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廃人魔女はバッドエンドが許せない  作者: えんじゅ
最終章 バッドエンドでは終わらせない
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第28話 二周目少女はかく語りき

 遥か昔。イクサ・イシュノルアが旅立つよりも百年と少し前。

 

 まだイクフェス・イシュノルアが勇者を名乗る以前の話になる。 

 円環大陸の北東に小さな集落があった。集落の名はKolenzig(コレンツィヒ)

 大陸の外端は山塊になぞられており、集落の民はその山肌に貼りつく針葉樹林へ住処を寄せて、慎ましく暮らしていた。

「一度、帰るか……」

 イクフェスは独り、山の麓を歩いていた。

 日の輪が肌を焦がすような光を注いでおり、身に付けている軽装もべっとりと汗を吸って重たい。

 猟師として生計を立てている彼は、この日も、日の出と同時に集落を飛び出していたのだが、如何せん気配が薄い。どうやら日が悪いらしい。

 数時間かけてようやく見つけ出せたのも、食料になり得ないゲル状の魔物だけだった。

「それにしても、大陸南部を占める魔物が北側にまで進出してくるとは……均衡が崩れつつあるな」

 数年前までは遭遇すること自体が異常事態であった魔物達も、今や狩りに出れば日に一度はお目に掛かる。

 正義感は人並み以上に強くても、その意志だけを原動力にして魔王に立ち向かえるほど、イクフェスは向こう見ずな気質ではない。

 が、魔物の蔓延が及ぼす未来に危機感を抱かぬほど呑気な性格でもなく、例えようのない不安を感じているのもまた事実であった。

 イクフェスが答えの出ない思考に悩まされつつ歩を進めていると、ふと、遠くに見慣れぬ影が見え浮かんだ。


「あれは人間……か?」


 狩猟の際に必ず周回すると決めている範囲内にて、彼が他人と出くわすのは初めての経験である。

 忽然と、うつ伏せに倒れている人影。無論、周囲を見渡しても、イクフェスとその人物以外には誰も見当たらない。

 すぐさま駆け寄ってみると、まずは女性であることが把握できた。見慣れぬ出で立ちの女性は、衣装も乱れておらず、魔物に襲われたとも言い難い状態だ。

 彼の集落では物珍しい、艶やかな黒髪がとても印象的だった。

 傍に屈むと、嗅いだことのない、花の蜜を凝縮させたような甘い香りが鼻腔に吸いついた。

「おい、あんた……大丈夫か?」

 か細い肩を揺すり、意識があるか呼びかける。 

 すると、彼女はゆっくりと目蓋を上げた。

「ここは……どこ?」

 彼女がいの一番にもらしたうわ言へ、イクフェスは優しく言葉を返す。

「コレンツィヒ近くの山林だ」

「コレンツィヒ?」

「あぁ、俺の暮らす小さな集落の名だよ……あんた、珍しい格好をしているが、イエナバッハから来たのか?」

 当時、魔物の生息範囲の拡大に伴い、コレンツィヒとイエナバッハの交流はめっきり途絶えていた。

「違う。と思う……えっと、うーん」

 前後の記憶が剥落しているのか、彼女の口調はとても歯切れが悪い。

 イクフェスは、彼女の中で一通りの整理がつくまで、黙って見守っていた。

「名前は、たしか……眞代(まよ)

 やがて、彼女はぽつりと、イクフェスに問いかける様な表情で、一言、眞代と呟いた。

「まよか。あんた、どうしてこんな所に気絶してたんだ? なにがあった?」

「何が?、私……えっと、あれ」大きく、両目をしばたたかせて、彼女は茫然自失と続ける。

「思い出せない」

 イクフェスが遭遇した女性は、己の名前や、最低限、生活に関わる部分の記憶以外の━━彼女を知る上で大切な、過去を失っていた。

 記憶喪失の女性が異世界人だと思い至るのに、それほどの時間は必要としなかった。

 彼女が違う世界の人間だと、イクフェスに認めさせた証拠は、彼女が懐に忍ばせていた革張りの小物入れだった。

「遠野眞代……か」

 免許証、と記された一枚のカードを見つめつつ、イクフェスは彼女の名を口にした。円環大陸の創造主が日本人であるが故か、彼には不思議とその言語が理解できた。

 コレンツィヒの住民達は、イクフェスが連れ帰った女性を見て、初め大いに驚き、次いで大袈裟に騒ぎ立てた。

 独り身であり、色恋とは無縁の生活に準ずるイクフェスが異性を連れて帰って来たとなると、彼等は愉快で仕方がなく、これは酒の肴にして騒ぐ他ないといった調子だったのである。

