十星勇者
「爺さん! プリスの親父が殺されたって本当かよっ!」
あの後、俺はプリスをリベレットに任せて一足先に《魔弾の射手》へと帰っていた。
おそらく情報を掴んでいるであろう爺さんに、今回の一件を問いただすためだ。
プリスが預けられてすぐに、プリスの親父さんは殺された。そこには何か特別な理由があるはずだ。上位貴族の嫌がらせがあったらしいが、所詮コッレンテ家は新参者の騎士爵階級貴族。上位貴族が本気を出せばいつでも政界から追い出せる程度の存在だ。死人が出るまで問題がこじれていたとは思えない。
だとしたら、今回の一件は貴族同士の抗争が原因ではない。もっとほかの何かが……。
そう考えた俺は、こうして爺さんの私室へと乗り込み、大きな声を上げていたわけだが。
「やかましいぞエルンスト。デカい声出さなくても聞こえているっつうの」
爺さんは、俺のそんな怒号を聞いてなお落ち着いた様子で銃の手入れをしていた。
周りにはうちのファミリーの幹部である老人共が勢ぞろいしており、各々武闘派の部下を連れて爺さんと会議をしていた。
明らかにデカいヤマを抱えた時にとる、ファミリーの臨戦態勢だ。
「やっぱり何かあるんだな。どういうことだ爺さん! 俺をのけ者にしたあげく、関係者のプリスにも何も教えないなんて……。筋通すあんたらしくもない!」
「あぁ? 何バカなこと言ってやがる。ローガンの死を知らせて、あの嬢ちゃんが仇討だなんだのと暴走したらどうする気だ。そんな勝手なことされちゃ、俺達も迷惑なんだよ。そんな判断もできなさそうなケツの青いガキに通さなきゃならねぇ筋なんかねぇ。もちろん、こうして一時の感情で俺の仕事を邪魔しに来たクソガキであるお前にもだ、エルンスト」
「っ! 何だとこのクソジジイ!」
想像以上に硬質的な爺さんの返事に、俺の頭に一気に血が上った。
仮にも俺はバラトーガファミリーの次期当主だ。それなりの経験を積んできたし、殺しの経験だってある。うちの若い連中の中では一番の腕を持っているという自負もある。
だというのにケツの青いガキだと――爺さんには認められていないのだとはっきりと言われてしまい、頭が沸き立つような怒りを感じ、思わず爺さんの胸ぐらをつかみかけた。
だが、
「とにかくエルンスト、お前は嬢ちゃんと一緒に大人しくしていろ。あとエルンスト。お前暫くうちに帰ってくんな。うちの若い奴らや女子供と一緒に、《宝石獣》のところに泊めてもらえ。あの嬢ちゃんも一緒にな。女将にも話は通してあるから」
「っ!」
その言葉を聞いた瞬間、俺の動きは止まった。
それは明らかに俺を《魔弾の射手》から……ルキアーノファミリー本拠地から遠ざけるための言葉。
これではまるで、爺さんにプリスを預けに来た、あの親父さんのような……。
「爺さん。あんた……これから何と戦う気なんだ?」
「言ったはずだぞ? お前に通すべき筋なんて存在しないと」
教えるつもりはない。言外にそうはっきりと言ってのける爺さんの姿に、俺はようやく事の深刻さを悟った。
爺さんは、ここで死ぬ覚悟を決めたのだと。それに巻き込まないために、俺やプリスを遠ざけようとしているのだと。
「ただ、一つだけお前が通さなきゃならん筋がある」
「なに?」
「あの嬢ちゃんを守ってやれ。あいつはダチの忘れ形見だ。それを預かっちまったからには、あの子はもう俺たちのファミリーだ。ファミリーは命を賭けて守る。それが俺たちルキアーノファミリーのドンたる人間の仕事だ」
そう言った爺さんは銃を整備する手を止め、ゆっくりと立ち上がり俺の頭に手を置いた。
「そいつだけは絶対通さなきゃならん筋だ。だからこそ、何があっても嬢ちゃんの命は守るんだぞ? お前は将来、ファミリーの看板を背負って立つ気なんだろう?」
「……………」
