十八話
颯斗は静の顔を見つめる
彼女の眼差しは真剣そのものであり容易な返答はできない
迂闊な答えを返そうものならば軽蔑、ひいては一生自分のことを上司として見なくなるであろう。ひいてはこれからの作戦に支障が出てしまうかもしれない
そんな物々しさを感じさせる程迫力の有る鋭い視線だったが・・・
「現時点で高月刀也に関する指令は監視以外に下されていない。無理な行動はするな」
返答の直後、静の眼差しが一層厳しくなる
「彼は『半鬼』としての力を発現し、自衛の為とはいえ『気』を操る力を行使しました
しかも覚醒の直後とはいえ、力に呑み込まれ半分暴走するような形でです。後々人類にとって脅威となる可能性があります」
「だからと言って彼は人間を襲ってはいない。保護するか、処分するかどうかは監視を続けた後でも構わないだろう
今急ぐ必要は無い
少なくとも彼は自分の意思を持っているように思える。危険と判断するには早熟だ
それにこれは現場の判断で決めるような事じゃない」
「ですが、脅威を放置しておくのは我々の存在意義にも関ります。もし何かあったらどうするのですか?」
ほんの少し、ほんの少しづつではあるが静の声は苛烈さを増していった
それは自分の意見を真剣に聞こうとしない颯斗に関する苛立ちのようなモノもあるのかもしれないが、彼女の口調には明らかに刀也に関する畏怖と憎悪に混じった
悪意が見て取れた
先程の冷静さはどこへやら今の彼女はまるで怒り狂う女神だ
「『もしも』、『仮に』で監視対象を排除して行ったら我々は能力を持たない平凡な一般人すらも監視しないといけなくなる
それに彼はいまだに人を傷つけてはいない。だから・・」
静は眼を剥いた
「彼は何者かに擬態とは言え先程私を殺そうとしました。この時点で既に脅威と見なされるべきではないでしょうか」
先程の冷静さは何所へやら、彼女は最早完全に颯斗に関しても半ば敵意と呼べるような視線を向けていた
あくまでも自分の意思を主張する静を冷静に、そして淡々と事実を突き付けて収めようとする
「しかし彼は、俺が殺した『眷属』の監視役の死にショックを受けていたようだった。最低限の善悪の判断くらいはつくだろう、だから今のところは何もするな」
「ですが、一度人間を襲おうとしたことには変わりありません。今、後継者質を背後から使役しているもの質と同等の脅威と見るべきです。
一刻も早い対応を・・・」
「静。俺達に未だ彼の抹殺命令は下されていない。先走った行動をするな」
「・・・」
静は黙り込んだ
「それにだ。今は『鬼』のこともそうだが今は公安の動きも気になる
過去にあったようにまた俺達の『機関』を潰そうとしている動きもあるみたいだ。
昔と事情が違って今の『機関』にそれほど大きな力は無い。そして『機関』の予算を決めるのは内閣の胸先三寸だ。迂闊なことは出来ない」
「ッ!それじゃ私達の存在意義とは何なんでしょう!
一般人に仇する脅威を排除せずしてどういう意味があるといえるのでしょうか?」
「俺達は国家の意思に従って動かねばならない。それに俺は室長代理を信用している。
彼女が判断を誤ることは殆どないだろう」
「ですが・・・」
「俺達は誰もが望む正義の味方ではない。国の決めた事にただ従いそれを実行する。それだけの力を持った組織だ
むやみに力を奮えば機関そのものが独裁を助長する組織となる」
そこまで言われて静も黙り込む、納得がいかない表情をしてはいたが
彼女はあくまでも組織の人間であり、自制が感情に勝った
「・・・・」
「だが、今回の事は室長代理に報告してくれ。引き続き高月刀也の監視を続けるが動向次第で再度警告するかもしれん
万が一にはお前の言ったようになる可能性もある」
「・・・了解・・しました・・・。」
「君の事情は判る。しかし私情で判断するな」
静は踵を返しそのまま闇の中へと去って行った
颯斗は男の倒れていた場所を見やる。何もなかった
まるでさっきまでの激闘が夢の中での事だったかのように
「正義の味方か・・・」
先程、自らが言った言葉を口の中だけで反芻し半ば自嘲じみた笑みを彼は浮かべた
しかし直ぐに無表情に戻り、本部へと足を向けた
「静。後は頼むぞ」
「解りました」
音も無く消え去る疾斗
静は上司が消えたのを確認してからおもむろに何も無い空間に告げた
「出て来ていいぞ」
むろん何も起きない
しかし、静は呼びかけた
「遊ぶのはやめろ。お前の氣は掴んでいる
人形を使役していても操り糸の元を手繰れば明白だ。そこにいるな?貴様。」
「やれやれ、ばれちゃった様だねえ・・・」
駐車場に停めてあるの車の間を縫うようにして黒い影が現れる
ミストが密集して人方を形成したかのような黒い影は徐々に薄まっていき一人の男の姿が露になった
「さすがだねぇ。僕を見つけるなんて」
ところどころウェーブがかかった、髪を指で弄びながら白い服の青年は笑った
「で、何の用かな?」
静は整った眉を吊り上げて冷淡な眼差しで彼を見やる
彼女の視線に疾斗に見せたような激情的な面が見当たらない
「お前、私と疾斗の姿に擬態して高月刀也と接触したようだな
何が目的だ?言え」
青年は口を押さえて笑う
「そんな事僕に聞いてもまともな答えが返ってくると思ってるのかな?」
「言え。何が目的だ?」
「いやいやいや。ちょっと人の話を聞いてるのかな?」
「言え。何が目的だ?」
「おやおや?組織の飼い犬さんたちは相手に対するコミュニケーションのマニュアルが不足しているのかな?」
「何が目的だ?」
青年はやれやれといった風に両手を挙げる動作を取る
明らかに静を馬鹿にした態度だ
「いいよ。禅問答しに来たわけじゃないんだ。教えてあげるよ
出血大サービスでね」
「早く言え」
青年は車のボンネットに寄りかかりながら、ニヤニヤと静を見つめた
「じゃあ言うよ」
静の眦は剃刀の様に鋭くなっている、青年に向けられる眼光は其の鋭さだけで彼の命を奪うと思わせるほどに
青年はそれを見て笑いの度合いを深めた。想定内、といった感じだ
「君にね・・・・・高月刀也を仕留めるチャンスを与えてあげようと思ったからさ」
「な・・に・・・?」
「仇なんだろ?彼のように鬼の血が混じった人間はさ」
静は微かに動揺したようだった
青年の言い分があまりにも自然だったからだ
驚愕する彼女を眺めて楽しんでいるのか青年は笑いを引っ込めず相変わらず唇の端を吊り上げている
「だから、君に彼を処分してもらおうと思ったのさ
『氣』を使う人外の鬼の血が混じった人類の敵。高月刀也をさ
君が望んでいる事だろう?
