第19話 ハーメルンの師の舞踏
別々の地点で、無軌道の因縁が、アリシス・フォン・ハーメルンが━━インディシプリンと銘打っていた星の巡りの様なものが、その日、交わりつつあった。
《心中愛》が居場所を求めんともがく傍ら、近いようで遠い……宵闇が好む廃墟にて『協会』と『戒牢』の対峙が、先立って終着を迎えようとしている。
足元には剥落したセメント片がぽつぽつと散っており、横腹を何かに砕かれた柱からは、鉄筋が覗いていた。
天井を伝う空調設備の配管から埃が舞って、背後から零れる月明かりに翻る。
高層とも雑居とも判断に困る、中二階のような高さと広さ。どういう意図で建てられたにしろ、かつては人々の息で蒸し返し、目まぐるしい奔流を抱いていたであろう内部は、今や均等に配された柱を残すのみで、吹き抜けとなった空間には、時折、風が……押切市の繁栄と衰退の隔たりを見定めるべく、或いは純粋に夜の訪れを楽しむが如く、意に介す音も立てずに通り過ぎていた。
ブルーシートや寝袋、カセットコンロにカップ麺の空容器。彼女は薄闇の奥に垣間見える生活の跡に目を眇める。そして、その到来を待ち侘びていたかのように、さも当然といった様子で立ち尽くす少年へ、真っ直ぐに声を向けた。
「なんだ。随分と可愛らしい顔立ちをしているんだな。おまえ、悪役に向いてないぞ」
「なにか用ですか? アリシス・フォン・ハーメルン、いえ、アリスさん……でしたか?」
アリス、と初対面の相手に馴れ馴れしく呼ばれた女性は、眉根を寄せて、不機嫌さを露わにする。
「その名で私を呼ぶな」
「その反応。あの子の言う通りですね」
「《心中愛》を誑かしているのはお前だな?」
「誤解を解く為に言っておきますが、戒牢は求められたから手を差し伸べただけ……なんですよ」
「ふん、ものは言い様だ。お前らのその……ルミエは現代魔術と称していたが、人間をこの世界から隔絶する術を得てして、何を成し遂げようとしている? その歪みはいずれ飽和点を突き破り、巡り巡って己に還ると、戒牢に属する奴らが揃いも揃って悟れぬものでもないだろう?」
「さぁ? 僕は下っ端ですから。そういった大人の事情には立ち入らせて貰えないんですよ。でも、そうですね……きっと、世の中には、不気味な圧力ってものが必要なんじゃないですか?」
「不気味な圧力……ね」
「この人間が生きていては都合が悪い。正確には、その人物から生じる影響力が危険だと、例えば、国のお偉いさんが判断したとします。一度目は警告で済みますが、それで当人が曲がらない場合、その線自体を消さなくてはなりません。でも、どうやって? この国は法に守られていますから、その枠組み内では野蛮な真似はできないし、匂わすことも避けたいものです。『戒牢』はそんな大人達の希望を叶えられる。証拠も残さず、記憶にも残らず、文字通り世界から消せてしまう。言い表せない暴力、不気味な圧力。そこに需要があるから『戒牢』が存在しているのだと、僕は思ったりするものです━━ときに、《心中愛》の体質はご存知ですか?」
「フラグメント━━あれは、人が忘れていく断片を増幅させる鏡の様なもの、だろ? 塵みたいな罪悪感でも引き延ばして自殺願望へ精錬する。故に私は《心中愛》と呼ぶ」
そして、似ているが為に……容姿ではなく、器が似ているが為に《心中愛》から心中を求められ、同属を嫌悪された少女が一人いた。《心中愛》は過去、絵本紡希に拒絶されている。そして、その時、《心中愛》は絵本紡希の内に断片を残していった。結果、あいつは御し切れず、周囲の人間を尽く、余すことなく、自殺へと追いやった。だから、絵本紡希(当時はそんな名前ではなかったが)はあらゆる交流を拒んで、廃人と蔑まれるような人生を選択する他なかったのだ。
どう足掻いてもバッドエンド。その果ての残り滓にしかならないような人生。そんな絵本紡希を救ったのが━━アリスだった。
「協会の人達はよくもまあ、そんなに気取った名前を思いつきますね」
「言語にて惑わしまやかしまおとす……ってのが魔術師の性分だろうが」
「なんです、それ?」
「私の持論だ」
「ふぅん」
思う所があるのか、数拍の沈黙を挟む修佐。しかし、特にこれといった主張も述べず、彼は先程の続きを話し始めた。
