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ACT1:死神の覚醒

 ヒカルとトーマの2人が、陸軍:傭兵部隊に配属されてから、早くも8年の歳月が流れようとしている。この秋でトーマは17歳の誕生日を迎え、ヒカルも12月で16歳になろうとしていた。

 航宙歴571年、軍施設内・病院。休暇を利用してヒカルとトーマは、ソフィアの見舞いに来ていた。ソフィアの病状は現在、安定はしているが年々体力が衰えており、医師団から『もう長くはない』と聞かされていた。

火星を出てから、一度も病室の外へ出た事のないソフィアにとって、2人の話す他惑星の話は、彼女の唯一の楽しみとなっていた。

「…だから、今度派遣されてる星はジャングルばっかで凄いんだぜ。なぁ、ヒカル」

「うん、蒸し暑いの何のって。日に何度もスコールとか降るし、最悪だよ」

 2人のぼやきに、ソフィアは小さく笑う。

「クスクス…、兄さんもヒカルも文句ばっかり。ちゃんとお仕事もしてるの?」

「お!?ソフィアは知らないのか?オルデン傭兵部隊の若き天才スナイパー、トーマ様の活躍の数々。今や陸軍の中で俺達を知らない奴は、モグリなんだぜ」

「嘘ばっかり。兄さんよりヒカルの方が銃の腕前は上だって、ドクター・ヤンが言ってたわ。そうでしょ、ヒカル?」

 訊かれてヒカルは、恥ずかしげに頬をかく。

「いや俺は…、トーマほど凄くないよ。トーマはボスに似てリーダーの資質があるし、今はチームリーダーだってしてるし…」

「ヒカルは確かに、腕はいいかも知れないけど、気が優し過ぎるから駄目なんだ。俺達が居るのは戦場なんだぜ?うかうかしてたらられちまうんだ」

「それは解ってるよ」

「ま、可愛い妹の為だ。ヒカルが窮地に立たされたら、俺が命がけで守ってやるから安心しな」

 少し偉そうに胸を張る兄を押し退けると、ソフィアはベッドから身を乗り出してヒカルに微笑んだ。

「ヒカル、兄さんの言う事なんて気にしちゃ駄目よ。私は今のままのヒカルが大好きなんだから」

 彼女の大胆な発言に、たちまちヒカルは真っ赤になって、下を向いてしまった。トーマは大袈裟な身振りを付けて、椅子から立ち上がる。

「ちぇっ!俺はお邪魔みたいだから退散するぞ。ヒカル、ソフィアの体調もいいみたいだし、お前はもう少しソフィアの相手をしてから帰って来いよ」

「トーマは?」

「ん?ドクターに話を聞いてから、先に帰るわ」

「解った」

 トーマはソフィアに軽く手を挙げて、病室から出て行こうとする。

「じゃあな、ソフィア。また来るからな」

「うん、兄さん」

 トーマが病室から出て行った途端、室内は静かになった。椅子をベッドの側に寄せて座り直すと、ヒカルは真っ直ぐソフィアの目を見つめて声を掛けた。

「今日は…、前に来た時よりも顔色がいいみたいだ。体、大丈夫かい?」

「ええ、最近はきつい薬を飲まなくても調子がいいのよ。何だか昔に戻ったみたい…」

「そう、良かった。安心したよ」

 ヒカルはホッと安堵するも、少し寂しげなソフィアの瞳が気になった。

「ねぇヒカル。私達、いつまでこんな生活が続くのかしら…」

「病院は…辛いのかい?」

「ううん、そうじゃないの。ドクターも看護師のみんなも、とってもいい人ばっかりで辛くなんかないわ。…ただ、兄さんやヒカルの事が心配なの」

「俺達は平気さ。さっきトーマも言ってたろ?俺達、軍じゃ有名なんだ。心配はいらない」

「でも今回は私、何だか嫌な予感がしてならないわ」

 ヒカルは1つ呼吸を整えると、彼女を安心させるように力強く応える。

「大丈夫!…そんなに俺達は弱く見えるかい?」

「ううん」

 ソフィアは小さく首を横に振った。

「俺は兎も角、トーマはボスの一番優秀な弟子の1人なんだよ。だから安心して、ソフィア」

 それでも不安なのか、ソフィアがヒカルに声を掛けようとした時、看護師が病室へ入って来て、面会時間の終了を告げた。

「はいソフィア!午後の面会は終了よ。ヒカル君、お話は終わったかしら?」

 慌ててヒカルは椅子から立ち上がると、ドアへと向かう。

「あっ、今出ます。じゃあソフィア、また来るから」

「ヒカル…、気を付けてね」

「うん、解ってる」


 病院を後に基地施設の部屋へ戻ると、暗い顔のトーマが椅子に座って、ヒカルの帰りを待っていた。医師の話は深刻だったのだろうか?そうとは思えないほど、ソフィアの状態は安定してるように見えたのだが…。

「トーマ、ドクターは何て?」

「まぁ座れよ、ヒカル」

 訝りながらも彼の前に腰を下ろすヒカルに、トーマは予想だにしない事を口にする。

「どうかしたのかい?」

「―ソフィアなぁ、今年の冬までもたないらしい…」

「えっっ?!嘘…だろ?」

「体の機能が限界を超えたそうだ。今は投薬治療もやめて、モルヒネに切り替えたそうだ。―この意味、軍人のお前なら解るよな?」

 投薬をモルヒネに切り替える…。それはつまり、治る見込みのない末期患者に対し、少しでも痛みを無くす為、麻薬を与える事だった。ヒカルは怒りのあまり、頭の中が真っ白になってしまった。

