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妖狐のお庭〜妖怪小噺〜  作者: KUZUME
2/8

美味しい君は腹の外

 額からにょきりと猛々しく生える二本の角。薄い唇から覗くのは、骨さえ噛み砕けそうな鋭い牙。そして人のか弱い皮膚など容易く引き裂けそうな長く尖った爪。


 目を血走らせて、その鬼は、鬱蒼とした人里離れた山中の中セーラー服を着た少女をまだ今朝方の雨で湿る地面へ組み敷いていた。まだ初夏の、日光の熱さは届かない木々の下で、少女の首筋に暑さからくるものではない汗がたらりと伝う。


 「…はぁ、ああ…腹がすいた…!」


 「…!」


 低いおどろおどろしい声が、鬼の口からこぼれる。肉厚の赤い舌が、ぞろりとご馳走を待ちかねるように舌なめずりをする。

 鬼がどう目の前の少女を食べてやろうかと考えていると、少女の体を押さえつけている手にかたかたと小さな振動が伝わる。突然の事に呆けていたのであろう少女が、ようやっと自分の置かれている状況に意識が追いついたらしい。

 鬼が山の中を一人歩いていた少女に襲い掛かったのはつい先程の事。普段は滅多に人の立ち入らぬ山中へ、まだ幼さの残る人間がどうして一人で居たのかなどは鬼の知るところではなく、重要なのは空腹に耐えかねていたところへ丁度よく餌がやってきたという事だった。


 「ははは…人間の小娘がこの俺を前に怯えるのは仕方のねえことだ」


 鬼はもうすっかり目の前のご馳走を食べた気になって得意げに笑う。そうすると更に大きくなった少女の震えに鬼は上機嫌に大きく口を開け、さぁいただきますと牙を少女の柔らかそうな白い肌へ───


 「ぎゃああああああ!!!変質者ぁぁぁぁああああああ!!!!!」


 固く握られた少女の小さな拳が鬼の鳩尾に寸分違わずめり込んだ。


 「うっぐ、おえっ!!!」


 「ありえないんだけど!何こいつ!まじきもい!」


 「うぐぅぅ…お、おまえ…」


 「警察!警察!!って山ん中圏外じゃん!使えねー!」


 「げっほ、おぇ…う、うるさ…」


 「もーまじ無いわー、学校の不審者情報ってまじだったんだ…って最悪!制服汚れてんじゃん!」


 「…」


 殴られた勢いそのままに後方へひっくり返り腹を抱えるようにうずくまる鬼へ一瞥もくれず、少女は立ち上がるとポケットから携帯電話を取り出すが、電波が届いていない事に気付くとまたそれを仕舞う。

 ぱんぱんと軽くスカートをはたき静かになった鬼へようやっとちらりと視線を寄越す。


 「え、てかお兄さん何?コスプレ?別に趣味は人それぞれだけど犯罪はまじないわ」


 うずくまったままの鬼へと近付くと、少女はおもむろに鬼の角をむんずと掴んだ。ぽろっと取れるかと思いきや少し力を込めて引っ張った途端、それまでえずくばかりだった鬼が悲鳴にも似た声を上げた。


 「うがあああ!いってぇな!!やめろ怪力女あ!」


 「えっ、何これ本物?」


 「痛い痛い痛い」


 驚いた少女が角から手を離すと、鬼はついにぽろぽろと涙を零し出す。

 引っ張られた角は痛いし、とっくに空腹は限界を迎えているし、人間の小娘に侮られている自身も情けないし。


 「うける、ばあちゃん達が言ってた妖怪の話って本当だったんだ?」


 「…」


 「わあ、流石田舎だわー…あ、じゃあこの間川で見た緑っぽい変質者って河童だったのかな、やば、110番しちゃったんですけど」


 「…」


 「学校行くのにこの山突っ切って行く方が近いからさぁ、私はよく使うんだけど、他の人達が山の中入らないのってもしかして原因これなん?うわぁ、長年の謎解けたんだけど!いや妖怪が〜って話は聞いてたけどばあちゃん達の作り話だと思うじゃん?」


 「…」


 少女を押さえつけていた時の恐ろしい雰囲気はどこへやら、すっかり小さく縮こまった鬼はにこにことし出した少女を逆に何か恐ろしい者を見るように睨みつける。

 鬼がもうこの少女を食べる事は諦めて去ろうとぐっと足に力を込めて──


 きゅるるる…。


 鬼の腹の虫が悲しそうに鳴いた。


 「………」


 「………」


 「…お兄さん、お腹空いてるの?」


 「………」


 鬼に襲われた時に落としてしまった鞄を拾い上げると、少女はがさごそと中身を漁る。そして目当ての物を手にすると、未だうずくまったままの鬼の目の前まで近寄る。


 「…あんだよ」


 「これ、食べる?私の今日の昼ごはんなんだけど…」


 少女の両手の上にちょこんと乗る弁当箱。ぱかりと蓋を開ければ、美味しそうな匂いが漂いそれが鬼の鼻に届くと、鬼の腹はまた小さく催促するように鳴った。


 「………食う」


 「てかお兄さんそんなにお腹空いてるならうち来る?うち私とばあちゃんだけでさ、ばあちゃん料理するの好きなんだけど二人じゃいっつも食べきれないんだよね」


 「…おまえ本当に分かってんのか?俺ぁ鬼だぜ、おまえもおまえのばばあも一飲みに──」


 「えー、だってお兄さんそんな怖くないし」


 「えっ」


 「最初はいきなり胸鷲掴みにされるからめっちゃ叫んだけど、私が一発殴っただけで吐きそうにしてるし」


 「…」


 押し黙ってしまった鬼の口に、少女は箸で掴んだ卵焼きをぐいと押し付ける。

 なされるがままもぐもぐと口を動かして、鬼は少女の弁当の中身を空にする。


 「それにお兄さん、かっこいいし」


 「…えっ?」


 ある日を境に、長らく語り継がれていた鬼の噂がぱたりと途絶え、かわりに御山の麓の村には大層大食らいな青年がいつの間にか住み着いていたとかそうでないとか。

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