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ご令嬢万華鏡

身勝手な婚約者から素敵な女性を救う方法

作者: 黒森 冬炎

 輝く黄金の巻き毛をふわりと揺らし、姿勢のよい男が大声をあげている。

 ホールの隅でスモーク・タンを摘まんでいた、ピョートル・セルゲイヴィッチ=ニジンスキーは、己の耳を疑った。


(あの可愛らしいオリガ・ワシーリエヴナ=カレーニナ公爵令嬢が、我慢ならないとは?)


 目の前で繰り広げられる、理不尽な情景に着いていけない。


「衛兵、連れていけ」


(なんだ、気でも()れたのか)


 理由も述べずに、グレゴーリィ・イリイチ=キーシン王子殿下が命令している。見回せば、若年層を集めた王宮パーティーは、困惑に包まれている。


「何をしているっ!早く連れて行け!」


 王子は叫ぶ。



 ※



 見目よい男が、美女と歩いている。ぴったりとくっつき、かなり不適切な関係性のようだ。それを観た赤毛の少年が、隣の栗毛に話し掛けた。


「あれは、酷いねえ」

「グレゴーリィ殿下よね?」

「オリガ・ワシーリエヴナが可哀想だ」


 栗毛の少女が、さっと青褪める。


「ペーチカ、お姉さまが好きなのね」

「人としてな」


 赤毛のピョートルは、翠の瞳に剣呑な光を灯す。


「そう」


 栗毛が目を伏せる。栗色の睫毛が寂しげに瞳を隠す。


「違うからな?なんで誤解すんの?信用しろよ」


 ピョートルは、苛立ちを露にした。

 栗毛の少女は、赤紫色の不思議な瞳をぱちくりと瞬かせる。


「でも」

「カーチャ」


 固い声で名前を呼ぶと、ピョートル少年は、栗毛の手を引いて足を速めた。


「ちょっと!恥ずかしいわよ」

「恥ずかしがるから遠慮してたのに。そしたら、誤解するとか」

「姉さんのこと良く誉めてるじゃないの」


 責めるような少女に、ピョートルは、舌打ちせんばかりの視線を投げる。



 ※



 エカテリーナ・ワシーリエヴナ=カレーニナ公爵令嬢には、秘密があった。彼女は、先祖がえりの精霊なのだ。

 人の子に生まれたものの、はるか祖先にいた精霊の血が色濃く現れた。その証が、奇妙な色の瞳である。


 エカテリーナ・ワシーリエヴナは、いつか人の世を去らねばならぬ。精霊の国へと旅立つのだ。人として生きることが許される年限は、成人の日に知らされる事になっている。


 姉のオリガは、普通の人だ。女性としては、可愛らしい性格で、清楚な見た目が好ましい。

 それだからこそ、エカテリーナは不安なのだ。いつか去る自分を、それでも愛してくれる人が居るのか。精霊という異質な存在を、受け入れてくれる人が現れるのか。



 ※



「カレーニン公爵。ご息女エカテリーナ・ワシーリエヴナとの婚姻をお許しください」


 ある園遊会の席で、ピョートル少年がそっとエカテリーナの父に願い出た。


「エカテリーナは承諾しているのかね?」

「はい」

「なら良かろ」

「ありがとうございます」


 ピョートルは、真面目な顔で頭を下げる。緊張のあまり、喜びなど表すことが出来ないのだ。



 ※



「てわけで、俺達婚約者だから」


