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番外編 春の日

酒呑童子がまだ人間、外道丸として鬼同丸と暮らしていたころの話です。


 川辺に桜が咲いていた。柔らかな風に花弁はさらわれる。水面へ落ちては、くるくると踊って流れていく。

 桜の木にもたれていた外道丸げどうまるは、ふと、かがんで水へ手を入れる。水と一緒に淡い桃色の花びらをすくってみるが、やはりそれは水と共に彼の手から流れて行った。

 外道丸は濡れた手を払う。

 ――家に帰る気にもならないな。

 市へ父の作った太刀や農具を売りに行った帰りだ。空には赤い光が広がり始めている。

 今朝、弟の鬼同丸きどうまるが、(すだれ)をかけただけの扉から少し顔を出して、外へ出たそうにしていた。外道丸は、彼の後ろ襟をつかんで、扉から離した。

 大人しくしてろ、とだけ言って家を出てきた。

 外道丸は、桜の木を見上げる。まだつぼみがある。空を満たさない桜は、ひっそりとしている。

 赤毛の子鬼を、人目にさらすわけにはいかないのだ。

 夜になるまでは、外へ出してやれない。鬼同丸には、この景色を見せてやれない。

 ――いつまでも、閉じ込めておくわけにもいかないが……。

 外道丸は水面へ目を落とす。底の石が透けて見える。深さは膝までもないだろう。

 いっそ、今日、連れ出してしまおうか。そう考えたとき、外道丸は何か危険を感じて、身をかわす。

 とっさに振り返った彼の横を、手桶がかすめた。それは水しぶきを上げて、川へ落ちる。

「川にゴミを捨てるのはよくないぞ」

「お前がよけなければよかったんだ!」

 十人はいるだろうか。村の青年たちは、敵意をむき出しにして外道丸を睨んでいる。

「お前が投げなければよかったんじゃないか」

「お前がそこにいなければよかったんだ!」

 手桶を投げたと思しき青年は、外道丸を指さし、やっちまえ、と声を張った。青年たちは、おう、と喊声を上げて突進してくる。

「のんきに桜なんか見やがって!」

「絵になるとか思ってねぇからな!」

「せめて景色くらい汚いところにいろよ!」

 外道丸は、石にひっかかって流されきれずにいた手桶を拾う。水が中にたまった状態で、持ち主に投げて返してやった。彼は、顔面でそれを受けとってくれた。

 続いて、釣竿を持って跳びかかってきた青年の首根っこをつかみ、水面に叩きつける。

「お前ら、こんな日くらい大人しくできないのか」

「釣りにきたら、お前がいたんじゃねぇか!」

「桜も咲いて、絶好の釣り日和だと思ったのに、お前のせいで台無しだ!」

「一瞬見とれたりしてねぇからな!」

 彼らは弱いが、いつも人数が多い。メンバーはそのときによって、それぞれだ。見たことのないやつがいることもある。覚えてないだけかもしれないが。

 ――友人がいないのは、俺もあいつも同じだな。

 外道丸は、水の中で立ち上がろうとしている青年の顔面を踏みつけた。



 空は藍色に染まり始めている。

 外道丸は、川からあがる。ケンカをしているうちに、全身濡れてしまった。青年の大半は逃げ帰り、残りは川に浮いている。水死されても困るので、岸に打ち捨てておいた。

 一人、途中で目を覚ました青年がいた。

 桜の下で彼は、薄く目をあけて呻くように言う。

「外道丸……お前のせいで……」

「また川に戻すのは面倒だから、それ以上しゃべるな」

 立ち去ろうとした外道丸の袖を、彼はつかまえる。濡れた袖が握られ、水滴が落ちる。

 初めに手桶を投げてきたやつだ。よく思い出してみれば、彼は、毎回といっていいほどケンカのメンバーにいる。

 そういえば、妹がそっけなくされて可愛そうだとか言っていた気がする。誰が彼の妹かは分からないが。

「お前がいるせいで……みんなが不幸になる。……俺たちは女に見てすらもらえなくなるし、女たちだって……誰もお前に相手にされないで……一人で悩んでる子だって……大勢いるんだぞ」

