96話 相死相愛
俺は最上階に着くと真っ先に叫んだ。
天井は無く解放された空間。黒空の下に声が響く。
「フェンリィ!」
呼んだ瞬間、20メートルほど離れた位置にいるフェンリィの姿が目に入った。
何もない平坦なフロアの中央にフェンリィが拘束されている。その華奢な体を繋ぐ鎖の数は計五つ。サイコロの五の目の位置に固定された鎖のうち、四つ角が両手両足の自由を制限していた。そして中心の鎖は首輪の役目を果たしている。生きていた事に安堵すると同時に、四つん這いの形で拘束された姿を見て心が痛んだ。
「リクト様! ……げほっげほっ」
フェンリィも答えてくれた。
少し動くだけで鎖に引っ張られて苦しそうにする。
「待ってろ。すぐ助ける!」
フェンリィに駆け寄ろうと足を動かす。
あと15メートル。10メートル。5,4,3……
「お帰り。思ったより速かったね」
30メートル。
体の正面全体に押されたような衝撃が加わり、後方に吹っ飛ばされた。
壁に背中を打ち付けたがすぐに起き上がる。
「リクト様!」
「大丈夫。待ってて」
再度走る。フェンリィに夢中だったため一瞬奴の存在を忘れていた。
「おーっとそれ以上近づいちゃダメだよ。この子がどうなってもいいの?」
「ぐぅ……ぐがぁぁぁああ」
「やめろ……やめてくれ!」
サタナに殴りかかったところでフェンリィが苦しみだした。
俺は言われた通り動きを止める。
「ふふ、これ言ってみたかったんだ。いいねその顔。堪らないよ」
フェンリィの首根っこを掴んでサタナは笑う。
フェンリィは絞められた首に手を伸ばそうともがくが、届かずにカチャカチャと鎖を奏でた。
「うッ! ……はぁああああ、はあああああ、はあああああああ゛!」
「あ、よかったまだ死んでないね。ボクは苦しいって感覚が分かんないから加減が苦手なんだよ」
顔を真っ赤にして過呼吸になるフェンリィ。
サタナは面白そうに再度首を締め上げる。
「これぐらいならどうかな?」
「うっ、うっ、うっ、ぅぅぅ…ぅ……ぁぅ────」
フェンリィは真っ青になってカクンと首を垂らした。
「あ、気絶しちゃった。やりすぎちゃったね」
「た、頼むから……フェンリィには手を出さないでくれ。もう何がしたいんだよお前は……何のために俺を造ったんだよ!」
こんなものをまざまざと見せつけられても、俺は何もすることが出来ない。少しでも下手を撃てば本当に殺されてしまう気がした。コイツはそういう奴だ。
「んー、もしかしてボクのこと嫌い?」
「殺したいほど嫌いに決まってんだろ。壊すのが好きなら俺とだけ戦ってくれ」
「えーやだよ。それも楽しそうだけど今普通に戦ったら多分ボクが負けちゃうからなー。みんなに力を与えたせいで弱くなっちゃったしキミを造ったから実体もないんだよね。今は残り火みたいなものだからあんまり勝負にならないよ」
アーノルドたちや四天王の強さは全部自分の力を分け与えたからか……だとしたら本気のコイツがどれだけ強いのか想像もつかない。
でも今は弱っている。
やるなら今。ここで仕留める!
「それをやったらどうなるかは分かるよね?」
俺の行動を先読みしてサタナはフェンリィの髪を乱雑に掴み上げる。
動かなくなったフェンリィを見て、俺はやはり動けなかった。
「安心して。ちゃんとボクは消えるから!」
パッと顔に明かりを灯して無邪気に笑った。
コイツの行動すべてに苛立ちを覚える。
「だったら、さっさと、消えろ」
「あはは、そう焦んないでよ。一生懸命ここまで来たのに助けられない気持ちは理解するけどさ、まあそれが見たくてやってるわけだしねぇ」
「俺に、絶望を与えることが目的なのか?」
「近いけどちょっと違うかな。ボクはもうこの世界に飽きたんだよね。強いって言われてた神はほとんど倒しちゃったし人間たちがいくら魔王討伐だ! とか息巻いても指一本で全員殺せちゃうもん。そんなのつまんないでしょ?」
想像もつかない。
空想話を聞かされているようだ。
「だからボクは傍観者になることにしたんだ。四天王を創ってたくさん幹部も創って他の種族と戦わせることにしたの。なんか面白いこと起きないかなーって見てたんだけどねぇ」
冗談にしか聞こえなかった。
でも俺の存在自体が証明している。
「また飽きちゃった。もーこの世界でやることないから今度は死んでみよっかなって思ったんだ。みんな死ぬときは苦しそうにするんだけど、それはどんな気持ちなのか、死んだらどうなるかも興味あるよね」
「だったら、他人を巻き込むなよ」
「まあいいじゃんキミは他人じゃないんだし。最後にもう一個だけやりたいこと思いついたからそれを見届けたら死ぬよ」
俺は何となく想像がついた。
コイツが何をしようとしているのか。
なぜフェンリィがここにいるのか。
全部コイツの計画通りだったんだ。
「いやだ……」
「えーそんな顔しないでよ。まあ仕方ないか、すぐにそんな顔できなくなっちゃうもんね」
