第21話 バッドエンド『遠野真の場合』
━━絵本紡希は、どこか病的にまで他人の不幸を恐れるきらいがあった。
だから、あいつが何故、見ず知らずの他人でしかない俺の元へ忽然と現れたのか。その出来事事態にもっともな理由を付け加えるとするなら、自ら好き好んでバッドエンドに片足を突っ込もうとしていた俺を助けようとしたのだろう。
かろうじて理解はできても、どうしても納得はできない。自分勝手で自己満足で自己犠牲に尽きる。いかにも魔女らしく、また、その根底にあるのが嗜虐嗜好ではなく、ややずれたメサイアコンプレックスに依存するところが、まるで魔女らしくない。
だけど、この数分先の未来において、救われた俺から理不尽な罵声を浴びせられても「間に合ってよかった」と……何一つ間に合わなかったが。そう無邪気に笑うあいつを……俺は受け入れるしかなかったのだ。
魔女の宅急便を門前払いされた少女は、扉越しにこちらへ呼び掛けてくる。
「遠野真君……だよね?」
「同姓同名だな」
「お師匠様から、教えて貰ったの。あの……」
「新手の訪問販売かなにかですか?」
「ち、違うから。とにかく開けて」
別に意地悪したい訳でもないんだが……俺は背後を振り返って、部屋で待っているであろう心中愛の気配を探る。アリスさんが言う所の『協会』と『戒牢』の対図でもある絵本紡希と心中愛。扉の向こう側で喚いている少女の容貌を細部まで目に映したわけではないが、あの髪色だけでも判断要因としては十分である。故に、この二人を蜂合わせてしまっては、漠然とだが、非常に不味い気がした。
「鍵壊すけど、いいの?」
「警察呼びます」
「扉から離れててね」
「無視かよっ!!」
で、次の瞬間。ドアノブを握っていた指先がとてつもない熱を感じ取る。「あっつ!!」と、反射的にその場から退く俺の眼前で、ゆっくりと鍵周りだけが発光を帯び、終いには黄色を帯びた白にも、薄ら青い白にも見える光の氾濫を見せた。その発光具合は、まともに直視してしまうと網膜が焼かれそうでさえある。
眩しさの暴力も収まり、代わりに無残な熔解跡が浮き彫りとなった扉をゆっくりと引いて、彼女は俺の前に姿を現した。
直前まで怒鳴ろうとしていた筈の言葉が一瞬で吹き飛ぶ。目を見開いたまま、相手を隅々まで見つめてしまう。
薄闇の中でも煌々たる光を灯す白金色の頭髪。マシュマロのように白く柔らかそうな素肌。深海の水底を連想させる透き通った蒼い瞳。心中愛を鏡映しにしたような錯覚すら抱いてしまう程に、爪先から頭の天辺まで━━なにもかもが同一。
「あの、あんまりじろじろ見ないで」
ひりひりと細胞の死滅を主張する指先を軽く揉んで誤魔化しつつ、俺は答えた。
「ご、ごめん」
扉の一部分を溶かした事など一切悪びれず、皮靴から片足を外して、彼女は、俺との距離を一歩縮める。
「って、ちょっと待て。なにナチュラルにあがろうとしてんだよ!!」
「え、でも……あ、そっか。はじめまして。私が絵本紡希です」
これでいいよね。と言いたげに目配せして、残る片方の足も裸足を晒す紡希。裸足に革靴って、すごく履き心地悪そうなんだけど。
「宅急便ですよね? ちょっと待っててください。すぐハンコ取ってきますんで」
「あ、あれは私の渾身の一発芸で、魔女といえば、ジブ「惨めになるからやめろ!!」
俺の大声に「うっ」と身を竦ませる紡希。
「帰ってくれないか?」
「居るんでしょ?」
「なにが?」
疑問形には疑問形を。
「……《心中愛》」
「あいつをそんな名で呼ぶなよ」
