖が出るところが街にはところどころある。
でもそれで子供が落ちてけがするものだから、柵を作ったりしたのだが、あそこは腐食していたのかあんなに簡単に壊れるとは。
直さないとな。
自分が下側になって落ちたからおそらく女はけがはないだろうけれど、それでもあの派手な音で頭になにかが命中したんだから軽い脳震盪ぐらい起こしているだろう。
身体を起こし、見てみるとちょうど自分が下になって抱きかかえるようになって女がいた。
力なく腕がだらりと落ちているところから見ると、意識はないようだ。
ケガは。
目が暗闇になれなくてまだよく見えないが、ちょうど自分の胸のあたりに頭がある。
女も引っかかっているという感じだった。
頭にはまだフードがある。フードの上から触っても、血が出ている感じはない。
興味本位もあるけれど、ちょっと失礼してそのフードをはぎ取った。
ちょうど木々の隙間から月明りが差し込んだ。
今までどうやら雲で隠れていたらしい。
暗闇からの明るさになれないでいたが、動きを止めて思わず見入った。
好みだ。
白色の髪が少し顔にかかっている。
長いまつげが影を落とし、整った顔は少し青ざめているように見えるのは月明りのせいだろうか。唇がうっすら開いており、淡い桜色をしている。
昔、おとぎ話にきいた絶滅したエルフとかはこんな感じかもしれない。
やばい。これはもろに好みだ。
見とれていると、女が目を開いた。
どきりとした。狂気にも似た白い目。
彼女はどこか痛むのか顔をゆがめる。
「だいじょうぶか?」
思わず声をかけると、女がはっとしてこちらを見た。
奇麗な白い目に見とれてる間もなく、女が逃げようと体をひねる。
そりゃこの状態じゃ誰でもそうするだろう。
でも今は…。
「ちょっと待てまずい」
言い切る前に、木々が派手な音を立てて折れそのまま下に落ちていった。
黒雪
久々にバカなことをした。
自重しながら、柵から落下した砂浜で体を起こす。
頭がズキズキする。
何かが飛んできてそこから意識がなくなったのだが、砂のおかげか頭以外は痛くない。
慣れないことはするもんじゃない。
司祭も来ず聖堂も入れないから、せめて何かわからないかと思い、街に出てしまった。
しかしながらあの黒いワンピースしかなかったので、夜なら大丈夫かもと思ったのだが、考えが甘すぎたようだ。めちゃくちゃ視線を集めたのはわかった。
そしてあの変な二人組を見つけてしまった。
いやいや、いまはそれどころじゃない。
一緒に落ちた人がいたはずだ。
体を起こせば、自分の隣に人が倒れていた。
この人だ。
夜空の月明かりで辺りは明るく、男性がよく見えた。
紺色の羽織に長い黒髪、あの追いかけてきた男性だ。
追いつかれたのも驚いたが、自分を見つけた時のあの目線の鋭さ。普通なように見せておいて、冷たい底の見えなさがあった。いまは、うつ伏せに倒れていて顔はよく見えないが、この状況からすると、この人があの高さから落ちながらも自分をかばってくれたのだろう。
驚いて暴れたからまた落ちてしまったのだ。
悪いことをしてしまった。動かない男の人を確認する。
体にそっと手を当てて、脈を見る。
脈で感情以外にも、レ体の異常やけがの箇所もわかる。
しばらく時間をかけて確認すると、特に問題はないことがわかりほっと安堵の溜息をついた。
触れた手から彼の体つきはしっかりしているのがわかる。
弟みたいに筋肉バカという感じではなかった。さっき木に引っかかっていた時、受け止めてくれたのを思いだす。
顔が真っ赤になるのがわかった。
前の人生を含めるとこの長い人生で男性をまともに触った事がないんじゃなかろうか。そう気づくとドキドキしてとまらない。
やめよう。
考えるのをやめよう。
なんか考えられなくなるから。
