71話 ルオットチョジクとの出会い
「リンネル!」
雪猿の群を全て片付け、急いでリンネルの下へと向かうと、リンネルと敵がそれぞれ横たわっていた。
地面には蔓や杖に小鎌が散乱し、周辺の地形からは激しい攻防戦を物語っていた。
敵の方は既に息絶え、リンネルに何度と声を掛けても返事をする様子はなく、息も少し荒い。
「……うぅ」
「待ってろ、今治療する……ゲヘナ・ハーヴェ」
ゲヘナの闇から治療道具や毛布に着替え、食糧、さらに下級のレムルースなども魔力を温存するために一辺に色々と出す。
すぐに暖を取るための火を起こし、リンネルを布の上に寝かす。
まずは状態を確認するためにワンピースを脱がし、身体に異変が無いかの観察をする。
頭、首、胸、脇、太腿といった急所に出血や魔法の類いを受けた形跡はなく、右腕の肘が反対に曲げられ、肋骨の辺りが赤く腫れているだけだと分かる。
口からは血のような臭いがないため、肺の損傷も見られない。
あとは脊椎を損傷していないかだが、一先ず命に別状がないことは分かった。
「……我慢してくれよ」
「イっ!?」
俺はリンネルの肘を正常に戻すため捻る。
耳に張り付く呻き声に堪えながら、背中と肘に湿布と包帯を巻き、折れた腕はギブスで固定させて、服の代わりに毛布を被せる。
「ここまでが人の治療だ……頑張れよ植物種」
魔物の回復力は人よりも優れている。それは治療のために、自身の魔力を消費しているからだ。
しかしリンネルの状態を見ると、怪我と同時に魔力も枯渇しかけていた。
逆説的に、怪我を治させるには魔力を始めに回復させる必要がある。
そのためにゲヘナから取り出したリンゴとブドウを手に持つ。
マカリーポン姉妹の生産する果物は、食べると僅かだが魔力を回復させる優れ物である。
しかし俺はダンジョンを離れている場合、食べても魔力が回復しないと分かったので、今まで大事に取っておいた。
それを今、リンネルへと食べさせるのだが。
「どっちがより効果的なんだ……ほらリンネル、食べられるか?」
「ぅ……」
口元にブドウの粒を持っていくも、微かな声を出すだけで、口は寸とも動いてくれない。
リンネルの食事方法は、経口摂取と、根の足による吸水の二通りがある。
試しにリンネルの根にリンゴを握り潰し、果汁をかけるが、吸水している様には見えない。していたとしても、力は弱く魔力の回復には役立たない少量である。
やはり胃の中へと直接入れた方が効果はあるのだろう。
「……悪いリンネル、恨み言ならあとで何度だって聞く」
「ぇ?」
薄く目を開け、声にならない声と、少しだけ頭を傾げて反応をしてくれる。
俺はブドウの粒をいくつか口の中へと放り、噛み始める。
リンネルの反応が薄い以上、残された方々は口移ししかない。
所詮これは素人観察のため、もしリンネルが命に関わる状態かもしれない不安があった。
少しでも抵抗力を高めるため、魔力の回復を優先したかった。
「それでも、お前の命が大事なんだ」
「んん、ぅぅ」
有無を言わさずリンネルの顎を少し持ち上げて、口の中へ直接咀嚼物を流し入れる。
喉の奥へと流れるように舌を使うと、リンネルも無意識に舌を動かし、絡み合いながらもゆっくりと嚥下した。
「はっ……もう少しだけ、我慢してくれ」
「あぁぁ、うぅぅ」
さらに残った実も咀嚼して、次々とリンネルの口内へ流し込む。
二度目からは慣れたのか、舌が絡むことなく円滑に嚥下してくれた。
これでリンネルの魔力も少しだけ回復をしたはずだと、唇を離す。
しかし安心感がどっと押し寄せて来ると、唾液で繋がった細い糸、唇の端から垂れる血のような紫色の雫、たった布一枚だけの恰好、紅潮した顔と虚ろな瞳、などが事後を思わせる煽情的な光景に見えてしまった。
いかんいかん。
あんな感触記憶になかったからって、変なことを考えるな!
