続2話 遠野真と元魔女の別離問答
雲一つない、何処までも澄んだ蒼穹を渡り鳥達が横切っていく。
地面を踏みしめて力強く跳び、鳥達との距離を縮めようと試みる。
いくら手を伸ばしたって、届くはずなんてないのに。
もう少しで何かが掴めそうな気がした。
「黄昏れてんなよ」
「はい。すいません」
早朝の公園。一人でブランコに揺れていた俺の貴重な一時をぶち壊して現れたのは、
「アリスさん。こんな所で会うなんて奇遇ですね」
「偶然だったらな」
息を吐くように意味深な事を呟くアリスさんだった。
彼女はパーソナルカラーでもある煤けた赤煉瓦のような色合いの頭髪を黎明の日に輝かせながら、空いていた隣のブランコへ腰を落ち着ける。
今日のアリスさんは、私がアリスですよーと主張するぐらい清楚な出で立ちをしていた。
胸部線を覆い隠すゆったりめの真っ白いシフォンブラウスに、ハーゲンダッツのストロベリーアイスみたいな淡い色合いのミニスカート。
真っ赤なパンプスもアリスさんの髪色と比較されることで、より引き立って目に映る。
「なんか、今日はまた一段と女の子してますね」
「うるせぇな」
と言いつつも、尖った八重歯を覗かせてはにかむアリスさん。
「紡希や愛だけじゃなくて、アリスさんまで白いと、なんつうか、目に毒ですよ」
「おまえそれ、誉めてるつもりか? それとも、ただ貶してんのか? まぁどっちでもいいけどよ……ほら、今年のトレンドカラーがさ、白らしいから」
「よく似合ってます」
「ふん、そうやってフラグを建設しようとしても無駄だぞ。私には死ぬまで愛し続けると決めた相手が居る。この意思を変えようと思ったなら、一級建築士の資格でも取ってくるんだな」
ヒロインをおとす為に一級建築士になるって、ひとつなぎの大秘宝を求めて海に出るくらいの超大作になりそうだな。いや、一気に六年後とかまで時間をぶっ飛ばせばいけるのか。新世界編ならぬ新社会編。ちょっとパワプロみたいだ。と、ここで遅まきながら一つの違和感に気付いた。
「アリスさん」
「なんだよ」
「アリスさん」
「あぁ?」
「アリスさんアリスさん」
「連呼するな。間抜けが」
容赦ない罵声に自然と口元が綻ぶ。いや、そっち系の趣味はない。そういう変態的なポジションは元魔王で間に合ってる。
「怒らないんですか?」
「怒られたいのかよ?」
「いや、全然」
「じゃあいいだろ」
「だって、アリスさん。あれだけ嫌がってたじゃないですか。その……」
「アリスって呼ばれるのが、か?」
「はい」
「いいんだよ。あれはな、魔女がアリスってのも、なんか悪いだろ。だから、その名で呼ばれたくなかっただけだ。けど、もう引退したようなもんだしな。魔術を忘れた少女は、アリスであることを思い出した。ってな具合さ」
「少女って」
「言っとくけど、私はまだ二十歳だぞ」
二十歳を少女と呼ぶか否かの議論はさておき、アリスさんの年齢に驚いたのは事実だ。
見た目相応ではある。むしろ、より幼い印象すらあるが、その容貌と反比例する如く、彼女の言動や態度など、総じて風格とされるものに、積み立てられた貫禄が備わっていたのも確かだったからだ。
まぁ、それだけ濃い時を過ごしてきた。と言えるのかもしれないが。
「てっきり干支一回りするぐらいには年が離れてるのかと思ってましたよ。やけにサバサバしてるっていうか、そう、ロリババしてますよ!!」
そのつもりで誉めてみたが、アリスさんの反応は芳しくなかった。
彼女は眉を顰めて、小言を返してくる。
「なんだよロリババって。おまえ、誉めるの下手すぎだろ」
アリスさんは、とんっと爪先で軽く地面を蹴って、浮遊感に身を委ねていく。
予想以上に大きく、湾曲線を描いて離れていく背中。
悪戯好きな通り風が彼女のスカートの裾を煽るが、背後で見守っていた俺に、その秘境は望めなかった。