両親を鬼の末裔に惨殺された君にとっては又と無いチャンスなんじゃないのかな?」
『両親』。その言葉を聞くと同時に静の顔が青ざめた
「君は幼稚園も出ないうちに親を失い、術を使役する才能を見込まれて国家の特殊組織『機関』に引き取られた
それから自分の親の記憶が無い君は両親の仇への復讐の為にかの組織の戦士となって『混血』の連中や『眷属』達を狩り続けた
まあ、仕方ないよね、君にはそれしか生き方が選択でき」
刹那、男の首が飛んだ
「あ」
刹那の居合い。静はいつの間にか手にした短刀で青年を一薙ぎした
刃が月光を反射し死の円弧を描いたときには青年の胴と首の両断されていた
一呼吸の後に胴体だけになった青年の首が存在していた部分から噴水のように血が噴き出した
「黙れ、、、」
血に濡れた刀を構える静は披露しているようだった
眼光はギラギラし、危険な光を放ち首の無くなった男の体を睨みつけている
青年の首無し死体は未だに立ったままだった
「やはり君は見た目からは想像出来ない激情家だね
もっとクールビューティかと思ったけど。なかなかどうして可愛いよ」
彼女は目を剥いた
自分が切り飛ばし、男の足元に落ちた首が胴体から切り離されても口を動かし、言葉を紡いでいるのだから
「・・・貴様、何故生きている?」
「ああ、この肉体の事ね?そこまで心配する必要は無いよ。もうすぐ黙るから」
「まさか、貴様の正体は」
静の脳内に一つの仮定が浮上する。もしそれが的中したとなれば・・・
「そう、人形さ。マスターに操る忠実な道具だよ」
「・・・人形師。」
「そんな呼び方もあるね。嫌いな称号だけど」
人形師を静は知っている
自分達のような術士のなかでもとりわけ秀でた存在
『機関』の中にも『念糸』を用いて烏を操り偵察に使用したり、甲虫を操る者等、似たような能力を持つものは何人か居る。
しかし、人間をそれも死体すらも使役するような術者は記憶の中において一人しか該当しなかった
「裏切り者。まさか・・土井方真言・・」
「裏切り者?
心外だけどまあ弁解するのはよしておくか。喋ってられるのもあまり時間が無いし」
「疾斗隊長や私に擬態し高月刀也に接触したのは組織を追われた復讐のつもりか?」
「さっきも言ったろ
君の復讐を手伝ってやるだけだって」
「黙れ」
静は青年の生首を掴んだ
手が血で汚れるのも構わず頭頂部を鷲掴みし、目の高さまで持ち上げる
「洗い浚い吐かせて貰うぞ、お前の目的についてな」
生首は唇を吊り上げて笑った。あからさまに彼女を嘲り、聞き分けの無い子供にしつけを言い聞せる教師のように囁いた
「君は意外と頭に血が昇り易いらしいね。さっきも言ったろ
この肉体はそろそろ完全に死を迎える。まあ、直接の死因は君なんだけど・・・
それ以前に君がいくらこれを拷問しようが術を掛けようが残念な事にこれは僕本体じゃないんだ
だから君が望んだ事を僕の口から吐かせることは出来ないのさ
あ、そうだ僕がもしかして君の経緯をついついご丁寧に話してしまったから冷静な判断力が出来なくなってしまったのかな?
すまないね、知ってしまった情報はついつい他人に自慢しないと気が済まない質で」
そこから先の言葉をそれが話す事は無かった
静が人間離れした握力で生首を握りつぶしたからだ
偶然にも、同時に首を失いつつも辛うじて直立していた青年の体もふらつき、転倒する
白い服に点々と、紅い紋様で彩られた
飛び散る肉片。黒い衣服と手についた白い脳漿を眺めても静は表情を変えない
当然の報いだ。こいつは私の両親と矜持を侮辱したのだから
静は顔を上げた。夜景に望む満月から漏れる月光は若干、輝きが控えめで見ようによっては橙、否。紅い月にも見えるであろう光を放っていた
彼女は方までさっぱり切りそろえた髪に付いたそれの残骸――――恐らくは先程飛び散ったものであろう脳漿と混じった物体を拭った
月。紅い月
連想するは血の色
「高月刀也・・・そして土井方真言
私の存在意義を侮辱する者は誰であろうと許さない。いや、許してはおかない。」
呟いた静の黒瞳は月の光を反射し怨念に応える様に燃え、爛々と輝いていた