これは治療行為で、相手は少女で、娘みたいな存在に何を想像していた俺よ……。
今は、リンネルの容態に意識を集中するべきなんだ。
大きく深呼吸をしてから気を締め直すと、リンネルと目がしっかりと合い、何か言わないといけない間が生まれる。
「見事だ。一人で上級を退治するとは、実に見事だ。だからリンネル、お前は安心して眠ってくれ」
「…………、……はい」
小さな頭をそっと撫でながら、素直な気持ちを伝えると、くすぐったそうな顔をしてから、微かに返事をしてくれた。
俺が駆けつけた時よりも、だいぶ具合を良くしたリンネルは、深い眠りに入った。
しばらくリンネルを寝かせていると、眷属にしたばかりのトムテ全員が槍を携え現れた。
「ぼくたちなにか」
「はたらけませんか?」
その声はリンネルを気遣っていたのか、とても小さな音をしていた。
俺は雪猿たちを撃退したのち、トムテには魔石などの回収と待機を命じていた。
「あ、悪い。帰りが遅くなって……」
「いえいえー」
「おんなのこ、がんばってたの」
「ぼくたちもわかる」
妖精種は本当にいい奴だ。話が分かって、気遣いもできるとか、眷属にして本当に良かった。
俺はついでに仕事をお願いする。
「A班はあの方角に、リンネルの落とした服や道具があるはずだ……回収してきてくれないか?」
「りょーかいでしゅ」
「B班はリンネルの体調に問題がないか、診てくれ」
「おまかせあれー」
エーもビーも即興だが、勝手に二班に……それもA班に人数が多く別れて行動を開始する。
こいつらは想像以上に優秀なのかもしれない。
「それでリンネルの容態に問題ないか?」
「だいじょーぶでしゅ」
「ゆめのなかは、ぴんくいろでしゅた」
「あ、うん、分かった……ありがとう」
ピンク色かぁ……この際口移しは墓場まで持って行こう。
意識したら負けな気がしてきた。
しばらくするとB班が焚火の蒔や、リンネルのためにと栄養のある野イチゴなどをエスキモーから持って来てくれた。
夕方まで寝かせばリンネルを背負って帰れるほどに、落ち着くだろう。
「しっかし、こいつはどうしようか」
目の前にあるのは、上級雪猿の死体。
残り魔力も少ないために、ゲヘナの使用には些か抵抗があった。
「ん?」
すると風が吹いてもいないのに、ローブがバサバサと揺れる。
そういえば、リンネルの護衛に専念したいため、眠りの呪いが掛かるローブを脱がないといけないことを思い出す。
しかし脱ごうとした矢先、ローブからは二本の金色の触手が独りでに生えた。
「お、ま、何勝手に出て来てんだよ!?」
魔法道具のローブが生物のように自由に動くってことはあるのか?
