死ねないなら、せめて生きていたい。
そこには古くから森があった。
昔からその地域にあるけど、誰も近寄らない森。でも決して不気味な噂、不穏な話は聞いたことがない不思議な森。
その中間辺りに、小屋がある。古そうだけれど綺麗な。
そこには、一人の少女が住んでいる。彼女は不老不死らしい。
彼女は確かに生きていた。無口だけれど、時折街へ現れては、おじいさんおばあさんと随分昔のことを語り合ってる。見た目は16.17歳なのに。
彼女が不老不死であることは有名になっていたから誰も特別不思議がることはなかったけれど。
彼女はたまにつぶやくように漏らしていたらしい。「生きたい」と。
誰の目から見ても、誰の口から聞いても、彼女は生きていた。古い話では、もう100年近く前の話をしたことがあるそうだ。
街のおじいさんおばあさん達が、親から聞いていたような話を。
それでも彼女は「生きたい」と願った。ずっと欲していた。
ある日、彼女が数週間ぶりに街へ訪れた時の事。
その日は機嫌がよかったのか、所謂喫茶店にいた。彼女は衣食住に執着する必要が無いためお金は持っていなかったが、店主は彼女からお金を受け取るつもりはないと言った。外から看板を見つめる彼女を見かけて、思わず声をかけたらしい。
その喫茶店の店主には、息子がいた。今年で18歳になる。
彼は何も予定がなく、かつ機嫌がいい時には店の手伝いをしていた。
そして、たまたま偶然にもその日がそうだった。
不老不死の彼女の元に2杯目のコーヒーを運んだのは彼だった。
「うちのコーヒー、美味しいですか」
「…そうね、30年前まで向こう道にあった喫茶店の次には」
「ははっ、そうですか。父に聞いたらそのお店わかるでしょうか」
「ごめんなさい、あなたのお父様がご存知かを、私にはわからないわ」
「そう、ですよね、ははっ」
彼女は久々に若者と話した気がした。感性が、感覚が、記憶があまりにも今の若者とはかけ離れているため、話す機会などなかった。
話したといってもほんの数秒だが。
彼女はコーヒーを2杯飲んだら店を出るつもりだった。
だが、気づけば3杯目を頼んでいた。
3杯目を持っていったのも彼だった。
それから、2週間か3週間か。
彼女は同じ喫茶店に来ていた。
彼女は初めて、ここに来るためだけに街へ訪れた。
「あ、どうも。また来てくれたんですね」
「ええ、まあ」
「コーヒーですか」
「いただくわ」
「ご用意します」
よくある客と店員の会話でしかないが、それでも「会話」だった。
「…店主のおじ様は、いらっしゃらないのかしら」
「父なら少し、出ています」
「では、コーヒーはあなたが?」
「あ、えっと、はい。淹れました。もしかして、お口に合わなかったでしょうか」
「いえ。でも、以前は3回ともおじ様だったから」
「あの、はい。あの時はまだ淹れ方をしらなかったので」
「あら、最近教わったの?」
彼女自身が驚いていた。こんなにも饒舌な自分はいつ以来だろう。ドリフターズ派と欽ちゃんファミリー派で争った時以来だったかな?と。
「は、はい。まだまだですが」
「そうなの」
「どう、でしたか」
「…そう、ね。おいしいわ」
「ありがとうございます」
「どうしていきなり、淹れ方を教わろうと思ったの?」
「えっ、あ、いやそれは……」
「ふふ」
少し意地悪をしてみただけで、本当は彼の気持ちなど気づいていた。
「ああ、そうだ。父の話で思い出したのですが、この間聞いた喫茶店の」
「向こう道の」
「ええ、はい。それです。30年前に父の友人の家がやってた個人店だったそうですね。ご家族の都合で引っ越されたとか」
「おじ様は知っていらしたのね」
「はい、懐かしんでました」
それから、他愛もない会話をした。
といっても、時間をかけて、ゆっくりと、少しずつ。
コーヒーは今日の2杯目を飲んでいた。さっきより味が濃く感じた。
そろそろ日が暮れる。彼女は今日は帰ることにした。
「今日も、ありがとう。お代のこと」
「あ、いえ。父もあなたをいつでも歓迎する、と」
「…嬉しいわ」
「…あの」
少年の瞳は平常時より少しだけ輝いて見えた。
「また、来てくれますか。また」
「……ええ、また」
……一目惚れされるのも悪くない。
彼女はまた来たいと思った。
彼女はまた来るために、明日を望んだ。
そして彼女は実に久しぶりに「自分は生きているんだ」と感じた。