「そんな……、あんなに元気そうなのに?-くそっ!!」

 彼は拳を強く握り締めて、怒りに堪えた。トーマの気持ちを思うと、素直に感情を表す事が躊躇われたからだ。それはトーマも同じで、彼も努めて平静を装っている。

「今は少しでもソフィアの元に居てやりたいが…、最悪な事に休暇が取り止めになった。今晩、また出動要請が出た。フィリーナ星系で、大規模な基地を見つけたらしい。俺達の居た近くの衛星だそうだ」

「こんな時くらい休ませてくれてもいいだろうに!…トーマ、お前だけでも地球ホームに残ってくれ。今はソフィアの側に居た方がいい」

「…無理だな。俺達がどういう立場か、この10年で理解出来てるだろ?」

「けど!たった1人の肉親なんだよ?いくら政府のお偉いさん方も許してくれるだろう?」

「ヒカル。いきなり長期で休暇なんか取ったら、ソフィアに気付かれるぞ?俺達は根っからの戦争屋なんだからな」

「…解った。そういう事ならさっさと片付けて、すぐに地球へ帰って来よう!」

「そう…だな」

 珍しくやる気を見せるヒカルに、トーマは驚きを隠せなかった。ソフィアの病室で彼が指摘した通り、戦場でのヒカルは甘いのだ。

ヒカルは人間ではない人造擬体バイオロイドにも、決してとどめを刺そうとはしなかった。両手・両足の関節を撃ち、腹の部分にある駆動系の器官を破壊するにとどめるのだ。人造擬体も人間に模して造られた以上、身体の機能をコントロールする器官は、人の大脳に当たる部分に纏まっているので、ヒカルのように手間を掛けなくとも眉間を一発撃ち抜けば、楽に倒せるのであった。

トーマはいつも弾の無駄使いだと、ヒカルに注意しているほどだ。ヒカルさえ本気を出してくれれば、きっとボス以上の逸材になるのは間違いないのにと、トーマは何かと彼にはっぱを掛けては、本気にさせようと苦労していたのに…。

 トーマは薄く笑うと、自分達が戻るまで元気で居ろと、ソフィアに願わずにはいられなかった―。




フィリーナ星系第5衛星:ユーノ。フィリーナ母星から一光年離れたここは、未だ開発途中の未開の地である。幸い、大気は地球と大差なく、宇宙服無しで行動可能だったので、時間を気にするトーマとヒカルの2人には、好都合であった。

 ユーノに来てから2週間。地下坑道を利用して作られた人造擬体の基地の全容を、早くも入手しているトーマ達の部隊に、後方で戦火を見守るフィリーナ星人と連邦の連中は、舌を巻くばかりだ。

「最前線で指揮をとる彼らは一体…?」

「オルデン傭兵部隊の事ですかな?彼らは、言わばバイオロイド攻略のエキスパートですよ。血も涙もない、恐ろしい連中です」

「しかし、指揮官は、まだ若者のように見えますが?」

「さぁ…、きっと地球系ヒューマンではないのでしょう。それより大臣、我々はもっと後方に下がった方が宜しいようです。ささ、こちらへ」

 後方へと下がって行く要人達を遠くに眺め、トーマは馬鹿にするかのように鼻を鳴らした。

「お!ヒカル、見てみろよ。お偉いさん達が引き上げて行くぜ」

「そうかい?それよりトーマ、突入準備は大丈夫かい?」

「ああ、いつでもいいぜ!-隊長!準備完了です」

「そうか。それでは先鋒部隊:トーマのチームから、チームリーダー・トーマ、ヒカル、テッド、ニール、ルドガー通信士以下5名。突入部隊に…」

 作戦ミッション決行前の最終確認をしている間、腰のサブバッグ内にある新型爆破装置を手に取るヒカルに、トーマが囁いた。

「どうした?」

「バイオロイド専用の新型か。また傭兵おれたちで仕様テストをするんだな」

「何だ?初めて使う火器にびびったのか?」

「そんなんじゃないけど、上のやり方が気に入らないって思っただけさ」

「そんなの、いつもの事だ。-ほら、行くぞ」

 ヒカルが視線を上げると、隊長の話が終わるところだったので、ヒカルは急いでバッグへ装置を仕舞い込む。

「…衛星ユーノ敵基地への侵入、並びに基地機能の完全沈黙が命じられた任務だ。作戦開始ミッションオープン!!」

「「「了解」」」

 トーマ達の先鋒部隊は最小の装備を持って、基地内へ侵入を開始した。

一点集中型の攻撃では、大規模で行動するよりごく少数で動いた方が、身軽でピンポイント攻撃が出来るのだ。少数部隊での限界人数は最小で5人。それ以上では全員の位置が把握出来ず、またそれ以下の人数では極端に戦力が劣ってしまうからだ。

 トーマ、ヒカル、テッド、ニール、ルドガーにはそれぞれサポート隊員が4名ずつ、計25名での戦闘だった。基地のメインコンピューター破壊にトーマのチーム、敵の陽動にヒカルとテッドのチーム、後方から残りの2チームが援護するという形の、陣形が組まれていた。

侵入開始から5分ほどで、敵・人造擬体達に動きが表れた。

「どういう事だ?おい、ルドガーさんよ!俺達の位置が、敵にトレースされてるんじゃねぇの?!」

「いや、そんな事は無いはずだ!昨夜の内に傍受計器はすべて破壊され、奴らにレーダーは使えないようになっている」

 トーマの指摘に、手元の計器センサーを確認しながらルドガーが応える。ヒカルは一同の装備を見渡して、ある事に気付いた。

「コンピューターのAIだ!みんな、今すぐすべての機材をオートから手動に切り替えろ!早く!!」

「ちっっ!これだから最新式の機械マシーンってのは~っ!!」

「何だ、手動?それも全部だと?!無茶言うな!!」

 テッドの横でヒカルに言い返したのは、ニール伍長だ。彼は傭兵部隊の者ではなく、陸軍:白兵戦術部隊の人間だ。チーム内に一瞬緊張が走るが、ヒカルは冷静にニール伍長へ告げる。