「うるさい……やめてくれ」
「ダメだよ。これやるためにここまで待ったんだから」
「おねがい……だから」
「んーやだ! じゃ、頑張ってね! バイバイ!」
サタナは最後に俺に手を振ると姿を消した。
吸い込まれるようにフェンリィの中に消えていく。
奴が消えるというのに絶望は募る一方だ。
完全に姿が消えた時、全てが終わった。
「うぅ……んぅぅうう」
フェンリィの肩がピクリと動く。
「ふぇ?」
目をぱちぱちさせて俺を見た。
「あれ……リクト様?」
「フェンリィ……」
声も、目も、鼻も、口も、姿形も、フェンリィで間違いない。俺の知ってるフェンリィだ。しかし、俺を見た瞬間にフェンリィの様子が反転する。
「あは……あはははははははははは!!!!!!」
奇声を上げるフェンリィ。
繋がれた五つの鎖を全て引き千切って立ち上がった。
「リクト様だぁあああああ! リクト様がいるううううううう!」
「フェンリィ、俺だよ。自分が誰か分かる?」
「えへへへへ! 私フェンリィ! フェンリィですよおおおおお!」
一歩ずつ、ゆっくり俺に近づいてくる。
だがその距離は確実に遠ざかっていた。
「えへっ、どーーーーーーん!!!」
「ぐああああああ!」
腹部に強い衝撃が走った。
俺は口から血反吐を吐いて膝をつく。
「どうしたんですかリクト様。眠たいんですかぁ?」
「目覚ませ。お前とは戦いたくない」
「うるさいでーす。はい、ばーーーーん!!!」
「がは……ッ!」
今度は頭を蹴り飛ばされて俺は地面に転がされる。するとフェンリィが馬乗りになって拘束してきた。
「どんっどんっどんっどんっ!」
「────ッ!」
フェンリィは笑顔で俺を見下ろし、両手の拳を楽しそうに叩きつけた。俺は言葉にならない悲鳴を上げる。
「痛いのは嫌ですか? 我慢しましょーねっ」
「や、やめるんだ。負けるなフェンリィ!」
振り下ろしてきたフェンリィの両手を掴んで必死に声をかける。フェンリィは俺に引けを取らないくらい能力が跳ねあがっていた。
─────────────
名前:フェンリィ(狂)
体力:SSS
物攻:SSS
物防:SSS
魔攻:SSS
魔防:SSS
魔力:SSS
俊敏:SSS
─────────────
フェンリィの中にはサタナがいる。
いや、少し違うか……。
おそらく二つの呪いをかけられた。
一つは吸血鬼が使用していた狂暴化。
そしてもう一つ……
「リクト様! 大っ嫌いです! 死んでくださいいいい!」
「くそ……フェンリィを返せ!!!」
フェンリィを押し倒して上下が入れ替わる。
だがフェンリィは勢いよく状態を起こして頭突きしてきた。
「えへっ、真っ赤っかです。痛いの気持ちいいですね!」
切れた額を拭ってフェンリィは笑う。
その笑顔はこれまで見たどの笑顔よりも苦しそうだった。
泣きそうで、寂しそうで、見てられない。
俺の中の衝動がゆっくりと顔を覗かせる。
「あは! 早く死んでくださいっ。私にお腹の中見せてください!」
俺の首を掴んで締め上げてきた。
前後に揺すって、一見愉しそうに俺を殺そうとしてくる。
「どうしたんですかぁ? 抵抗してくれないとつまんないですよ」
「……む……むりだ。たたかえな……ガハッ、いよ」
「じゃあさよならですね!」
手足の感覚がなくなってきた。
視界がぼやけて意識が遠のく。
フェンリィは俺を物みたいに投げると再び馬乗りになった。
「嫌い」
細い腕で振り下ろす。
小さな拳が俺の心臓をノックした。
「嫌い」
ドクン、ドクンと脈打つ心臓。
鼓動はゆっくりになっていく。
「嫌い」
花びらを一枚ずつ千切るように。
終わりへのカウントダウンが始まる。
「嫌い゛!」
大きく振りかぶった瞬間。
一滴。たった一滴の雫が俺の頬に落ちた。
衝動が鎖を千切り、殻を破って顔を出す。
「おい、フェンリィ」
とっくに知っていた。
俺の中にある気持ちが何なのか分かっていたさ。
だから隠した。気づかないように蓋をしてきた。
でももうダメだ。抑えることなんてできない。
俺はとっくの昔に、フェンリィのことが大好きだったんだ。
「……いてて。私のお顔が台無しです」
気づいた時には、フェンリィを殴っていた。
拳に伝わる微かな痛み。
俺は立ち上がると横たわるフェンリィをボールのように蹴り飛ばした。小さな手を踏みつけて俺は言う。
「俺もお前が大っっっっっっっ嫌いだよ。死んでくれ」
好きの反対は無関心。
そうだったらどんなによかったか。
いっそフェンリィを忘れる方がずっとよかった。
「俺はお前を殺したくてしょうがない」
好きの反対は殺したい。
守りたい、ずっと一緒に居たいという愛は、壊したい、この世から存在を消したいという殺意に変わる。
「えへへっ、相思相愛ですね!」
「ああ、殺し合おう!」
俺は最愛の女の子と殺し合いを始めた。
体が言う事を聞かない。ただ本能に従って、フェンリィを殺すことだけに全てを持っていかれた。