 ぐいっとエカテリーナの手をつかんで、ピョートルが指輪を嵌める。エカテリーナの透き通るような肌に、銀の指輪がしっとりと光る。小さな宝石は、翡翠である。


「ペーチカ、貴方の瞳だわ」


 エカテリーナは、宝石を見つめて頬を染める。


「でも、一緒に居られるのは、成人までかも知れないのよ」

「成人前には婚姻出来ない」

「違うわ。急がせてない」

「拒否なんかしないよな?」


 エカテリーナは困ってしまう。

 最近積極的な幼馴染みの恋人に、秘密を打ち明けたのはつい1週間前だ。


「居なくなってしまうのよ?」

「会えなくても、夫婦は夫婦だ」

「婚姻式すら出来ないかも知れないわ」

「何だよ。嫌なのか?」

「違うけど」


 エカテリーナは、口ごもる。


「変な遠慮は止めておけよ」

「でも」

「俺が死んでも、まだ人界に居るかも知れないだろ」


 エカテリーナは、キョトンとした。不思議な赤紫色をした瞳が、まんまるに見開かれる。



 ※



 エカテリーナが成人を迎えた。

 成人の日、日付が変わる瞬間に、エカテリーナは精霊界に連れ去られてしまった。家族にも、愛しい婚約者にも挨拶出来ぬまま。書き置きすら許されず、問答無用で人界に別れを告げた。


 姉のオリガ・ワシーリエヴナは、成人を過ぎても、婚約が果たされず、独身のままだ。近頃では、定期面会も中止ばかり。

 そんな時に、妹が精霊界に取られた。オリガは、すっかりふさぎこんでしまう。


 婚姻を行えなかった精霊の婚約者ピョートルは、そんな義姉を気にかけていた。気にかけてはいたのだが、余計な噂を立ててはいけない、と思い、訪問は避けた。

 時折、カレーニン公爵宛に、エカテリーナが戻る兆しは無いかと私信を送る。そのついでに、一言オリガも気遣う程度だ。



 ※



 一年の中で、精霊の力が最も高まると言う日に、この国では精霊祭を行う。昼間は民間のお祭りで、屋台や出し物が街を賑わす。

 夜は貴族のお祭りとなり、華やかな舞踏会が催される。


 プロポーズも盛んに行われるロマンチックな祭の夜、ピョートルは、独りで軽食を摘まんでいた。

 もしかしたら、エカテリーナがこの夜だけ姿を現すかもしれないと、淡い期待を抱きながら。


 2人の想い出をぼんやりと反芻しながら、スモークタンを口に運ぶ。エカテリーナは、スモークタンのサンドイッチが好きだった。精霊は、人の食べ物を摂らないのだと言う。

 人とは異なる存在なのだ。


 けれども、エカテリーナの先祖には精霊がいる。

 ピョートルは、エカテリーナをすっかり失ってしまったのだとは思えなかった。



 ※



 オリガ・ワシーリエヴナは、悪役令嬢である。

 可憐で清楚な見た目に反して、嫉妬深く執念深い。だが、その事は、家族にも知られていなかった。


 などと言う物語が、近頃市井で人気を博していた。

 しかし、ピョートルは、エカテリーナに会う方法を探すのに忙しく、街の流行りや噂話に興味がない。


 オリガを直接知っている人々は、悪質な物語に憤慨していた。だから、グレゴーリィ・イリイチ=キーシン王子殿下が、精霊祭の舞踏会で、突然に自分の婚約者を犯罪者扱いした時、誰もが驚き、呆気に取られた。