 イクフェスは眞代の事を、魔物に襲われたショックで記憶を失っているのだと説明し、異世界人であることは終ぞ明かさなかった。

 妙な格好についてはイエナバッハの服飾だろうと誤魔化し通し、いつしか皆の記憶からも自然と疑心は薄れていった。

 遠野眞代は記憶喪失であることの影をおくびにも出さず、非常に明るく振る舞う性格で、環境や人間関係などの適応力にも優れていた。

 行き掛かり上、彼女はイクフェスの住まいに身を寄せており、いつしか、眞代が家事全般をそつなくこなす姿は、イクフェスにとっての日常風景と化していく。

 やや年の差は離れていたが、イクフェスは次第に、眞代へ心が惹かれていく自分に気付いていた。

 ある日、まだ記憶は思い出せないのか?と尋ねてみると、彼女はひどく怯え出した。

「わからないの。思い出したい筈なのに、思い出したくない……なんだか、この生活が壊れてしまう気がして」

 この時、イクフェスはとても複雑な心情を抱いていた。

 遠野眞代はこの世界とは異なる地に繋がりを持っていた人間だ。であれば、きっと彼女の行方を探している人がいる。

 彼女には帰るべき場所がある。そう言い聞かせる一方で、このまま、いつまでも傍に居て欲しいと願う自分がいることも、イクフェスは自覚していた。

 矛盾する感情が彼女の記憶の追走を先送りにさせたまま、イクフェスは己の想いを彼女に打ち明ける。彼女はそれを微笑んで受け入れた。

 やがて二人の子供を授かり、幸せな日常を送る二人。しかし、その日々はそう長くはつづかなかった。

 二人の前に、とうとう異世界人が現れたのだ。


 アリシス・フォン・ハーメルンことアリスが弟子の檜森修佐を連れて、トロイメライへやってきたのは《心中愛》が目的であり、その折りにばったりと遭遇した遠野眞代については意図せぬ偶然でしかなかった。

 後々、この日の出来事は異世界人であることを伏せる必要があった為、真実とは程遠い言葉で語り継がれる事となるわけだが━━この時のアリスは、記憶喪失の先に幸せを見出した遠野眞代の処置をどうすべきか思い悩んでいた。

 古く、魔術師の研究成果は血統に記されるとの(いわ)れがある。これは一代の元に願う境地へ辿り着けなかった魔術師が、己の悲願を子孫に託す風習を暗喩したものだ。とはいえ、実際、血肉に術式を刻む魔術師も存在しているので、一概に否定できないのもまた事実だ。

 魔術の家系に生まれなかったアリスは、一、もしくは零から魔術を学び始めた……いわば魔術界隈の新参者の扱いになる。西欧で学んでいた頃は、血統主義の魔術師から揶揄された場面も少なくなかったが、そういった時は大よそ実力で黙らせてきた。

 異世界人の血もまた似たような可能性を秘めているのだ。本来、世界間の境界線とやらは不可視の域にある。 

 上下関係が明確に示されている場合、下位世界を認識すること自体は珍しくない。だが、下位世界の住人が、上位世界を見上げることは忌避すべき事象なのである。上位世界を目指して塔を築き上げたところで、待っているのは悲劇、或いは惨劇でしかない。

 異世界人の血は、それ自体が媒体と成り得る。肉体や精神レベルでの干渉は不可能だろうが、俯瞰程度であれば、少し魔力の扱いに慣れている者でさえ可能性が生じるだろう。

 しかしながら、結局、アリスはイクフェス達の合意を得た上で、混血の子供達へ幾つかの魔術式を潜ませるに押しとどめ、遠野眞代の処置を決め兼ねたまま、先に《心中愛》の元へ向かってしまう。

