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ダンジョンと旅するセカイ  作者: 文月九
第三章 目醒める氷河洞窟
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65話 魔雲の高層

「はっ、はっ、はっ」


 走る、走る、ひたすら走る、少女を肩に担ぎながら、全力で走る。

 ダンジョンマスターがダンジョンから離れると能力が激減する。

 そんな俺にできることは極めて少ない。


「やめっご主人さまっ!お尻触らないでください!」

「うっせー不可抗力だ!お前の尻なんかもう見たことあるだろ」

「見るのと触るのは別問題なのですっ」


 なんて馬鹿話をしながらも、リンネルは魔法発動の準備を完了する。あとは俺が後ろを振り返り、さん、に、いち、タイミングを見計らって合図を出す。


「今だリンネル、撃てーー!」

「はいですっ!」

「グギッ!?」


 リンネルが十を超える岩弾を射出して、五体の追跡者に直撃する。

 土ではなく、岩。

 直径50cmもの岩が、野球選手の投げるボールのように速く飛ばされる。

 その威力は絶大であり、このレベルの土属性魔法を扱う者は、攻撃、防御、支援、戦闘以外でもあらゆる分野で活躍される。


「ふぅー、よくやった」


 俺達は追跡者を瀕死にできたことで、ようやく一息をつく。


「魔力の節約も、大概にですよ?」

「分かっている。これもリンネルを信頼しての節約だ」

「えへん、お任せくださいっ」


 現在、極寒の地でのサバイバル中。

 こちらを狙って来た敵は一回りも大きい雪大猿。

 突然敵が前後から挟み込むような奇襲を受けたため、脚の遅いリンネルを抱えて、囲まれないため必死に逃げた。

 あとは俺と反対向きで担がれているリンネルが、土属性魔法を使って撃退するという寸法である。


 今の俺では、索敵や攻撃に魔法は使えない。

 いざという時のために、できるだけ魔力を温存する必要があった。

 しかし今は四日目の昼前、事態に気づいたのが二日目の夕方であるため、だいぶこの戦い方も慣れてきた。


「えいっ、ぷりぷりの肝と魔石ですっ」


 リンネルは腰に装備している小鎌フォルクスを抜き、瀕死の雪大猿を殺して魔石や証明部位など(・・)を回収する。

 魔力を使えない今の俺は、魔物のトドメすら刺せれない。

 武器も精々T字の杖だけで、剣くらいは装備していればと悔いが残る。


「なあ、雪大猿も喰わないの駄目なのか?」

「今のご主人さまが食べられる数少ない魔物です。あたしもできる限り美味しくなるよう調理しますから我慢してください」


 生物の解体を見て、更にそれを食べるのだと想像すると顔が引き攣る。

 そこまでショッキングに感じるのは、やはりダンジョンマスターの精神が乱れているからだろうか。

 雪大猿の肝や柔らかい箇所の肉(言いたくない)をリンネルは雪で包んでゲヘナの中へと収容する。


「ああ……ダンジョンが恋しい」


 ダンジョンを離れて四日ではあるも、人はホームシックになる。

 食事と寝床が変わり、命の危険もあると精神はかなり疲弊する。

 しかしリンネルと行動を共にして、リンネルのことをよりもっと知ることができた。

 驚くことに、こいつは料理が上手い。

 今までメアの飯を作っていた俺が、馬鹿らしくなるほど器用に料理ができる。

 ただ料理する必要のない魔物が、料理が特技とは魔物召喚どうなんの?と罵声と盛大の拍手を送りたくなる。


「あ、あたしでは……不満ですか?」


 すると自分の何気ない呟きを耳にして、目も合わせられないほどの、不安げな顔で質問するリンネル。

 やってしまった。シーンと空気が静まり、どう言い訳をしようか考えを巡らす。

 不安や恐怖などのマイナス感情はすぐ他人に伝染する。俺は態度や発言に注意をしていたつもりだが、戦闘終了の油断から健気に働く少女を落ち込ませてしまった。


「そんなことはない。頼りになるよ、ほんとほんと」


 出来るだけ平静を装い、落ち込む子どもを宥めるように、その小さな頭にそっと手を置く。言葉で駄目なら、体で触れ合うまで。

 今、頼れるのはこの小さな頭の持ち主だけで、決して無下に扱ってはいけない。


「……よかったです」

「ダンジョンに戻っても、リンネルの料理を食べさせて貰おうかな」

「あたしので良ければ何度でも!」