「全員の相手なんかしたら、体がいくつあっても足りない」

「ほんとに死ねばいいのに。……そうだ、お前自身も、幸せそうじゃないじゃないか」

 彼は口を動かすのも辛そうだが、目だけはしっかりと外道丸を捉えている。

「お前らがケンカをしかけてくるからだろ」

「それは、お前が悪いから仕方がない。……お前に妹を思う気持ちが分かってたまるか」

 彼は手を離し、その腕で自分の目を覆う。

「ああ、お前さえいなけりゃなぁ。千代(ちよ)のやつ、なんでこんな男に惚れたんだ。兄ちゃんが、もっといい男を紹介してやるのに」

「……それなら、さっさと紹介してやれ」

 外道丸はそれだけ言い残すと、踵を返した。

 道に伸びる外道丸の影は、あたりの闇に紛れそうだ。外道丸は足を速める。濡れた着物が気持ち悪い。

 家では鬼同丸が待っているだろう。普通の子どもと同じように、心細そうにしている様子が目に浮かんで、思わず歯を噛みしめてしまう。

 ――あいつらに、鬼の弟をもつ気持ちが分かってたまるか。

 

          *

 

 鬼同丸は、入口にかかる簾をあげて、そっと外を確認する。辺りは薄闇に包まれているのに、兄が帰らない。

 澄んだ春の夜気が頬をくすぐり、鬼同丸は言いようのない不安に駆られる。どこまでも伸びていく空を仰ぐと、この世にただ一人、取り残されたような錯覚を起こす。

 ――にいさん……。

 祈るような気持ちで外を見つめていると、遠くにその人を見つけた。

 飛び出したいのをこらえ、鬼同丸は急いで中へ引っ込む。顔を出していたのがバレるとまずいのだ。ほんの少しでも勝手に外へ出ると、兄は機嫌を悪くする。

 お前は皆と違う。兄の外道丸はそう言う。『皆』は、赤い髪や目をしていないらしい。

 ――そんなこと言われても、『皆』なんて見たことないし。

 鬼同丸が頭の角にそっと触れたとき、背後で簾が上げられた。

「入口の前に立つな。邪魔だ」

「あ、にいさん――」

 おかえり、と続けようとして、鬼同丸は目を見張る。

「……雨なんか、ふってたっけ?」

「俺の上にだけ降ってきた」

 外道丸は売り物が入った包みを投げるように置くと、鬼同丸には目もくれず、手拭いで髪を拭く。

「む、むちゃくちゃ言うなよ。そんなこと、あるわけないだろ」

 鬼同丸は、濡れた着物を確かめるように兄の袖をつかまえる。水に浸かったようにびしょびしょだ。これほどの雨が降ったら、家の中にいても気づくだろう。

「着替えるから、はなせ」

「にいさん、そこ、ケガ……」

 袖から覗いた腕に、かすり傷があった。外道丸は、気がついていなかったらしい。それを見つめ、すぐに着物の紐を解き始める。

「まぁ、たまにはこういうこともある」

「何があったんだよ。かえってくるの、おそかったし、何かわるい人に――」

「うるさい。どうだっていいだろ」

 ぴしゃりと言われて、鬼同丸は固まった。何も分かっていない兄に、ふつふつと怒りと悔しさが込み上げてくる。

「どうだっていいわけないだろ! にいさんがかえってこなかったら、俺、ずっと一人なんだからな!」

 目に涙をためて声を張ると、さすがに外道丸は動揺したらしい。鬼同丸、と戸惑った声と共に手が伸びてくるが、鬼同丸はひょいと逃げる。

「にいさんなんか、ずっと一人だけ雨にふられていればいいんだ! ほんとは、ころんで川におちたくせに!」

「鬼同丸、待て――」

 兄の制止を聞かず、鬼同丸は外へ飛び出す。別にいいだろう。夜は、よく散歩に連れていってもらっている。もちろん、兄から離れることは許されないが。



「あいつ……!」

 外道丸は追いかけようとするが、着替えの途中だ。脱ぎかけた上の着物を、もう一度着るか、着替えてしまうか。

 体は冷え切っているが、仕方がない。外道丸は、濡れた着物に再び袖を通して、弟を追いかけた。

 