話はここまでだ。その爺さんの言葉によって、俺は爺さんの部屋から追い出された。
柄にもない、遺言染みたしみったれた爺さんの言葉に呆然自失としていた俺は、帰ってきたプリスに「貴様っ! 客を置いて帰るとは何事だっ!!」と怒鳴られるまで、店の裏口前で呆然とたたずむことしかできなかった。
■■■
「いきなり《宝石獣》に泊まれなどと……もしや私は、花街に売り飛ばされたのかっ!?」
「お前みたいな色気のない奴なんざ、花街に売り飛ばしても金になるかよ」
「なんだと貴様っ!?」
わ、わたしだって女の魅力の一つや二つ! と、なにやら妙な憤りを覚えているらしいプリスに雑な返事を返しながら、俺は頭の中で爺さんの言葉を反芻していた。
――忘れ形見って言ったからには、こいつの親父さんが死んだってことは間違いないんだろうな。
犯人はおそらく、リベレットが言っていたアクト狩り。そして、爺さんがプリスの親父さんが死んだと聞いてから臨戦態勢をとったということは、恐らく爺さんが戦う覚悟を決めたのも、そのアクト狩りだろう。
そう考えるならアクト狩りがこちらに向かってきているというリベレットの報告も納得がいく。おそらくアクト狩りの狙いは俺の後ろで怒鳴り声をあげているこのプリスだ。
狙いは何かわからんが、アクト狩りというからにはアクト関係の何かか? もしかして、プリスの奴奥義のアクトか何か持っているのか? 奴はそれを狙ってこっちに? だがコッレンテ流は新興の双剣術流は王に認められたとはいえ、そうそう上等な奥義アクトを持っているとは思えないんだが……。
そんな風に俺の頭で考えが堂々巡りし、周りへの注意がおろそかになってしまった。
そんな俺が目の前に歩いていた人物とぶつかってしまうのは、もはや必然と言ってもよかっただろう。
「あっ! おいエルンストっ!」
「あぁ? うぉっ!?」
「おっと」
前から歩いてきたその人物は、肩と肩がぶつかりそうになった俺に今気づいたといわんばかりの態度で驚き慌てて回避しようとしたが、残念なことに近づきすぎていた。
肩と肩がぶつかり二人とも勢い余って地面にしりもちをつく。
久々にやってしまった顔が赤くなるような無様な醜態に、俺は「なにやってんだ俺……」と悪態をつきながら、急いで立ち上がり同じようにしりもちをついている男性に手を伸ばした。
黒い神父服に身を包んだ、紅い目をした金髪の青年だ。見たところ、牧師さんか?
「すんません。ちょっと考え事をしていて」
「いえいえこちらこそ。少し道に迷ってしまっていて……地図を見ていたら周囲への注意がおろそかになっていました。申し訳ない」
俺の手を取りながら、恥ずかしそうにはにかみ立ち上がるその顔は紛れもない好青年の物。これがヤンキーだったら骨が折れただのなんだの言っていちゃもん付けてくるので、憂さ晴らしがてらに二、三発殴れるのだが、これではそういうわけにもいかない。
ストレス発散の機会を逃しやや機嫌が悪くなる俺に、首をかしげる青年。そんな俺達に、
「あ、あなたはまさかっ!?」
プリスの震えた声が聞こえた。
「あぁ? プリス知り合いか?」
「んば、バカっ! お前は新聞読んでないのかっ!!」
「いや、だってレイファンの記事とか疑念なしで読めないんだもん……。そう考えると新聞に書いてあるものすべてが嘘に見えて読む気が」
「あぁ、それならば仕方ない……。ではなく! この人は滅茶苦茶有名人だろうがっ! 最近この国の逗留しておられる、カルトック教会認定勇者――第七位《十星勇者》ロードラン・ルデルアントさんだよっ!」
「勇者だとっ!?」
五百年前突如現れた魔物と魔族。現在でも人類とあくなき闘争を繰りかす、異形の化物たち。
