01 コミュ障、嫁ぎ先にたどり着く
prologue
彼女は氷の中にいる。
文字通り氷にとざされた土地で、すべてが真っ白な世界で、一点だけ赤く染めて。
音がない。周囲の雪がすべてを飲み込んでいく。
彼女が起き上がろうと体を動かす。
とっさに言った。
「動いちゃだめだ」
彼女は僕を見つけると、その目の焦点が定まりだす。
「君は大けがしてるから、動いちゃダメ」
「…なんで」
彼女の目から涙が伝った。
消え入る声で彼女は言った。
それを見ても僕には何もしてあげられなかった。悔しくて手を握りしめ、涙を来られる。
「こんなことになったの?」
大丈夫だよ。
僕は言おうと思って言えなくなかった。
彼女はちょっと前までもっと幸せに満ちてた。
厳しくても懸命に生きて、僕を見ていてくれてたのに。
涙声になってしまうから言えない、とかではない。自分の非力さが悔しい。
「なんで…私たちが、こんな目に合うの。…何も悪いことしてない。」
切れ切れの声で紡がれる言葉はあまりにも痛々しく、苦しい。
僕は彼女に何も言えなかった。
綺麗な彼女の涙はこれ以上なく美しい。何もできない自分も悔しく、この子がこのまま死にゆくのを見るしかないのも悔しい。
ふっと思いついた。
やることはないと思ってた方法。
「ゲームをしよう。」
彼女の顔がいびつにゆがんだ。
「ゲームをしよう。これなら僕が君にあげられる。」
僕ができることで、彼女にあげられるものはこれぐらいだ。
彼女はけげんな顔をしている。
長いまつげが凍りつき、髪に雪が絡みついて、それでも彼女はきれぎれの声でいった。
「…私は何も持ってない」
「大丈夫。」
「…ゲームは、勝ち負けがある、…でしょ」
「僕がゲームで欲しいものを君は持ってる」
彼女は何も言わない。
それがゲームの始まり。すべての始まり。
day 1 黒雪
「…さんはほんと愛想ないよね-」
上司の声がする。
会社の灰色のデスクの上で、また自分のほうを見もせず言ってるんだろうということも予想に難くない。なので、自分も相手を見もせずに返す。
「そうですね。仕事してください」
ひっつめ髪で眼鏡をし、きりきりと中年より上の年齢層の多い会社で経理をしている。
会社の若返りだとかいうけれど、私は契約社員な上にそこそこの年齢なので、そのあたり微妙な矛盾を感じる。
そんなむず痒い感じに耐えられないと、こういう会社はやってられないんだろうなとも思う。
ましてや若干セクハラだか、パワハラもどきの会話をしばしば交わさないといけない。
おかげで鋼のメンタルが鍛えられたと思う。
「仕事はするよね。でも愛想大事よ」
「男性が、ですかね」
上司が手を動かさずいうのを、更に適当に返しながら書類を片付けていく。
ぴっちりとひとつに髪をしばった頭が痛い。
片頭痛か。
低気圧が来てるのか、生理なのか。
「機嫌悪いねー、せい…」
「セクハラです。訴えますよ」
黙って仕事できないのかと思いつつ、舌打ちしながら会話を打ち切る。
契約社員だから契約をきられない程度に言い返し、契約範囲の仕事はきちんとする。
何も言わせず、言われないようきっちり手抜かりなく仕事をする。
首を鳴らし、肩を自分でもむ。
自慢じゃないがこんな感じで仕事をしていたら人付き合いが苦手になっていた。
それがかえってこんな職場でもなんとかなってるし、こんなつまんない自分が相手じゃ、話す相手もつまらなかろうと思って必要最低限しかさらにしゃべらなくなってしまった。
そしたら結局四十路近くで彼氏もいないなんて人生になってしまった。
もし自分が国を傾けるような美少女だったら人生が変わるのだろうか。
それは明らかに変わるだろうけれど、私の中身も変わるのだろうか。
って思ったことは確かにあった。
荷を引く馬が自分の脇を駆け抜け、石畳を軽やかに走る音が響く。
抜けるような青空のもと、街道がまっすぐ伸び、その先にそびえ立つ山々を背後にひかえた城が見える。
岩山というのか、岩肌がむき出しになったところに、張り付くように巨大な城がある。まだ遠くてはっきりとは見えないが、かなりの大きさなのだろう。陽の光を受けて白く輝く様は奇麗だ。おそらくあれが皇国の都で皇城だろう。
その城へ向け、荷馬車や人々は向かっている。
背後からは磯の匂いがして、活気ある声が響く。ここは港であり、自分はちょうど到着したばかりだった。
