九話
「血の気が多いのは元気が良くてよろしい事だけど…そうだ。一つ良いニュースを教えてあげましょうか?」
情報など要らない。この女は自分にとっての黒歴史を暴いた。それだけで生きるに値しない
「聞きたくないのかな?私の主観ではあなたにとって、とてもとても重要なことだと思うんだけど」
「…」
刀也はこの女ともう話す言葉はとっくに無いと思っていた
「例えば――――そうね」
無駄だ
何を言おうとも一言言葉を発した次の一秒以内の瞬間には自分の拳がこの“敵”の頭部を粉砕する
これ以上女の戯れ言につき合ってやる余裕は無い
こいつが何を企んでいるか知らないが、何を言っても自分の決断を覆す事は出来ない
刀也はゆっくりと名も知らぬ傍から見ればか弱い美女にむかって歩み寄る
瞳はこれ以上にないほど無表情に静かな怒りを滾らせて一歩一歩確実に近づく
次の言葉が彼女の口から出るまでは
「行方不明になったあなたの母さん。
名前は、確か高月 時雨さん・・・でいいのかしら?」
言葉が刀也の脳内に流れ込んできた瞬間。突然の事態に一瞬何が何だか判らなくなった
その証拠に、今サラリーマンが彼の肩にぶつかっても彼は全く気にしなかった。とうのサラリーマンは一瞬だけ彼を眺めると無表情な表情で彼を眺める
刀也はそれに気付かなかった。ある意味では異常な風景だったかもしれないが彼はそれを気にしている状況では無かった
(な…に?)
今、何を言った?この女は?
状況が全く飲み込めない、突然知らされた母の手がかりは是が非が彼女に確認する
「あんた・・・手がかりを知っているんだな?母さんの」
女性は唇に指を当てて微笑んだ。それだけの仕草がやけに露骨らしく淫靡で扇情的だった
「さあ?私はただ覚えていた一つの情報の独り言を漏らしただけよ
でも、あなたが素直にいう事を聞けば少しは教えてあげないこともないわよ」
ぬけぬけと言う
聞く対象が一人しか居ないのにここまでのうのうと独り言だと抜かす輩は詐欺師はおろか政治家にもいるまい
しかし刀也にとって情報の信憑性はどうでも良かった
(この情報が嘘かどうかなんて関係無い。まずはこいつから母さんの居場所を聞き出す。考えるのは後でいい―――)
一瞬で決断し、駆ける。
正面へ女性へ向かって右手を後ろに投げ出し、筋に力を入れる
あと五メートル
「ふふ。ちょっとは人の話を聞いたらどう?」
女は自分の置かれている状況が理解できていないのか、はたまたあえて刀也を挑発しているのかは知らないが何故か余裕の様子だった
右手に力を集中。先程とは異なり殺傷力を抑え、人に与える衝撃を気絶レベルにまで落とす。何故自分にそんなことが出来るのか?そのことに彼は疑問を抱かなかった
目的が変わった、この女性はすぐに殺さない。母の情報を得られるまでは
「ねぇ、聞いてるの?もしかしてあなたひょっとして」
聞こえない。聞こえていても頭に入ってこない
距離あと三メートル
背後に人の気配を感じたが無視した
「もしかして、学校でも気に食わない先生にも同じ態度取るんじゃない?
人の話は聞きなさいって大事な大事な母さんに教わらなかったのかしら?」
あと一メートル、右爪先で熱が残留したアスファルトを蹴る、前方に重点を置いた体が少し宙に浮かぶ
粉砕すべき敵の顔を真っ先に見据える。しかし常人ならば失禁してもおかしくはないであろう殺気を真正面から叩き付けられても女性は平然としていた
--------変だ,何かがおかしい
刀也の頭蓋に微かに残っていた理性が警告を発する
しかしながら、部外者によって完全に過去の傷跡を穿られ、母の失踪にまで彼女が情報を握っているらしい人物を前に彼の理性はブレーキはとうに決壊していた
彼の頭はもう時雨の情報をどんなことをしてでも聞き出すという以外の選択肢は有り得なかった
「なら、こちらもちょっと荒っぽい手段を取らざるを得なくなるわね・・」
彼女はひどく残念そうに呟く
刀也の背後の気配が動いた。この女と自分以外は自分たちのことを誰も感知できないにもかかわらず、だ
完全に勢いと共に伸びきった拳の速度が僅かに落ちる
なぜか不吉な予感がした、これはそうあの事件の後に何かしら味わったような気配-----俗に虫の声というものに酷似していた
必ず悪いことがおきる前兆
前に似たような既視感を発現したときはよく遊んでいた友人がジャングルジムから転落して首の骨が折れた、入院していた友達が病室で首を吊っていた、母が失踪したときもそうだった
女性との距離が半メートルに縮んだ時も敵は変わらずに余裕の笑みを顔中に貼り付けている
そして彼女の薄紅色の唇が唐突に言葉を紡いだ
「じゃあ、これもまたあなたの責任。」
その声音は弱者の唱える錯乱した意味不明な言い訳ない。堂々たる勝利者に宣告の様に刀也の耳に響いた
その声の後に、女性の冷たく凍り付くように変化した声の後に異変が起きた
「え?」
刀也のすぐ右を歩いていたサラリーマン風の男性の後頭部から銀色に光る太いナイフの太い白刃が垂直に生えていた
「あーあ、使えないわねえ・・・」
淡々とした声で笑顔の女性が告げる
刀也は女性の顔から一指幅ほど離した位置で拳を止めていた