第29話 疑い深い弟子
真っ赤な一枚岩の頂から、天高く光の柱が伸びていた。
円環大陸の隅々にまで届く神々しき光輝。
各地に住まう人も、魔物も。生きとし生ける誰もが、その光を瞳に映していた。
コレンツィヒで勇者の帰る日を待つ母は、祈るように手を合わせて光を見上げていた。
イエナバッハでウル達を見送った教皇は、司教の目を盗んで、どこからか秘蔵酒を持ち出し、光へ杯を掲げていた。
ラッセンブルグの演奏団は、勇者達の旅に幸あれと、光の輝きに負けじと、より賑やかな音色を奏でていた。
バンヘーゼンの住民達は、一人、また一人と結界の解除を悟り、無心で駆け出していた。
その光が、元は少女だったのだと誰が気付くだろうか。
その光が、魔王を封印し世界を救う光ではなく、世界を心中へ追いやる光だと、一体誰が気付けただろうか。
夢心地の孤島の中心にぽつりと残されていた浅い墳丘墓。
滅びるその寸前まで、その地に住まう魔族達が彼女を魔王として奉っていた事を証明する、唯一、孤島に残された夢の跡だ。
一世紀近く時を止めていた魔女が今、鼓動を取り戻す。
「悪趣味というか……お前がそういう格好をしてると、なんだ、似合いすぎてて逆に笑えないな」
「可愛いは罪ですね」
「可愛いは正義だよ」
アリスは百年ぶりに再会した弟子へ、ぞんざいな口調で話し掛ける。
「しかし、なんでよりによってお前なんだよ。私が待っていたのは……」
「絵本紡希でしたか? それとも、この世界の勇者でしたか?」
「プラスアルファってとこだな」
「遠野真君……ですか」
「《心中愛》を元の姿に戻すのは簡単だ。昔の私でもできた。けど、そうじゃない。この世界は救われるかもしれないが《心中愛》はなにも変わらない。……あいつを救う役はちゃんといるんだ。そう、遠野真はトゥルーエンドへ辿り着く為に必要不可欠な名脇役なんだよ」
フィルル・フォン・ハーメルン……は偽名であり偽装であり女装であった人物。その名を檜森修佐という。彼は、かつての師匠であるアリスの言葉に乾いた笑みを返した。
「で、なにしにきたんだ? 私はもう……お前の不安の種にはならないだろうが」
百年前、アリスはかつてのオーマ・ローゼと同様に、修佐から魔力を焼き切る炎を受けていた。
彼女はもう魔術を生み出せない。
「魔力自体は残っているじゃないですか」
「ふん、あまり見くびるなよ。背後から刺されるなんて経験、西欧では一度、二度、三度はあった。その度に私は自分自身に魔改造を加えていたからな。心の臓を貫かれるぐらいなら半年は平気だし、魔力の回路だって複雑に組み直している。とはいっても、今は精々、発現器を介して魔術紛いのことができるぐらいだろうな。もう、己の手で新たな魔術を生み出すのは無理そうだ。運悪く、魔力を変換する機能がいっちまってる」
「そんな肉体を尊重して、腐りかけ生肉サンドを買ってくるつもりだったんですけどね……邪魔されてしまいましたよ。すみません」
「そんなの買ってきてたら、お前の口にねじこんでたぜ」
「うわぁ、鬼畜魔女ですね。鬼畜魔女に廃人魔女」
「ならお前は女装魔男か」
「僕がここに来たのはですね……アリスさん」
「だから、私の事をアリスって呼ぶんじゃねーよ」
「では、お師匠様」
「なんだよ、馬鹿弟子」
「僕はお師匠様と出会って戒牢を裏切りましたよね」
「で、ここで私を裏切ったな」
「はい。では、いまの僕にとっての味方とはなんだと思いますか?」
「戒牢に戻ったのか?」
「そんなこと……恐れ多くて、とてもできませんよ」
「ふぅん。なら、まだ協会にいるんだな」
「えぇ、その通りです。僕がお師匠様を裏切った事実なんて誰も知りませんから。体裁上は僕もお師匠様の捜索を続けている事になっています」
「僕も……か」
「そうなんですよ。協会ときたら、よっぽどお師匠様が大切なんでしょうね。同じ依頼を、もう一人の弟子にも依頼していたんです」
「やっぱり、あいつもこの世界に来てるんだな」
「はい。だから不安なんですよ。もし、彼女が先にお師匠様まで辿り着いてしまい、そして、見事、バッドエンドを覆された日には……僕はまた、不本意な裏切りに逃げなければなりません」
「不本意ね。どの口で言うんだか」
「正直、人員不足が露骨になってきた協会が、どうして、そこまで一人の魔術師にこだわるのか不思議でなりませんよ」
「ルミエが失踪して、ろくでもない派閥争いが続いているからな。大方、一人でも強力な味方を増やしておきたいって所だろうよ。なんにせよ、そんな打算的かつ利己的な連中の元になんて属するつもりにはなれねーけどな」
「《原初の魔女》ルミエルド・ワイズ・エンド……ですか」
「あいつが正面からやられるとはとても思えない。それこそ、お前みたいに異世界を餌にでもして、現実から引き離さないとな」
「さすがお師匠様です。弟子の行動なんて全てお見通しなんですね」
「どーだか。……紡希をこの世界に誘い出す為にトロイメライでも送ったんだろ? ひきこもりのあいつが張る結界は異常に強固だからな。だが、あいつもその意図に気付いていたから、自分からはこの世界に降りなかった」
「僕が遠野真君に近付いたら、彼女も黙ってはいられなかったみたいですけど」