 また、イクフェスが同行した理由は、彼自身の正義感、それにもう一人の異世界人こと《心中愛》の存在。そして、なにより……愛すべき家族を魔の手から守る為であった。

 勇者となったイクフェス・イシュノルアと、二人の従者シス、シューサの旅路は、後々アジルヒム・コルトレツィスも加えるが、最後は失敗に終わってしまう。

 やがて、イクフェスと眞代の子供達━━男の子はイシュノルアの家を継ぎ、女の子は聖蓮の紋章を宿したまま秘密裏に、ルーテン教団のメイヒェン家へ嫁いでいく。結界の解除を目論む魔物の手を遠ざける為だ。

 つまり、アリスが混血の子供達に仕掛けておいた魔術を発動させれば、その対象となるのはイクサ・イシュノルアだけではなかった。

 イクサの父親は既に他界している。メイヒェンに嫁いだ子供も、若くして死別していた。そのまた子も然り。  

 かつて、イクサ・イシュノルアは、聖遺剣ラムスプリンガなる異世界の模造剣に触発されて異なる世界を俯瞰したとき、ウルの神聖魔術を例えに引き出していたが、それは正しかった。

 神託(オラクル)とは、異世界の俯瞰を意味している。

 二周目を自覚しているのは、ウルメ・メイヒェンも同じだった。


 

 振り返ったイクサ・イシュノルアの瞳に、愛しき少女の姿が映り込んでいた。

「イクサっ!! オーマさんも。二人とも剣をおさめてくださいっ!!」

「その呼び方。ウル、お前、どうして」

 次瞬、イクサは、前回の旅の終わりにシスが残した意味深な言葉の意味を理解する。

「僕は呼び捨てじゃないんだね」

 オーマは溜息交じりに呟くと、双剣を慣れた手付きで納刀する。

「まさか……」

 困惑するイクサを真っ直ぐに見つめて、ウルは答えを紡ぐ。

「私がルーテン教団本部の地下に居たのは、イクサ……貴方を待っていたからです」

 実際、膨大な数の骨を納めている教団本部地下にて、イクサが先祖の納骨先を見つける為には、その地に詳しい協力者が必要不可欠だっただろう。

 ウルはその状況を見越して、イクサが来るのを待っていたのである。

「イクサ、ウルちゃん。そうか、君達は……」

 オーマもまた状況と真相を理解し始めていた。百年の時を隔てて、彼の前に立つ異世界人の末裔達。勇者(イクフェス)の希望は確かに引き継がれていたのだと。

「はい。私達は異世界人の血を引くもの。異世界を俯瞰し、世界を跨ぎしものです」

 言ってウルはイクサの手をぎゅっと掴み取った。

「今度は置いていかないでほしいのです。イクサ、一緒に行きましょう」

「……だが」

「約束ですよ」

 独りで終わらせると決めていた筈なのに。

「もう絶対に、独りで行かせませんから」

 すっかり戦意を削がれたオーマが、苦笑交じりにイクサへ言う。

「僕は君達に賭けることにしようかな。イクサ、君もウルちゃんの気持ちを汲んであげなよ」

「……あぁ」

 イクサは神妙な面持ちのまま頷いた。

 仲間達を信じたい。頼りたい気持ちは前々から抱いていた。

 だからといって……。

「いや、もうよそう」

 彼はその先を言葉にはしなかった。

「行きましょう。トロイメライへ」

「あれ、でもエリィやアジーはいいのかい?」

「あの二人も追ってきてる。すぐに追いつくだろう」

 魔力を失ったオーマは感知できていない様子だが、イクサははっきりと二人の接近を感じ取っていた。ただ、やや気掛かりがあるとすれば、あの二人の近くに別の魔力の気配が紛れていることだ。


「結界を解きます」


 ウルの胸元から光が溢れ、正面に聖蓮を模った紋章を描いていく。

 純白の花弁が散ると同時に、薄い結界の膜が消える。 

 直後、孤島の方角から光の柱が立ち上った。

「馬鹿な、なぜ神の光が……」

「まさか、既に抜けていたのか」

 珍しく、動揺を含んだオーマの声色。

「オーマ?」

「二人とも急ごう。ラムスプリンガの所有者はもう━━」

 