「やらなきゃ、あんたは敵のターゲットになるだけだ。俺達は動きやすくなるから、別に構わないけど?決めるのは、あんた自身さ」

「ヒカルの言う通りだ。こいつら2人をただのガキだと思ってると、痛い目をみるぜ?オルデン傭兵部隊の名が全宇宙で有名になったのは、こいつらのお陰だからな」

 手持ちの機械を手動モードに切り替えながら、ニールに言うのはテッドだ。このメンバーの中でヒカル達と付き合いが長く、一番古株なのも彼だった。

テッドの言葉を聞いて、冷や汗と共にニールは生唾を呑み込む。軍での噂を思い出したのだ。

「ま…まさかお前達が、オルデンの死神!!」

 オルデン傭兵部隊の死神、…それは生きた伝説の話だ。コンピューターの頭脳を有する人造擬体相手に互角…否、それ以上の実力で宇宙各地の人造擬体の戦略基地を、ことごとく破壊してきた怪物コンビ。彼らとパートナーを組む者で未だ死人の数は0、正に地獄の女神に愛された死神そのもののような存在。-そして、彼らの過去を知る者は誰もいない。


 全員が機材の調整をすませた所で、再び先鋒部隊は進軍を開始した。リーダーのトーマが手信号を使って、後ろの部隊へ指示を出す。陽動部隊のヒカルとテッドのチームが、通路を動力炉とは反対の方向へと走り、派手に銃撃戦を始めたところで、トーマのチームが先陣を切って通路を突破するのを、残りの2チームが後方から援護した。

援護部隊の位置から2ブロック進んだ先に、この基地の心臓部である動力炉がある。この部屋にトーマ達が、時限爆破装置をセットして脱出すれば作戦終了ミッションコンプリートだ。


 通路の先からトーマ達が勢いよく飛び出して行った直後に、ルドガーの持つ通信機コミュニケーターが鳴った。ルドガーが通信に出ると、隊長からの緊急コールであった。

ザーッ『ブラザー3、現在位置の報告を!』

Pi!「はい、動力炉の2ブロック手前まで来ています。ブラザー1とブラザー2が、作戦に入ったところです」

ザーッ『もうそこまで行ったのか。…すぐに呼び戻せ』

 ルドガーは、思わず我が耳を疑った。

「は?本気ですか、隊長。あと、数十分で作戦成功ですが?」

ガーッッ『今、外が奇襲攻撃を受けてな。大した数ではないんだが、上からの命令だ。全軍で作戦本部を守れと言われている。ブラザー1なら再突入も可能だ。全員をすぐに連れて戻るんだ、解ったな?』