 ほっと胸を撫で下ろし、気を取り直したリンネルはいつもの明るい様子になる。


「メイド服も着るか?」

「それは結構ですっ」


 俺はそれを確認したあと、馬鹿な冗談を交えることで二人の調子が戻った気がする。

 俺は今、胃袋を握られた女神リンネルには逆らえない。いつもその頭を引っ叩いていた自分が幻想のようである。

 これもリンネルが甲斐甲斐しく俺の世話をするのがいけない。食事も、寝床も、戦闘も、夜間の見張り以外のお世話は全部してくれるので、情けないが理想の紐生活中である。


「さって、先へ急ごうか。今日中には高層の雲を見学するぞ!」

「はいですっ!」


 リンネルと雪原の上を並んで歩き、自分自身にも発破を掛ける。

 いくら魔力を使わないからといって、甘えてはいけない。魔法はリンネル、身体能力は俺、と互いをカバーしあえるようにポンコツなりに気合を入れていこう。


 現在の残り魔力はおよそ全体の八割。

 帰還や逃走の飛行魔法に必要な魔力を五割としているので、実質使える魔力は三割である。

 それでも魔法職として召喚したリンネル一人分の魔力をやや上回る程度。

 しかし魔力が回復せず、体力も人並みで有限なのだから前途多難なのは間違いない。


 またゲヘナの手袋の中身は、念のために用意した医療品、二日分の食料、調理器具、着替え等の日用品くらいである。

 身体の構造は寒さに強くしてあったので、体調が悪化しないのが唯一の救い。

 これも駄目であった場合は、即時クリスタルの下へと撤退していた。

 今は俺の魔力が五割を切れば撤退する。そんな取り決めをして、リンネルと高層を向かうことにした。

 そして眼前に広がる雲の対処をどうしようか思案する。




「ふぁ〜、不思議な雲ですね〜」

「やはりそうか、これは魔力を帯びた雲だな」

「普通ではないのは、あたしも何となく分かります。その、何だか体がそわそわして悪寒が治りません」

「偶発的な魔力溜まりが雲になったのか、何かの術式なのか……」

「山を覆うほどの巨大な雲です。仕掛けはあるのでしょう」


 中層と高層の山をはっきりと断絶するこの魔雲は、高層の山々を牢に閉じ込めるかのように横に広がっている。

 暗闇でも問題はない俺でも、分厚い雲の水蒸気では視界は遮られ、足場も悪く、不意の襲撃、見えない山頂の雪山を登るには、些か抵抗があった。

 しかし今頃は、北東方面へ偵察をしているアカボシとバルも、この魔雲を見て何か行動を起こしているはずだ。


「どうしますか?今のご主人さまでは少し危険と思いますが?」

「冒険者の中では、日帰りだが生還した者もいる。境界を越えなければ問題はないのだろう」

「でもあたしはご主人さまが! 心配ですので、はぐれないように手をつ——」

「ほらよ」


 お化け屋敷を怖がる子どもの言い訳かよ。

 リンネルの言葉を途中で遮り、杖を握っていない方と手を握る。


「あ、ありがとう、ございます」

「邪魔なら腰の蔓でもいいんだぞ?」

「嫌ですっ!手がいいですっ!それに蔓の方が力持ちで戦闘の役に立ちます」


 二本の蔓の方が手足よりも強いとはどれだけ貧弱なんだよ……。

 準備も整ったことで俺達は、この謎に包まれた魔雲の中へと突入する。

 雲の中では、気温が更に下がり、肌にべたつく湿気にもあてられ、徐々に視界が白みがかり先を見通すことができなくなる。

 また、ここでは風も吹かず、草木も存在しない雪と岩だけの環境下。僅かな足元の視界と音を頼りに慎重に歩みを進める。

 しかし隣のリンネルはと言うと。


「はぁ、はぁ」

「大丈夫か?」

「はい、これくらい平気です」


 歩き始めて三十分くらいだろうか。早くもリンネルの様子に変化が起きていた。

 手から伝わる体温が下がり、手汗も酷く、呼吸も乱れ、肌は青白くなっている。

 口では平気と言っている辺り、不調の原因もよく分かっていないらしい。

 一瞬俺は高山病?と思ったが、そもそも魔物のリンネルは人と体の作りが大きく違い、血液だってない。


 何より一番怪しいのが、この雲に入ってから、精神支配を受けたように身体が重い。

 それはこのへっぽこダンジョンマスター状態だからこそ、身体の変化を過敏に感知できた。

 さらに何度もホラントから精神支配魔法を味わって来たので、見極めるのはそう難しくもなかった。

 普通では気づかない、巧妙に調節された悪意のある魔法である。


「悪いがリンネル、今はここで引き返す」

