貴族の訪問と道場破り
酒場の奥に控えている、ルキアーノファミリー本邸。
中庭を挟んで、二階建ての酒場の陰に隠れるように建てられているそれは、小さいながらも作りはしっかりとしたものをしており、構成員同士が戦闘の腕を磨く道場や、住込みの構成員たちが暮らす寮まで完備している、背は低いが横に広い、敷地面積を多くとる建物であった。
二階建てが基本であるイウロパの建物にしては珍しい、その平屋建ての建築物は、なんでも数代前のルキアーノの先祖が、東方のある島国で見た建物をリスペクトしているらしく、草を編まれて造られた床材――畳や、木材と漆喰なる物が使われた壁が特徴的で、築二百年近い歴史をもつ、ルキアーノファミリーの誇りと言っていい建物だった。
その建物の中にある、小さな応接室に、現在二人の男が向き合って胡坐をかきながら座っていた。
「久しぶりだな、ローガンのクソガキ。爵位貰ったっていうのは本当だったか?」
一人は老境の域に入った巨漢の老人。所々に白いものが混じってはいるものの、いまだ豊かに生えそろっている紅い髪は、敵の返り血によって赤く染まったのだと噂された血濡れ髪。
頬には大きな裂傷が走り、その老人が歴戦の雄であることを雄弁に語っていた。
彼こそがドン・ルキアーノことバラトーガ・ルキアーノ。この町の闇を自らの腕っぷしで切り開き、自身の傘下に収めた大豪傑だ。
もっとも、いまは歳をとったがゆえにいろいろと丸くなっており、暴れることもめっきりなくなった、若干口調が粗雑なだけの隠居老人だが……。
「その節はご挨拶できずに、誠に申し訳ありませんルキアーノ殿。何せいきなりなことだったので、当方も少々対応に追われていましてな……」
そんなバラトーガと相対するのは、若干青みがかった白髪を貴族らしく綺麗に切りそろえ、両サイドではねる口ひげを生やした中年男性だった。
ローガン・シュヴァリエ・ド・コッレンテ。もともとはショートソード二刀流を使った武道を教えていた町道場の道場主だったのだが、依頼によって参加していた行幸中の王族護衛で功績をあげたらしく、つい最近騎士爵の爵位をもらった成り上がり貴族であった。
若いころは「悪党バラトーガ討つべし」と、バラトーガにいろいろとケンカを吹っかけてきていた若造だったのだが、年を取りもうそろそろ老境に差し掛かる年齢となった今ではずいぶんと大人しくなり、道場で後進を育てることに尽力していた。
そんな人物がどうしてこのような場所にいるのか?
「さて、ローガンのクソガキよぉ。なんたって貴族にまで至ったお前が、いまさら俺を訪ねにくる? まさか若いころのリベンジってことじゃあるまい。お互いにもうそんな元気はねぇだろうしな。万一貴族になって生やしたらしいその口ひげを自慢しに来たっていうのなら、お望みどおり腹を抱えて笑ってやる準備があるが」
「そんなわけないでしょう。こう見えてもせっぱつまっているのですから、あまり茶化さないでいただきたい」
クククク。と、出会った時から何一つ変わらない人を小ばかにしたような笑みを浮かべるバラトーガに、ローガンは苦虫を噛みつぶしたような顔になりながら、
「バラトーガ殿は、最近噂になっている《アクト狩り》というものをご存知ですかな?」
「……噂ぐらいには聞いているが」
本題を切り出した。
「なんでも《奥義級》のアクトを持っている道場を次々と襲っている連続殺人犯だったか? 一応ウチも200年続く格闘術の名家《ルキアーノ流弾丸術》の道場だしな。アクトをスクロール化もしているし、警戒していちおう情報を仕入れちゃいたが、主な被害は王都だろう? こんな田舎の港町には関係のない話だろうよ」
「えぇ……ですから私もここに来たのです。ここならおそらく安全だと」
