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戦国哀話  「おつる淵の伝説」  武蔵国の北条氏の支城に伝わる、

作者: 舜風人

時は戦国時代の真っ最中。

天正18年のこと、たびたびの上洛要請にも全く応じようとしない、北条氏政の態度に業を煮やした秀吉は

ついに全国に北条征伐の大号令を発するのである。瞬く間に秀吉は20万の大軍団を組織して小田原へと攻め上ったのである。


そもそも北条氏。より正確に言えば「後北条氏」というのは、一介の素浪人である北条早雲が、時世の波に乗って頭角を現し、小田原城を中心としてやがて、関東管領上杉氏を撃破して、関八州に覇を唱えてから100年、

代々の当主が英明で。世に言う北条五代の栄華を極めた関東の名門武家であったのである。


が、、その4代目の北条氏政は、世にいうお坊ちゃん育ちであり、家臣の意見を聞き入れずまた性格は傲慢であり、関東の覇者を気取って虚勢を張り、秀吉の実力を過小評価して、ついに、世の趨勢を見誤り、ついに北条家を滅亡へと追いやった暗君、(愚かな当主)として知られているのである。


さて北条征伐の軍は二手に分かれ、秀吉の率いる主力は小田原をアリのはい出る隙もないほどに取り囲み、

一方、上杉・前田。真田軍を主力とする別動隊は中山道を北上して、碓氷峠を超え、名胡桃城を落とし

忍城(「のぼうの城」という映画見ましたか?)を水責めにして取り囲み、鉢形城を取り囲み、落城させ、

北条の支城をほぼ攻め落として、ついに小田原、本城を孤立させるにいたったのである。

ここにきて「小田原評定」も万策尽き、あの名城「小田原城」もついに落城し北条氏100年の栄華は壊滅したのである。


さて、今回は、

武蔵の国のとある北条方の支城に伝わる、悲しい伝説。仮称(仮題)「おつる淵の伝説」として戦国の世を生きた庶民の悲しいお話を、ここにご紹介する次第である。

いつの時代も割を食うのは庶民なのですね。

大きな時代の激浪に翻弄されて、哀れな庶民は木の葉のように、きりきり舞い、いつだって一番ひどい目に合うのが庶民なのです。


それでは、、、、、。



「おつる淵の伝説」


時は天正時代の武蔵国。北条方の支城がいくつもある中のここはとある支城だった。

その支城の支配地域の、村里に、おつると市蔵というとっても、中の良い百姓夫婦が住んでいたそうな。

おつるはこの春に嫁に来たばかりで、とても愛そうがよくてしかも働き者だった。

市蔵もまた、とても働き者で朝早くから日が暮れるまで、毎日田畑に出て人一番働いていた。

おつるさんは家を切り盛りして、忙しく働き、昼時に、なると、弁当を心を込めて市蔵のもとに運ぶのが

楽しみだったそうな。

やがて春も過ぎ、夏も過ぎ、、秋の取入れも豊作で、冬も過ぎて、また再び春がやってきた、

この一年は戦もなくてこの里は平穏だった。時折の夫役でお城の堀を掘り深めたり、

城の柵を補強するような仕事(人足)はあったが戦自体はここのところこの里ではなかった。


「いつまでもこんな平和が続けばよいのになあ。」若夫婦は田の畔に腰を下ろしてそういって見つめあうのだった。ところで、夫婦には普段は農耕馬として使っている馬がいて、時折この馬に乗るのが楽しみだったのだ。川渕を二人で馬に乗っている姿を村人もほほえましく見守っていたのだった。

時は春。

近くを流れる小川には野の花が咲き乱れて、この里にいつまでも平和が続くかにも見えたのだったが、、。ある日のこと、村人たちがひそひそとこんなことを言うのを聞いたのだった「なんでも大きな戦 (いくさ)が始まるっていう話じゃないか」