「りょ…了解であります」

 通信を終えて、ルドガーはすぐにインカムでトーマとヒカルとテッドを呼ぶが、3人からの返答が無い。代わりにインカムからは、物凄いノイズ音が返ってきた。

「どうした?通信士!」

 ニール伍長が苛立たしげに訊き返す。

「トーマ達と連絡が取れない。ジャミングされてるらしい」

「撤退命令が出たんだろう、どうするよ?」

「仕方ない、徐々に後退を始めよう。俺は引き続きコンタクトを取る!」




 ルドガー通信士がヒカル達に必死の呼び掛けをしている頃、囮役のヒカルとテッドのチームは、人造擬体達と激しい銃撃戦の真っ最中であった。

通路の角を挟んで雨の如く銃弾が飛び交う中、テッドがチームのメンバーを鼓舞する。

「おめぇら、あと一息だ!もっと踏ん張りやがれ!」

「「「アイ・サー!!」」」

 気合いも新たに隊員達は次々と、人造擬体の弱点である眉間に弾をヒットさせていく。残弾数を確認しながら、テッドがヒカルに声を掛けた。

「これであらかた、全部倒せたな?」

「大部分はこっちに引き付けられたはずだからね。後はトーマのチームが、上手くやってくれるさ」

 幸い10名の隊員中、肩を負傷した者が2名出ただけで、死者は無かった。やれやれとテッドが吐息を吐いた時、耳に装着された通信機の呼び出しが鳴った。

Pi!「おう、こちらブラザー2」

ガガガッ『やっと繋がった。作戦は中止だ、すぐに撤退されたし』

「はぁ?撤退しろだぁ?!」

 思わずテッドは素っ頓狂な声を上げた。問われたルドガーも、納得いかない口調で応える。

ガーッ『仕方ないだろう、隊長からの命令だからな。…ところで、トーマも近くに居るのか?』

「あいつなら、もうとっくに敵さんへ突入したぜ。どうかしたのか?」

ガーッ!『ブラザー1達と連絡が取れない。どうもジャミングされているらしい』

 テッドとルドガーのやり取りを聞いていたヒカルは、自分の装着している通信機でトーマを呼び出してみる。

Pi!「ブラザー1、聞こえるか?ブラザー1、ブラザー1!」

 しかしインカムからは、ノイズ音しか返ってこない。その様子を横目に見ながら、デットがルドガーに告げる。

「俺とヒカルでブラザー1達を迎えに行く。先に部隊の連中だけを撤退させると、隊長に伝えてくれ」

ガーッ!『ブラザー3、了解!』

 通信を終えると、テッドはチームのメンバーに、てきぱきと指示を出していく。

「…今聞いた通りだ。俺とヒカル、それとヒカルのチームとで、ブラザー1達の所へ向かう。残りのメンバーは撤退だ、いいな!」

「「「アイ・サー、リーダー!!」」」

 隊員達が撤退準備に入るのを確認して、テッドとヒカルは動力炉に向かって、侵攻を始めた…。




 時間は、30分ほど遡る。ヒカル達、囮部隊が通路の先へ消えて行くのを見守って、トーマは隊員達に小声で命じた。

戦闘服スーツ不可視化インヴィジブルモードを起動させろ。奴らの熱感知センサー内に入らないよう、充分注意しろよ」

「「「アイ・サー!!」」」

 自らも不可視化モードを起動させると、トーマは胸ポケットから白いバンダナを取り出し、それを額に巻いた。これは戦闘に突入する際の、彼の儀式のようなものだった。今は亡き祖父ボスから貰ったこのバンダナを身に付けていて、ただの一度も負けた事はない。

戦場にあって、げんを担ぐ兵士は少なくないと言われている…。少年の顔から兵士の顔になると、銃を構えて通路を一気に突破して行く。

「行くぜっ!!」

 軍靴ぐんかの音を響かせながら通路を走り抜けて行くと、遥か前方に動力炉へと繋がる通路が見えた。最後尾の隊員が通路を曲がった時だった。通路に突如、隔壁が降りて退路を断たれてしまったのだ!

「チッ!作戦が読まれていたかっ!?」

 敵に退路を断たれた為、隊員達は完全にパニックを起こし、浮足立ってしまている。

「陣形を乱すな、全員かたまれ!俺が足止めしている間に、壁を爆破して脱出するんだ!!」

 部下を怒鳴りながら、トーマは前方に銃を乱射した。通路の先から次々と、人造擬体達が姿を現したからだ。

Pi!「ブラザー2、こちらブラザー1。敵襲を受けた、一時撤退するから援護に…」

 トーマの耳のインカムからは、何の応答も返ってこない。彼は漸く、通信がジャミングされている事に気付くのだった。

「くそっ!ジャミングか!?」

 トーマが苦々しく舌打ちした時、背後で鈍い爆発音が上がった。隔壁の一部が爆破されたのだ。壁を爆破した隊員がトーマに叫ぶ。

「伍長!早くこちらへっっ!!」

 隊員達が援護射撃をしている隙に、トーマは壁の穴へ飛び込んだ。チームのメンバー全員の無事を確認すると、素早く身を起して、トーマは隊員達を先に行かせる。

「先に行け!すぐに追って来るぞ、急げ!!」

「は…はいっ!!」

 トーマは向かって来る人造擬体達を迎撃しながら、ジリジリと後方へと下がって行く。先に行かせた隊員達と、ずいぶんと差が開いたらしい。敵の攻撃の間隙をぬって、トーマは全速力で通路を駆けて行った。

 白い無機質な通路を走り抜けて行くと、前方の通路の先から、先に逃がした隊員達がトーマを援護してくれた。隊員達は口々に、トーマへ何か叫んでいる。

「伍長急いで!この隔壁も、じきに封鎖されます!!」

 見れば、天井部より少しずつ、隔壁が降りて来ているではないか。半分ほど、すでに閉まり掛けている通路の隙間から、トーマへ手を差し出していた隊員の顔面に、真っ赤な血の花が咲いた!

振り返り、まじかに迫った人造擬体の眉間を見事に撃ち抜くも、トーマの背後で無情にも、隔壁は完全に閉じてしまっていた。トーマの頬を、一筋の汗が流れ落ちる。

「…地獄の女神様も、今度ばかりは俺に微笑まなかったらしいな」

 自嘲気味に呟きながらも、トーマは構えた銃を下ろそうとはしなかった―。




 トーマのチームを迎えに向かったテッドとヒカルであったが、ブロックごとに封鎖されている隔壁を爆破して行くのに手間取っていた。

「…っんだぁ?!また壁かっ。こっちは急いでるって言うのに!」

 文句を付けながら、テッドは安全ピンを抜いた手榴弾を、前方の壁に向かって投げつけた。轟音と共に、隔壁の一部に大穴が口を開き、もうもうと白煙の上がる中、メンバーは次々と穴の中へと入って行く。

横に控えるヒカルに、テッドはいつになく真剣な口調で訊いた。

「そろそろ弾数がヤバくなってきやがったぜ。まだ連絡は取れねぇのか?」

「…まだだ。くそっ、まだ遠いのか!?」

「ジャミングか。この鬱陶しい壁のせいだろうな、きっと」

 忌々しげに、テッドは前方に再び現れた隔壁へ、顎をしゃくった。ヒカルは手にした手榴弾を壁へ投げて爆破すると、ゴーグルの下から鋭い視線を穴へ向けて、銃を構えた。白煙の中に動く影を見たからで、人差し指はトリガーに掛けられている。

しかし、穴の中から這い出して来たのは敵ではなく、味方の隊員達であった。全員、トーマのチームのメンバーだ。テッドはひとまず安堵の吐息を吐くが、ヒカルはメンバーの中にトーマの姿が無い事に、愕然と化してしまう。

「トーマは?トーマを一体、どうしたんだ?」

 青褪めたまま立ち尽くすヒカルの元に、片足を撃たれ他のメンバーに肩を借りた隊員が寄って行く。

「カトー伍長。リーダーはこの先のブロック内に、まだ閉じ込められたままです。隔壁は一ヶ所だけが閉じたままですが、その壁だけが防弾製で、自分達の爆破では破る事が出来ません。伍長の銃でしたら、あるいは……」