「ごめん。でも、真君。あの子は危険だから。いますぐに……」
「なにが危険なんだ?」
「なにがって、お師匠様から聞いた、よね?」
「アリスさんか? けど、アリスさんが嘘をついてない証拠があるのか?」これはもう殆ど言い掛かりに等しいと自分でも分かっていた。
「お師匠様は……たしかに、ちょっと胡散臭いけど」
「いや、そこはフォローしてやれよ」
紡希は真っ白い睫毛を二度、三度とぱちくりさせ、俺の後方を覗き窺うように、首を揺らす。俺も、そんな彼女の動きに合わせて上半身を左へ、右へと曲げる。
「お師匠様がどう話したのか分からないけど《心中愛》は周囲の運命を捻じ曲げる。直接的に手を下さず、周囲を死へ責めたてる。魅入られたものは自ら死を選んでしまう。そして、あの子を本当の意味で忌避すべきは、その影響力をも分け与える魔術」
「それは聞いてないな」
「私の時もそうだったけど、《心中愛》は、鏡を並べると反永続的に鏡像が映り込むように、二人になることを望むの。より即時性をもって、より確実性をもって、近寄った人間を自殺へと追い込む為に。真君気付いてる? 君のその髪の毛」
と、小さな魔女が、控えめな眼差しを俺の頭部へと向ける。まるでカツラのずれをどう指摘したものかと言葉に詰まっているような表情だ。いや、俺禿げてないから、そんな視線に心当たりなんてないけど。
顎を引いて、両眼を上に向ける。前髪を指で摘んで引っ張ると、その毛先が白く……脱色していた。えっ、ちょっと待って。
「心中は一人ではできないから」
「俺、どうなるんだ……?」
「私は━━こうなった。でも、君は性別が異なるから、どうなるんだろ?」
きょとん。と頭上に疑問符を浮かべ、子首を傾げる紡希。
「女の子になれるなら、それはそれで、あり?」
「なしだよっ!!」
大好きな異性に拒絶されると、自らがその異性に近付こうと、その魅力を少しでも感じようとして……まぁ、男側の視点で端的に言えば、女装にはしる奴もいるらしい。そういう心理作用が働くんだとか。
俺は確かに、心中愛の魅力に惹かれていた。けど、その魅力そのものになりたいのかと問われれば、絶対に違う。
心中愛を説得しようと、振り返る。
「……っ」
その直線状。薄暗い廊下に先に、真っ白い光の粒がちらついていた。
━━心中愛だった。
今まで見たことのない、相手を見下すような、高圧的かつ冷酷な睥睨。
真っ直ぐに対峙する俺の呼吸が、まばたきが、思考が、停滞する。
「忌々しい《煉瓦の魔女》の手先め。どうして、いつも私の邪魔をするの?」
「久しぶりだね《心中愛》お師匠様の代わりに、貴女を止めにきた」
「私を拒んで、今度は、私から奪うの?」
「違うよ。私はただバッドエンドを回避したいだけ」
「幸不幸は真が決めることだよ」
「真君は騙されてるだけだから」
「帰れよ。ここは私と真の家だ」
「諦めて。ここに貴女の居場所はない」
同じ姿。同じ声。少しだけ違う俺の呼び方。
「真、部屋でさっきの続きしよ?」
甘ったるい囁き声が、俺の脳みそに沁み込んでいく。けど
━━もうすぐ邪魔者も消える筈だから。
その一言が、かろうじて、夢魔の抱擁から、俺の自意識を連れ戻す。
「邪魔者……?」
「うん。さっきまで一緒にいた」
「それって」
「真のお母さん。そして、次は私と二人で魔王を……真のお父さんを死なせよ? それで二人っきりになれるから」
「何を言って……」
「真君。こっちに来て」手を差し伸ばす紡希に、視線を流した瞬間。
言葉を続けるよりも先に俺の視界に映り込んだのは……。