「ふん、もういいだろ。修佐……お前、ほとんど詰んでるぜ。大人しく私の元に戻ってこい」
「裏切られても裏切らない。騙されても騙さない。殺されても殺さない。最早、お師匠様のそれは人生の美学というより戒律ですね」
「そうだな……きっと私は望んでいるんだろうよ。自殺を許せない私を死なせてくれる無軌道な因縁をな。だからこそ、《心中愛》が放っておけないんだ」
「死に場所を求めるも、自ら死に逃げる行為は否定する。自分勝手極まりないですよね」
「好きに言え」
「さて、お師匠様の慈愛に満ちた言葉と表情に泥を塗るようで心苦しいのですが、今度こそ、神の光ともどもこの世界と心中していただきます」
「そのエンディングで終わらせるには、まだ早いみたいだがな」
輪郭線も淡く、色硝子のように透き通った姿でありながら、泰然として微笑むアリス。
そんな彼女の言動を裏付けるかのように、修佐の頭上に影が差した。
漆黒の刃が妖しい煌きを放って、宙を翻る。
修佐は頭上から迫る一閃に対して、両手で抱きしめていた聖遺剣ラムスプリンガで応じた。
刃が触れた瞬間、概念魔術《停止》が発動し、相手の動きをぴたりと止める。
「誰かと思えば、《心中愛》を庇って、魔王たる尊厳を失った愚かな魔王様じゃないですか」
「本性を曝け出したのかい? 僕は、さっきの言葉遣いの方が好きだよ」
「それは気になるな。修佐、お前、そんな魔法少女っぽい格好をして、いったいどんなキャラを演じていたんだ?」
「ネットカフェで読んだ漫画の真似です。面白くなんてないですよ」
「やってみろよ。絶対笑ってやるから」
「……遠慮しておきます」
━━約束通り、今度こそ救いに来たぞ。
先行していたオーマ・ローゼに続いて、一枚岩の頂に姿を現したのは……。
「イクサ、も、もう大丈夫ですから。あ、あの、恥ずかしいので、降ろしてです」
「あぁ」
ウルメ・メイヒェンをお姫さま抱っこした状態で全力疾走してきた勇者イクサ・イシュノルアは、呼吸を整える為に深く息を吐くと、今一度告げる。
「あんたがシューサだな。俺の先祖が受けた借り、今ここで返させて貰う」
「なんだか、僕、ラスボスっぽいですね」
「大人しく観念したらどうだ? そんな可愛らしい姿でラスボスなんて似合わないぞ」
言われて修佐は微かに口の端を吊上げた。
「そういえば、真、気付いてなかったの?」
光の柱の根元を目指して飛行を続けている最中、俺とエリィを掴んで飛ぶ紡希が唐突に口を開いた。
ちなみに、俺とエリィは首根を掴まれた猫みたいな状態で、ほぼ宙ぶらりんである。
おかしいな。あのエリィが愛くるしく見えるぞ。
「えっ、なにが?」
「私がどうして前日に発売したばっかりのトロイメライを持ってたのか」
「うん? そりゃあフラゲとか?……あ、そっか」
紡希が言わんとしてることをたぶん理解する。
そういえばそうだった。紡希は外出するとしたら俺を必要とする。通販で頼んだ場合は、俺の部屋に届く。なんにせよ、物流経路として必ず俺を通す筈なのだ。宅配物の場合、さすがに逐一中身をチェックしたりはしないが、ここ数日間、俺に荷物を受け取った記憶はない。ってことはつまり。
「やっぱ協会関係の依頼だったのか」
紡希の住む一室に張られた結界を認識し干渉できる類の人間が、トロイメライを届けたことになる。直接じゃなくても魔術であれば方法は幾らでもあるだろうし。そう、魔術であれば。
なんで気付かなかったんだろ。猫耳に会えるかもって浮かれ過ぎてたわ。ふと、すぐ近くにあるエリィの横顔を一瞥する。
うん、でも、現実はちょっと想像と違ったかな。
エリィは一貫して口を噤んだまま、やや険のある眼差しを前方に向けている。俺はそんな彼女の心情を勝手に解釈して、紡希に尋ねる。
「それよりもさ、アジーさんは大丈夫なのか?」
なによりも、仲間を置き去りにするなんて、バッドエンドを嫌う紡希らしくないと思った。
もし、これでアジーが命を落としたりでもしたら……その後の紡希がどんな奇行に走るか想像もつかない。
「大丈夫だよ。だって、魔女の唱えるメラがただのメラな筈ないでしょ。ただし魔法は尻から出るけどね」
「ネタかよ……けど、それなら置いていかなくてもよかったよね?」
「だって、すごく意気揚々としてたし、水差すのも悪いかなって」
「口出せなかっただけだろ」
「うん」
相変わらずのコミュ障でした。
ほぼ同時刻。アジルヒム・コルトレツィスはいそいそと空中に散らばった宝石を回収していた。
彼がとっておきの魔術を披露しようと、段階的な詠唱も残りわずかとなった瞬間。それは起きた。
「お、おぉ!? なんじゃこりゃぁぁぁぁ!!」
なんと、突然、レオンの尻から炎が吹き出したのだ。
凄まじき放屁の如く噴射された炎は、瞬く間に不死の尖兵達を包み込んでいった。
不死竜もまた炎には滅法弱いため、瞭然たる様で飛行の姿勢を崩すと、そのままバンヘーゼンとシュラーフとを結ぶ崖に墜落し、結果、なんとも都合良くバンヘーゼンの住民達の足止めにも成功していた。
幾星霜の時をもって貯蔵してきた魔力の八割方を吐き出したアジーは、周囲に彼の愚痴を聞く者は居ないと分かっていながら、それでもなお呟かずにはいられなかった。
「わしの百年返せ」