そんな彼らの頂点に立つのが、魔王と呼ばれる人型の怪物達だ。彼らは人に似た容姿でありながら体のどこかに人ならざる部分を持っており、その力は強大かつ凶悪。はるか昔領地奪還を狙い戦いを挑んだ数千人規模の軍隊を、魔王がたった一人で焼き払ったという伝承が伝えられていることから、その力は分かるだろう。
現状西イウロパ圏を支配する魔王たちは全部で5人いるといわれており、それぞれが巨大な魔族国家を作り上げながら、人類相手に血みどろの侵略戦争を行っている。
そんな彼ら魔王を単独で討伐することが可能である……と、イリス教カルトック派教会から認定され人類の希望としてもてはやされているのが、いま俺達の目の前にいる勇者という存在だった。
免罪符の販売や、枢機卿の汚職などが最近話題になり、腐敗が進んでいるらしいと思われるカルトック派教会の認定とは言え侮ってはいけない。
カルトック派教会が勇者制度を確立した数年前、現在では最弱の勇者といわれる十星勇者第十位が当初六人いた魔王の一人を討伐することに成功しているからだ。
それによって十星勇者はその地位を確たるものにし、カルトック教会の権威のもと日夜魔族たちの侵略に立ち向かっている……と聞いていたのだが。
「なんでも担当していた前線が落ち着いたから、久々の休暇を取っているらしいぞ?」
「はた迷惑な……」
「まぁ、お前からしたらそうだろうが……」
いったいどうするつもりだ? そんな無言の問いがプリスから放たれているのがわかった。
どうするつもりだって……どうしよう? 俺は内心らしくない動揺を覚えながら、こっちにアルカイックスマイルを浮かべながら、首をかしげる勇者――ロードランを見返す。
どう考えてもここで俺がギャングの息子だとばれるのはまずい。ばれたが最後、勇者の圧倒的武力の前にねじ伏せられ、王都の牢獄か……下手をすれば勇者の功績稼ぎとして、勇者が所属するカルトック教会総本山――神聖ロマウス教国の処刑台に連れてゆかれ縛り首になるのがオチだ。
なんとしてでも俺の正体は隠さねばならない。
だがしかし、このまま放置するというわけにもいかない。
魔物被害が少ないこの町は、正直勇者が来るような街ではないのだから。たとえバカンスをしにこの国へきているのだとしても、もっと有名な避暑地や観光名所はいくらでもある。わざわざこの町に来る理由はない。
なら一体勇者はどうしてこの町に来た? 可能性として最も高いのは、この町に根を張っていることを隠そうともしない有名ギャング組織――ルキアーノファミリーの討伐。
人様に迷惑かけるような活動は……まぁ、ちょっと大騒ぎを起こすくらいしかしていないため、指名手配とかは受けていないが……ギャングはギャングだ。
税金各種は払ってないし、気にくわない悪徳領主は数人ぶちのめしたし、うちの街の地下で巨大奴隷マーケットを作ろうとしたクソ野郎どもは皆殺しにした。
そんな悪評を勇者が聞き及んでいたとなると、称号通り正義感溢れるこいつらがうちの討伐に乗り出したとしてもおかしくはない。
――正体をばらすわけにはいかない。だがそのうえで、勇者がこの町にやってきた理由を何とかして聞きださねぇと……。
俺がそんな決意を固めているさなか、ロードランはいつまでたっても口を開かない俺に、アルカイックスマイルに苦いものをにじませながら、
「では、私は急いでいるのでこれで」
「ま、待ってくれっ!」
「はい? 申し訳ありません、ついさっき言ったように急いでいるのですが?」
そんな丁寧な口調でありながら、どこか胡乱気な色をにじませ始めたロードラン。勇者という割には気が短いとは思うが、だれであっても急いでいるところを呼び止められては機嫌が悪くなるだろう。
――まずい。とにかく確認を……だが俺がルキアーノの関係者とばれないようにとなると。
