23話 追憶を慈しむ
薄れゆく意識の中ホラントは夢を見る。
ダンジョンマスターとして転生を果たしてから、かつてないほどの疲労と消耗を経験し、それは走馬燈のように懐かしい記憶を鮮明に見せた。
「ありがとうリスティイ。お陰でこんなにも可愛らしい赤ん坊だよ!」
「えぇ……私たちの……最愛の子どもよ」
妻が産まれたばかりの娘の顔をそっと愛おしく撫でる。
それは結婚して150年の長い年月で漸く子どもを授かることができた感動の記憶。
妻はもう子を授かれるギリギリの年齢であり、何度も死産を繰り返しては絶望していた。
もう悲しい思いをするだけだと、妻との子を諦めかけていた最中の出来事で、元気な子どもが産まれた時は遂にフォルストの神が願いを聞き届けてくれたと歓喜のあまり涙した。
そのため娘の名を、月夜に音のない歌で神と精霊を楽しませ、森に彩りを与えたとされる偉人からあやかり天の懸け橋と名付けることに決めた。
この子は何としてでも幸せにしてみせると固く誓う。
「おとうさんっおとうさんっ見てみて!妖精の唄!」
「こら!シィルはまだ5歳なんだから精霊魔法もほどほどにしなさいっ」
「だってせっかく精霊さんがシィルのとこまできてくれたんだよ!」
「間違って精霊さんを怒らすと、シィルは精霊の国に連れていかれるのよ」
「そんなときは、おとうさんが、まもってくれるもんっ」
「あははははー、シィルは精霊さんに愛されているなぁ、たとえ父さんがいなくても大丈夫だよ」
「ほんとっ!?」
「貴方もシィルを甘やかさないでっ!」
それは最愛の妻と娘が笑顔で溢れる幸せの記憶。
この時既に人間種の国と戦争状態であり、森の離れの集落にひっそりと生活する自分たちも兵士として駆り出され、久しぶりの帰還で娘と過ごす一時だった。
しかし戦況は巻き返されつつあり、負けることになれば二人の安全は保障できない。
妻は娘を産んでからは病気がちで、娘もまだ幼い。
難民となれば、きっと二人は同胞についていく体力はないだろう。
もしもの場合に備え、20年前から交流を重ねる人間種の友人に手紙を書く。
その人物とは魔物に襲われている所をたまたま助けたことをきっかけに魔法も教えて上げた。
そしてその少年は大人へと成長し今ではそれなりに名を馳せている。
彼になら安心して二人のことをお願いすることができる。
この時こそ不甲斐ない父親で申し訳ないと心の底から思ってしまった。
「人間種の奴らが降伏するって!?」
「これでようやく戦争も終わるのか!」
「しかし中央の里にまで使者を招く必要はあるのかっ?」
「あそこには神樹と巫女様がおるのじゃ、そんなことできるか!」
「落ち着け爺様、そうしないと戦争は終わらない。うちの子供らが腹を空かせることもなくなるんだぞ」
そしてこれは、後から悲劇がおこる最悪の記憶。
150歳を超えエルフとして半生を過ごし、俗にいう壮年期以上の年齢で政治的参政権を持つ大人たちの会合が開かれている。
娘を成年となったばかりの人たちに預け、妻と二人で固唾を呑んで議論を見守っている。
ホラントは一度故郷を離れ戻ってきた人物であるため参政権はあるも、発言力は弱い。
妻も夫に従う習慣のため、同じく政治的発言力が弱い立場である。
「貴方、本当に戦争は終わるのでしょうか?」
「恐らく……里は滅びる。つまりこの戦争に負けることになると思う」
「え……それではシィルはどうするのですかっ?」
「つい先日、友人に送った手紙の返事が、外れの森の樹に届いていた。それには二人を保護する準備はできているそうだ」
「それはつまり……」
「最悪の場合、二人は西の人間種のエルラッハ王国へ赴き。そして都市にある冒険者ギルドへこの手紙を渡してくれれば安全と生活の保障を見てくれるそうだ。どうか二人だけでも生きてくれ……頼む」
その時のリスティイの顔は今でも忘れられない。
彼女はシィルを産んでから体調は優れないも、母親として強く逞しくなっていた。
そして妻が生きて子どもを守る役目なら、夫は死して更に多くの同胞を守る役目を持つ。
それがエルフの生き方だ。
