193話 記憶の選択
気がつくと、俺は真っ白な空間にいた。
一瞬、死後の世界なのかと目を疑ったが、ふわふわと浮かぶ青いクリスタルを見て、ここが白い部屋であることを悟る。
この場に存在する者は俺だけ。
見渡す限りの白い景色に気圧され、孤独を紛らわそうと独り言をこぼす。
「俺は、負けたのか……はあ」
あと少しでってところで、人間を助けた事に後悔はない。
あそこで見捨てるといった選択肢は、俺の人としての部分、人間性を放棄するようなもので、むしろ助ける他なかった。
黒森の中には、自ら足を踏み入れた冒険者だけではなく、拉致られた村人もいる。被害者たちはもう十分に傷つき、心を擦り減らしていた。これ以上、無関係の人物を、天災に巻き込むのも酷な話であろう。
尤も、代わりに俺が死ぬつもりは毛頭ない。俺が自身を何としてでも守る限り、頼もしい相棒が何かやってくれると信じているからだ。
「そもそも俺って、なんでここに……ああ」
気を取り直してクリスタルに触れてみると、情報が頭の中に次々と運ばれていく。
元々知っている、とでも言えばいいのか。
数分先の未来から、現在に巻き戻って来たような、奇妙な既知感が物事の進行を早く進めてくれる。
「ありがとう。アカボシ、バル」
二人の勝利によって、俺は準魔王級へと進化していた。
魔王級に進化したら、タロスにリベンジができる。
しかし肉体にDPが注入されていないことから、魂だけがこの空間へ呼び出された。
ここは時間の流れが緩やかな精神世界。
何なら修行でもしたい所だが、魂だけでは魔力は愚か、満足に体を動かすこともできない。
「ええっと、これで三人も天災級に進化できるのか。予想外の収穫だな」
暇つぶしにアカボシ、バルセィーム、メアメントの進路を考える。
冥府の獄狼、双頭の黒狼、星天狼、夜叉、禁忌の支配魔、イェグ=ハ、ダンジョンマスター、暗黒の魔女、吸血姫、ふむふむ。
それぞれ三つ以上の進化先があって実に面白い。
天災級は、彼らの眷属たちも加護を同様に受けることができるそうだ。
眷属の少ないアカボシやバルはいいとして、メアの進路が非常に悩む。
ダンジョンマスターか、魔女か、アンデッドか。
本人の意思を尊重するのもありだが、ここは主人の立場をハッキリとさせよう。しかし先ずはお母様の意見も聞きたいので保留にする。
天災級はこの世界に100体もいるかいないかの数である。
同種の天災級なんてまず巡り合わせがない。
種族特性、上位属性、創篇魔法、皆が何らかの初見殺しを持っていると考えていい。
人類、よくも今まで滅びなかったな。いや全ては、かの魔神さまの裁量なのだろう。
「やはりルシナとは会えないのか?」
俺は前回、魔神ルシナと出会っている。
それは魔王級となるこの日を前借りしたようで、クリスタルの中にはメッセージだけが残されていた。
『星印さん、ご褒美です(ハート)』
「おぅ……」
割とノリがダンジョン運営時のクリスタルに似ており、クリスタルの声で文字を再生させたため当惑する。
可愛いんだけど、聞いているこちらが気恥ずかしいんだよな。
「どれどれ、ご褒美ってなんだろ」
魔王級おめでと~な内容の祝辞が、軽いノリで長々と続く。
俺は玉鋼龍バーホーベンとの談話により、ルシナに対しての敵愾心はない。
あるのは憐情と謝意。
人は知らない者を怖れる生物だが、旧世界の過去を知った以上は、ルシナのことを憎めるはずがない。
『この伝言の最後に、星印さんの記憶が映像として保管されています。記憶を取り戻したいですか?』
「ーーっ!?」
全てを読み上げると画面には【はい】と【いいえ】のボタンだけが浮かび上がる。
記憶が戻る、願ってもいない贈り物だ。
衝動のままに【はい】の文字を押す——
「がァ!!」
張り裂けそうな胸の痛みで押せなかった。まるで魂が押すなと暴れている。
途端に全身の力はなくなり、クリスタルから手を離すと、どっしりと身体を床に寝かせる。
「記憶をモノみたいに扱うんじゃねぇよ……」
泣き言しか返せない。
正直な所、ヒョンな瞬間に記憶を思い出すものだと思っていた。
その時はありのままの自分を受け入れようと覚悟していた。しかしこの状況は、思い出すことも、忘れるこもで出来る。かえって選択肢を与えられたことが、残酷に思えて仕方がない。
知りたい。知りたい。知りたい。
俺は何処に生まれ、どんな素顔で、どんな生活を送り、どうして死んでしまったのか。
知識はあっても思い出がない嫌悪感から、早く解放されたい。
それにバーホーベンは過去を忘れた者に、創篇魔法は使えないと明言した。
だったら二つ返事で【はい】を押して、思い出すべきだ。
でも、押せば後悔しそうな予感に、肌が震えて虚脱感に苛まれる。
「俺は何がしたいんだぁ!!」
俺の声だけが白い空間に響き渡り、騒げば騒ぐほどにじわじわと孤独は心を侵食する。
ただでさえこの真っ白な空間に取り残され、気が狂いそうになっている。今はこのクリスタルから離れたくない。
思考を放棄して胡坐をかくと、一時間が経過した頃だろうか。
「セカイ様、お迎えに参りました」
凛とした鈴音が優しく包み込むような、耳触りの良い声が背後から聞こえる。
俺は目の前にあるクリスタルではなく。
「……クリスタル」
——はい、クリスタルです。
後ろにいるクリスタルと向かい合う。
クリスタルが来てくれることを、確信めいて願っていた。
俺とクリスタルは、マスターとそのダンジョン。
唯一無二の存在であり、魔王級への進化を前に、このクリスタルが居なくては始まらない。
俺は朗らかに笑うクリスタルを見て、段々と落ち着きを取り戻し、おかげでこの空間が異質なものだとよく分かる。
——これは俺たちが一心同体だからか?