言葉選びにやや戸惑い、思わず逡巡する俺。当然だ。発言一つ一つに命がかかるとなると、言葉選びに慎重にならない奴はいない。だが、この状況ではそれはロードランをさらに苛立たせるだけだというのもわかり、俺の頭は一瞬混乱した。
そんなとき、
「あの、勇者殿? あなたはいったいこのような街に何の御用で?」
「? あなたは?」
助け舟を出してくれたのは、プリスだった。
驚き振り返る俺に対し、プリスは視線で「情けない奴め」という侮蔑を送りつつ、俺が聞きたかったことをロードランに問いただしてくれる。
「失礼。私はここの大学に通うためとある名家で世話になっている、プリッシラ・シュヴァリエ・ド・コッレンテです。ここは大した観光名所もないので、勇者様がこられるような場所ではありませんよ?」
「コッレンテ? あなたが……?」
そういうと、ロードランはまじまじとプリスを見つめたあと、
「ふむ。あまりに無防備すぎるか……。となるとやはり預けているのは……」
「?」
意味不明な言葉を二、三呟いた後、
「いや何。私はただ迷える子羊を救済にやってきただけですよ。これでも勇者になる前は教会の神父でしたからね」
と、言いながらロードランは胸元の十字星をはじく。
「この町にははるか昔から主の教えに従わぬ仔羊がいるというではありませんか? アリキーノ? アルミーノ? でしたっけ?」
「ルキアーノですね」
「そう、それ!」
思わず俺の額に青筋が浮かびかけるが、せっかくうまくごまかせているのだからと俺は必死に抑えた。
「私はそんなルキアーノ様に主――イリスの《教説》を教えに参ったのです。昔はずいぶんととがったお方だったようですが、いまではその方もお孫さんがおられるご老人とか? 人生の終わりに近づいた今ならきっと、イリス様の教えを素直に受け入れる気になっていただけるのではないかと……」
「……………」
――なんだ、ただの説教か。と、俺は内心で思わずため息をついた。
それもそうだろう。カルトックは腐りきっているが、そこに選ばれた勇者たちはまさしく勇者と呼ぶにふさわしい人格者ばかりだと噂に聞いている。犯罪組織とは言え一応人間勢力に所属する存在を、問答無用でぶち殺したりはしないか……悪党じゃあるまいし。
「そんなわけで私は一刻も早くルキアーノファミリーのもとへ行かなくてはならないのです! 早くいってイリス様の教えを広めなければっ! では迷える子羊たちよっ! イリス様の大いなる愛があらんことを!」
そんなことを爽やかな笑顔で言いながらひらひら手を振って地図を片手に去っていくロードランを見送りながら、俺とプリスはほっと一つため息をついた後。
「ヘタレだな」
「うるへ~。命がかかっていたんだ仕方ないだろう。だが……助かった」
「ふん。私も仮宿がなくなっては困るからな。いつまでも花街の売春宿を根城になどしたくないし」
俺が告げた感謝の言葉にプリスはプイッとそっぽを向いた。
だが、その顔はどこか赤らんでいるように見える。
――素直じゃない奴。と、俺はそんなプリスの顔に苦笑いをうかべつつ、どうやらうちのファミリーに愛着を持ってくれたらしい貴族令嬢の背中を、お礼代わりにパンッ! と叩いた。
――爺さんに言われた通り、今回の案件にかかわれない以上、いまはこいつのことを守ってやるか……。
そんな今後の方針を、ひとまず心の中で定めつつ。
■■■
時は過ぎ、夕暮れ時。人の顔が暗くてよく確認できなくなった頃。
酒場《魔弾の射手》に集まったのは、バラトーガが率いる歴戦のギャングスターたち。
そんな彼らが待ち構える酒場に、
「ごめんください」
一人の神父が無造作に足を踏み入れた。
だが、それに対する返礼は「いらっしゃい」などという客の歓迎を行うものではない。
待ち構えていたギャングスターたちによる、無数の鉛玉の雨あられ!
