07 レイニ・クラウスの場合
自分が珍しくシスター・ミネリが王城にきていると聞いたのは、少し前の話だ。
執務室でふと思い出すのは、教会の司祭を兼任している自分の右腕のような男のことだ。
ティドー・ラ・サンティレール。
彼が朝早くからシスター・ミネリを呼び出して、自分が知らないうちに話をすますなんて、ティドーらしい。
ティドーは自分の親族にあたるし、幼い時からお互いを知っているから彼らしいのも理解できるが、ほんと小心者だと思う。
教会員が来るという連絡があってから、彼は目に見えてこそこそするようになった。
それでシスターを呼び出し、それ以来、自分は教会に寄り付きすらしないというのだから、本当にわかりやすい。
だけれどそれはちょっとまずい。
つい昨日のことだが、とうとう、虫が王都の周辺に出たという。今までになかったことだ。急がないと住民に影響が出る。
一人政務室で物思いにふけながら外を見やる。
窓の向こうをみれば、黒い空が広がるばかり。
その窓にはきっちりと髪をしばり、いらついた自分が見える。
思わず、結った長めの髪をほどき、長い前髪をざんばらとおろす。即位前は許されていて、今はだめだといわれるこのむさくるしい髪型が楽でいい。
政務もほぼ終わり人も去った政務室は静かだった。いつもこうならと思うけれど、自分が即位してからは落ち着いたことなんてなかった。
ティドーがやらかすことなんてくだらなくも、可愛らしい気さえする。
本来、有能なのに時々ポンコツな彼が邪魔しようとしている理由もわかるが、その教会員はすでにこの国に入ったとは聞いている。
自分で探しに行くか?
ティドーを締め上げるのは明日にするとして、教会員にはさっさとこの状況を打破してもらわないと困る。
教会員を呼んだのは自分だ。
昔からの教えに沿って生きていても終わらない不作、例にない天候不良、穢れ虫が続出し、今や穢れの地まで出始めている。
異常事態になっているというのに、頭の固い貴族どもは頑なに教会の力を借りることを拒み、ここまできてしまった。
はあとため息をついた。
思い出したくない事まで思い出し、現実に立ち戻る。
それにしてもやることが多い。
机に投げ出された山積みの書類に、さっと目をやってほっといた。
やる気にならん。
重たくも堅苦しい準正装服を脱いで、執務室の椅子に投げ捨てる。前合わせの紺色の薄着を掴み、赤地に金糸の紐で腰で縛ると、肩を軽く回して部屋を出た。
なんと軽い。
執務室の明かりを消す。
カギをかけて人が入れないようにすると足早に部屋をさった。
王城は山肌に沿うように建てられているためつくりが本当にややこしい。階層でいうと同じ数字になっても実際の高さが違ったりする迷路のような作りだった。
平たく作れないため塔がいくつか並行してたっているような状態である。
細い塔はいくつかあるが、この城の構成としては大きく三つの塔に分かれている。
自分たちが主に執務行う中央塔。
そして霊峰を前にして右側の白の塔。
左側には青の塔がある。
青の塔は海のすぐそばのため白い城壁が海の青さを反射して青く見えるからということで呼ばれている。
その青の塔の側に教会と聖堂がある。青の塔は後宮にあたり、自分もそこで暮らしている。白の塔には軍部が控えている。
その青の塔を経由して、庭におりる。ごつごつしている土地柄だけれど、少ないながらも平地がここにはあった。
城の塔とは作りが違う半壊状態の塔が海にせり出すように立っている。
崩れかけた外壁にはツタが絡まり、かろうじて扉部分は外壁を含めて残っているが、人の手が入っていないのが一目瞭然だ。その周りを伸び放題の草が囲んでいる。
昔の姿を見る影もない聖堂だ。
この光景を見るといつも少し切ない気分になる。
祖母である上皇后は教会員だった。彼女はこの聖堂を管理するために来たという事情を、幼い当時はよくわからなかった。
祖母なのに血がつながっていないこととか、聖堂に一人でいることが多かったこととか。
そして同じく一人でいることの多い自分を甘やかし、やさしくしてくれた人だった。
祖母から聞く外の世界の話は好きだった。