「この先に、とーまは居るんだな?」

 隊員達は皆、無言のまま頷いた。テッドはヒカルの背中を一発叩くと、隊員達に指示を出す。

「ホームから撤退命令が出ている。ラーセン伍長は俺とカトー伍長で救出するから、おめぇらは全員すぐにホームへ戻れ!いいな」

「了解しました」

「トーマの事だ、心配ない。きっと上手くやってるさ」

「…急ごう、テッド」

 暗い顔のヒカルを元気付けようと、努めて明るい口調のテッドに、ヒカルは厳しい顔で返すばかりだ。2人共、装備の残弾数に余裕はなかったが、今はトーマを救出するのに、前進あるのみだった。

そして、隊員達と別れてから5分と進まない内に、黒い爆破の煤も生々しい隔壁が、トーマとヒカルの2人を引き裂くように、立ち塞がるのだった―。




 背後の壁が降りて逃げ場を失ったトーマは、人造擬体の格好の餌食となってしまったが、歴戦の猛者であるトーマは、まだ諦めていなかった。確実に一発で敵の眉間を撃ち抜き、仕留めていたのだ。正に神業のような射撃の腕前であったが、その表情には疲れと焦りが、色濃く浮かんでいる。

「しまった!はずしたかっ!?」

 人造擬体の撃った銃弾は、幸いにもトーマの左こめかみを掠っただけで、被弾は免れた。バンダナと、彼の闇色の髪がちぎれ飛ぶ。

しかし被弾はしなかったものの、掠った弾の衝撃により、トーマは一瞬脳震盪を起こして、手から銃を取り落としてしまった。床に銃が落ちる音と、続け様に撃たれた銃声とが重なり、辺りへ木霊のように反響した。

通路の先に立った人造擬体は、トーマの右肩と腹部に弾をヒットさせている。トーマは口の端から生温かい血を流し、その血は床の上に大きな血だまりを作っていく…。

 隔壁一枚の距離まで近付いたお陰か、あれほど繋がらなかった通信が急にクリアになって、ヒカルの叫ぶ声が痛いくらいに耳に聞こえる。トーマは敵に解らないよう、咄嗟にインカムのボリュームを下げて、自嘲気味に独り言を呟いた。

「へへ…。俺様とした事が……、ドジっちまったぜ…」

ガガッ!『トーマ?…撃たれたのか?!待ってろ、すぐに救出する!!』


 トーマの呟きを聞いたヒカルとテッドは、彼の危機的状況を知ると、すぐに行動へ移った。壁の向こう側に居るであろう人造擬体を、瞬殺出来るようにテッドが銃を構え、ヒカルは腰のホルスターから愛銃を抜いた。

 それは一見、古代・地球で作られた旧式…と言うより骨董品に近い、動くかどうかすら怪しい銃身を切り詰めたショット・ガンだった。だがこれは、火星のドクター・カーク研究所から、ボスが命を懸けて持ち出した、宇宙最強の武器―。脳内に埋め込まれたナノマシンによって、宿主の生命力バイタルをそのままエネルギー転化すると謂われる、幻の代物だ。

 ヒカルは右手に握るソレに、囁くよう静かに声を掛けた。

「シリアルコード:001。起動だ、相棒」

 ヒカルの手の中で、銃がカタカタと動き出す。

『声紋識別確認、起動致シマス』

 無機質な機械音声を発し、ヒカルのソウル・ブリットが起動した。シューン!という風の唸るような音と共に変形を始めた銃は、ヒカルの右腕に装着され鈍い光りを放っている。

「コード:055、モードチェンジ」

了解オールライト変形実行ソード・ベント

 右腕に装着された銃はヒカルの命を受け、更に変形をし始めた。そして彼の掌の中に、鮮やかな緑色の光を発する、ビーム・サーベルが出現していた。


 ヒカルが銃のスタンバイをする間にも、人造擬体は銃口をトーマへ向けたまま、静かな足取りで近付いて来ていた。トーマはやれやれと大きくゼスチャーをして、もはや戦意がない事をアピールする。

「貴方、ずいぶんとあたしの仲間を殺してくれたわね。どんな大男かと思えば、可愛い坊やじゃないの。どうして坊やみたいな子供が、連邦軍に居るのかしら?」

「成り行き上、仕方なく…ね」

 見上げるトーマを、静かに人造擬体は見下ろしている…。流れるような銀髪に、透き通った若葉色の瞳。抜けるような白磁色の肌と、性別がない整った顔立ち。カーク博士の最高傑作である人造擬体。きっとこの世に天使という者が存在したならば、この姿をしているに違いない。-だが、それは所詮、造り物の美に過ぎない。同じ顔・同じ声の人造擬体達は、蟻の群れと同じく、不気味なものに映ってしまう。

 トーマは再び口から血を吹き出した。腹への銃弾は、彼に致命傷を与えている。自らの血で染まった手を人造擬体へ差し出して、トーマは覚悟を決めたように不敵な笑顔を浮かべていた。

「坊や。貴方、長くはもたないようね。本当、人間なんて弱い生き物だわ」

ザーッ!『ブラザー2よりホーム、聞いてるか?トーマが撃たれた。今からヒカルと救出に入る。…聞いてるか、ルドガー!トーマは重傷だ、すぐに救護班を!!』『ブラザー3よりホーム。聞いてますか?トーマが撃たれました。俺達も援護に向かいますので、至急救護班の要請を願います!』

