表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/79

信仰


(つな)……?」

 頼光らいこうは人の気配に目を開き、その姿を見る前に名前を呼んでいる。自分でも、よく分からぬままだ。

 どのくらい眠っただろうか。室内には灯りがともされており、日は遠に落ちたようである。

「も、申し訳ありません。お起こしするつもりはなかったのですが……」

 母屋へ入ってきた綱は、頼光の傍らに正座し、頭を下げる。その動きに合わせて揺れる黒髪は、何となく懐かしい感じがする。頼光は上体を起こし、着物が着替えられているのに気づく。参内したままの恰好で倒れ込んだのだが、きちんと寝かされていた。

「なんか、すごくよく寝てたみたいだな。全然、記憶にない」

「お疲れは当然です」

 綱は少し微笑んだまま、目を伏せる。黙したままの彼女に、頼光は小首をかしげる。

「何か用があったんじゃないのか」

「あ、いえ……頼光様がお目覚めになったら、宴を開こうと皆で話していまして、俺はご様子を窺いに」

「そっか。そういえば、飯もまだだったな」

 酒も飯も欲しいとは思わなかったが、頼光は着物を正し、行く素振りを見せる。

「頼光様」

 立ち上がるその前に、綱の柔らかな声が室内に落ちる。呼び止めるには意志のない、満ちた音だったが、頼光はふと動作を止める。綱は膝の上の、自分の拳に視線を落としたまま、はにかんで言う。

「なんか、嬉しいものですね。こうして元通りこの部屋に……えっと、頼光様がいることが」

 囁くように言いきった綱の頬が、俯いていてもそれと分かるほど朱に染まる。

「そう、か?」

「ゆ、夢じゃないかって今でも少し怖いんです。目が覚めたら、ほんとは頼光様はあのときに亡くなっていて……そんな夢を見ました。ややこしいですね」

 綱の視線がすっと上がる。現実の幸福を噛みしめるように、黒々とした大きな瞳が頼光を捉える。

「頼光様、俺は酒呑童子しゅてんどうじにすがって泣く茨木童子いばらきどうじを見て、罪の意識を覚えました。勅令によって動いている我らが正義であるはずなのに、悪いことをしたと……いや、茨木にとって酒呑童子は、俺にとっての頼光様と同じこと。それを思うと平気ではいられなかった」

 幾分、真剣な光を宿したとはいえ、綱の瞳は穏やかだ。

 頼光の胸中をざらりとしたものが這っていく。

「どうして、それを俺に言う? 悩んだり、思いつめたりしてるわけじゃないんだろう」

「随分、悩んだんですよ。でも、頼光様と共にこの屋敷に帰ってこられたら、なんだか落ち着きました。やっぱり勅令やら正義やらより、頼光様が無事でいられることが俺の一番です」

 柔らかく見えて、覚悟の据わった眼差しだ。今ここで、頼光が太刀を抜いたとしも彼女は動じない。

 頼光は自分のどこかにともった戸惑いや焦りを、煩わしく眺めながら、頭を押さえて息を吐く。

「俺に従うなら、いいんじゃないか。従う理由は言わなくていい」

 その声は他人のもののように聞こえる。頼光は目を上げて、綱に笑んでみる。暗澹とした気分が煙のように、彼女の姿を霞めさせるが、一途な視線の妨げにはならなかった。

 綱の眼差しは、蜘蛛切に宿った、褐色の肌の女を想起させる。

 匹女ひきめだ。土蜘蛛の洞穴、大将の御笠みかさを探す頼光の手の中で、蜘蛛切はずっと今の綱のような、理解しがたく、何ものにも妨げられない気を放っていた。

『会わせてやってくれ』

 蜘蛛切に宿った女の想いを、土蜘蛛と化した青年に。

 御笠との戦闘、苦しい息の下、自分のとった奇妙な行動を、頼光は今、何となく理解する。

 ――綱のせい、というか、おかげというか。

 それが良いことなのか悪いことなのかは、考える気にもならない。ただ、失くしたことも忘れていた失せものを、ふいに見つけたときのような鼓動が感じられる。そこから生じた熱は、体温よりも少し温かで心地よい。