ある目的のために。
はあと深いため息をついた。
遠くに見える城が今すぐ爆発してしまえばいいのに。
それか隕石でも落ちて壊滅的な被害を被ればいいのに。
冷静に考えれば、とんでもないことだとわかるし、正直そこまで恨みがあるわけじゃない。
こんな指示をしてくる姉が悪いが、姉に口で勝てなかったためここまで来てしまったのが恨めしいだけだ。
しかも、と周りを見る。
「めっちゃ浮いたね」
隣から突然する男の声にびくっとする。
「蒼志…」
思わず声が出た。ガタイがよくって少し日に焼けた金髪の男が、にこっと感じよく笑う。私も背が高いが、見上げる程度には高い。
顔も似ても似つかないが仲のいい弟で、私が来る前からこの国に入っており事前に調査をしており、迎えに来てくれた。
のだが、調査をしていたなら言えと文句をすごく言いたい。
情報ないから下調べしてたんじゃないのか。周りと自分の服装が明らかに違う。そのためか、さっきからじろじろ見られる。
それを察したのか、こちらが何かを言う前に向こうから話し出した。
「いやぁ、この国って本当に情報なくてさ、都に来るまでわかんないことだらけで。んで来たら、黒って王様の色だから着たらまずいってわかって、まずいかもって連絡しようと思ったら、もう姉ちゃん出発してて連絡付かなくなっててさ。姉ちゃん、仕事上黒をよく着るじゃん。ほんとごっめーん。」
あっはっはと快活に笑う。
彼の言うとおり全身真っ黒のシンプルなドレスに、顔がほぼ隠れるとても大きいフードがついた麻色のマントを着ている。麻色のマントはできるだけ旅人っぽく見えるようにと思って選んだのだ。
旅人がどうのとかじゃなかった。
そう思ったけれど、もうどうしようもない。
ほかに服はないし、それにそう笑う彼もすごく浮いている。使い込んだブーツにダボダボしたズボン、よれたシャツにマントを着ているけれど、どこから見ても違う国の農夫という感じだった。
二人で並ぶととんでもなく浮いてる。
とりあえずどっかに隠れたい。
「とりあえず、皇都に向かおう。歩きながら話すよ」
言うと、蒼は私の荷物をもって歩き出す。
そこそこ大きいリュックでも彼が持つと大して大きく見えない。
港から降りた人々も同じ街道を歩き都を目指しているらしく、なんとなく一緒に歩いてるような不思議な景色だった。
この国の人達はみな、そでぐりがゆったりとした前合わせの衣服を帯のようなもので留めている。柄はそれぞれ違うものの、まるで日本の和服みたいだった。そしてぼてっとしたズボンを組紐のような太い紐を使い腰で留めている。
骨格が大きくて、髪が皆長い。髪も顔も隠してる自分とは大違いだ。
でもそれはだいたいどこ行ってもこの風貌はいいことない。
「このアフィリア皇国の皇都、アフィリアがあそこに見える皇都ね。」
蒼志が指さす。
海に面してそびえたつ城は、光を受けてキラキラと輝いている。
まさに歴史的建造物。
観光名所という感じの壮麗さ。
「あの城の後ろにあるのがアフィリアの神の山といわれる霊峰ザギニ。あれがこの国の神様みたいな扱いで最も神聖だから、この皇都はあの山のものっていう扱いらしい。」
「…へえ」
なるほどといいたいけれど、まだ続く場違いで、周りの視線が痛すぎてあまり話が頭に入らない。
「交通が不便だから、独自の文化を形成してるって聞いてたけど、本当に不便で海路以外は無理だな。もとからダリルの教えという独自の考えがあって、それが強く信じられていて、外部の考えに対しては閉鎖的。教会も嫌われてる。でも汚染に対する対処を持っていなくて…」
「あの、ちょっといい?」
とうとうと説明を続ける弟に割って入る。
「肝心な私の仕事なんだけど」
「あ、調べといたよ。皇王様。えーっとね名前が…」
いって思い出せないのか弟は服を弄ってメモ帳らしきものを取り出すと、これと言って自分に見せる。
「ア、アウウ…アウレ…、何これ」
「そうなんだよね。読み方がわからなくて。」
二人で名前を見つめる
教会に入った時から、言語はだいぶ仕込まれた。
ここの世界では言語は大きく4つの体系に分かれている。
このアフィリア皇国は自分たちが来た地域がある大陸中央とは異なるトルハ語圏と呼ばれている。
音の響きや文字が似ているのでその語圏で一番広く使われている言語を学ぶと地域差があっても大まかにわかる。