風穴があき、見る見るうちに原型をなくしていく酒場の壁。
しかしそれでもギャングスターたちは、弾が切れるまで銃弾を放ち続けた。
そして、すべての銃が弾切れで沈黙すると同時に、
「……なるほど。もう情報が来ているのか。流石はギャング……裏の情報網には侮れないものがある」
前面に張り出した銀色の盾で、鉛の雨を防ぎきった神父はにやりと笑い、
「じゃぁ、交渉なんて面倒なものをする必要はありませんね?」
と、盾だったものを銀色の十字星の首飾りに戻し、
「コッレンテが隠した奥義アクトのスクロール……その隠し場所を知っていそうなやつ以外は皆殺しだ」
虐殺を開始した。
■■■
取りあえずプリスをまもろう。そんな行動方針を固め、事の成り行きを見守ることにした俺。
だが、その方針は即座に翻されることとなった。
《宝石獣亭》にたどり着いた俺達を待っていたのは、泡を食ってやってきたと思われるリベレットだったからだ。
「リベレット? どうしたそんなに慌てて」
「え、エルンストっ……よかった。無事だったのですね」
「無事って……」
「アクト狩りの案件……王都の正規騎士団の方からかかわるなって忠告が飛んできました」
「なに?」
――どういうことだ? 国の暗部でもからんでいやがったのか? だとしてもあの程度の奴ら、爺さんがいるこの街で暴れるような度胸はないはずだが?
夕焼けに赤く染まる町の中、荒い息をしながら両手を膝についたリベレットからの報告に、俺は思わず顔をしかめる。
脳内ではつい先月あたり戦うことになり、数人ほど殺した黒ずくめの騎士たちの姿が思い浮かんでいた。
だが、リベレットが告げたアクト狩りの正体は、それどころの騒ぎじゃなかった。
「あ、アクト狩りはカルトック教会所属。『人類生存圏奪還のために。アクトの強制徴収を行う』という名目で、各道場を荒らしている……十星勇者第七位《変幻自在》ロードラン・ルデルアントですっ!」
「――っ!?」
つい数分前に出会ったあのさわやかな笑みを浮かべた神父の名前に、俺とプリスが固まった。
同時に、俺達の背後で爆音と煙が上がる、
振り返るとそこには、はるか遠くで紅い空を貫く、一本の黒い煙が噴き出していて。
「……じいさん?」
「エルンストっ!」
「クソッ!! あのやろぉおおおおおおおおおおおおおお!!」
俺は怒号を上げて、その煙が立ち上る場所へ走り出す。
ちょうど臨戦態勢を整えていたであろう、《魔弾の射手》があった場所へと……。
■■■
爆炎から逃げる人の波を抜け、閑散とした大通りを一直線に駆け抜ける。
そしてそれはそこにあった。
「あ、あぁ……」
長い間俺が家にしてきたおんぼろの酒場が、炎を上げて燃え盛る。
中では数人のもだえ苦しむ声が聞こえ、ファミリーの何人かが巻き込まれたことが分かった。
そんな炎の中から、
「おや、おやおや? さきほどあった少年ではないですか。爆発現場に来るなんて危ないですよ?」
こちらを気遣う言葉をぬけぬけと言いながら、着用する黒い神父服に煤一つつけずに、ロードランが現れた。
右手に襟首をつかむようにして引きずっているのは、赤い髪に白いものを混ぜた、見慣れた巨漢。
「いやぁ、にしても折角説教に来たというのに、いきなり襲いかかられるなんて思いもしませんでしたよ。おまけに私が勇者だからと爆薬までもってくるし……ひどい話ですよね。一人だけ助け出せたのが奇跡のようです」
「黙れ……」
「はい?」
巨漢の名は――バラトーガ・ルキアーノ。
つい数時間前まで元気に話していた、俺の祖父。
今は全身に深い傷を負い、血まみれになり、手足をおかしな方向に曲げられ、爪はすべてはがされた……拷問をうけた形跡のある意識のない……俺の誇るべき祖父だ!!