——ふふ、どうなのでしょうか? これといって悪い気はありませんけど。
——そう、だな。
声を出す間もなく、心が勝手に通じ合う。
伝えたいと思わなくても、相手が勝手に拾ってくれる。
まるでもう一人の自分と話をしているようで、クリスタルと一つになった不思議な感覚を得る。
相変わらずクリスタルが何を考えているまでは分からないが、感情くらいは分かる。
クリスタルは穏やかな心で俺の冷えた心を温めてくれている。しかしその裏には、俺に似た不穏な感情も見え隠れしている。
——敗因は、人助けでしたか?
——悪いな。また苦労を掛けることになって。
お互いの状況を即座に交換する。
しかし笑顔から一転して、クリスタルの顔は強張る。
「違いますね。本当は口喧嘩に負けただけでしょう?」
「ぐっ……」
心が伝わる以上、言い訳の仕様がない。
むしろ声に出された以上、ズッシリと心の中に染み渡る。
人間を救ったから負けた?
嘘ではないが真実でもない。自分にまで本心を隠そうとするな。
『何も持たない、過去を切り捨てたお前の方が、僕にして見ればよっぽどの屑だ!!』
魔法は精神状態に強く左右される。
あの時タロスの本心から放たれた言葉が、強く胸に突き刺さり、魔法の出力が落としてしまった。
結果、逃げることも叶わず敗亡となる。
強く握り締めた拳から、己の敗因を認めたことを伝える。
するとクリスタルは思いもしなかった口火を切る。
——精神勝負に負けたから、記憶を取り戻すというのは、果たして正しい手段でしょうか?
——何が言いたい?
負けた原因まではいい。俺が未熟だったからだ。
だが記憶を取り戻すことに、勝敗となんの関係がある?
——今の自我に拘る貴方では、例え記憶を取り戻していたとしても、タロスの信念を前に敗北していたでしょうね。
クリスタルは、俺がここに来てからの葛藤を知っている。
知って尚、心にもない言葉を俺に送る。
それは彼女の優しさか、厳しさか、言葉の真意を掴むためにも、大人しく話を聞くことにする。
——自我とは何でしょう? 自我を得るためには、前世の記憶は必要なものでしょうか? 私は"今"の貴方を知っています。
——必要だろ。俺が俺のことを一番理解していないで、どうやって戦える?
——違います。人とは個人としての記憶、他者による影響、経験の数々、感情の変質、無駄に過ごした時間、眠っている仕草、全ての総体が自我に影響を与えます。
何も自分が自分を一番に理解する必要はございません。
自身の体調ですら専門医に訊ねるしか分からないことが多いです。精神状態ですら所詮は他人による判断が正しい物です。
——自分では自我を、判断できないって言いたいのか?
——はい。自分、他者、専門家。自我とは複数人による判断が必要になります。
自分のことは自分が一番。それは道理の外側、都合の良い部分しか見つめていない人間の思い過ごしです。
俺は頭を掻きながらクリスタルの言葉を整理する。
「やけに饒舌になるな」
その上で怒気を含み、クリスタルを睨みつける。
そんなの詭弁だ。
生きた時間を、失ったものを取り戻してこそ、人は前進できる。
少なくとも俺はそう思っている。他者や専門家の考えなんて知ったことではない。
——詭弁、それも捉えた方の一つです。ですが人が一人では生きてはいけない社会的な生き物である以上、他者や社会の評価が最も尊重されるべしとも思っております。
——いい加減に本心を言え。
クリスタルは一呼吸を入れると、肩を小さく震えながら答える。
——貴方はこの世界で新たな生を得た。その事実がある限り、元の世界の記憶に固執する必要はないと、捉えられませんか? 記憶喪失の貴方にも、今、一つの立派な自我が宿っています。
——クリスタル、本当は俺が記憶を取り戻すのが、反対なんだろ?
