031.魔女ふたりに導かれ、夢の中で魔法の特訓
アデルの祖母、エリーザはおれの顔を覗き込んだまま、こう続けた。
「四つの太陽と四つの月が揃ったその日から七日目に、四神剣は最大の威力を発揮する」
「ママが言ってるのは、今はもう無くなっちゃってる予言の書のページ、後半部分よ」
おれの背中にぶら下がる幼女姿のアデルの母、イザベルが言う。
すっかり影の薄くなったライオン耳のネイチャー、ジシスは暗闇の中でおれたちを凝視していた。やつほどの大男でも魔女たちは怖ろしいのだろう。半ば口を開けて突っ立ってた。
エリーザは形のいい唇をフっと上げた。
「四神剣をもつ四人の勇者は封印されし魔神像に、四神剣を突き立てる。そして…」
エリーザの沈黙。
「そして?」
おれは言葉の続きを待った。
「おわり」
エリーザはにっこり微笑んだ。紫のアイシャドウと藤色の髪の毛が微妙にマッチしていて、そこいらのアジサイよりもパープルなマダム。
「は?」
「そこで予言の書は終わり。今となってはそのページすら虫食い状態だしね。平和か破滅か。神のみぞ知るってことね。うふふ」
「完全な状態で予言の書を読んだ人はいないんですか?」
「書かれたのは四大陸で各内陸戦争が勃発、終結した三百年前。残念ながら、予言の書を読める人間なんて限られてるし、この国にはそこまで長生きなお年寄りはいないわ。ただ、だいぶ昔まで保管も完璧だったはずなのに魔虫に紙を食べられたのはなぜかしらってことになるけど」
つまり大昔から虫食いってわけか。エリーザは他人事みたいに笑う。なんていうか銀座の高級クラブのママが安保法案について語るように。
おれは嘆息した。
予言の書なんてものがある世界じゃ運命はあらかじめ決められてるわけで。英雄たるこのおれが、どんなにあがこうとも意味がないのではないかと、どんより気が重くなった。
天を仰ぐ。
路地裏の空は薄汚れた建物の隙間で眩い星を降らせていた。いつか見た長野の空を思い出した。守るべき価値がある世界。建物の向こうに隠れてしまったが満月もあった。この世界の住人は明日が来ることを疑わず、宴を開き、眠りに就いてゆく。
「決められた運命なんかクソくらえだ。おれを特訓してください」
おれは日本式のお辞儀をする。
エリーザとイザベルはふふふ、と笑い、おれにある指示をした。
◆
おれとアデルは、宴の会場となった噴水広場からさほど遠くない宿に泊まる事になった。商店の連中と衛兵たちがカネを出し合って用意してくれた、ここらで一番いい宿らしい。
五階建ての建物で田舎町の公民館くらいの大きさ。おれが案内されたのは五階の一号室。アデルは二号室。ホビットの支配人いわく、この五階は貴族が宿泊するためのスイートルームだとか。
おれは自分が貴族でないことを正直に告げる。支配人は笑いながら「爵位などなくとも、今日のご活躍は聞いております。ゆっくりお寛ぎください」と返して頭を下げた。
小さな魔法陣の描かれた細い鍵を差し込みドアノブをまわすと、そこは学校の教室ほどの広さはある部屋。
漂白されたような壁とカーテンは寝室照明によってミルクティー色に染まってる。応接テーブルにクローゼットに、そこそこの調度品。キングサイズだかクイーンサイズだか知らないがその上でプロレスができそうな巨大なベッドが扉を開けて右側の壁にぴったりとくっついていた。
◆
「創司さま。ほほほほほ、本当にいいんですか?」
五階一号室の、おれの部屋。枕を並べた左隣には、アデル。
おれたちは宿で貸し出ししてるパジャマに着替え、さっさと横になったおれとは正反対に、アデルは布団の中に腰から下をもぐりこませた状態で座ってる。
「問題ないだろ」
「ででで、でも、町の方たちは二つお部屋を用意してくださったんですよ?」
「何かあったとき二人でいた方がいい」