市蔵の家は代々この支城の伝令使をしており、戦が始まればすぐ城に出向かなければならなかったのだ。

市蔵は畑仕事をしていても、考え込むことが多くなった、

そんなある日市蔵がいつものように昼時、畑で、おつると一緒に、弁当を食べていると、、突然、お城から、戦の招集を告げるほら貝の音が聞こえてきたのである。

「ブオー、ブオー」村は騒然となり、村民はみんな「戦だあ。戦だあ」と口々に叫びながら、

それぞれの軍役の支度をして、急いでお城にはせ参じるのだった。

市蔵とてもおつると別れを惜しんでなどいる暇はない、。もし参集が遅れればきついお咎めが、つまり罰が課されるのである。市蔵は先祖代々の槍を持ち出し、旗を背中につけて、慌てて城へと参集したのである。もちろん、刀や甲冑などあるはずもない、普段は百姓で、ことあれば俄か武士(足軽)というのが正体なのであるから。


見送るおつるは「市蔵さん、どうか無事で帰ってきてね」とただただ、祈るばかりだった。

さて市蔵がお城にはせ参じると馴染みの百姓たちもすでに来ていた。

集まった百姓たちは手に手に鎌や鍬を持っている者もいた、俄か足軽に刀や甲冑があるわけもなかったのである、。

城内は、北条の武士と俄か百祖(足軽)。合わせて2000人で膨れ上がっていた。

しばらくすると、前田。上杉軍がこの支城にも攻め込んできた。寄せては返す攻撃に、多くの百姓足軽たちがむなしく倒れていったのである。そうしてあの市蔵も、飛んできた弓矢にあたってあたら若い命を落としてしまったのである、。


そんなこととはつゆ知らずおつるは、村はずれに、隠れていくさが終わるのをじっと待っていた。

するとどこかで「お城が落ちたぞう。お城が落ちたぞう。』と叫ぶ者の声がする。

そうしてお城のほうから村人が命からがら逃げ伸びてくるのを見たのである。

「え?お城が落ちたの?市蔵さんは無事かしら?」

おつるは必死に、、逃げてくる村人に聞いた。と、、そこに、、知り合いの、権蔵が傷だらけで逃げ伸びてくるのを見つけて、おつるは必死で聞いた「市蔵さんは無事なの?」

権蔵は傷だらけの姿で答える「市蔵さんは流れや矢にあたって死んじまっただよ」

「え?ウソ?市蔵さんが死んじまったなんて嘘よ、そうでしょ?」

だが権蔵の答えは同じだった。その夜、おつるの泣き声がいつまでもいつまでも続いていた。


戦の夜があけて、、朝がやってきた。、。村はひっそりと静まり返り、戦は終わってお城は完全に、落城していたのだった。上杉前田の軍勢も、落城の処理の少人数の兵を城に置いて本隊は次の目的地に向かって移動し去っていた。上杉前田の軍も去り、、、

村は再び静けさが戻りつつあった。

ふとそのとき、、

小川のほうから馬のいななきがするので、不審に思った村人が行って見ると、、、川の岸に、市蔵とおつるがかわいがっていたあの馬が悲しそうに川の中を覗き込みながら、たたずんでいた。


「なあんだ市蔵の馬でねえか。。こんなところで、、』と言って村人が川の中を覗き込むと、、

川の底には、おつるの死体が沈んでいた。

「おお、おつるさん、、。」村人が慌てて引き上げると、おつるの胸には懐剣が深々と突き刺さっていた。

「かわいそうによう、、。市蔵の後を追って自分までも、しんじまうなんて、、」


村人はおつるの遺体を引き上げて、、そうして、手厚く、川岸近くの空き地に埋めたのだった。


そうして

いつからか

誰言うともなく、、

この村では、

この川淵のことを、「おつる淵」と呼ぶようになったのだそうな。




おそらく戦国の世にはこのような


名もなく、むなしく、死んでいった無辜の庶民がほかにもたくさんいたことであろう。

このお話はそんな多くの庶民のたどったであろうたくさんの悲話の中からの一つのお話(伝説)なのである。







終わり

















(注)この物語はフィクションです。














































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