——…………。
クリスタルは答えない。
しかしここまで言われれば馬鹿でも分かる。
説得をしているようで、俺を誘導している。
俺が【はい】のボタンを押そうとした時、魂が拒否反応を起こしたのも、クリスタルが嫌だと止めたからだ。
「じゃあこの地球の知識は何なんだよ!!」
「種族特性、で良いではありませんか?」
クリスタルは一蹴する。
——バルは生まれながら武器が大好きで、リンネルは生まれながらお花が大好き、メアはちょっと困りますけど死体、特に骨が大好きです。
魔物召喚の検証実験を思い出す。
彼らは召喚された時から成体であり、好み、性格、知性を携えて生まれている。
俺の異世界転生と魔物召喚は似ている部分は確かにある。
——彼らは好きになった理由も思い出もなく、ただ魂に惹かれてこの世界で精神を宿し、肉体が生まれました。
みんなは自分を記憶喪失だなんて微塵も考えていない。
——ですが今の彼らは空白ではございません。
今まで培ってきた思い出が、彼らの心を満たしていますから。
自分がどれだけ空白だと思っても、生きている限り空白にはなりません。しては行けません。
心に穴を空けていないで、注がれている想いを真摯に受けて止めてください。
世界に真実というものは一つも存在しません。存在するのは、ただの解釈だけです。
これがクリスタルのずっと心に隠し持っていた気持ちなのか。
クリスタルは異世界転生の解釈を変えることで、俺が前世に区切りを付けさせようとしている。
「……俺は、俺が嫌いだ」
記憶喪失で、顔も違う気がして、よく思い出せないくせして、時々故郷の誰かの姿が思い浮かぶ。
——知っていますよ。だって貴方はおしゃれな服を着るとき、鏡を見るとき、いつも顔を顰めておりますから……。
クリスタルは大きく息を吸うと、片手を胸に当てて咳き込むように叫ぶ。
「今の貴方を好きにならず、過去の貴方を見つめないでください!」
——それでは私たちとの思い出が、過去の貴方に負けて悲しいです、悔しいです。私たちには貴方しかいない。でも貴方の奥底にはいつも違う人の影がいる……私たちでは、貴方の心を満たせて上げられないのでしょうか?
クリスタルの悲痛な願いが、嫌というほど心に伝わる。
俺が前世を思う度に、自分たちが遠い存在と比較されているのではないかと怯えている。
その度にクリスタルは話を逸らし、言葉を濁し、自分を見てくださいと懸命に訴えかけていた。
あのクリスタルが俺を裏切るような、本心を語ったのは初めてかもしれない。
これを喧嘩と呼べばいいのだろうか。
喧嘩の決着は、惚れた方の負けと決まっている。
コイツにだけは、連戦連敗でも悪くないなとすんなりと受け止めてしまう。それが好きだという気持ちでありたい。
「そう、だよな」
記憶を思い出すにも順序がいる。
自分を嫌いな人間が、過去の自分を追っていても仕方がない。
どんなに素晴らしい前世でも誇ることはできず、どんなに最低な前世でも認めることができない。
空虚な逃避が待っているだけだ。
今の俺は仲間と共に満足に生きている。記憶を思い出すには遅すぎて、忘れるにしてはまだ早すぎる。
俺には記憶なんかよりも、大切なモノがたくさんある。
「この空間なら……お前も泣けるんだな」
血液も、体温も、鼓動もない、本当に人型のクリスタルは目から涙をぼとぼと零す。
「あ、え……え?」
言われて気がついたのか、クリスタルは初めての動作に戸惑い、零れる涙をただ手のひらで感じ取っている。
「クリスタル、この記憶は全てが終わり、俺が自分を愛せた時に、一緒に馬鹿な男の生涯を観てくれないか?」
それまでルシナには、俺の記憶を保管するようにとお願いする。
記憶を失くした人間が、記憶を取り戻さないこと。
この選択は正しくないのかもしれない。
記憶喪失の俺だからこそ、大切な人々を幸せにする色に染められると、自信を持って言えることができる。
「私で、いいのですか?」
「お前がいなくて誰がいる」
「ありがとうございます、喜んで」
クリスタルと映画デートの約束をする。
いつの日か掴む幸せを願って、温かく湿った手を繋いで心を一つにする。
俺たちの旅立ちを祝福するように、白い部屋には虹色の門が浮かび上がる。
あれを潜れば、俺を待つ仲間の下へと帰ってこられる。その時は皆に、自己紹介でもしようか。
「俺はセカイ。迷宮の裁定者、天属性、魔王級。この世界の、少し不思議な住人だ」
地球人だった俺にお疲れ様とありがとうを送り、この世界に生まれた俺は新たな一歩を進み出す。
これで主人公は記憶に区切りを付けてハッスルします。
異世界に転生したんなら過去のこと忘れて最初からハッスルしろ。とは思いますが、まあ少しくらい悩んでもいいじゃないか系でした。
今章はあと二話ほどで終わります<(_ _)>