「クソジジイを離しやがれ、チンピラァアアアアアアアアアアアアアア!!」
怒号と共に上着で隠すように両肩からつりさげたホルスターから、二丁拳銃を抜き放つ。
長年の経験から即座にロードランの心臓と額に銃口を合わせ、
躊躇うことなく引き金を引いた!
しかし、だてに相手は勇者と呼ばれているわけではなかったらしい。
突然現れた銀の盾が、飛来した弾丸を受け止める。
「じじい? あぁ、まさかあなた」
だが、口を開く機会など与えない。
弾丸が防がれるのを待つことなく、俺はすでに疾走していた。
弾をはじくために展開されていた盾に視界を隠されたロードランに肉薄。
邪魔をする盾ごと、ロードランを蹴り飛ばす。
「おっ!?」
体勢を崩したのか、意外そうな声を上げて爺さんを離すロードラン。俺は即座に爺さんを抱え、その場からとっととトンズラ(・・・・)しようとした。
当たり前だ。いくら怒っているとはいえ、勇者とまともに喧嘩なんぞできるか!
――あいつをぶち殺すのは、勝つための準備を整えてからだっ!!
そう俺が決意した瞬間だった。
「待ちなさい。あなたがバラトーガの孫だと分かったからには逃がすわけにはいかない」
「っ!?」
そんな言葉と共に、銀の鎖が俺の足に巻き付いた。
爺さんをかばうようにその場で転倒する俺。
そんな俺を見下ろしながら、鎖を手繰ってこちらに歩いてくるロードランは、先ほどの爽やかな笑顔とは違う――いやらしい悪党の笑みを浮かべながらこちらに話しかけてきた。
「それにしても驚きましたよ。あれだけ激昂しておいて、まさか即座に逃げを打つとは……。意外性のある選択は、流石はマフィアといったところでしょうか? プライドも何もない、逃げ優先のコソ泥め」
そんな安っぽい挑発を放ってくるロードランを無視しながら、俺は気づかれないように周囲に視線を走らせていた。どこかに使える逃げ道はないかと。
だが、相手は仮にも勇者という称号を得た猛者。こちらに向けられる視線の動きを見る限り、そうやすやすとは逃がしてくれそうになかった。
ましてやこちらは重体の爺さんを抱えている状態。逃げられる可能性は、皆無に等しかった。
――まったく、ついてねぇ。これで爺さんが手傷の一つでも負わせておいてくれれば話は違っただろうが。
と、俺が内心で思わず弱音がはき、無いものねだりという情けない真似をしてしまった時だった。
「エルンストっ!!」
「っ、バカっ! なんできやがったッ!!」
「おや?」
俺の名前を呼びながら、勇者の前に両手を広げて立ちふさがったのは、俺と同じように走ってきたのか、息を切らせ汗で髪をしっとりと濡らしながら毅然としたたたずまいを崩さない女――プリスだった。
だが、この状況でこいつの介入は非常にまずい。
ロードランがアクト狩りだったということは……こいつの親父を殺したのはっ!!