文化の違いや、人種の違いが、この国にいると全く分からなかった。だから国外の学院での学びを希望した
父の即位は遅く、自分が学院に行く頃だった。まさか自分が学院にいる間ににあんなことが起こるとは思わなかった。
ちっと舌打ちをする。
嫌なことを思い出したな。
足早に歩きだす。
この中庭を抜けると目的地がある。中庭を囲う木々がこれまた伸び放題になっている。
ここに小道があり、国民も参拝できる地下通路が城下町とつながっているのだが、閉められてもう久しい。
教会への道をふさいだのは父だが、他への抜け道もあり、それ閉めているのは自分だ。
開かないわけでがない。懐からカギを出して、ほくそ笑む。聖堂と教会への抜け道はつぶれているが、抜け道はそこだけではない。
壁に手をつきながら、暗がりの中、抜け道を問題なく進む。
行き止まりの岩壁にしか見えないところを、体で押すと重い音を立てて外の空気が流れてくる。ちょうど教会から少し離れたところ、城壁の一部で木々の中に出る。
ちょっと遊び心がうずく。
城下町に入るとまだ煌々と明かりはつき、深夜にさしかかろうとしているけれど、まだまだ人が歩いている。
自分がいっても問題のないところ、というと行ける場所に限りがある。中心部に近いまだまだ賑わいのある裏手に入ると、建物がぎっしりと並ぶ通りにくる。
シンプルな扉の店を見つけると、そっと開けて滑り込んだ。
人が間隔をあけて、そこそこいた。暗がりの中で静かに飲んでる。
カウンターにいくと、体格のいい男性がグラスを拭いていた。その人に向かってにっとわらって挨拶する。
「久しぶり、サイ」
男性の怪訝そうな顔が一瞬にしてほころんだ。
「…いいんですか? こんな時期に」
「さっきまで仕事してた。なんかちょうだい」
サイがグラスを出し、液体を注ぐ。琥珀色のそれがいつにも増していい色に見える。
「まさかと思ったらうれしいですよ、へい…」
「レイニでいいよ。」
嬉しそうに微笑む。
「ずっといらっしゃらなかったですね」
「休みなしで雑務ばかり片づけている。」
グラスを受け取りからからと氷を回して音を立てる。
「責任ある仕事に就くものとしては避けて通れないでしょう」
「意味がない雑務ばっかだ。早く結婚しろだ、子供を作れだの、教会のせいだから縁を切れだとか、そんなのばかりだけど」
「先代が早く逝去されましたからな。心配なのでしょう」
父がこの世を去ったのはつい最近のような気もするがもう3年も経つ。
当時まだ学生だった自分が呼び戻され、王都に来たときには自分が王位を継ぐ手続きが進んでいた。
王位を次ぐのは自分の仕事だと思っていたから、そこには疑問はない。ただ何かがおかしいという感覚を残したまま、全てが何もなかったかのように進んでいくのが気持ちが悪かった。
でもいまはその違和感すら、日々の忙しさで忘れてしまった。
「ほかの仕事で手一杯なのに、そんなことまで気が回らん」
「あのかわいい坊ちゃんだった陛下が立派にこなしている姿を見ていると、国民としては感慨深いですよ」
「うるさい。感慨だけで仕事はできん」
サイが軽やかに笑った。
仕事が嫌で街へ逃げた時にこのサイこと、サイシュルスとは知り合いになったのだ。王城の関係者だったと知ったのは後の話だ。
「先代は誇りに思ってらっしゃいますよ」
どうだろうか。
父はどこか孤独な人だった。
政務に一心なようで、何かから目を背けてる。自分もそこに向き合うきになれず、自分がまだ大丈夫と思っている間に父はこの世を去った。ちょうど学院に行っている間だった。だから喪失感、といってもあまりぴんとこない。
あの人の影のある顔を思い出す。
自分を見るときのあの暗い目。
特に気になりだしたのは、自分にあれが出てきてからだった。
「うーん。それに関しては何とも言えないな。俺が父だったとしても複雑な気持ちだったと思う」
「印ですか」
父になくて自分にあるもの。
印といわれる神や先祖からの祝福だというものだ。
自分では感じないが、それがあるとないとでは違うらしい。
学院にいた16-7歳頃から、ふと表れるようになった。