「えっ?」

「お前の不調の原因は明らかに魔法だ。今回は相手が悪い」

「わ、分かりました」


 魔法ならば、この魔雲の中で発動している誰かがいる。

 不審な点がいくつもあった。

 この魔雲は遥か昔から人の間で存在が確認されている。つまり最近問題になったダンジョンが原因でないことは推測できる。


 精神支配魔法の使用者の目的は何なのか。高層にいる敵ダンジョンの魔物は、この魔雲をどうやって突破しているのか。

 敵ダンジョン側なのか、第三勢力なのか。

 それこそこのダンジョンのボスを封印したいう大天使ルシナと関連があるのか。

 頭を廻らせるも、今はだいぶ疲弊しているリンネルと来た道を戻る。長居をすると危険度が増す気がしてきた。

 T字杖で書いた目印を辿り、山を下るだけなので、道に迷う問題はない。

 しかし引き返し始めるとーー。


 シャリシャリ、シャリシャリ


 途端に耳障りのする音が聞こえ始めた。それは鈴の音のような金属を鳴らした甲高い音が、途切れることなく鳴り響き、こちらとの距離を縮めているのが分かる。


「ッ!?まずいリンネル、何か来る」

「魔法の準備を、始めますっ」


 額に汗を垂らしながら、地面へ突いた杖に魔力を送り出す。

 少し判断が遅かったのか、いつもより魔法発動の時間が遅い。

 そうとなれば、俺も魔力の出し惜しみをするつもりはなくなった。

 旋風探知レーダーを使い、敵の位置、数、形状をすぐに確認すると、聞いていた情報通りの魔物が接近していた。


氷晶妖精アイスクォーツだ!全方位に土壁!」

「はいっ!」


 リンネルは命令通り、咄嗟に正方形の土壁を作り全体を保護する。

 その土壁でできた箱の中は、真っ暗な状態なので、俺はリュックをあさり灯りを付ける。

 すると前方の土壁にクォーツが激突してドドド、と壁を叩く音を鳴らす。

 しかしリンネルが土壁を魔法で補強しているおかげで何とか持ちこたえる。


「まさかクォーツまでいるとはな」


 クォーツは、一体一体は下級の魔物だが、群で遭遇すると上級中位を軽く超えるらしい。

 身体は氷のように固く、形状は羽の生えた手裏剣。

 その姿をした魔物が百を超える数で、高速で獲物を突き刺して血を吸うそうだ。


 固い、小さい、速い、複数とこれまでにも多くの冒険者や案内人が犠牲になった。

 もし遭遇すれば穴を掘るか壁を作って、クォーツが通り過ぎるのをじっと待つのみ。しかし今回遭遇したクォーツは話で聞いた数の十倍はいた。

 つまり千の数。この魔雲の中は本当にヤバイ。クリスタルがいないと無事で突破できる気がしない。


「そろそろかな」


 クォーツもだいぶ落ち着いた頃だろうか、リンネルも一呼吸して俺と向かい合う。しかし翳りの含むその顔から、リンネルの言わんとしていることが予想できる。


「あ、あの、ご主人さま、魔力を使わせて、すみまふぇふぇっ!?」


 俺は不必要に落ち込むリンネルのほっぺを引っ張る。

 前々から引っ張りたかったので、良い口実ができたでサンキューリンちゃん。

 うん、ぷにぷにしていて飽きないな、どこまで伸びるか限界に挑戦したい。


「ひょ、ひゃめて、ふゅらさい」

「そのくらい心配するな。ほどほどにしろって言ったのはリンネルの方だろ?」

「……はい、でも優しくしてくれるとありがたいです」

「悪い悪い、ここまで出来るのもお前だけだからな、ついつい」

「そ、それは嬉しいようで……やっぱり嬉しくないっ!もっとこう、十年に一度の砂漠に咲く可憐で儚いお花を愛でるような、繊細で大切にして欲しいですっ」

「分かった分かった、だから落ち着けって」


 それはもう少し身体が成長してから言え、と反論したいがリンネルがグレるといけないので我慢する。

 さて、高層の下りは遠回りして森を目指そう。

 そこならばリンネルが楽しみにしている植物採取をしながら、適当な魔物を数体ほど狩れるだろう。

 あわよくば敵ダンジョンを知っている者と遭遇できるかもしれない。


 こっちはリンネルと苦労しながらでもやっていけている。

 俺がこうして無事ならば、クリスタル達も何とかやっているのだろう。

 人は四日も大事な人と離れると、無償に会いたくなるものだなと、暗い所に引きこもっていたためか、感慨深い気持ちに駆られてしまった。


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