「お父さん本当にもうシィルに、会えなくなるのっ?」
「ごめんなシィル、父さんは今から皆を守るための闘いにいくんだ」
これは最後に妻と娘に会話した記憶である。
あの時のシィルはもう7歳になってた。
そして娘の成長をこれ以上見守ることができないのが悔しかった。
今にも泣き出しそうな顔を堪え、怒った様子で見つめてくる娘に、また会えるよと嘘をつけない自分が腹立たしい。
なだめるために、そして自身が怖気づかないためにも、自然と手が娘の頭に向かうも、その手は娘によってはじかれる。
「いっしょに逃げればいいのに、そんなこという、おとうさんなんて嫌いっ!」
シィルはそう言うと目に涙を浮かばせ、森の方へとそそくさと逃げていった。
きっとまた大樹の穴に篭っているのだろう。
本人は誰にも気づかれていない秘密基地と思っているが、皆シィルの秘密基地のことは知っている。
おかげで家を飛び出したときは決まって、そこに隠れているため見つけやすくて有り難かった。
そんな感傷に浸った影響でか、娘の逃げた方へと思わず空の手を向けてしまう。
「嫌われてしまったかな」
「シィルはまだ子どもよ、今生の別れだなんて考えてもいないわ。それにそこは嘘でも迎えに来るというべきよ、本当に不器用なんだから……」
「はははは、リスティイ。シィルを頼んだよ……愛している」
「えぇ、私が必ずシィルを安全な所まで連れていくから…………愛してるわ、う、う、う……うえぇぇぇん!嫌…だよぉ。折角、三人で……いつまでも幸せに過ごせると思っていたのにぃぃ。やっと、やっと、願いが叶ったと、思ってたのにぃ……ひっく……う、ぅえぇぇぇぇん!」
泣きじゃくる妻を強く抱きしめる。
こらこら娘より先に泣いているんじゃないよ。
この温もりも、この声も、これで最期となる。そう思うとこちらも涙が出てしまうじゃないか。
「よしよし、それでも僕は最期にとても幸せな…夢のような人生を二人のお陰で送れて嬉しかったよ」
「私もよっ!」
「いつもありがとう」
「……どういたしまして」
「それでは行ってきます」
「……行ってらっしゃい」
「「フォルストの神よ……どうか僕(私)たちの娘が幸せでありますように」」
そして別れた5日後に僕は戦場で死んでしまった。
目が覚めると真っ白な空間にいた。
ここはどこだ?僕は殺されたはずだ?シィルは……リスティイはどうなった!?
突然の展開に気が動転するも、目の前に浮遊する不思議な結晶に惹かれてしまい、疑いもせず触ってしまうと、この状態に対する疑念がひとえに解消した。
(僕が、ダンジョンマスター?)
しかしそんなことはどうでもいい。
今すぐに二人の安否が気になるところだ。
「僕は今すぐにエルラッハ・サウラ・フーヴァル・ギヴリアに囲まれる、エルフの棲む大森林に向かいたいんだ!」
その結晶からはダンジョンを作ることを促されるが、ちゃんと質問には受け答えしてくれる。
「ここからだと少し遠い?それに今は橙月の34日だと?僕が死んでからもう三ヵ月も経っているじゃないか!とりあえず今すぐにでも大森林に向えるなら何だって構わないから早くしてくれ!」
そして全てを結晶にお任せしたダンジョンが作成される。
するとダンジョンのタイプは館、特徴はアンデット、ダンジョンマスターはゴーストとなった。
ゴーストの身体へと転生を果たし、生まれたてのダンジョンを直ちに配下の魔物に守らせ一人大森林へと飛び出す。
ゴーストの恰好は死ぬ前の衣装で身体が透けてとても軽い、そして飛行できるために10日も飛べば大森林へと到着した。
森の危険地帯でも構わず最短距離で我が家へと向う。
ダンジョンマスターの基本能力はとても高く、生前闇属性魔法を使ったことは一度もなかったが、上級以上の威力の魔法をすぐに扱えるようになっていた。
『邪魔ダ、終焉ノ闇!』
中級だろうと上級だろうと立ち塞がる魔物は一撃で滅ぼす。
そして遂に住んでいた集落へ着くと、あまりの惨劇に頭を抱える。
家は焼け落ち、辺りには白骨化した死体。記憶に残る景色は微塵もなく、ただ無残な形で放置されていた。
シィルとリスティイは無事なのか?