おれはサラっと答えてアデルの逆の方向を向いて寝たふりをする。いやいや、冗談じゃない。心臓が破裂して口から吐血しそうだった。一メートルも離れてない場所に女子がいて今から一緒に寝るんだから尋常じゃない。
だが、エリーザとイザベルに指示された以上、しょうがないわけで。理由だってちゃんとある。
「早く寝ろよ」
おれはぶっきらぼうに言う。「はい」とアデルは答え、おれと同じように布団に潜った。視線を感じる。おれの背中を見つめるような向きで寝てるな。おれはいよいよ心臓を吐き出しそうになる。
そして十数秒の沈黙のあと、
「昨夜おっしゃってた、創司さまの正義をなすという言葉…兄を思い出しました」
アデルはぼそっと言った。
「兄貴がいたのか」
「兄は亡くなったことになっているのですが、時たま私に会いにきてくれたんです」
おれに説明するというよりは、独り言みたいなそんな感じの不十分な言葉。
「どういう意味だ」
「複雑な家庭で育ちましたので。いずれまたお話します」
そう言ってアデルは向こう側を向いて寝息を立て始めた。無理もない。一日中、緊張状態が続いてたわけだから。アデルは布団の中で魔法の杖をしっかりと握っている。手の平には何かしらの魔法陣が書かれていて誰かに奪われないような魔法の細工がしてある。
アデルが寝入った数分後、おれもそれに引っ張られるようにして意識を失った。
◆
意識が戻る。目をゆっくり開くと、空と世界の境界が曖昧な濃霧。
慌てて自分の足元を見る。おれは湖か海の水面に浮かぶ小さな岩礁の上にしゃがんでいた。右肩から四神剣を背負い全裸の状態で。
ミルクを水で薄めたような霧の向こうに二つの黒い影。
「どうにかアデルを介して、創司の夢に入れたみたいね」
アデルの母イザベルの声。
「身体は休めなくちゃいけないけど、寝てる時間がもったいないから。創司くん、こんな提案してごめんなさい。でも、これもあなたの為なの」
エリーザの声と共に、二人はおれの目の前に姿を現した。
水面から数センチのところで浮いている。魔法使いの帽子にマント、魔法の杖。さっき会った時と同じ姿。
「今日はたまたま運がよかったけど、予言の書はあなたの命まで保証していない。所詮まだ勇者候補なのよ」
イザベルはそう言うと、子供のようにしゃがみ込んで水面に指を入れて遊び始めた。
「予言の書の勇者とは四神宝玉を保持する別の誰かを指してる場合もあるからね。いずれにせよ、あなたはさっき、決められた運命なんかクソくらえだ。おれを特訓してください、って言ったでしょ?私たち悪あがきする男が好きなの」
エリーザは魔法の杖を天に翳し雷鳴を轟かせた。
「男に二言はありません。おれを殺す気で特訓してください」
おれは声を張り上げる。
「私たちは何もしない。今からこの世界でスペシャル級天変地異を起こすわ。天が狂い泣き、大波がうねる。創司くんの今、立ってる岩礁なんてすぐに海の底よ」
エリーザの魔法の杖に取り付けられた紫水晶が眩く輝く。
「え?」
「大丈夫。何度死んでも生き返るわ。ここは夢だからね」
イザベルは水遊びを中断し、ヒョイとエリーザの肩に乗っかった。
「夢だから、火と闇以外の魔法属性も使える。想像力だけで天変地異を生き延びなさい」
エリーザはフフフと笑い天に昇りフっと消える。
「ま、まさか…そんな特訓アリかよ」
物理的実用と象徴的応用。魔法には想像力が必要だとは知っていたが、こんな全裸で四神剣だけでなにができるというのか。
「待ってください、やっぱり今日だけはゆっくり休みた…」
そう言いかけたおれをよそに、天が稲光をみせ台風が吹き荒れそこかしこで竜巻が発生。荒れ狂う水面。向こう側にゆっくりと迫り来る津波が見えた。
おれはガチガチ震えながらでたらめに魔法詠唱をはじめる。