ガガッ『駄目だ、上からの命令だ。全員速やかに撤退しろ!ヒカル達にも伝えろ。トーマなら………奴ならきっと、上手く脱出するだろう。以上だ』

ガーッ!『……了解。ブラザー2、ホームの命令だ。救出は諦め、一時撤退されたし。繰り返す。救出は諦め、一時撤退だ』

「ふざけてんじゃねぇ!!」

 テッドは怒りに任せて、通信機を床へ叩きつけた。ビーム・サーベルを上段に振り上げたヒカルが、トーマに告げる。

Pi!「今から壁をぶっ壊すから離れて!!」


「-あんた、本当に綺麗だよな。人造物なんて嘘みたいだ…」

「褒めてくれてありがとう。そうよ、あたし達は選ばれた存在。人間よりも優れた者よ」

 トーマは背後に回していた右手で、ウエストバッグから新型の手榴弾を取り出し、人造擬体に気取られる事なく、起爆スイッチを押した。起動後、3秒で爆発するように作られている。

よもやトーマが戦意を失くしていないとは、露にも思わない人造擬体は、ゆっくりと銃口を上げて嫣然と微笑んだ。

「今、楽にしてあげるわね。坊や」

 俯くトーマの脳裏に、ソフィアの愛らしい笑顔と、いつでも真っ直ぐなをしたヒカルの顔が、走馬灯のように浮かんでは消えて行く。

(-なぁヒカル。俺、約束しただろう…)

「…お前の事は命懸けで守ってやるって。さよならだ、ヒカル――」

                   ズドドーンンッ!!

 ヒカルがビーム・サーベルで隔壁を切り付けるより瞬間早く、トーマの手にした手榴弾の方が、先に爆発した。思わぬ爆風に、テッドとヒカルの身体は宙を飛び、背中から床へと叩きつけられる。

背中を強打したせいで、肺の空気をすべて吐き出し呼吸もままならず、耳鳴りと強烈な衝撃にしばし動けないでいたが、それでもヒカルは気力を振り絞って、その場へ立ち上がった。ふらつく足取りで、爆破された隔壁まで歩いて行くと―、そこには誰も居なかった。

ぼうっと霞む頭で、焼け焦げ吹き飛ばされた隔壁の瓦礫を見つめて、ヒカルは何が起きたのかようやく悟ったのだった。

「…すげぇな、こいつが新型の威力か」

 テッドの声は、今のヒカルの耳には届いていない。胸にポッカリと穴が開いた感覚に見舞われ、焦点の定まらない視線を、床に落ちたトーマのバンダナへと向けた。

元は白かったそれはトーマの血に染まり、すっかり色が変わってしまっている。バンダナの赤から緩々と視線を移すと、トーマの血だまりと、少し離れて人造擬体の人工血液が目に入った。トーマの赤い血と、人造擬体の薄桃色をした人工血液…。肉片すらも残さず、見事に吹き飛ばされていた。

「――ああぁぁ…っっ!!」

 人造擬体の人工血液が目に入った途端、ヒカルの感情が一気に爆発した。手にした銃で床の血だまりを滅茶苦茶に撃ちまくり、人造擬体の血だまりを辺りへ吹き飛ばした。それと同時に堰を切ったように、涙が溢れて止まらなくなる。ヒカルの絶叫だけが、地下施設内に響いていった…。

 どれくらい時間が経ったのだろう。誰かに名前を呼ばれた気がして、ヒカルの意識が回復する。左頬が叩かれたように痛い気がしたが、彼の目の前には険しい表情の見慣れた男の顔があった。

「…テッド?」

「俺が解るか、ヒカル?…良かったぜ」

 疲れたように安堵するテッドとは別に、煩く通信機からも名前を呼ばれていた。ノロノロと緩慢な動きで通信機の電源を切ると、ヒカルは立ち上がって通路を奥へと進んで行く。

「ヒカル?」

 訝りながらも、テッドはヒカルの後を追った。

トーマが最後に使用した手榴弾は、軍が開発した最新鋭の対・人造擬体用:小型爆弾であった。爆発と同時に、特殊な周波数の電磁波が発生し、敵のAIを一時的に麻痺させる事が出来るのだ。

コンピューターのハード自体に直接ダメージを与える為、通路の非常灯も放電の火花を撒き散らしながら瞬いている。その為、通路のあちらこちらで活動を停止した人造擬体が、ゴロゴロと転がっていた。

 ヒカルはその一体一体の額を、確実に撃ち抜いて回る。今までの彼では、あり得ない行動だった。トーマが指摘した甘さゆえ、動けない敵を撃つなんて事を、ヒカルは一度もしなかったからだ。

「ヒカル、おめぇ………」

 何の感情の色もない人形のような表情で、人造擬体を壊して行くヒカルの姿に、テッドは言葉を失くしてしまう。幽鬼のようなその姿を、ただ見守る事しか出来ずにいた。

兄弟のように育ってきたトーマの死をきっかけに、ヒカルの心を繋いでいた何かの“糸”が切れたのは確かだった。

 手動でロックを解除して、ヒカルは動力室の扉を開けて、中へと入って行く。迷わず真っ直ぐ奥まで行くと、目の前にそびえるようにして動力炉が現れた。

サブバッグから時限爆破装置を取り出すと、ヒカルは無言のままに次々とセットして行く。起爆装置のタイマーは10分、全力で走ってギリギリ外へ脱出できる時間だった。




 外では、オルデン傭兵部隊の隊員達が隊長の元へ詰め寄り、あわや乱闘が始まりそうな騒ぎになっていた。ルドガーは辛抱強く、返事のない通信機に向かって声を掛け続けている。インカムを着けていた傭兵部隊の全員が、ヒカルの絶叫を聞いていたからだ。

 隊長が最初に告げた通り、外での戦闘は大した数ではなかったので、すぐに戦闘は終了していた。しかし、未だ部隊には、救援チームの出動命令が出ていなかったのである。

「駄目だ、やはり電源を切っているみたいだな…」

「伍長達の身に何か遭ったら、自分は隊長!あんたを絶対に許さない!!」

 ルドガーの呟きを聞き、隊長の襟首を掴んだのは、トーマのチームの隊員だ。

「私とて、悔しい気持ちは同じだ。だが、我々は軍人。上からの命令には、従うしかないんだ!」

「そんな事、俺達傭兵部隊には関係ない!!」

「おいっ!!誰か出て来るぞ!?」

 施設の入口を見張っていた兵士から驚きの声が上がったので、その場に居た全員が振り向くと、ヒカルとテッドの2人が、基地から脱出して来る姿が見えた。ルドガー達が走り寄って行こうとするのを、ヒカルは手で制し、良く通る声で叫んだ。

「みんな、伏せろ!!」

「「「えっ?」」」

                ズドゴゴゴゴォォォーンンッッ!!