仕事で他国を転々とすることが多く、目立たないために土地に即した言葉を使うよう徹底的に仕込まれた。今もトルハ語で話している。
でもこの綴はわからない。
「古語みたいだよな。おかげで発音がさっぱりでさ。まあ、会ったら聞いてみて。」
「え、そんな感じ?」
蒼志の発言に驚くもあっさり無視され続けられる。
「それで皇王様なんだけど」
この図太さは尊敬できる。都合の悪いことはいつも答えない。
「頭は回るけど、結構横暴で一人で何でもやっちゃうタイプみたいだね。代々短命な一族だからか若いみたい」
「…私、そこにほんとにいくの?」
色々話が流されているのも気に入らないが、今回は信じられない思いで割り込んだ。
何もうまくいく気がしない。
会社員で仕事してた時だって、上司の無茶ぶりも剥げおやじのセクハラにも耐えてきたけれど、とにかく私はコミュニケーションが苦手だ。
「そんな話が通じなそうな人のとこに、私みたいな話が苦手な人が本当にいくの?」
「そういう、話だもんね。嫁になるっていう」
頭が真っ白になる。
「むこうが嫁においでって言ってきてるんだからしょうがない」
弟が指差す先に白い城壁が燦然と輝く城が鎮座している。
とどめを刺す弟の言葉に全身に悪寒が走る。
この都、アフィリア皇国の皇都は自分がこれから嫁ぐところである。
「嫁…」
何それって感じだ。
『美少女に生まれ変わったら人生は変わるのか』
先ほど思い出したこのくだりを、この道中、自分で何度繰り返したことだろうか。
正確にはこの世界でこの人生になってから。
この日本とは全く違う景色の、地球ですらない全く別の世界で生まれてから。
実は、別の世界に生まれたということに気づき、そして受け入れるのにかなり時間がかかった。なんでこんなことになったのかいまだにわからない。
確かに会社員時代、気の迷いか美少女に生まれ変わったら人生は変わるのかとは思った。
でも前の世界を辞めてまで人生を変えたいとは思ってないし、せめて前の世界の記憶がなかったらよかったのに、私の最後の記憶はいつかの通勤の帰り道だ。
奇麗な月を見たのは覚えている。美少女だなんて私には遠い言葉だななんて考えながら歩いていた。
それが、気づいたら幼女だった。
自分が幼女になったことも全く理解できず、しばらくの間、明日は会社の締め日だと思いながら毎日目を覚ましていた。幼女なのに。
そんな混乱した日々を送っていたら人身売買にあいかけ、教会に拾われるという波乱万丈すぎる人生で、十七年間生きるのに精いっぱいで今に至る。
そう、いま17歳とか恥ずかしすぎる。
ぞぞぞっとする。
なんでこんな若いんだろう。
はあとため息をついて整った石畳の上を歩く。
「まあ、姉ちゃんそんなにため息つくなって。なんとかなるよ」
「ならない」
「だって仕事でしょ」
弟の仕事にちょっとだけ気持ちが切り替わる。
そう、嫁入りは仕事であり、あくまで仕事で私的な感情は一切ない。
「あきらめようぜ。俺も来てるんだから、これは本当なんだって。姉ちゃんが皇后になってこの国に入り、この国の聖堂を直す。これが仕事」
うわーと全身の身の毛がよだつ。
「直すっていうか掃除しかしたことないけど…」
私は教会に拾われてから、そのまま教会で過ごしている。仕事も教会の仕事だが、大したことができない。教会の仕事は独特で、教会というだけあって浄化するみたいなのが仕事なのだが、自分はそれができない。
「でも聖堂の中に入って汚れを取るのは姉ちゃんしかできないんだから」
あおが励ますように言うが、いや、そんなすごい仕事じゃないと思う。
実に地味な、壁にこびりついた汚れをスクレーパーではぎ取るような地味さだ。
ただその汚れに触れることができる人が少ないというだけなのだ。
それも長時間作業できる人がほぼいない。自分が鈍感といわれているようで、あまり褒められた気がしない。
「ほら、あんまりこの国は時間の猶予がない」
蒼が道端を指差す。
こんな何の変哲もない、人の生活に近いところだというのに、道端の草木に黒い影がまとわりついている。そのまとわりついているところから、草木が弱り枯れている。
実はさっきから気になってはいた。
「ちなみに皇都に近寄るともっと悪い。早くなんとかしないと」
ため息をつきつつ、歩き出した。