第24話 再会、別離、そして裸ワイシャツ
「アジー……いけるか?」
雑木林と雲海の境目となる崖際にて、勇者一行は雲海に漂う灯台の姿を捉えていた。陸続きでさえあればアジーの魔術により楽々乗り込めたであろう。だが、雲海を挟むとなると、アジーも鬚をしごきながら、目を細めざるえなかった。
「厳しいのう。せめて、あと一人……あと一人少なければなんとかなったかもしれぬが。しかし、ラムスプリンガは既にバンヘーゼンに渡ったみたいじゃなぁ。残留する魔力の濃さからして、わしらもかなり距離を詰め取ったようじゃが」
「これは悠長にしていられませんね。どうでしょうか? ここは一つ、誰か一人を直接バンヘーゼンに殴り飛ばして、残りはアジー様の魔術で向かう。というのは?」
平然と、物騒な事を言い出すエリィにオーマが目を剥く。
「えっ? エリィ、君は何を言っているんだい?」
「そうだな。ここは公平にじゃんけんで決めるか」
「ちょっと待ってくれよ。えっ、イクサ、正気かい?」
ここに至って、オーマは言い表しようのない不穏な気配を感じ取っていた。彼の制止も虚しく、イクサが号を発する。
「それじゃあいくぞ。せーの、最初は……じゃんけん、ぽんっ!!」
それは円環大陸にて「ぐーきゃん」と忌避される、一般的な「最初はぐー」を省いて、いきなり勝負に出る……一種の反則である。
成り行きで腕を伸ばしていたオーマ。彼は拳を固く握っている。しかし、他の仲間達は全員、手のひらをありありと広げていた。オーマの負けだ。
「えぇ!? ちょっと、なにこれ!? 君達、打ち合わせでもしてた!? あれかな? 今朝、僕が独りで見回りに出払った時に企てたんでしょ?」
「オーマ、見苦しいですよ」
「すまないが、ここはひとつよろしく頼む」
「頼まれないよっ!! いやいや、アジーの魔術でも厳しい距離なのに、それを物理で補うってどういう了見なのさ!?」
「魔術で飛べぬなら、物理で殴ればいいのです」
得意げに鼻を鳴らすエリィ。
「そんな格言は初めて聞きましたっ!! いくら僕が殴られることに快感を得る類の性癖の持ち主でもね、さすがに死にたくはないからね!!」
「オーマよ、あまり駄々をこねるでない。事態は一刻を争うのじゃぞ?」
「いやいや、だってこれ……ウルちゃん、これ、どういうこと?」
不自然なほどに沈黙を守っているウルへ救いを求める視線を向けるオーマ。そういえば、今日の彼女は転んでも、髪の毛を枝に絡めても、とても大人しかったなと思い返してみるが、後の祭りである。
「……」
「ほら、見なよ!! ウルちゃんが頑なに目を合わせてくれないじゃないか。首をありえないぐらい曲げてまで目を逸らしてるだろ? まったく、君達はこんないたいけな少女まで誑かして、なんてくだらないことを」
「オーマ、ウルを虐めるな」
「これが勇者のすることかっ!!」
オーマの虚しい叫びが、薄闇に包まれた雑木林を震わせる。
「アジー様、私に筋力増強の魔術をお願いします」
「なんか腕っ節が強くなる呪文。はぁぁぁ」
「僕はいま、勇者一行による酷い虐めの現場を目撃している……ウルちゃん。僕の雄姿をどうか忘れないでおくれ」
「わ、忘れないです」
「では、歯を食いしばっていてくださいね」
「……やれやれ。これも切り込み役である僕が背負う悲しい宿命だね」