いや、あった。
それはバルに渡した呪剣や、メアに上げた魔本がそうだった。
『シャー』
そして触手の先端に口が出来ると、獲物を奪い合う蛇のように、バリバリと雪猿の死体を食べ始めた。
あ、おい、魔石の回収もまだだったのに……。
見事に死体を平らげると、おもむろに何もなかったかのようにローブの中へと戻っていった。
「……は?何がしたかったんだ?」
しかし変化はすぐに現れる。
先ず呪いが限定的に解除されたこと、さらに触手を出して操ることに、魔力を消費しなくなったことである。
「お前、まさか……」
それはまるで、喰った分は働くと言っている気がした。
頭の中では、触手召喚の残量メーターらしきものが浮かび上がっていた。
「ありがとう」
それは気まぐれなのか、懐いてくれたのか、この金蛇ノ寛衣は一つの戦力として計算できるようになってくれた。
A班がリンネルの上着や、エーデルワイスの鉢植えを持って来てくれた。
鉢植えの方は荷物の邪魔になるのでトムテのエスキモーの中へと置いていくことにする。
しかし一輪だけは、ちゃんと茎を切り取ってからリンネルの腰ベルトに巻き付けた。
何となく目覚めたリンネルの活力になってほしいと願っていたからだ。
◇◆◇◆
時刻は夕方になる。
いよいよ俺たちはクリスタルへの帰還を目指す。
トムテはリンネルの状態を慮ってか、エスキモーで籠城するなどと進言してくれた。
わざわざ四〇体ものトムテを引き連れて帰るには、足手まといになると。
俺はその優しさに、甘えることにした。
酷い言い方だが、何事にも優先順位が存在しており、全ての命を平等に扱うほど、今の俺には余裕もなかった。
すぐにダンジョンへと帰還を果たせばここへと戻り、彼らに相応の謝礼を送ることも約束した。
「トムテ、必ず迎えに来る」
「ぼくたちより」
「おんなのこを」
「しんぱいしてくだしゃい」
「……ああ、助かる。欲しいものを何でもプレゼントするから、考えて待っていろな」
「ぜろせん!」
「えーけーらいふる!」
「つぁーりぼんば!」
「ごめん、何でもは無理でした」
やはりトムテは俺の心の内を読んでいるのだろうか。
俺は眠っているリンネルを背負って歩く。ちなみに肩にはレムルースのカラスを乗せている。
しかし歩き出してトムテの集落を離れてもいない早々に、問題に遭遇する。
『フィーフョー(ルゥロロイ)フィーフョー(ルゥラライ)』
と奇妙な旋律がこの雪原に響き出したのだ。
笛と人の音が、重なって聞こえる。
しかしそれはまるで笛を吹きながら同時に歌っている。そんな不思議な歌が森の方から流れている。
「ひめしゃまだー」
「姫様?」
「ごはんくれたり」
「あそんでくれるー」
「とってもいいひと!」
トムテから姫という単語が出てきて驚くが、その歌の発生者とは知り合いらしく、両手を広げてジャンプしている姿を見ると、気心の知れた仲なのだろう。
俺が張り詰めた警戒心を解くと、歌がピタリと止まった。
敬称といえトムテが姫と呼ぶのだから、その人物もまた妖精種なんだろう。
しかし草の茂みから現れたのが、一匹の女鹿だった。その大きさは魔物らしく大人が乗馬できるほどはある。
「鹿ぁ?いや、角があるからトナカイか……」
「ひめしゃま、へんしんするでしゅ」
その女鹿はゆっくりとこちらへ近づく姿が美しいと思えた。
きりっとした眼つきに、茶と白がブレンドした毛皮、角はオスと違って枝分かれが少なく、均整の取れた形をしている。
トムテが言うように、その女鹿が発光したと思いきや、姿がどんどん人になり最終的には服も着ていた。
まるで魔法少女の変身シーンみたいだな、と不覚にもときめいたのは心に閉まっておこう。
「お初にお目にかかります。私は女鹿精霊と申し上げます。ダンジョンマスターさん」
「……」
やはり俺の正体を見抜いていた。
その人型となったルオットチョジクは、白い肌に、短くストレートの茶と白色の髪、頭には角を生やし、頬の赤いペイントと服装が相まって、山脈に暮らす少数民族を彷彿とさせた。
「そして私は高層に居座るダンジョンマスターの配下でもあります」
「なッ!?」
まさか姫様は敵だった。
「その我らが主、ベルクハイル様は会談を……失礼、酒席をご用意しております。宜しければ、参加していただけないでしょうか?」
「それは今か?」
「誠に勝手ながら、今夜です」
その話は俄かに信じられなかった。
敵の主が話し合いをしようと持ちかけて、のこのこと付いてきたら罠に嵌った、なんてことも考えられる。
「悪いが今はそれどころではない。大事な部下も、この状態だ」
「私たちに、交戦の意思はございません。真偽もトムテを使って確かめてください。それにこれは、あなた方を思っての話です」
「それはどういう意味だ?」
「断れば、その部下とトムテは我が主によって必ず殺されます」
「……脅しかよ」
「私はこの子たちより、純粋ではございませんからね」
不味いことになった。
敵の言葉を鵜呑みにするのならば、そこそこの戦力を揃えられている状況にある。
「どうか信じてください。襲うのならば、今に始めております」
「先程まで、雪猿たちに襲われていたんだけどな?」
「あれは幹部の一人が先走ったことです。それについては、誠に申し訳ありませんでした」
ルオットチョジクは丁寧に頭を下げる。
土下座ではないことは、トムテのように心を読むことまでは、出来ないのか?