「それで、さっきの不気味な圧力の続きですが……《心中愛》の特異性もまた『戒牢』にとっては価値あるものなんだと思いますよ。存在するだけで他者を自殺へ誘導する存在。他殺よりも自殺の方が好都合という依頼主は数多くいるでしょうから。大小あれど人は心の隅に罪を抱いて生きています。同時に清算の機会を望んでいるのだと、そう解釈できませんか?」
煤けた赤煉瓦のような色合いの前髪を鬱陶しそうに振り払って、アリスは答える。
「清算の手段に自殺を強要するか。それこそ、逃げるようなものだろ。私はそういう死に方が許せない」
「許す、許さないの主観が立ち入る隙なんて、もうないと思いますけどね」
「そこへ強引に立ち入る為に、私はな……魔術師だなんて胡散臭い生業をしているんだよ。それとな、そろそろ名乗れよ。戒牢の下っ端」
「では遅ればせながら名乗らせて頂きます。僕は檜森修佐━━今は《心中愛》の監視役を承っております」
丁寧な言葉遣いに礼節を弁えた立ち振る舞い。だが、アリスは、その態度こそが気に入らなかった。
「この私に見つかったというのに、随分と余裕そうだな」
「アリスさんって、そんなにすごい人なんですか?」
「なめんなよ。私はな、これでも天才魔法使い様だ」
名刺でもあれば良かったんだけどな。と呟くアリス。『戒牢』にそのような決まりはないが、様式美を尊む『協会』には、名刺なんてものもあるのかもしれない。と修佐は内心、せせら笑いたい気分だった。
「余裕なんてありませんよ。でも、アリスさんがこちらに来たということは、《心中愛》の居場所をまだ突き止めていないということですよね。だから、僕に会いにきた」
「心配ない。ラッキースターにはピンクボムをぶつけてある」
「個性的な名前ですね」
「おいおい冗談だろ……お前、ぐるぐるを知らないのか? 魔術師の嗜みだろうが」
「また協会の気取った隠語ですか?」
「ちげーよ。普通に世間様に浸透してる偉大な漫画本だ。あ、おい、いま鼻で笑っただろ?」
「……いえ。そんなことは」
「その面、ぜってー馬鹿にしてるな。よし、お前の最初の修業はぐるぐるの読破からだ。で、魔法を尻から出せるようになれ」
「そんな魔術師にはなりたくないのですが」
「私は出せるぞ」
「そうですか」
「見たいか?」
「いえ、結構です」
というか、危うく聞き過ごす所だったが。と修佐は閉じかけていた口を再び動かした。
「修行?」
「そうだ。お前は私の弟子二号となる」
「いや、あの……」
二の句も継げず、戸惑いを隠せない修佐を置き去りにして、アリスは……彼の生活の痕跡へ近寄ると、右手を翳した。その先から真っ赤な粒子が弾け、次瞬、全てが燃え盛っていた。轟々と猛る火に、言葉を失う修佐。そんな彼を振り返って、八重歯を突き出して笑うアリス。
「お前の先輩となる弟子は、ひきこもり歴が長くてな、ゲームにすごく詳しいんだ。私は、あいつの持ってるゲームの中で、ドラゴンクエストのモンスターズが大好きなんだ。敵は倒すのではなく、仲間にしながら進めていた」
ゲームなんて遊んだ記憶も無い修佐には、その言動の裏もなにも分かったものじゃなかったが、要はこう言いたいのであろう事だけは理解できた。
━━私についてこい。
実際、アリスの無茶な縛りプレイは数時間にも満たないものだったが、それを修佐が知ることはなかった。結局、この日以降、修佐は一度も、その先輩とやらである絵本紡希と対面していないからである。
「いつ裏切るかもわかりませんよ」
「好きにしろ」
「どうせ拒んでも力尽くで連れていくんですよね?」
「すごく不本意だが、不気味な圧力を使わざる得ないな。すごく不本意だけどな」
「わかりました。降参です。アリシス・フォン・ハーメルン。貴女の背中を突き刺すその日まで、付き従うことを約束します。あぁ、でも、漫画とかゲームはあまり好きじゃないので、できれば勘弁して「駄目だ」
それから一週間……奇声による苦情で強制退出させられるまで、檜森修佐はネットカフェに監禁される羽目になる。
「あの子はずっと探しているんですよ。絵本紡希に代わる━━片割れを」
これといった抵抗もせずに屈服した少年は、されど心までは折れていないと言いたげに、遠ざかるアリスの背中へ、ぽつりと言い放った。




