十九話
声が聞こえた
声。愛しい彼が助けを求める声
夢の中であの人は助けを求めていた、自分が他人を傷つけてしまったことを心の底から悔やんでいた
自分の行動を処の底から悔やみ、誰かに対して誤っていた
そして狂おしいほどの自虐の中で己の存在を呪っていた
嗚呼。何と悲しいことだろう
自分は彼の素晴らしさを知っている。自分は彼の優しさを知っている
彼の中に強大な魔物が住んでいるのは承知の上だ。彼はそれを日ごろから押さえつけることによってこの世界を守っている
いみじくも醜く、ただ存在し続ける為にほかの美しいものを犠牲とするこの醜悪な世界という名の鳥籠を
私はこの籠を破壊してしまいたい。殻を破って彼を自由な外に出てしまいたい
そして醜悪な籠の残滓を粉々に砕いて全てを無かった事にするのだ
それは、何て素晴らしいことだろう
醜いものはすべて淘汰され、美しい物だけがこの世の現象として在り続けるのだ。そうしてできた世界はきっと素晴らしいものに違いない
自身が望む世界の形
それは
彼と二人きりで在り続けること
それさえ出来れば後は何もかも要らない
そして彼女は目の前の現実を燃やした
この世のものではない赤みが付いた無色の炎
周りの景色が焼かれていく、教室も、学校も、偉そうな教師も、うるさいだけのクラスメイトも
みんな笑いながら紅色の陽炎に身を焼かれていくその顔に日常を張り付けたまま
ざまあみろ
彼女は笑った。それはもう晴れやかに
普段の彼女ならば人前には絶対に見せないような笑顔で彼女は笑う
あははははと。狂ったように笑う。口の端を歪んだ傷口のように最大限に吊り上げ、梟のように眦を見開き、笑顔を浮かべる、狂人のように、精神病患者の如く
長い黒髪が乱れるのもかまわずに笑い続けた
しかし、彼女の目尻から流れ落ちていく雫が光る
彼女は滴る雫を白い手のひらで受け止めて不思議そうに首をかしげた
――――――――――涙?
あれ・・・何で私は、
泣いているんだろう?
理由は分からない。しかし、胸が悲しみに溢れているのを感じる
でも、こんなにも悲しいのに。近しい人たちを燃やすのが嫌なのにもかかわらず。炎は彼等、彼女らを焼くことを止めない
結局、ここにいる彼らも自分の悲しみに気付いてくれない、やはり、夢の中でも彼らは自分達の事以外には基本的に無関心なのだ
本当にどうしようもない生き物だ、馬鹿は死ななきゃ判らないというが、まさにその通りかもしれない
そうして、彼らが夢の中ですら自らに無関心だということを悟った時
再び、鋭い弧が彼女の口元に浮かび、顔全体が冷笑の形を浮かべる
その貌は、先刻までに彼女が浮かべていた自嘲の側面を多分に含めていた冷笑とは異なり、はっきりと悪意を感じ取ることができる邪悪な『嗤い』だった
悪魔がするような顔を貼り付けた少女は音楽隊の指揮者がタクトを振るかのように、しなやかな白い細腕を前方に突き出しゆっくりと横に振ると
途端に周りの情景が一変した
さっきまで燻ぶるように生徒たちの体を侵していたいた陽炎のように揺らめくだけだった赤みがかった無職の炎は
まるで彼女の怨念に答えたのように勢いを増し青い群青色の鬼火と化した
炎の色が、鮮やかな蒼に変化した時、これまで自分達に降りかかっていた異常にようやく気付いたかのように生徒達が慌て、脅える始める
その様は実に滑稽で、笑いを誘う
くすくすと、笑い声が聞こえた。自分の声だった
眺めゆく生徒達は纏わりつく炎を消そうと地面を転がったり、必死に服を脱いで煉獄の裁きから逃れようとしていた
しかし、その努力はどれも無駄に終わった。いくら酸素の供給減を断とうが、出火元を体から放そうが無駄なことなのだ
なぜならそれは宿主たちの魂を燃料として燃える炎だから、彼らの罪を自分が裁く閻魔の業火だから罪が裁かれるまで消えることはない
『罪状に対する刑罰は、全員死刑。』
それが、彼女の判決だった
見ると殆どの生徒ないし教師たちは動かなくなっていた。彼らが生命活動を停止しても死体を貪る炎。彼らの罪は死した後でさえ消えなかった
結局彼らは自分の苦しみに気付けなかった。彼ら自身の人間関係には異常に気を遣うのにだ
誰も自分の事に気を向けてくれない、関心すらも抱いてくれない
いいだろう。そうやって、仮面みたいな偽りの笑顔を張り付けたまま喪うものにも気付かず朽ちていけばいいのだ
やっぱり、自分の事に気をかけてくれるのは彼だけ――――――――――――――――
夢から覚めた
はっと、無意識のうちにシーツの乱れがないか手触りで確かめる。シーツは僅かに皺が寄っていたが得に彼女が気にするような乱れは無かった
「ふう・・」
溜息をついた、あまり寝相が悪いと朝に起きた時のことが大変だ直している内に学校に遅れ・・・
『学校』
咄嗟に脳内で浮かんだその単語が彼女にさっきの夢の内容を思い出させる
「・・・・・嫌。」
最近よく見る悪夢。そして、完全に思い出せないが断片的に断片的に蘇る夢の欠片
その中で起きる惨状。夢の中の自分が引き起こす悲劇
文字通り煉獄の炎に身を焼かれる生徒たち
「嫌ぁ・・・」
あのときの自分は嗤っていた。人様の命を自分の手で軽々と摘み取っておきながらも笑っていた
申し訳なさに胸が一杯になる目の前で犠牲になった人たちに土下座して詫びたくなってくる
しかしその一方で『夢の中の出来事だからだから別に何をしても良いじゃない』とか『別に居ても居なくても変わらない連中なんだし』といった声が
心の奥底から囁いてくることもまた事実だった
明かりを点け、壁にかけている時計のほうに目を向ける。時刻はまだ午前二時すら過ぎていない
「・・・・」
まだ学校の始業時間には十分の時間があったが、彼女は寝ずにそのまま過ごすことにした
夢を見るのが怖いからだ。もし、もう一度夢魔に体を委ねてあの夢を見てしまったら自分は二度と立ち直れなくなるかもしれない
怖いのは嫌だった。そんな悪夢に負けないくらいの強さが欲しかった
だけど自分は弱虫だ。人前で意見を言えないから今のような辛い境遇を招いてる事実は腐るほど熟知している
強さが欲しかった。それがどのような形のものであったとしても
昔、自分を虐めから救ってくれた『彼』のような強さが
だから、彼女は呟いた
「また・・・あの時のように助けてよ・・・刀也君・・・。」
独りごとは部屋の空気の中に溶けこみ、すぐに消失した