 ヒカルとテッドが地面へ伏して防御姿勢をとった瞬間、施設の入口から大量の炎が噴き出し、地響きと共に大爆発が起きた。当初の作戦通り、人造擬体の基地を、見事爆破したのである。

 爆破の余波を喰らって、隊員達が地面に転がる中を、ヒカルは奥の対策本部が設けられているテントに向かって歩いて行く。その鬼気迫る背中に、誰も声を掛ける事が出来なかった。

「なっ…、何だね、君は?!」

 突然入って来た一般兵卒にうろたえる幹部指揮官に、ゴーグルの下からヒカルは一瞥をくれた。

「撤退命令を出した無能な指揮官は、あんたか?」

「む…無能だと?!貴様、所属部隊と名前を言え!上官侮辱罪で査問会にかけてやる!」

 ヒカルに無能と言われ、指揮官は顔を紅潮させて怒鳴り返すが、ヒカルは不敵に口元を歪めただけだ。

「俺をクビにしたければ、するがいいさ。だが、あんたの命も無いと知れ!」

 ヒカルは腰のホルスターから小銃を抜くと、目の前に居る上官へ向けて照準を合わせた。ヒカルのただならぬ雰囲気に、無能な指揮官は彼が本気だと、ようやく悟った。ヒッ!と小さく悲鳴を上げ、大汗をかいた顔からは、すっかり血の気が引いて青褪めている…。ヒカルの後を追ってテント内に入って来た隊長が、慌てて彼を止める羽目になった。

「やめるんだ、ヒカル!落ち着け。そんな事より、トーマはどうしたんだ?」

 ヒカルは黙ったまま、赤い布の切れ端を、2人の前にかざした。

「ま…まさか?!」

「-残ったのは、血の染み込んだこれだけだ!あんたが馬鹿な命令さえ出さなければ、こんな事にはならなかったんだ!俺達が、いつ作戦をミスした?いいや、一度も無いね。たとえ少数部隊だけでも、俺達なら基地の1つくらい、潰すのは容易い事なのに!!」

 言ってヒカルはゴーグルを外し、野獣の如く光る瞳を上官へ向けた。

「ひっ…、邪眼イビルアイ!!じゃあ…、じゃあ、お前の言うトーマというのは―!?」

「俺の同胞はらからだ!……トーマの死、あんたの首1つで済めばいいがな?」

「あ…、あ……、あぁ……」

 今にも失神しそうな指揮官を見て、ヒカルは小銃を仕舞った。撃つ価値もないと判断したのだ。

「こんな男を撃っても、トーマの名前に傷が付くだけだ、馬鹿らしい。殺す価値もない!」

 吐き捨てるように言って、ヒカルはテントを出て行った――。




 その病室の扉を、ヒカルはなかなか開ける事が出来ないでいた。いつもの迷彩柄のジャージではなく、今日のヒカルは式典用の、軍の礼服に身を包んでいる。フィリーナ星系での戦闘で殉死した兵士達の、合同慰霊祭の式典に出席する為だ。

地球へ戻って、まず最初に自ら報告すべきは、軍のお偉いさん方ではなく、ソフィアその人だった。

 大きく深呼吸をしてヒカルは意を決すると、扉をノックしてからゆっくりと中へ入って行った。軍関係者から先に知らせがあったのだろう、ソフィアはヒカルの格好を見ても何も言わず、ただ静かに見つめていた。

「ソフィア、俺…」

「ヒカル、解ってる。解ってるから、今は何も言わないで」

「………」

 ソフィアは、窓の外へと視線を向ける。青く澄んだ空を見つめているようだった。

「私ね、兄さんが死んだ時、この部屋で兄さんの声を聞いたの。可笑しいでしょ?遥か何十光年も離れているのに、声が聞こえたのよ。“いつでも側に居るから”だって…」

「ソフィア!」

「ごめんね、ヒカル。今日だけは1人にして、お願い………」

「ゴメン、また来るから…」

 その一言をやっとの思いで告げると、ヒカルは病室を出て行った。自分に涙は見せまいと、気丈に振る舞うソフィアを見て、いたたまれなくなってしまった。すれ違う看護師達に挨拶もしないまま、ヒカルは式典会場へ逃げるように走って行った――。




 トーマの一件があって以降、ヒカルがソフィアの見舞いに訪れる回数は、めっきり激減していた。それは、まともに顔を合わせる事が困難だったのと、ソフィアの寿命を思うと気がおかしくなりそうだったからだ。

 地球ホームでは吐く息がすっかり白く変わり、色付いた葉が落ちていた頃、ヒカルは月面基地に居た。新型ライフル銃の、仕様テストに立ち会っていたのだ。

新型の武器が開発されると、一旦製造工場で機械による仕様テストが行われてはいるが、完成モデルの仕様テストにおいては、人間の手に委ねられている。暴発事故などの万が一に備え、新型武器の最終テストも、傭兵部隊の重要な任務の1つになっているのだった。