「ま、待ってください勇者殿! それは、こいつらは確かに悪党で卑劣なギャングですが、人には迷惑をかけていないギャングというか……いや、税金を払っていないのは確かに悪いことなので、可及的速やかに払うべきだと私は思うのですが、それでもこの町の人々は、こいつらとはソコソコ折り合いをつけて生活できておりまして」
こちらを精一杯かばってくれていると思われるプリスの言葉だったが、いまはそんなものどうでもいい。どちらに目の前の勇者に俺達を逃がすつもりなど毛頭ないのだから。
それよりも一刻も早く、
「逃げろプリス」
「ばかっ! 家主を置いていけるかっ!! このままでは本当に私が売春宿に身を売らねばならなく……」
「バカなこと言ってないで、早く逃げろって言ってんだよっ!!」
逃げろ、というよりは一刻も早くこの場を離れろと言いたかった。残酷な真実を聞かされる前に、聞こえないところへ行くんだと言いたかった。
だが、プリスが俺の言葉の真意を悟る前に、
「どうもさきほどの雰囲気を考えるにそちらは可能性が薄いと思ったのですが……バラトーガさんが知らないといったからには仕方ない。あなたにお伺いしましょう」
「は?」
「プリスさん、あなたの実家――コッレンテ流双剣術の《奥義アクト》が保存されたスクロール、どこに保存してあるか知りませんか?」
「は? え、なにを……《奥義アクト》は、その道場の主が生涯かけて作り上げた無敵最強の技をアクト化したもの。免許皆伝を認定された門下生にしか渡せぬ決まりです。どこの道場でもそれは同じですから、たとえ勇者様であっても……」
「いえいえ、もう存在しない道場にそのような気遣いは無用ですよ御嬢さん」
「もう、ない? な、なにを? 何を言っておられるのですか?」
嫌な予感は感じていたのだろう。震えはじめたプリスの声に、俺は歯を食いしばることしかできなかった。
そんな情けない俺の眼前で、
「えぇ、だってその道場私が潰しましたし」
「……え?」
一人の女の心が、悪魔によって踏み砕かれた。
■■■
――何を言っているんだ? この人は?
私――プリスは、まるでピエロのような大げさな身振りをしながら、話し続ける神父の言葉がなかなか呑み込めないでいた。
「まったく、アクトは全人類が使うべき魔族に対する対抗手段の一つだというのに……。やれ奥義だのなんだのと、武道家たちは強力な技ほど秘匿に走ってしまって、なかなかそれが広まらなかったんですよね。それでは困るということで、教会は一度アクトを自分たちのもとに集めて、正しく人類平等にそれを配布しようとしたのです。ですが、どういうわけか道場主の皆様方は非協力的でして。仕方なく勇者である私がこうして直接彼らのもとを訪れ、ちょっとお話をして回っているんですよ。あなたの道場もお話をさせていただいたところの一つでしてね? いやぁ、説得には苦労しましたよ。なにせ」
そういうと、ロードランは信じられないと言いたげな顔で立ちすくむプリスの目の前に、一つの肉塊を投げ捨てた。
それは、そぎ落とされた人間の鼻と耳。そして、特徴的な傷がいくつか残る、右手五本の指であった。
「これだけ丁寧にお願い(・・・)したというのに、ローガンさんが渡してくれたアクトは、皆伝までのものしかなかったのですから。これにはほとほと困り果てていまして、私と会う前に訪れたこちらになら、コッレンテ流の奥義アクトを預かっているかなと、足を延ばした次第なのです」
ロードランはにこやかな笑顔で、穏やかな声で、その裏にあるドロドロとした悪意を隠す様子もないまま告げる。
「まぁ、その説得の際に少々お願いが激し過ぎたのか、途中でローガンさんは動かなくなってしまったのですよ。だからまだ私は奥義アクトがある場所を聞き出せていないんです。ですから、プリスさん? 知っていたら教えていただけませんか?」
ぬけぬけとそんなことを抜かすロードランを俺は思わず睨みつけながら、フラフラと目の前に投げ出された肉塊に歩み寄り、ぺたんと崩れ落ちるようにそこで腰を下ろしたプリスに必死に祈る。
――頼む。頼むから馬鹿な真似はするなっ! と。
だが、俺の願いはどうやらことごとく聞きどけられないようになっているらしい。
「あっ、この傷……この形……父さん? 本当に……父さんのものなのか?」
「だからそう言っているではないですか」
「父さんはいったい……」
「えぇ、動かなくなったのでその場に埋めてきました」
「―――っ!」
そこまでが限界で、そこでようやくすべてを悟ったのだろう。
自分が帰るべき場所がもうないことと、
自分を迎えてくれる人がもういないことを。
だからこそ、限界に到達したプリスは、俺が決して越えないようにと祈っていた最後の一線を、
「きっ、さまぁああああああああああああああああああああああああああああ!!」
涙と絶叫と共に踏み越えた。
同時に、これで勇者はプリスに手を出せるようになる。
ただの一般人だったプリスは、この一件で大罪人の汚名をかぶった。
要するに、
「殺してやるっ!!」
怒号と共に、携帯していた双剣を抜刀。アクトを発動しながら勇者に切りかかったのだ。
プリスが使ったアクトは《レストレス・ブレイド》。
両の二刀による間断のない十三連斬撃を放つ、コッレンテ流の大技だ。
だが、当然勇者はその攻撃を平然と受け止める。俺をとらえていた鎖を盾に変化させ、魔力の輝きを纏わせながら二本の剣の連撃を、無数の火花を飛び散らせつつ受け止めきった!