「あ、そうだ。アリスさん聞いて下さいよ。紡希がさ、いきなり学校行くって言い出したんです」
「あらまほしい兆候だな」
言って、緩やかに後ろへ流れていくアリスさん。
「あらがほしい?」
「いらねぇよ……望ましい変化ってことだ」
「ずっと思ってたんですけど、アリスさんって日本語達者ですよね」
「魔術に言語は欠かせないからな。惑わしまやかしまおとすってやつだ……紡希に教えたのも私なんだぜ」
前に紡希が、魔術で翻訳してるの。とか言ってコンニャクを冷蔵庫から取り出してきた事があったが、あれはやっぱりネタだったか。
「で、真。お前はどう思ってるんだ?」
アリスさんは、俺の脇を通り過ぎるタイミングで、はっきりと問いかけてきた。
「どうって、あの二人が学校に通う必要があるのかどうかなんてわかりませんけど、でも、応援はしてやりたいと思ってます」
「応援ね。……そうやってはぐらかすなよ」
さすがというべきか。完全に看破されてるっぽいな。
それでも一応は沈黙で抵抗してみる。
「これは私の警告を無視してまでお前が進んだ道だ。責任は持てよ?」
「……わかってます」
「本当にわかってるのか? 私はな、紡希に対して、不幸せの先にある幸せは証明してやった。だが、幸せの裏のある不幸せについては何も教えていない。わかるか? 幸不幸ってのは、相対されて価値を見出すものだ。いつか必ず……お前は選択を求められるんだぞ」
「だとしても、今の俺にとって、あいつらはただ単純に家族みたいなものなんですよ。たぶん」
早朝の公園で一人物思いに耽る程度には、俺だって悩んでた。
でも、答えなんて出せそうにない。
ただ、この日常のきっかけとなった愛も、この日常に至るまでを支えてくれた紡希も、二人とも俺にとって大切な存在であることは間違いなかった。
「もう《心中愛》を言い訳には使えないぞ」
アリスさんが容赦なく現実を突きつけてくる。
そうなのだ。愛が、俺達から《心中愛》を解いてしまったから、同時に、俺と紡希の依存し合う関係も終わりを告げていた。
「とりあえずは受験に専念しますよ」
「先送りか。悪い癖だな」
「ほんとですよね」
「……まぁ、今回はこれぐらいにしておいてやる。私だって、折角のハッピーエンドをぐちぐちと掘り返したくはないんだ」
「アリスさん。やっぱり、この街から出ていくんですか?」
これは紡希の予想をそのまま口に出してみた。
あいつ曰く、お師匠様は根無し草だから、一年以内にはこの街を去ると思う。とのことだった。
「その為に、お前に会いに来たんだよ」
そして、弟子の予想通りに、アリスさんは肯定してみせた。
「紡希も、壬さんも寂しがりますよ」
「ふん、あいつらがそんな殊勝なたまかよ」
「なにかあれば、伝えておきますけど」
「あー、そうだな。じゃあ、壬によろしく言っておいてくれ。いつかコーヒーが飲めるようになったら、また会いに来るから、それまで死ぬなよって」
「紡希と愛にはいいんですか?」
「あいつらはいいよ」
「もしかして照れくさいんですか?」
「そんなことねーし」
「顔赤くなってますけど」
「うわ、まじでっ」
「嘘です」
「よーし、真。そのまま動くなよ。ふふっ、すぐ楽にしてやる」
「ちょっとアリスさん。キャラ変わってますって!! その手つきやめてくださいっ!! それ、赤毛は赤毛だけど、毎年、執拗に主人公を追いかけ回すあの赤毛の人の構えじゃないですか!!」
しばらくの間、俺とアリスさんは公園内をきゃっきゃうふふと駆け回った。
そして、アリスさんは「ちょっとトイレ」と言い残して、そのまま俺の元には戻ってこなかった。なぜ言い切れるのかって? そりゃ、待ちくたびれた俺が、女子トイレに入ったからだよ。言わせんなよ、恥ずかしい。
絵本紡希の師匠であり、《心中愛》を執拗に追い続けてきた元魔女。
アリシス・フォン・ハーメルンは、この日を境にして俺達の前から姿を消した。