開け放たれた扉の外。開放廊下の先に広がる闇の中を一直線に落下━━過っていった、なにかの影だった。
「効果は抜群のようだ」背後で心中愛が呟いた。
「……」無言で駆け出していた。
紡希を横に突き飛ばし、靴下のまま廊下に飛び出て、勢いのままに上半身を乗り出して、マンションの下を覗く。
最悪の想像とは違った。けど、真っ赤な花の代わりに、不可思議な蒼い発光体が舞っていた。
幻想的な淡い光を灯し、夜の街を飛び交う群れは、目を凝らすと鳥のように優雅な舞を見せている。
「言葉の鳥━━バード・オブ・ランゲージ。『戒牢』が編み出した概念魔術だよ」
俺の隣で懸命に背伸びしつつ、なんとか発光体を目に捉えた紡希が、求めてもない説明を始める。
「世界からの消失。初めから存在しなかったんだって、認識そのものを改める禁忌の術。真君が認識できてるのは、もう君の中に《心中愛》の断片があるから」
「どうでもいい。それよりも、あれは……誰かが消えたって事なんだろ?……誰が、消されたんだよ」
「……それは」
頭髪が白くなろうが、肌が血色を失おうが、どうでもよかった。
だから。いや、せめて。俺は懇願するように、後ろへ首を曲げる。
「真のお母さん。自殺しそうだったから、私が魔術で助けてあげた」
心中愛。お前はなにを言ってるんだ? 頼むから、俺の分かるように言ってくれよ。
「ちょっとご飯食べながら、真の話をしただけで、もう追い込まれてた。きっと、真のお母さんも色々、悩んでた」
「黙れよっ!!」
これが、アリスさんの言っていた、毒。というものなのだろうか。
「真君。君も早くしないと手遅れに……」
「俺に構うなっ!!」
「構うよっ!!」
心中愛とは違い、感情的な叫びに、感情的な叫びで返す紡希。
「ごめんね。私がもうちょっと早ければ、きっとこんなことには……」
泣いていた。俺も。そして、紡希も。なんだよこれ。なんでお前も泣いてんだよ。まじ意味わかんねぇ。
この魔女らしくない魔女は、俺の事をきっと睨むように見上げて、爪先立ちになって、いきなり━━。
「……っ!?」
横目に、心中愛の様子を一瞥すると、あいつは、なぜか笑ってた。
《心中愛》に変わりゆく俺を力強く抱きしめる元《心中愛》。口から、不鮮明な何かが流れ込み、俺の体内に満ちていく。なんて言うんだろう。言葉にしようとすると酷く曖昧なんだけど、後々、紡希から説明されるよりも先に、この時点で、俺は無意識に理解していたんだと思う。
それは《心中愛》による、不幸塗れな人生を否定する為の概念の様な魔術。
もう元通りには戻らない。それは絵本紡希の容姿が物語っていた。
俺が元《心中愛》になって、紡希が《心中愛》に戻って。
《心中愛》が二人で完成するように、俺達は二人で《心中愛》を否定する存在へと成り果てていく。
心中愛は、俺達の依存し合う結末を見届けて、いつのまにか姿を消していた。
アリスさんが絵本紡希を救い、絵本紡希は俺を救った。
唐突に始まった一人暮らしは、その数日後にあいつが引っ越してきた所為で、寂しいと感じる暇もなかった。
「お師匠様が言うには、言葉の鳥による消失って、元々はオンラインゲームの世界に人間を組み込む為の術式だったらしいの。だから、きっと真君のお母さんも、この世界のどこかのゲームの世界にいると思う」
「お前、どうしてそこまで……」
「私は、バッドエンドを許さないから」
そして、隣人魔女の廃人生活が始まり、それから、まぁ、色々と付き合ってる内におよそ一年が経過し、俺は『トロイメライ』の世界へ旅立つ日を迎えたのだ。