「ほぅ……てぇことはつまり、いま《アクト狩り》はテメェが狙っているってわけか? だから、お前はこんな田舎くんだりまで逃げてきたと?」
バラトーガが放った鋭い問いに、帰ってきたのは沈黙だった。
だがしかし、ローガンがその問いを受けた瞬間に浮かべた恐怖の表情が、言葉以上の肯定となってバラトーガに示される。
そんな答えを予想していなかったバラトーガは、心底驚いた様子で目を見開いた。一服しようと思ったのか、懐から取り出していた煙草の箱を取り落してしまうほどに。
「おいおい、軽口程度のつもりだったんだが……。命知らずにも、俺に喧嘩売ってきたころの無謀なお前はどこにいった?」
「勇敢と言ってください……。それにあのころからもう時は流れた。身一つであなたに挑めたあのころとは違い、いまの私は失うのが怖い存在が多すぎる。そして私はいまそれを奪われかねない状態に置かれています」
「あぁ、もうお前もいい年だもんな。嫁さんでもできたか?」
「妻は数年前にはやり病で他界しました。ですが……娘が一人」
「ふん。そうかよ……」
子供を育て、いまや孫までいるバラトーガにも、ローガンの気持ちはわからないでもなかったのか、「それなら仕方ないな」と、微妙な表情をうかべつつ落としてしまった煙草の箱を拾い上げる。
若いころは荒々しかった男を丸くするのは、いつの時代でも家族の暖かさだと、彼自身も身をもって理解しているからだ。
「だが、だとしてもおかしいだろう? お前さんは一流の武闘家。おまけに貴族に取り立てられるほどの実力者だ。たかが強盗如き、襲撃されたところで、自力での撃退くらいできるだろうが? そんなお前が逃げの一手とは……まさか、その《アクト狩り》ってやつ……相当ヤバい奴なのか?」
「それは……口にすれば、あなたも巻き込んでしまいかねないので」
「マジかよ……」
この世界で、そう言われるほど恐れられる存在など数えるほどしかいない。そして、そのうちすぐにあげられるのが、
「国の暗部がらみか……それとも、イリス教の《カルトック派》が所持する異端狩りの《処刑騎士団》か?」
「……そのどちらでも。あの、余計な詮索は」
「あぁ、わかっている。そいつらじゃないとなると、あとは面倒くさい連中が目白押し黒社会の重鎮共になりやがる。俺だってもう年だ。藪をつついて蛇を出すつもりはないさ」
「……忝い」
どこかホッとした様子で安堵の息を漏らすローガンに、バラトーガは内心で忠告をしておく。
――だがなローガン。べつに口にしなくても、お前の態度である程度の目星は付けられるんだぜ? お前がここで安心するってことは、黒社会の重鎮連中という俺の予想が外れたからだろう? そうなってくると、もう後に残っているヤバい連中というのは一つしかない。
自身が思い描いたその存在の厄介さを知るがゆえに、どうやら本気でヤバい事案に首を突っ込みつつあると悟ったバラトーガは、「はぁ……」と大きなため息をつきながら、
「それで、お前がそのアクト狩りから逃れてきたっていうのは分かったが、俺をわざわざ訪ねてきた理由についてはまだ不明なままだったな? 巻き込みたくないって言ったところで、まさか《アクト狩り》を撃退するのを手伝えってわけでもないだろう? いったい何が目的だ?」
「それに関してなのですが……」
どうやらこちらの話が本題だったらしく、先ほどまでの怯えた様子は鳴りを潜め、大切な何かを守る戦士の顔つきになったローガンは、
「どうか我が娘を、この件にけりがつくまで、あなたの庇護下においていただきたいのです。バラトーガ・ルキアーノ。もはやあの子を安心して預けられるのは、あなたしかいない」
仇敵と言っても差し支えない男に向かって、躊躇うことなく頭を下げた。
■■■