 


「あれは……」

 突然、先頭を走っていたエリィが足を止め、俺も慌てて急ブレーキ。

 見上げると、孤島トロイメライの方角から神々しい光の柱が上がっていた。見憶えあるな。そうだ、紡希の部屋で見たトロイメライのタイトル画面か。

「紡希、あの光は」

「神の光……ルルだよ」

「やばいんじゃないのか?」

「うん、とっても」

「結界も解かれた様じゃな。こうなれば手段は選んでおれん。魔術で飛ぶぞ、お主ら、わしに捕まれ」

「真以外に触るのはちょっと……」

「なら、お主らはお主らで飛べ。エリィ、わしにしがみつくんじゃ」

「いえ、私もどちらかといえば若い子が」

「もう知らんっ!!」

 ふと、アジーと目が合う。

「お主なんぞくたばってしまえ!!」ひでぇ。

 捨て台詞を吐いて跳躍するアジー。ふよふよと空を飛んでいく背中を見上げながら、俺は背後の紡希へ促す。

「紡希、俺達も……」

 背中にぎゅっとしがみつく紡希。正面から俺の腰に腕を回すエリィ。えっ、ちょっと、なにこの展開。俺、死ぬフラグじゃないよね?


 霧深い空中を飛んでいると、不意に、後方よりけたたましい咆哮が轟いた。

「おい、あれって……」

 首を捻って後ろを確かめると、タイミングよく、灯台の光が咆哮の正体を照らし出す。

「竜だぞ!!」

 咆哮の主は、巨大な竜だった。

 所々、肉がただれており、骨が覗いている。

 竜は毒々しい紫色の息を吐き、尾で小さな竜巻を上げながら、俺達の方角目掛けて急接近してきていた。

「不死竜じゃ!!」

 竜に気付き、俺達の近くまで戻ってきたアジーがしゃがれた声で叫ぶ。

「けど、なんで……」その疑問に答えるかのように、どこからともなく哄笑が聞こえ、続けて雄叫びが俺達の元まで届いた。


「会いたかったぞ!! 少年!!」


 どこかで聞いた覚えのある台詞を吐いて、登場したのは……えっと、誰だっけ。

「レオン!?」エリィが驚愕の声をもらす。

 あぁそうだ。尻にメラを受けた獅子君じゃないか。

「あやつ、不死の尖兵を連れておるぞ」

 目を凝らすと、確かに、竜の背に立つ獅子君の後ろには、おぞましい外見をした影が幾つも蠢いている。 

 不死竜が紫の息を止めたかと思うと、代わりに紫の火球を吐いた。吐く時のぐげぇって鳴き声がちょっと可愛かった。

「ちょ、紡希、よけろ!!」

 背中越しに紡希へ呼び掛ける。

「お、おもい」

 実質、俺とエリィを引っ張って飛んでいた紡希の飛行は鈍く、迫る火球をよけれそうにない。

「お主らは先に行けっ!!」

 が、アジーがなにやら魔術を唱えていたらしく、巨大な火球は見えざる壁に衝突し、勢いを失う。そのまま雲海の底へ落ちていった。

「どうするつもりだよ!?」

「あやつらはわしが引き受ける。安心せい。一人たりともトロイメライへは行かせん!!」

 アジーは滞空状態を維持したまま、羽織っていた外套の裏から幾つかの宝石を取り出し、それらを眼前に浮かべていく。


「百年間、わしが自堕落に暮らしていたとでも思うたか!! 遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。これぞ、一個師団にも匹敵せし我、至高の秘術なり」


 その一声と同時に、背後の空が極光に埋め尽くされていく。

「先を急ぐから」

「あぁ」「はい」

 紡希が静かに宣言し、俺とエリィはほぼ同時に答える。

 すぐ横にあるエリィの表情が、微かにだが引き攣って見えた。

 彼女から視線を逸らすと、俺はそれ以降、一度も振り返ることなく、前方で天を穿つように伸びている神の光を黙然と見つめていた。


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