外から見える額や首筋に出始めてから、周りが自分を見る目も変わった。以来、髪や服で印を隠している。
「あれはちょっとした騒ぎでしたな。先代があまり祝福に恵まれなかったから余計に」
「言うな。気分が悪い」
「事実なんですよ」
それは確かだ。事実を認めたくない自分もいる。
髪をわしゃわしゃとかきむしると、くいっと一気に酒をあおった。
サイがグラスに酒をつぐ。
「教会とはどうするつもりなんですか?」
「お前までそんなこと聞くのか」
思わずいらついてしまう。
「…みなが気にしているところですよ。教会の聖堂が崩れてからひどくなってる」
沈黙が流れた。
からからとグラスの中の氷が解けて音を立てた。
「教会員を呼ぶと言ったらどうなるんだろうな」
「…喜ぶものは少ないでしょうね」
「教会を毛嫌いしているのはみな一緒か」
「…レイニ、見かけない顔がきたと2日前、検問で少しもめたことが街では噂になってます」
サイがおもむろに切り出す。
「見かけない顔?」
グラスの酒を傾けながら聞く。
「はい、フードをかぶり黒い服を着た女だとか。この国で黒い服なんて目立つに決まってる」
そりゃそうだ。
「ただの国外の人間とかっていうことじゃなくて?」
「この国の状況の悪さから現在、国民以外は皇都に入る際、入城許可証が必要なのに、そのことを知らなかったそうです。国外の人間はそれでほぼこないというのに」
「 ふーん」
興味ありそうなそぶりをしたものの釈然としない。
どういうことだ。
「…噂ですよ。教会が無断で人を送りつけてきているっていう話です」
なるほど。
状況の悪さから、向こうが勝手に送ってきていることになってるのか。
「もう一つ、実は王が皇妃を迎え入れて、教会を直そうとしている」
サイの目が一瞬鋭くこちらを見た気がした。
「どちらなんでしょう」
サイであろうとそれにこたえる気はない。
この人は父の古くからの知己ではあるが、だからといって完全に信頼するには至らない。
この国の教会に対する疑心は本当に根強く、結果のためならば道具がなんであってもいとわない自分とは、考え方が相いれない。
このまま強引に推し進めたいところだ。
「つまらない話をしましたね」
「いや、いい。久しぶりに頭が冷えた」
気がない返事を返すと、からからとグラスを回す。
しばらくの間をおいて、サイが口を開いた。
「実はその変な女がここにいると言ったらどうします?」
ほお。
それは興味がある。
黙っているとサイは続けた。
「噂通りの見かけで突然夕方に来ました。早々に部屋は開いてるかと聞かれたんです。お金は出すからと。部屋があるなんて一言もいったことないのですがね」
「…ふうん、どんな人?」
「それが…」
さいが追加のグラスを差し出す。
「どうした?」
「顔が見えないんです。フードを頭からかぶっていて、うつむきがちで、幽霊かと思うくらい」
「何か頼んだりするときに話すでしょ」
自分が聞いたことに、サイは難しい表情で返すばかりだった。
「それが、部屋に入ったきり出てこないんです。」
グラスをくちにつけたところだった。
店のドアが勢い良く開いた。がははと大きな笑い声を響かせながら、男が二人入ってくる。随分横柄な態度だ。訛がひどく地方から来たようだ。差別をするわけではないがあまり好かない。
「あれなに?」
ささやくと、サイも眉根をひそめ目線を動かさずに小さな声でいう。
「最近、ああいう輩も増えたんです。皆、気分が高揚しているのか乱暴でちょっと困ってます」
その時、奥の部屋のドアが開いた音がした。
振り向き見てみれば背の高い女がいた。
背の高い女だった。
黒い長いスカートに、薄暗いというのにフードを目深に被り、顔がわからない。その女性が歩いて自分の横を通るとふわりと空気が動いた。
何だこの感じ。
女はあのテーブルへと向かっていく。
向かった先には、自分も気になった男二人組が座ろうとしていた。
男たちは女が近づいてきたのに気づくと、あからさまに態度をかえって威圧的な様子になり、大声でわめいては、がははとでかい声で笑いだした。
その笑い声が引き裂かれるように途切れ、どうしたのかと振り返ってみたら、男が宙を飛んでいた。
は?