森に棲む精霊を無理やり使って探させるも。
『イナイイナイイナイイナイイナイイナイイナイィィィィィッ!!』
不安や恐れを抱くと精神の箍が外れ徐々に闇の中へと侵食されるのを感じる。
早く二人を見つけて心を落ち着かせないと完全に亡霊となってしまうだろう。
一度冷静になって考えると若い女性のエルフは奴隷としての価値も高く、殺されていることはあり得ないと結論を出す。
白骨化した死体を見ると全て男性の骨であり、女性の骨は見当たらない。
それに上手く逃げて都市にいる可能性だってある。
気を落ち着かせ、残骸から焼けたボロいローブを着こみ、先ずはリスティイ達が行く予定だった都市へと向かう。
そこは第二ダンジョン都市であり、馬を使えば三週間で到着する距離である。
真夜中に城壁を登り都市へと侵入する。
ローブのお陰で道を歩く人からはゴーストだとばれず、閉館している冒険者ギルドへと直行する。
どうやらまだ残業をしている職員が一人おり、真後ろへとそっと立って魔法を発動する。
『夢遊強制』
職員の男に精神支配を扱い、眠った様子でこちらの質問にだけ答える。
『此処ニ、エルフノ母娘来テナイカ?』
「私はぁエルフの母娘が来ればぁ丁重にもてなせと承りましたがぁ、残念なことにぃまだこちらへぇ来ておりません」
『何カ他ニ知ッテルコトナイカ?』
「噂では死んだかぁ、ギヴリアの南方領主に捕まってぇ奴隷になったかとぉ思いますぅ」
『ナンダ、トォォォオ!』
職員の言葉に反応し、魔力を放出してしまう。
魔力はすぐに収まるも、その覇気に蹴落とされ職員は完全に気を失った。
これでは、精神支配もままならないため、最後に残された可能性のギヴリアへと向かうことにした。
ギヴリアの南方領主こそ、この戦争を起こした張本人であり度々ならぬ怒りがこみ上げてくる。
そしてギブリアの南方領主が治める都市ラナンへ着くと覚悟していた光景を目にする。
同胞のエルフが首輪と足枷がつけられおり奴隷として市場で大勢売られていた。
裸で絶望と羞恥の表情で品定めされている少女を見かけ、それが自分の娘と重なり激情にかられる。
その時ホラントの人としての意識を完全に失ってしまった。
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ヴァァァァァ殺ス殺ス殺ス殺スゥゥゥ!————影毒双蛇』
それが後に二万五千人もの人命を奪ったとされるギヴリアの悪夢の始まりだった。
それは数ヵ月の間、ギヴリア南部地方で様々な都市を狙った天災級の魔物が人々を襲い回り、それに乗じて奴隷から解放されたエルフ達は皆口々にフォルスト神の祟りだとして喝采した。
そして南部領主もその被害に会い、一族全てが謎の病により滅びる幕切れとなる。
またそのタイミングに合わせるかのようにギヴリアから悪夢は去っていったのだ。
しかし当の本人は目的の家族を探し続けても見つけることができず、眷属からの応援を呼ばれダンジョンへ帰還することになるも、その頃には全くの別人となる。
そしてホラントは長い夢から醒める。
見た、久しぶりに夢を見た。それは幸せな夢から悪夢へと変わる夢だった。
それでも一時の幸せを噛みしめることができたから、それを取り戻す想いが更にも増した。
何を犠牲にしてでも、もう一度あの頃に戻りたい、最愛の妻と娘に会いたい。
だから目の前の敵に負けてはいられない。
『精霊ヨ堕天セヨ——————悪魔召喚』
ホラントはエルフに伝わる禁忌の魔法を行うことにした。