「これが、私の全力の一撃ですっ!!」おーぎ!!仲間を遠くへ飛ばすパンチ!!とエリィは声を張り上げて、オーマの腹部へ腕を振り抜く。弾き飛ばされるようにして、彼方へ飛び立つオーマ。
━━悔しい。でもぉぉぉぉ。
雲の挟間に霞んでいった仲間の雄姿を見届けたウルが小さく呟く。
「オーマさん。ご無事だといいですが……」
「大丈夫だ。あいつの頑丈さは人外じみているからな……けど、そうだな。バンヘーゼンについたら好きな飯ぐらい奢ってやるか」
時は一刻を争う。勇者がこの損な役回りにオーマを宛がったのは、彼なりの信頼の証でもあるが、たぶん、オーマには伝わっていなかっただろう。
オーマが心の底から怒り出さなかったのは、単に彼が真性マゾヒストであり、殴り飛ばされることによって得られる快感を期待していただけに他ならなかった。
「あっ、シン、見てみて、腐りかけ生肉サンドだって、美味しいかな?」
「絶対に美味しくない」
「えー、でも生血ソースと涙ダレの二種類があるよ?」
「そもそも、素材を明記してない時点で怪しすぎだろ」
無邪気に笑う自称天才魔法使いのルルちゃんはまじ天使だった。
俺、この世界の通貨なんてほとんど持ってないし、魔物倒してた時に唯一拾っておいた(なんでもかんでも拾うのは物理的に不可能だった)「茜さす神鉄」は買い取って貰おうと武器屋に持ち込んでみたけど、蒼い肌の強面な悪魔たんに唾を吐かれた。まじ、この街、人間に全然友好的じゃないんですけど、アウェー過ぎて心砕けそう。
結局、俺達は紡希の戻りを待ってる内に一夜を明かしてしまい、二日目となるバンヘーゼン観光も、そろそろ本格的な宵闇を纏い始めていた。泊まる金なんてもうないんだけど。あんまり十二歳の女の子にお金出して貰ってると情けなくて死にたくなってくる。ねぇ、紡希さん、まだっすか?
まぁ、こんな感じでルルとデートしていたら、空から何か降ってきた。
「親方ぁ!! 空から……男です。男でした」
「なんでそんなに残念そうなの?」
俺のよく知る飛行石の女の子ではなく、急速墜落し、岩盤にめり込んだのは、垣間見た限り漆黒を装う男性だった。うわ、一昔前の漫画みたいな穴できてるけど、これ、大丈夫かな。
「よっと……ふぅ。悪くなかった。癖になるかも」
理解不能な言語を口にしながら、穴から這い出てきたのは
「あっ」勇者一行の一人。天賦の双剣士オーマ・ローゼだった。…。あれ、やばくない?
「ん? その気配は……えっと……確か……シン。だったかな?」
けろりとした様子で立ち上がり、服にこびりついた砂石を払い落としているオーマ・ローゼへ一方的に告げる。
「こんな場所で会うなんて奇遇っすね。じゃ、またどこかで」
「ちょっと待ちなよ」
そっちの子が大切そうに抱えているそれ、僕達の探しているものにとてもよく似ている気がするんだけど。と呟きつつ、ルルが両手に抱くラムスプリンガを凝視するオーマ・ローゼ。
「気のせいですって。これ、ラッセンブルグの武器屋で売ってましたから。なっルル」
「う、うん」
「……ラッセンブルグに武器屋なんてものはないよ。あそこは共存共栄の街。あるのは精々、工具店ぐらいだったと思うけど」
「よし、ルル。逃げるぞ。脱兎の如く!!」なんでRPGなのに武器屋がないんだよっ!!
「あ、ちょっと待ちなよっ!!」
━━くらえっ、はぁぁぁマイティアクールハイ!!