別に土下座させる気は全くないが、妖精種の特性は魔物の中でも特殊すぎて邪見してしまう。
「ひめしゃま、うそついてないよー?」
「とっても、こころいためてるー」
「きんちょーもしてるよー」
「あ、なきそうになったー」
「……っ!」
トムテすごい!
急に黙って顔を赤らめるルオットチョジクが何だか可愛く見える。
敵と言われて、必要以上に疑り深くなり、壁に向って話をするように接していた。
しかしトムテ判定によって、少しは心を開こうと心掛ける。
「どうか私に、誠意を見せる機会を与えてください」
「何をする気だ?」
「アルラウネの少女の、回復を早めさせたいと思っております」
「回復魔法が使えるのか?」
それはかなり有り難い。
リンネルは熟睡しているが、早く目覚めて呑気なあの声を聞きたい。
「いえ、私には光属性を扱えませんが、種族特性によって魔力を他者へと贈られます。簡単に申しますと吸収の逆ですね」
「それは恐ろしいな」
「ベルクハイル様より、重宝されております。ただその特性を知っているのも仲間内ではベルクハイル様だけですが……」
ルオットチョジクは何を思ったのか、顔を俯けて宣告する。
その種族特性は、凡庸性のある回復魔法よりも、優れた特性だと直ぐに分かる。
クリスタルの持つ双剣も、その能力を持つが、あくまでそれはローサとリリウム間の話である。
それは俺もルオットチョジクを殺して、直ぐに魔物召喚をしたいなどと、選択肢の一つに現れるほどだ。
「……条件がある。先ず前提として戦闘行為は一切禁止だ」
「もとよりそのつまりです」
「トムテ達には今後一切手を出すな」
「分かりました」
「魔力の回復は、八割ほど俺を優先しろ。実の所、俺の方がヤバい」
「それはダンジョンマスターの性質のためでしょうか?私も本物のダンジョンマスターを見るのは今回が初めてですので、魔力供給に失敗するかもしれませんが?」
「絶対に成功させろ。それを解決しないと会談どころの話ではない」
トムテとリンネルが人質扱いになっているが、ルオットチョジクがわざわざ使者として出向いた以上は敵にも何か、不都合があるはずだ。
他に敵のダンジョンマスターの人となりを、戦う前に知ってもみたかった。
何故なら戦争を吹っ掛けてきたのは、俺たちであるからだ。
対話を望んでいる相手を一方的に蹂躙するのは、魔物だろうと人とは関係なしに心が痛む。
「ん?」
すると突然ルオットチョジクに手を握られると、「…はり駄目で…か…頑張れ私…平…のためです」とボソボソと呟き始めた。
彼女は数秒間を悩んだ末に、何か決心を固めていた。
「……畏まりました。そのためには私と肌を重ねることになりますが?」
「へ?」
「トムテは家を貸してください。私も外では正直恥ずかしいので……」
「いいでしゅよー」
「おいおい何を言っている!」
「簡単な話です。心を繋げて魔力を贈りやすくするためには、肌を重ね会うのが一番なのです。……私も不本意ですが、これも平和のためです」
やはりダンジョンを離れたダンジョンマスターはポンコツだった。
ダンジョンを離れた影響と、天災級と中級による力の壁が、思わぬイベントを発生させることになった。




