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色づく季節

 朝、目の覚めた夏子は身体を起こそうとして、それが上手く行かないことに気づいた。全身が突っ張ったように痛む。足のまめのじくじくとした痛みも、昨日よりもひどくなっているように思われた。

 「おや、お目覚めでしたか。」

 うめきながら起き上がろうとしていると、昨日の中年女が現れた。

 「今、お湯を沸かしておりますよ。お身体を拭って、おみ足をつけて解せば少しは楽になりましょう。」

 夏子が身体を起こすのに手を貸して座らせると、熱いお湯と手拭いを運んでくる。

 几帳をめぐらした中で身体を拭うと、ずいぶんすっきりした気持ちになった。

 それから簀子の階に腰かけて、深い桶に張られた湯に足をつける。確かにそうしていると突っ張ったような痛みも幾分ほぐれてやわらいでくる。

 新しい麻の衣に着替えると、女が朝餉を運んできた。昨日の粥を温めかえしたものに、青菜の漬け菜がそえられている。

 女の名はしずめといった。

 昨日の荷運びの男の妻で、源氏院の食事の世話もしていたらしい。

 「食がお進みになりませんねぇ。ちょいと失礼いたしますよ。」

 しずめの手が夏子の額に触れる。

 「すこぉし熱がおありのようですねぇ。今日はゆっくりなさいまし。」

 言われて見れば確かに頭も少し痛む。節々の痛みのいくらかは熱のせいでもあるのかもしれない。

 畳の上に横になり、麻の衣を被る。

 しずめが額に絞った手拭いをおいてくれた。ひんやりとした感触にほっと息をつく。

 「その辺におりますから、いつでもお声をかけて下さいましよ。」

 しずめはそう言うと、表に出ていった。

 涼風が室内を柔らかく吹き抜けてゆく。風が夏子の額に触れると湿った肌がひやりとした。

 静かだ、と思う。

 それは無音という事ではなくて、山を飛び交う鳥の声や木々の梢の鳴る音など、いつでも何かしら聞こえているのだけれど、その音は調和しているせいか耳障りなことはなく、柔らかく夏子を包み込んでくる。

 その調和に夏子は凪ぐ。

 周囲には優しく落ち着いたお方様と、ずっと言われてきた夏子だった。まるでなだらかな道をただ歩いてきたように、夏子の事を思っている者も多い。けれど夏子には夏子の修羅があり、激動があったのだ。

 凪いだ気持ちで夏子は目を閉じる。そのままするりと眠りの中に滑り込んでいった。


 源氏が眠っている。

 その眠りを小さな美しいものどもが見守っている。

 夏子も一緒に源氏を見つめる。

 そして精霊に共感する。

 この美しく、愛しく、慕わしいものを飽かず見つめ、見守るという意味で、夏子は彼らの同士なのだ。

 二度目の来訪の折に、夏子は源氏と男女の仲になった。ただそれは、一度めの来訪の次の夜ではなかった。

 五日ほどもたち、夏子が待ちくたびれた頃に源氏は現れた。

 男の「今宵」など当てにならぬもの。そんな理屈で言えば源氏もまた、普通に身勝手な男なのだろう。

 それでも子供のような源氏の悪びれなさは不思議に夏子の心を揺らした。

 夏子は源氏以外の男を絶った。

 それがどんなに間遠でも、もし二度とないものだとしても、源氏との夜以外はいらない。

 源氏と交わる陶酔は深い。

 あれを知っては他の男との夜は、ひどく索漠たるものになるだろう。

 もともと、望んで通わせた男などいない。通ってくるから拒まなかっただけのことだ。初めての男が誰だったのかさえよくわからない。あの男は夏子のことを、明らかに他の誰かと間違っていた。

 夜明け前に起こすと、源氏は眠そうに目をこすりながら起き上がった。こんな仕草はひどく子供っぽい。でもそれも無理はないのだ。源氏はとても若いのだから。

 自分は袴の紐をおざなりに結び、単を引っ掛けただけの姿で、光の身繕いを手伝う。袴の紐を結び直衣を着付けると、宿直の公達と言ってもおかしくない形になった。光は桐壺の亡き母の局を、許されて今も使っている。桐壺はここ麗景殿からすぐだ。

 「今宵また。」

 「はい。お待ちしておりますわ。」

 光のいつもの言葉に夏子は答える。

 もちろんその夜、源氏は現れなかった。


 夏子が再び目覚めた時、すでに赤みを帯びはじめた光が室内に差し込んでいた。

 そろそろと起き上がると、額から湿った布が落ちた。突っ張った痛みはまだあったけれど、節々の痛みはずいぶんひき、全身のだるく苦しい感じも和らいでいる。

 「お目覚めになられましたか。」

 しずめが簀子を上がって来た。

 「熱もひいたようでようございました。」

 夏子の様子を確認すると、さっさと冷たい水を運んできてくれる。

 水は全身に染み渡った。どうやら一日のほとんどを眠って過ごしてしまったらしい。

 二杯目の水には焼き栗が添えられていた。

 「これから粥を炊きますから。」

 それまでのつなぎにということらしい。

 夏子は水の椀と、栗の盛られた笊を手に簀子に出た。昨日はゆっくり見てはいなかったけれど、藤に桜、萩に梅、橘などの木が何本か植えられている。中でも楓はほんのりと色づきはじめているようだ。

 「もう少しして朝晩がきつく冷え始めますと、急に赤くなりますよ。見事なもんです。」

 気のつくしずめは円座を持ってきた。

 それだけ言うとさっさと用事に戻ってゆく。

 栗を手に取る。

 ほんのりと温かい。

 噛むと栗の独特の風味が広がった。甘みは幾分薄いがありがたい滋味だ。

 一つ、また一つと口にするうちに、幾分過ごしてしまったらしい。

 その夜の粥はあまり食べられなかった。

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