俺はそれっぽいポーズを決めて、唱えた。
さすが勇者の仲間だけあり、反射的に魔術へ備え、両腕を交差させ防御に徹するオーマ・ローゼ。……を置き去りに全力で逃走。やや遅れて「なにをしたの?」と呆然ともらしていたのが聞こえたが、答えてやる義理も無い。
「ねぇ、シン。今の呪文、どういう魔術?」
「え、あ、いや。あれ目薬の名前」
「……ただ叫んだだけ?」
「この世界に来てからドライアイに悩まされておってな」欝憤を晴らす為に叫びました。
しかし、天賦の双剣士と仮にも称されるオーマ・ローゼの身のこなしは俺の想像を遥かに凌駕していた。
「追う側は僕の好みじゃないんだ」知りません。
大きく跳躍し、颯爽と俺達の正面へ降り立つ漆黒の影。オーマ・ローゼは長短二対の刀剣を抜き、片方をくるくると器用に弄びつつ、再度、俺達へ口を開く。
「シン、聖遺剣を盗んだのは君だったのか」
「何を証拠に……そもそもオーマさん。その聖遺剣とやらを実際に見たことあるんですか?」
100年間。アンティクルプに保管されていたラムスプリンガ。オーマ・ローゼには、それを目にする機会が一度だって無かった筈だ。だが、彼は静かに頷いてみせた。
「……あるよ」
「見え透いた嘘はやめてください」
「嘘じゃないさ。僕は確かに……その剣を知っている」
「シン、ごめんね」
俺とオーマ・ローゼの問答を切り裂いて、ルルが……俺の傍から一歩、退く。
「オーマ・ローゼ。なるほどね……百年越しなのは、この剣だけじゃなかったんだ」
「ルル、なにを?」言ってる?
「この剣は渡せない。あたしは、絶対にトロイメライに行かないと」
「シュラーフへの結界を破れるのは、神託の聖少女だけだよ?」
「それは……この世界での話でしょ?」
「……君はまさか」
「さようなら、オーマ・ローゼ。それに━━遠野真君。魔王の元には、あたしが一番乗りするの」
言って、ルルは巨大な魔女帽を掴み、宙へ放った。
ふわりと、緩やかに俺達の頭上へ上昇した帽子が、突如、極光を撒き散らす。
「……っ!?」一瞬の事に目を瞑るのが遅れ、網膜に光が焼きつく。
━━御機嫌よう。
残された聴覚が、微かにルルの声を拾っていた。
しばらくして、なんとか目を開くと、そこにフィルル・フォン・ハーメルンこと魔王の娘を名乗る魔法使いルルの姿が消えていた。
俺は、訳も分からず、けど、気付くと駆け出していた。
「シン!! 待つんだっ!!」
すかさず俺の後を追ってくるオーマ・ローゼ。しかし
「えっ、あっ、ちょ。君達、僕に何か用かな?」
なぜか、あっちだけバンヘーゼンの住民に囲まれていた。
「あの、どうして、皆そんなに恐い顔をしているんだい? 僕がなにか……わっ」
問答無用と言わんばかりにオーマ・ローゼへ襲いかかるバンヘーゼンの住民達。状況よくわからんけど、ぐっぱいオーマ・ローゼ。健闘を祈る。
灯台が指し示す光の先を目指して、暗く狭い街中を駆け抜けていく。すれ違う住民達の怪訝そうな眼差しなど気にしてる余裕もなかった。トロイメライへ繋がる架け橋シュラーフ。ルルはきっとそこへ向かっている。
走れ。走れ。息継ぎに合わせて、呪文のように繰り返す。灯台の光が途切れる。足が止まる。薄闇に妖しく光る魔族の男の目。遠くで木霊する雄叫び。誰かが呟いていた。勇者が到着したらしい。肌寒い風が首筋をなでる。鼻の奥へ吸いつく煙の匂い。咳き込む。俺の内に眠る概念魔術の《否定》が、なにかを訴えていた。灯台が再び闇夜へ光を奔らせる。硬い地面を蹴って、街角を曲がる。真っ白い微光が視界にちらついた。俺にとって、ひどく馴染み深い白の化身。《否定》を俺に譲渡し、再び周囲を自殺させてしまう体質に戻ってしまい、一人で外に出ることもままならなくなったひきこもりの魔女。《否定》の概念魔術が彼女の元へ帰りたがっている。だから、この少女がどちらなのか分かる。俺はあいつの事を、親しみを込めて━━廃人魔女と呼んでいた。いや、嘘です。そんな睨まないで。
なにからなにまで白い少女にとって唯一の例外となる、深みある淡青色の双眸と、真っ直ぐに見つめ合う。
「おまたせ」
「おまえ、どうして……」
色々と確かめたいことはあった。けど、尽きない疑問の中で、最優先に言うべきはこれだろう。
「裸ワイシャツのまま外出るなって言ってるだろ!!」