 武器のテストが一段落ついた時、ヒカルを呼び出すアナウンスが室内に入った。防音用のヘッドフォンを外して、ヒカルは壁面の通信機コミュニケーターの前に立った。

「はい、カトーです」

『地球からの衛星回線を繋ぎます。しばらくお待ち下さい――』

 通信士に代わって画面モニターに映し出されたのは、ソフィアの担当医:ヤン医師だった。ヒカルは少し驚いた口調で、画面に語り掛ける。

「ドクター?よく俺の居場所が解りましたね」

『ヒカル、落ち着いて聞いて欲しい。ソフィアの容態が悪いんだ、今すぐ地球へ戻って来れないか?』

「ソフィア、そんなに悪いんですか?!」

『もって、後3日くらいだろう。大佐には僕から話してある、今すぐそこを出て欲しい』

「…解りました」

 通信を切ると、残りのテストを他の隊員に頼み、ヒカルは地球行きの定期艦シャトルに乗り込んだ。ソフィアの待つ軍施設病院まで、丸2日の行程だった――。


 ヒカルが病室へ着いた時、ソフィアはすでに手の施しようのない状態だった。エレベーターを待つのももどかしく、階段を駆け上がって病室へ入ると、青白い顔色のやせ細ったソフィアが、ベッドで横になっていた。ヒカルの姿を見た看護師達が、目を伏せて病室を出て行く。

 ヒカルはソフィアの顔の近くへ自分の顔を寄せると、今にも泣き出しそうな顔になってしまった。それを優しく微笑んで、ソフィアはヒカルの頬に軽く手を差し伸べた。

「駄目よ、男の子がそんな顔しちゃ。ボスがいつも言ってたでしょう?」

「ソフィア、ごめん…。ごめん、俺……」

「何も悪くないのに、どうしてヒカルが謝るの?…ねぇヒカル、私の最後のわがまま、聞いてくれる?」

 ヒカルは涙を懸命に堪えて訊き返す。

「何だい?」

「私、地球の大気を浴びたいの。地球の風を感じてみたい…」

「でも、そんな事をしたら!」

「お願いヒカル。私、病院のベッドの上で死ぬのは嫌なの。お願い!!」

 死を迎えた少女とは思えないくらい、強い口調でソフィアは言った。ヒカルは小さく頷くと、ソフィアに笑ってみせる。

「解った。でも、苦しくなったらすぐに言うんだよ。いいね?」

「ありがとう!ヒカル――」

 ソフィア自ら酸素供給器を外して起き上がると、ヒカルは彼女を抱き上げ病室を出て行った。エレベーターホールには誰の姿もなく、2人はそのままエレベータに乗り込んで、屋上へと向かった。

屋上には入院患者の為に、綺麗なガーデニングの庭園が造られ、さながら空中庭園といった趣になっている。この季節、空気は肌を刺すように冷たかったが、空は快晴で暖かな日差しが庭園を照らしていた。

 芝生の上にそっとソフィアを下ろすと、ヒカルは上着を彼女の背中に背負わせた。

「寒くない?」

「ありがとう、平気よ。気持ちがいいくらい…、体がスーッとするわ」

 地面に咲く草花を見つめて、ヒカルが呟く。

「今が春なら良かったのに。そうすればソフィアに、もっと色んな花を見せてあげれた」

「ううん、今咲いてる花だってすごく綺麗よ」

 花壇に植えられているパンジーの花を愛おしく触りながら、ソフィアが微笑んだ。

風が吹いたので2人が視線を上げると、屋上の手摺りに一羽の鳩が舞い降りた。ソフィアが嬉しそうに笑顔を浮かべるので、ヒカルは鳩へそっと左手を差し出した。

「そら、おいで。怖くないから…」

 鳩は少し小首を傾げて、ヒカルの指先へとまった。そのままヒカルは、鳩をソフィアの肩へと乗せてあげる。

「うふふ…。こんにちは、鳩さん」

 彼女が鳩へ手を伸ばした時、再び強い風が吹き、鳩は大空へと飛び去って行く。名残惜しそうに見上げた直後、ソフィアが激しく咳き込んだ。慌ててヒカルが彼女を抱き上げる。

「ソフィア!!」

「ソフィア!ヒカル!!」

 ヒカルが声に振り返れば、ヤン医師がエレベーターホールから駆け出して来る所だったので、ヒカルはそのまま彼の元へ行こうとしたが、ヒカルの肩を掴んでソフィアが止めた。

「お…願い、ヒカル。このままここに居させて…」

「でも!!」

「お願い!私、地球と1つになりたいの。最後のわがまま、許して…」

「ドクター!!」

 ソフィアの脈を取り、ヤン医師は静かに首を横に振る。大粒の涙が、ゴーグルを外したヒカルの瞳から、溢れて流れ落ちた。その涙を指で拭いながら、ソフィアはヒカルに最後の別れを告げるのだった。

「ヒカル、お願いよ。私が死んでも悲しまないで。――私まで死んだら、ヒカルは1人ぼっちになってしまう…。けれど、私も兄さんも、いつもヒカルの側に居るから…。宇宙の大気になって、私がヒカルを守るから…。ごめんね…、寂しい思いを…させ…て――」

 ヒカルの頬に触れていたソフィアの手が下へと落ちた。

「ソフィア?嫌だよ、1人は嫌だよっ!目を開けてよ……ソフィアーッッ!!」

 ヒカルの泣き叫ぶ声は、見ていた病院スタッフを涙ぐませるには充分だった。トーマもソフィアも、ヒカルとは実の兄妹以上に、深い絆で結ばれていたからだ。

1人、孤独の淵に立たされるヒカルに、その場に居る誰も声を掛ける事が出来なかった。

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