 鬼同丸は広い野原を駆け、いつの間にか森へ入り込む。木の葉の間から、満ちきれない月が覗いている。

 思いきり走るのも、夜の風も気持ちいい。鬼同丸は足を止め、深く森の香を吸いこむ、

 振り返ってみても、兄の姿はない。

 ――そうだ、にいさんは、くらいところは見えないんだっけ。

 森へ来たのはまずかった。鬼同丸には、木々の一本一本が見えているが、それは普通ではないらしい。

 兄が散歩に連れていってくれるのは、月の明るい夜だけだ。それに兄は、鬼同丸の目が暗いところでも見えるということを示すような行動をすると嫌な顔をする。

 ――もどろうかな。

 なんとなく不安になり、鬼同丸は踵を返す。もしかしたら、兄は本当に転んで川に落ちたのかもしれない。それなら、言いたくない気持ちも分かる。

 兄に対する怒りは、ほとんど消えていた。

 風が木の葉を揺らす。森が一つの生き物のように、ざわざわと鳴る。鬼同丸が足を速めたとき、背後で誰かの気配がした。

 はっとして振り向くと、木々の隙間に赤い影が見えた気がした。自分と同じような赤い髪と、二本の角。だが、瞬きをしたその後には、赤い色も角もなくなっていた。

「おう、鬼同丸か」

 立っているは、父の弥三郎やさぶろうである。

 目の錯覚だろうか。父の髪も瞳も、当然、黒色だ。角もない。

「どうした? 鬼でも見たか」

 弥三郎はにやりと笑って近づいてくる。酒の匂いがした。

「おに……?」

「一人なのか? まったく、外道丸のやつは何をやってるんだ」

 弥三郎は楽しそうに笑いながら、手に持っていた瓶子を口元へ運んだ。勢いよく呷る。中身は酒だろう。

 鬼同丸は、一歩、二歩と後ろへさがる。たまに帰ってきては、酒を呷り、鬼同丸には意味の分からないことを嬉しそうに言う父は、あまり好きではない。一言で言ってしまえば、怖かった。