その盾に宿った魔力の光は、恐らくアクト狩りで奪い取ったどこかの流派のアクトの者だ!
「グレンデール流戦盾術っと。さて、これで正当防衛成立。これより、反撃を開始します」
「っ!?」
そして、攻撃がいなされて大きく体勢を崩したプリスに向かって、盾から変身させた片手剣を振り下した!
「ドリリード流片手剣術!!」
このままでは間違いなくプリスは斬られる!
だがしかし、そこで俺に嬉しい誤算が訪れる。
どうやら勇者のあの変幻自在の首飾りは、変身できる形に限りがあるようだ。
おかげで俺をとらえていた鎖はなくなった。
自由に動ける!
ならやることは一つ、
「プリス頭さげなっ!」
「っ!?」
忠告。同時に、俺はホルスターに収めていた拳銃を再度引き抜き、銃口に殺気を収束させ、プリスごと貫くように勇者へとその殺気を放った。
幾ら激昂していたとはいえ武人の本能が働いたのか、俺の殺気が貫くライン上にあった頭をはじかれたように下げるプリス。それによって俺の殺気は一直線に勇者の眉間に突き刺さり、
「っ!」
「頭がたけぇよ、勇者」
思わずその体をひるませる。
ギャングは常日頃から命のやり取りをしている人種だ。当然、殺気の扱いにも慣れており、歴戦のギャングは放った殺気だけで下っ端の膝を屈させるという。
俺はそこまでいっていないが、収束した殺気を相手に浴びせて怯ませることくらいはできた。
それで今は十分だ。
プリスが到着したということは、
「いるんだろっハウェルグ! ノルドっ!! トンズラすんぞっ!! 煙幕ぶちまけて、プリスとジジイを回収しにこいっ!!」
「「はいっ!!」」
《宝石獣亭》に先に送られていたらしい組の若い連中も到着しているということだ。
俺の言葉に反応し、即座に影になった裏路地から発煙筒が無数に舞い踊った。
色とりどりの極彩色の煙が辺り一帯を満たし尽くす。
「ぐっ! 何だこれは……!」
おまけに一つは希少な香辛料を使った、催涙効果付きの煙だ。貿易を主な産業とする港町ならではの贅沢兵器にさすがの勇者もたまらず悲鳴を上げていた。
そんな勇者を置き去りに、煙の中でうごめく影が俺のそばにあった爺さんと、勇者の目の前にいたプリスを回収した気配を感じる。
その際、
「離してっ! 殺してやるっ!! あの腐れ外道……殺してやるっ!」
「お嬢落ち着いて! さっきのやり取りでわかったでしょう! 今は絶対勝てないっすからっ!!」
という声が聞こえたが、幸い催涙効果をもろに食らっている勇者はそれを追いかける暇がなかったのか、勇者の気配はその場から動くことはなかった。
それに俺はほっと安堵の息をつきながら、
「覚えていろよロードラン」
「はい?」
「俺達のファミリーを手にかけた……その落とし前はきっちりつけさせてもらうぞ」
精一杯の捨て台詞だけを残して、その場から素早く立ち去った。
今の俺には……そうすることしかできなかった。