「ったく、敬語のケの字も知らんような爺さんが、幾ら知り合いとは言え貴族と二人きりで会談だと!? どう考えても不敬罪で頭が胴体から落とされるって!! お前ら何で止めなかった!?」
「ちょ、若待ってくださいっ!」
「大丈夫ですって、ほんとあいつとドンは昔なじみで、若が心配されるようなことはないですから!」
「んなわけあるかっ! 相手は貴族にまで成り上がるような奴だぞっ! きっとプライドの高い、居丈高な奴に決まっているっ!!」
脳内に、爺さんを跪かせて悦に浸っているクソいけ好かない金髪デブという、典型的な貴族の姿を思い浮かべながら、俺は急ぎ応接室へと向かっていた。
「爺さん、下手こいて貴族の不興なんて買うんじゃないぞ。不敬罪に問われて処刑命令なんてされてみろ。そんなことになったら……ファミリー総出で、国に喧嘩売らなくちゃいけなくなるからなっ!」
「あ、そこは不敬罪に訴えられたドンを素直に差し出すって言わないんですね……」
「は? 当たり前だろう。ファミリーの頭理不尽に殺されそうになってんのに、なんで素直に従わなくちゃいけないんだよ」
――気にくわないなら誰だろうが叩き潰す。それが俺たちルキアーノファミリーの流儀だろうが。
餓鬼の頃から耳にタコができる程に教え込まれた『家族は大事にしろ』という言葉を脳内で反芻しながら、俺は万が一貴族に喧嘩を売られたときの対応を考える。
「とりあえず訴えやがった貴族は血祭りにして町の入口にでも晒すか……」
「あの若。燃え上がっているところ悪いんですけど、ドンがうまく交渉しているという可能性とか考えていないんですか?」
「爺さんが貴族とまともな交渉? はは、無理無理」
「若は若でけっこう失礼ですよね?」
――何言ってんの? 粗野って言葉が服着て歩いているような爺さんに、そんな真似できるわけないじゃん?
そんな気持ちを込めて笑い声をあげる俺に、ノルドがどういうわけか半眼を向けてくる。
――何故だ? 当然のことを言っただけだろう?
俺がノルドの呆れたような視線を、心底不思議に思っていた時だった。
ちょうど通り過ぎようとした、邸宅内にある道場の入り口から、
「ぎゃぁああああああ!?」
大きな悲鳴を上げて、普通の平民と変わらない、動きやすそうな頑丈な服を着たうちの構成員の一人が、まるでぶんなげられた石ころのように飛び出してきた!
「は?」
廊下の壁にたたきつけられ、すっかり伸びてしまうその構成員に、俺は思わず動きを止めた。
正直爺さんの安否がどうとかよりも、目の前のとんでもない事態に一瞬意識が向いてしまったのだ。
そんな俺の意識の隙を縫うように、
「どうした? この程度か? レヴィエルにその名をとどろかせた大悪党――《ギャングスター》バラトーガ・ルキアーノ率いるルキアーノファミリーの稽古場だというから覗いてみれば……どいつもこいつもたいしたことのないザコばかりではないかっ!」
道場の中から響き渡る威勢のいい声。
「なんだこりゃ?」
「あぁ、貴族の方と一緒に道場破りも来てまして……」
「道場破りだぁ!? またうちのアクト欲しさに、バカが乗り込んできやがったのか!?」
アクトが世に普及してから、たびたびこういった馬鹿が発生するようになったのは、世間ではもはや周知の事実。なんでも道場主をぶち倒して、楽にアクトを入手すれば、自分も一流に戦士になれると勘違いした馬鹿が、たびたびこういった風に道場を襲うことがあるのだ。
当然、普通に考えればそんなバカ相手にきちんと訓練しているはずの道場が遅れをとるわけがない。うちの《ルキアーノ流弾丸術》もたびたびそういった馬鹿道場破りの襲撃を、構成員たちが退けていたわけだが……。
「どうやら今回のはずいぶんと威勢のいい奴のようだな……」
「いや、そのですね若。実はその道場破りというのは……」