「……おれが、かってに出てきたから……」

「お前は正直ものだな。正直なのはいいが、優しいのはだめだ」

 父の姿がふっと消えたかと思うと、いつの間にか鬼同丸は彼の腕の中にいた。父の顔がすぐそこにあり、鬼同丸を見下ろしている。

 鬼同丸の体に震えが走る。父が得体の知れない大きな生き物のように感じて、恐怖が込み上げてくる。

「ち、ちちうえ……」

「せっかく、俺の子が生まれたというのに、性格は母に似たな。外道丸のほうが役に立ちそうだが、あいつはまだ人間だ。俺に反抗的だしな」

 父は冷静な目をしている。酔っているのではなかったのか。鬼同丸には、父が分からない。

 顔は外道丸に似ている。だが、彼よりもがっしりとしていて、岩のようなたくましさがある。その分、外道丸のような繊細さはない。

 これは鬼同丸が他人というものを見るようになってから気づいたことだが、兄も父も、皆とは違う。目を見張るほど、綺麗な容姿をしている。

 弥三郎が、再び、酔っているかのような笑みを浮かべる。

「今あいつがいないのも、何かの縁か。鬼同丸、俺と来るか? 仲間などいらんと思っていたが、せっかくの息子だ」

 鬼同丸は、嫌なものを感じて必死で首を横に振る。父の腕から逃れようと身をよじる。

「そう嫌がるな。なあに、人くらいすぐに殺せるようになる」

 弥三郎には、鬼同丸の抵抗など赤子のそれに等しい。彼は息子を抱えたまま、木の葉の広がる空を仰ぐ。

「ああ、大蛇(おろち)様、今しばらく――」

 木々がざわめく。弥三郎は、誰かを偲ぶように目を閉じる。

 鬼同丸は父の腕をつかんで、懸命に抜け出そうとする。たまらなくなって、にいさん、と口から零れたときだ。

「鬼同丸!」

 木々が激しく揺れて、鬼同丸は父の腕からひったくられた。

 湿った着物が頬に当たる。少し速い鼓動が聞こえる。

「外道丸、どうしてそんなに慌てる? 父が息子を抱っこしていただけじゃないか」

 弥三郎はからになった手をぶらぶらと振って、わざとらしい苦笑いを浮かべた。

 鬼同丸を抱き上げる外道丸の腕に、力がこもる。明らかに怒りを含んだ目で、外道丸は弥三郎を睨む。

「暗くて、父上とは気がつかなかった。弟が怪しいヤツにさらわれそうになっていたら、慌てるだろう」

「お前は本当に可愛くないな」

 弥三郎は酒を呷る。口元を拭って、酔ったような目を外道丸に向ける。

「まあいい。もともと子どもなんか、いらなかったんだ。あいつがあまりにも美しかったから、ふと迷っただけのことよ」

 鬼同丸は母の顔を知らない。彼女は鬼同丸を産んで死んだらしい。

 妻を思い出しているのだろうか。弥三郎の目が細められ、外道丸を舐めるように眺める。

「……帰るぞ」

 外道丸は父から目を背け、鬼同丸に低く言う。

「帰るのか? 俺も今日は家に戻ろうか」

「そんなことしてもらわなくても大丈夫だ」

 外道丸はついてこようとする父を無視して歩き始める。意外にも、ゆっくりだ。いや、慎重なのか。

 そっと外道丸の顔をうかがって、鬼同丸は気づく。兄は険しい表情で、前を見据えている。やはり、あまり見えていないのだ。

 ――でも、ちちうえは……。

「それなら、ちゃんと弟を見ておくんだな」

「今日は、こいつが勝手に飛び出したんだ。父上は、帰ってきたところでこいつの面倒なんか見ないじゃないか」

 それもそうだ、と父が笑う。瓶子の酒を呑み干し、ふらついた足取りで踵を返す。

「仲良くしろよ。鬼同丸は、確かにお前の弟なんだからな」

 へらへらと笑いながら、それでも父は木々をしっかりと避けて森の奥へ姿を消す。

 外道丸は父の消えた辺りを睨んで、吐き捨てる。

「そんなこと、分かってる」

「……にいさん」

 鬼同丸は兄の腕の中で、身じろぎする。

「何だ」

「おろして」

 暗闇でも目の見える自分が、先に立って歩いたほうがいい。鬼同丸はそうとは口にはせず、さりげなくそうするつもりだったが、外道丸は彼の心中に気づいたらしい。

 むっとした表情になり、鬼同丸の顔を自分の体に押しつける。

「ダメだ。また脱走されたら困るからな」

「し、しないって。しないから、はなしてよ。にいさんの着物、つめたいんだよ」

「お前のせいだろ」

「じぶんで川におちたんじゃ――」

 言いかけると、けっこうな力で頭を殴られた。



 外道丸は、ようやく森を抜ける。青い月明かりに安堵し、鬼同丸を下ろしてやる。

 外道丸はちらりと振り返り、黒々とした森を見つめる。鬼同丸を追ってきたときは、よくあの暗い中を走れたものだ。

 ――夢中だったから、だよな。

 ふと胸中をよぎったざわめきを、外道丸は考えないようにする。鬼同丸の手を引く。

「にいさん、頭いたい」

「風邪か?」

「にいさんがなぐったからだよ」

 鬼同丸は、非難がましい目で外道丸を見上げている。赤い瞳。頭巾を持ってくるのを忘れていた。赤い髪も、角も丸見えだ。

 外道丸はぐしゃぐしゃと弟の頭を撫でる。

「河辺でケンカしただけだ」

「ケンカ? 口で言いあうんじゃなくて、なぐったり、けったりするほう?」

 外道丸は答えない。言わなくても、分かるだろう。

 案の定、鬼同丸の表情は暗くなった。

「にいさん、そんなことしてるの?」

「しかけてくるやつがいるんだから、仕方ないだろ」

「しかけてくるって……」

 何で、と鬼同丸は目で問うてくる。不安そうに揺れる弟の瞳から前へ目を逸らし、外道丸は、さあな、と答える。

 ふと足を止めた。掘立小屋がぽつぽつと建つ中で、一本、しっかりとした木が生えていた。

 桜だ。

 川辺のものと違って、こちらは満開だ。思い切り花弁を開き、全身に月明かりの粒子を受けている。

「そうだ。桜が綺麗だったのに、俺がいたからケンカになったんだ」

 記憶の底から零れ落ちるように、外道丸はほとんど無意識に呟いていた。

 鬼同丸が、え、と顔を上げる。

「ほら、あれだ」

 外道丸は鬼同丸の頭に手を置き、顔を桜の方へ向けさせた。鬼同丸は目を瞬かせ、感嘆の声を漏らす。

「落ちてくる花びら、とれるかな」

「無駄に疲れるぞ」

 鬼同丸が、近くに行きたいとねだるようにちらりと目を上げる。外道丸は返事の代わりに、弟の背中をとんと叩く。

 鬼同丸は顔を輝かせると、ぱっと駆けだした。

 夜の風が通り過ぎる。湿った着物が冷たい空気を含み、外道丸は思わず自分の両腕をさする。

 鬼同丸は懸命に、落ちてくる花びらをつかまえようとしている。

 もういいだろ、早くしろ。そう言う気にならないのは、桜のせいだろう。花や月に興味はないが、綺麗なものは時に人を惑わせる。

 ――そういうことにしておくか。

「にいさん、とれたよ」

 鬼同丸が、花びらを指でつまんで自慢げにかかげていた。


読んでくださったかた、ありがとうございました。

酒呑童子の父、伊吹弥三郎は八岐大蛇の子だとか眷族だとかいう説があるそうです。八岐大蛇復活のために頑張ってる……という設定です。

八岐大蛇の物語をたどっていくと、安徳天皇まで繋がるようです。長いですね!

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