ラブ・レター
僕が住む小さな村には何もない。
老人達が幾度となく子供達に聞かせる昔話の舞台となる山と、夏に遊ぶにはとても涼しい川、一つだけある一日に一本だけ来るバス停、そして僕の通う学校。
学校も決して大きくはないが、僕はこの学校の図書室が気に入っている。勉強の参考書だけでなく都会でも有名らしい小説や海外のファンタジー、僕が卒業するまで毎日一冊ずつ読んでも読み切れないであろう沢山の本。
そして何より僕がこの図書室を気に入っている理由は、図書室の一番奥の本棚、その右から二番目。
重たそうな綺麗な着物の裾と、艶々とした黒髪が図書室の年季の入った床に散らばっている。
確か一人ではとても動けないような重量があったのだと授業で聞いた気もするが、まるでそんな事を感じさせない軽やかな動きで本棚から本を抜き、つらと目を落としている一人の女性。
「…」
なんて事ないように、これっぽっちも貴女の事を気にしていませんよと相手に受け取られるよう最大限心掛けて、彼女のすぐ横の本棚を物色し、気になった背表紙の本を一冊抜き取りその場でぱらりと表紙をめくる。
ぱらぱらと、時折本をめくる音だけがぽつりと落ちる室内。
僕だけの呼吸音が耳に届く。
僕が彼女を見つけたのは、僕がこの学校に入学してすぐの放課後。
小学校の図書室とはまた違う蔵書にわくわくと胸を膨らませて、まるで探検をするように奥へ奥へと突き進んで、そしてそこで今と全く変わらない彼女を見た。
それから毎日、毎日、図書室へ足を運んでは彼女と僕だけが静かに読書をする空間にそっと身を置いた。
「…ぼうや、いつも熱心に本を読んでいるのね」
「っ!?」
突如破られたいつもの空間に、ぎょっとして思わず手にしていた本を床にばさりと落とす。
鈴を転がすような女性の声が、静かな空気にじんわりと浸透してゆく。
「あら…私とお話しするのは嫌だったかしら」
「い、いえ…すみません、驚いて…」
どきどきと心臓の音がうるさく鳴り、じわりと汗がこめかみに浮かぶのを感じる。
落としてしまった本をそのままに、初めて女性に向き直るが、目の前の女性は声こそ僕に向けて発せどその視線は未だに手元の本へ落としたまま。
「そうなの…それはごめんなさいね…」
ごくりと唾を飲み込んで、引っ掛かりそうになる声をどうにか絞り出す。
なんとか、なんとか彼女の興味がこちらへと向かないか、それにもしかしたら彼女と話す機会は今を逃したら二度と無いかも知れないと自身を叱咤する。
「あ、あの、貴女もいつもここで本を読んでますよね、どんな本が好きなんですか?」
「そうね…本はどれも好きだけれど…特に誰かを恋い慕う想いを込めたものがいい…」
「恋愛ものが好きなんですか?」
「誰かを慕い…嬉しくて…憎たらしくて…疎ましくて…」
本の虫といえど、正直に言うと恋愛小説には余り興味はない。どちらかというとその手の小説は女性向けの方が多い気がするのも手伝って普段手にする事はない。
自分ではこの話題で会話を広げられないと、話題選びを間違えたかと焦って彼女の顔を伺う、と。
「…私は、そんな想いから生まれたから…だからそれらの想いが可愛くていとおしい…」
その言葉を最後に、彼女はそれきり今まで通りに一切唇を開く事なくぱらぱらと本をめくり出した。
じっと彼女の横顔を見つめても、その視線は最後まで一度も僕に向けられる事はなく。僕もまたそれまで通りに喋る事なく本に目を落とした。
静かに時間は過ぎてゆき、僕はただ毎日足を運び続ける。
春が来て、夏が過ぎ、秋が訪れて、冬が去る。
繰り返し、繰り返し。
そうして他人に「どうして先生は男性にしては珍しい恋愛小説家になろうと思われたのですか?」と聞かれる度答えるのだ。
「今もまだ静かにあの場所で本を読み続ける彼女に、僕の想いへ目を落として貰う為に」と。
作中に妖怪の名前を出せなかったのでこちらで補足させて頂きますと、彼女は文車妖妃という本にまつわる妖怪です。