 それは、オリガ本人も同じであった。何が起きたのか、まるで理解が追い付かず、ただ茫然と立ち尽くしていた。


「衛兵っ」


 グレゴーリィ王子が、再び声を張り上げる。

 壁際や出入り口に控える衛兵達は、戸惑い狼狽えて互いに顔を見合わせるばかり。



 ※



 窓の外が、透き通った青と幻想的な赤の、不思議な光に染められて行く。


「カーチャ!」


 その場で起きていた理不尽はすっかり忘れ、ピョートルは、掃き出し窓から庭へと躍り出る。

 姿が見える訳ではないが、そこに彼女がいる。その確信が、彼にはあった。


「来てくれたんだね」


 全身で喜びを表す婚約者に、優しい声が降ってきた。


「ペーチカの勝ちね」


 次の瞬間、ピョートルの腕のなかには、エカテリーナがいた。変わらぬ姿の愛しい婚約者だ。

 姿が見えずとも、存在そのものが変化しても、彼女だと解る。そこまで強い魂の結びつきがあれば、人と精霊の隔たりに打ち勝つ事が出来るのだという。


「カーチャ、お帰り!婚姻式の日取りを決めよう」


 舞踏会ホールの注目は、謎の断罪劇から、精霊の婚姻へと移っていった。



 ※



「それで、愚かな人の子よ」


 今やピョートルの妻となる事が目前となり、人としての実体も得た精霊エカテリーナは、冷たい眼差しをグレゴーリィ王子に向ける。


「何の根拠でオリガ・ワシーリエヴナを拘束するのだ」


 王子はゴージャスな金髪を震わせ、ぎっと音がしそうな視線をエカテリーナに投げつける。


「貴様っ、不敬な」


 精霊に対する不用意な発言に、会場にいた全員が息を呑む。

 そして、相変わらず王子は断罪の内容を述べない。

 精霊エカテリーナは、凄艶(せいえん)な笑みを浮かべる。人間時代には、決して見せなかった表情だ。


「人の(ことわり)を説くならば、先ずはそちらが道理を述べよ」

「何だとッ」


 王子の顔色は、蒼を通り越して殆んど緑色だ。

 ピョートルはと言えば、かつてエカテリーナが好んでいた柑橘サイダーを飲んでいた。

 完全に高見の見物である。



「最も、我ら精霊に、人の道理なぞ知ったことではないがな」


 グレゴーリィ王子は、ぎりりと歯軋りをする。


「衛兵!構わん、切り捨てよ」


 エカテリーナの瞳が赤紫に輝く。


「ほほ、なんとまあ、浅はかな」


 そこへ、カレーニン公爵が進み出た。


「古の盟約により、精霊エカテリーナに申し上げる」

「何ぞ」


 エカテリーナは、厳かに応える。そこに父娘の情は見えない。


「愚かなる人の子の振るまいを、カレーニンが始祖、精霊イヴァンの名に免じて、見逃しはくれまいか」

「ふん、娘に刃を向けんと企む者を庇うとは」


 いつの間にか、オリガがイチゴサイダーを飲みながら、事の成り行きを見守っている。



「未だ排斥の理由も知らされず、我らカレーニン一族は、困惑するより他は無い」


 父の訴えに、群衆に紛れて立っている母も軽く頷く。


「それ故、今、この者に精霊の怒りが下されたなら、永劫に真相が隠されたままとなる」

「成る程、一理あるな」


 エカテリーナは、鷹揚に同意する。


「貴様ら」


 王子の眼が血走っている。



 と、そこへ、ホールの大扉の外から、高らかな喇叭が鳴り響く。


「偉大なる王、エフゲーニー陛下、並びに気高き王妃ソニヤ殿下、おなーりーぃぃ」


 扉が開き、人々は頭を垂れる。

 威厳ある君主とその伴侶が、しずしずとホールを進む。


 エカテリーナは動かない。

 意図の読めない微笑みを浮かべて、真っ直ぐに王と王妃を見詰めている。


 精霊エカテリーナの前まで辿り着くと、国王夫妻は膝をつく。


「この地に再び精霊の訪れを得るとは、光栄でございます」

「して、そこな愚か者は、何をしているのか」

「彼の者ら、性格の不一致により、度の過ぎたる諍いを起こしましたれば」


 エカテリーナの赤紫が、鋭く光る。


 ホールには、赤紫の光が幕のように降りてきた。

 人々は思わず目をつむる。



 ※



「お姉さま、アプリコットのパイはいかが?」

「あら、カチューシャ。ありがとう」


 カレーニン公爵とその一族は、エカテリーナの力で、常春の国へ移住した。

 姉妹はとても仲良しだ。

 あるいは、エカテリーナが人であったときよりも、ずっと。


「カーチャ、迫真の演技だったね」

「ただお姉さまを保護するだけじゃ、つまらないもの」


 やはり、精霊になってから、性格が変わったようだ。

 だがピョートルは、子供の頃には、お転婆で男勝りなエカテリーナに振り回されていたことを思い出す。


 もしかしたら、思春期に乙女らしさを身に付けられず、葛藤していただけかもしれない。

 精霊になり、本来の前向きで悪戯な性格が発現したエカテリーナを、ピョートルは益々愛するのであった。

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