軽々と最初にいた店の入り口近くから、奥まできれいな放物線を描いて男がふっとんでいく。
男の体が床に打ち付けられる音がして、そのまま男は起き上がってくる気配が全くなかった。
一人椅子に残された男は茫然としたまま女を見上げている。
凍り付いた男がとっさに逃げようとしたところを、女が頭をわしづかみにした。
ちょうど後頭部のあたりをつかみ、そして男はそのまま宙ずりにされる。
男は振りほどこうとしたのかもしれないが大きく一度痙攣した後、手足がぶらんと垂れさがり動かなくなった。
女はまだ片手でつかんだままである。
あの細腕でできることじゃないが。
どうにも自分は魔術系統には弱くて何が起こっているのかわからないが、男でも無理なのにできるわけがない。
女がつかむ男がもう一度大きく足元から痙攣したかと思うと、大きくのけぞった。暴れる男を女は必死につかんでいたが、突然、男の体がぐにゃりと力がぬけた。
うわあと周りの人間が飛びすさみ、短い叫びをあげる。
その様子をみて、女は男を横にすると、こちらを向いて一礼をして服の中から小さな袋を出して男たちの座っていたテーブルの上に置く。固い音からするに金銭を謝罪代わりに置いたのだろう。
でも自分にはわかった。その男から黒い霧のようなものが、彼女の中に入っていった。部屋が暗いからわからなかった人も多いだろう。
あれはなんだったんだ。
思わず立ち上がる。
女性はもう一度横たわった男の近くに行くと、その懐をまさぐり一枚の布を取り出した。
中央に大きな丸い楕円がある不気味な印。あれは…。
「忌みの印じゃないか」
サイがつぶやく。
周りの人が顔色を変えていくのがわかる。
「もう少しすると起きるので縛っておいたほうがいいでしょう。警備にでも突き出してください」
「ちょっと、あんた」
「頼みます」
サイが呼び止めるのも聞かず、女はそのまま出て行った。
自分が見ている目の前でこんなことが起こるとは思いもしなかった。のびた男に近寄ると、女が出した布を見る。不気味な印だった。
この国は魔術などをほとんど使わない。でもこの印ぐらいは知っている。
「レイニ」
サイが驚いた様子で駆け寄ってくる。
「警護兵を呼んで、こいつは処理させて」
サイが神妙な面持ちでうなずくのを見ると、女の残した布を懐に突っ込み、店を飛び出した。
外は変わらない喧噪だった。
店での一件がまるでなかったかのような明るさにイラつきを覚えながら、周りを見回す。黒い服の女はもういなかった。
前は結構、勘がさえていて、人を探すのも得意だったんだけれど、最近どうも頭に靄があるみたいに冴えがない。
でも今はそうはいっていられない。
どこにいくか、検討もつかないが、とりあえず走り出す。大通りに出たときにふと上を見上げると、黒い夜空が動いた。
これは。
目を凝らすと屋根の上に黒い何かがある。何がと目を凝らす前に、黒い何かは建物の反対側へとまたぬるりと動いた。
ここで自分をまけると思ったら間違いだろう。
ほかの町と違い、規則正しさなんてないこの街を熟知しているから、黒い何かが落ちたあたりがわかる。
いったん、大通りを上がり、建物の間を抜けて、階段をおりる。
降りる途中、その黒い姿を見かけた。
あの女だ。
あちらも気づいたようで、また家々の間へとすっと姿を消す。
残念。
ここら辺は俺のほうが詳しい。
階段を飛び降りると、民家の屋根にのる。
はでな音を立て、屋根板を蹴散らしながら走る。
うるさいのは申し訳ないが、火急の時だから許せ。
心の中で謝り、屋根を走り、女が消えたあたりの路地裏へ屋根から飛び降りた。
「どうも」
黒い服の女はそこにいた。
フードで顔が全く見えないのによくあれだけ走れると感心する。
この街は道がわかりづらい。路地裏の先は行き止まり、しかも海側に面しており崖の上になっている。彼女の後ろには崖へ落ちないよう簡単な柵があるのみだった。
どうするつもりだろうか。
「さっき同じ店にいたんだ。気になるものを見た」
女がフード越しにこちらを見ているのがわかる。
自分がこう言ってもおびえるとかそういう様子がまったくない。
「ちょっと話を…」
そこまで言った時だった。
「うるさいんだよ! 何時だと思ってるんだい!」
上から声がしたと思うと、ちょうど自分が走っていた建物の窓が開いて、何かが飛び出してきた。
いや、たぶんそれは俺…。
騒がしかったのは自分と言う前に、全く予測していなかったが、黒服の女にそれは命中した。がんっと嫌な音を立てて、女はそのままぐらりと崖側に落ちていく。
ふざけんな。自分の街で変な死人は出したくない。
思わず駆け寄り落ちていく女の手を取り、女の頭を抱えると一緒に崖から落ちた。