「ちょっと見てくる。このまま舐められたままじゃ示し持つかんし……。爺さんの方は、まぁ最悪国に喧嘩売るだけだからいいか」
「よくない! よくないですよ若っ!?」
「というか人の話を聞いてくださいよ!?」
暴力を生業とするギャングにとって、他人に舐められるということは最も忌避するべきことである。それこそ、どうとでもなるファミリーの身の振り方よりも大事なことだ。
なにせ、法律を守らないがゆえに法律に守られない俺達を守る唯一の鎧が、その暴力であるからして……。それに力がないと他人に思われてしまっては、敵に攻め入らせるかっこうの材料になる。
そうなるとまた調子に乗ったバカが増えて、妙に喧嘩を売ってくる連中の数が増えることになる。下手をすると王都の地下に根っこを張っているらしい、大型マフィア組織も出張ってくるかもしれない。
そいつらを撃退すること自体は難しくないし、あんまり鬱陶しいようならどこか適当な組織を壊滅させて見せしめにするだけだが、当然それにはそれ相応の手間がかかるわけで……正直遠慮しておきたいのだ。
――それに比べたら、ここで名誉挽回しておいた方がはるかにてっとり早いだろう。爺さんが粗相しちゃったときは……まぁその時はその時だと諦めよう。国と黒社会連中を同時に相手どるよりかは何ぼかましになるだろう。
と、俺はひとり諦観の笑みを浮かべて割り切りながら、道場で威勢よく声を上げる道場破り殿の顔を拝見しに、道場へと上がった。
俺の入室に気付いた何人かの構成員が、パァッと冷や汗を流していた顔を明るく輝かせる。
――そんなに追いつめられていたのかお前ら……。
なさけねぇ……。と一喝しようか迷ったが、もしかしたら相手が相当な手練れだったのかもしれないと思い直し、ひとまず敵の観察をしてみる。
道場の中央に立っていたのは、長く伸びた青い髪を後ろでまとめた、ポニーテールの人物だった。騎士が着るような動きやすく頑丈な訓練服を着こみ、両手に一本ずつ持つのは、ショートソードと同じ長さをした木剣。
――ショートソードの二刀流? 珍しい武装を使っているな。
背後から観察しつつ、俺が驚いていると、
「情けない。もういい、お前たち門弟では話にならんっ! 道場主……それが無理ならば師範なり高弟なりを連れてこい!!」
「呼んだかよ、はねっ返りのクソガキが」
「なっ!」
どうやら、そろそろ構成員たちでの腕試しに飽きてしまったらしく、けたたましい声で俺を呼び始めたので、意趣返しついでに俺は背後から近づき、道場破りのケツに蹴りを放つ。
基本がしっかりした武道者の立ち居振る舞いをしていたが、あいにく不意打ちだまし討ち上等なギャング戦闘術を修めた俺にとっては、正規武術の構えなど隙だらけ同然だ。
俺の蹴撃はあっさりと道場破りのケツをジャストミート。
「キャン!?」
そんな可愛らしい悲鳴を上げて吹き飛ぶ道場破りに、思わず笑い声を漏らしながら、
「くくく、ずいぶん可愛らしい悲鳴じゃねぇか。道場破り殿」
「こ、このっ!?」
「威勢がいい割に隙だらけだな? うちの構成員を一蹴したのはまぐ……れ」
だったのか? と、言いかけたときに、俺は自分の過ちに気付いた。
構成員たちが手を上げられなかったのは、べつに相手が強かったからとかそういうわけではなく、
「貴様っ、背後からの不意打ちなど恥をしれっ! 粗野だ粗忽だと思っていたが……もう許さん! 決闘だっ!! 真剣を用意してくるから、貴様も武装を持ってこいっ!!」
キャンキャン子犬でも吠えるかのような、甲高い声で俺に噛みついてくるのは、ケツをけられて顔を真っ赤にし、只でさえ釣り目気味だと思われる瞳をさらに吊り上げ怒りの感情をあらわにする、
「しまった……」
たわわに実った胸部装甲を揺らす、俺と同い年くらいの女であった。