深呼吸を一つして、平静な私に戻るんだ。
これは仕事、これは仕事。
落ち着くのがわかると、もう一度見てみる。
ただこの人はどうやら只者じゃないみたいだった。店にいた時から思っていたが、この人だけ空気が違っていた。
店にいた人たちよりも輝いていた。
こんな凪のような状況にあって、影響がないような動きをしていた。
そして何より、この人がいるとその周りが動き出している。
でも汚染も清浄も両方動く。普通ないことだ。
不思議な人だった。
そして追いかけられた時もなんでばれたのかわからない。奇麗にまいたつもりだった。
でも自分は基本的にこういう隠密は苦手だから、やはり苦手なことはするもんじゃないかもしれない。
頭をそっとなでる。
なでながら、彼の中の変な汚染を取り除く。
自分の体がぐっと重くなる。
汚染が抜けきるのがわかると、そっと手を離した。
こんなことぐらいしかしてあげれないけど、たぶんしないよりはずっと良いはず。
どうやらストレスが多い仕事をしているのか、普通の人とは思えないような汚染だ。
自分も人のこと言えないけれど、日本のサラリーマンをもし見たらこんな感じだったかもしれないと思う。
街のほうがざわついている。
あれだけの音を立てて人が落ちたのだからしょうがないかもしれない。
「ごめんなさい」
かばってもらってこれぐらいしかできないのが気が引けるが、ここにいていろいろ聞かれるわけにいかない。
そっと彼のそばを立つと、走ってその場を後にする。
砂に足を取られてうまく走れない。
小さな砂浜だったのが幸いだった。すぐに木の茂みに入る。
木登りはあまり得意じゃないけれど、たぶん大丈夫だろう。
「蒼」
小声で弟に呼びかける。
近くにいるのはわかっている。
自分が落ちる少し前から、自分の周りにいたのは知っていた。
「蒼志」
小さく木がしなる音がして、蒼志こと弟があのでかい図体で現れた。
このでかい体で隠密行動が得意という彼はどうやったらできるのか自分にはわからない。器用に木々の間を音を立てず降りてくる。
「頭、痛む?」
「…大丈夫」
まず体のことを聞いてくれる当たりやさしいと思う。
「焔姉ちゃんなら怒ってたと思うよ」
「…わかってる」
焔姉ちゃんというのが私にここへ行くよう指示した姉だ。
兄弟間の仕事を割り振りしたり、教会の中を取り仕切ってる化け物。
「あの人はなにもん?」
ふるふると首を振った。
よくわからない。
一般人じゃないだろうけれど、誰なのかわからない。
焔姉がこの国の関係するであろう人物の顔がわかるものを見せてくれればよかったのだが、いかんせんそんなものなかった。
「あの飲み屋の男達からはなにかわかった?」
聞かれて止まってしまう。あの汚染は、彼自身のものではなかった。
「…まだなんとも」
私が答えると、ふうんと納得していないような返事をしてくる。
私たちは嘘がつけない。
教会に所属するときに、そう誓いを立てている。
つけないが隠すことはできる。まだ確信はない。
「とりあえず移動するか。人が集まってきた」
蒼の言葉に私はうんとうなずくと、蒼が背中を向けてくる。
「のっていいの?」
「あ、姉ちゃんに合わせてると遅いじゃん。待ってると見つかりそう」
不本意だがこの人たちの運動神経に合わせると、自分が本当に運動音痴に思える。前の世界では普通だったのに、それが若干悔しい。
悔しいながらも蒼の背中に乗る。
広くてかたい男らしいがっしりとした体つき。思わずぺたぺたと触る。
なんも思わない。
あの人に触った時みたいに、ドキドキしない。
弟っていう考えがあるとこうもなんとも思わないものか。
「どした、いきなり?」
「いや、なんとなく…、いやなんでもない」
「どっち?」
弟は私を片手でおぶって断崖を上り始める。
片手って。
まだまだ続く。