「綱、俺な……」

 あの土蜘蛛は、お前に似ていた。今、気づいたんだけど、だから、無視できなかったんだと思う。

 頼光は言いかけて、ふと口を閉ざす。

「何ですか?」

「……いや」

綱が怪訝な顔をする。頼光は先ほどの彼女の幸福を、そっくりそのまま移したような笑みを浮かべる。

「やっぱり言わないでおく。正義を疑ったことを告白した罰、な」



「俺な……実は鬼なんだ――って話じゃないですよね」

 突然割って入った声に、綱は動揺をむき出しにして振り返る。

「さ、貞光さだみつ! いつからそこに」

「ほんの少し前ですよ」

 貞光は眉一つ動かさず柱の影から姿を現し、綱の隣に腰を下ろす。

 頼光はその冷めた目を眺め、驚いた様子もなく口を開く。

「けっこう前に来てただろ」

「……。まだ、完全にお目覚めではないようですね」

「そういうことにしてやってもいいけど」

 手を口元にやって笑う頼光に、貞光は変わらず無表情でいる。綱は二人を交互に見やり、その会話を理解する否や、顔を真っ赤にさせた。

「貞光、貴様、何を聞いた? 忘れろ今すぐ。できないなら、ちょっと表へでろ」

「いいですよ、と言いたいところですが、怪我が治ってからにしてもらえませんかね」

 太刀に手をかけていた綱は、きょとんとして貞光を見つめる。いつもと変わらないように見えるが、そういえばと思い出すことがある。

「白髪の鬼女と戦って、割と重傷を負ってたんだな」

「小刀で少し刺された程度ですが」

 貞光はさらりと言うが、綱はその傷を見ている。いや、傷が見えないほど血がこびりついていた。

「それなら、少しは痛がれ。大江山でも、今も、よく普通に歩けるな。気持ち悪い」

「痛いのは痛いですよ」

 貞光の目は、すっと頼光へ向く。頼光は瞬きと共に、その視線を軽く受け止める。

「刺されて痛がるどころか、傷すら残っていないのはどういうことなんでしょうかね」

 綱は思わず貞光の袖を引く。

「貞光、その話はもういいだろ。見間違いだ。そうじゃなきゃ、日頃の行いだ」

「それなら、私が怪我を負うのはおかしいですよ」

 こいつ本気で言ってるのかと、綱は言葉を失う。

 そのとき、近づいてくる足音と話し声が綱の耳に届く。三人の意識がそちらに逸れ、張りつめた空気が霧散する。

季武(すえたけ)、頼光様、まだお休みなんじゃねぇかな……」

「いや、綱が戻ってこないってことはしゃべってるんだと――」

 言葉の途中で、その人は母屋へ到着する。白と赤の巫女装束で、ぱっとその場が華やいだ。

「殿~、やっぱりお目覚めだったんですね。もう待ちくたびれたっすよ」

 季武のあとを、金時(きんとき)がその長身を縮めるようにしてついてくる。彼は貞光の姿を認めると、こそりとその後ろに腰を落とす。

「貞光もここにいたのか。やっぱり傷が痛くなって、休んでるのかと……」

「できれば宴には参加せずに、静かに休みたいんですがね」

 前を向いたまま無感情に呟いた貞光の肩に、季武がぴょんと跳びつく。

「えー、ダメダメ。保昌(やすまさ)様も、頼親(よりちか)様とその家来さんたちもいねぇんだから、これ以上人数減ると寂しいだろ。いくらお前でも」

「参加しなくていいですよね」

「頼親はまだ帰ってきてないのか? 叔父さんも参加しないって……」

 頼光がさして不思議そうな様子もなく、季武と貞光を見やる。

「頼親様は頼信よりのぶ様を追って出てったきり、保昌様は自宅にいたいらしいっす」

 全員の頭に浮かんだのは保昌の弟のことである。保輔(やすすけ)が帰ってきた。保昌はそれしか告げていない。そのとき頼光は、何か問おうとしてやめた。

『良かったですね。おめでとうございます』

 いつものように微笑んで、そう言っただけだ。

『保輔は、盗賊袴垂(はかまだれ)だ。たぶん、いや、間違いねぇ』

 鬼退治に出発する前、頼親が放った言葉は四天王にも知れ渡っている。保昌は何も言わない。頼光も何も問わない。

 今もそうだ。頼光は、何の裏もないような笑みを浮かべる。

「そうか。弟さんがいるもんなぁ」

「……そうっすねぇ」

 なんとなく流れた沈黙に、綱は耐えきれなくなって立ち上がる。

「とにかく、今日は俺たちだけで宴だ! 酒だ!」

「呑む気満々だな~。ま、久しぶりだしな」

「……俺は腹が減ったな」

 綱は勇み立ち、季武はのんびり、金時はそのあとについて母屋を出ていく。殿も早く、と季武が振り返る。

 頼光は、ああ、と返事をし、座ったままでいる貞光を見やる。

「お前は行かないのか? そう落ち込むなよ。なんやかんやで、皆、お前がいないと寂しいんだからな。たぶん」

「別に落ち込んではいませんが」

 貞光は冷めた目を頼光から離そうとしない。

「まだ質問の答えを聞いていませんので」

「質問? 何だっけ……」

 頼光は伸びをして、小首をかしげる。

「私があなたに仕えるのは、同じ人でありながら、全く敵わないからですよ」

「鬼には仕えられないか」

「一度、忠誠を誓った身。今さら、お傍を離れはしませんが」

 貞光の目が、すっと離れる。表情の変化に乏しい彼だが、落胆、しているのだろうか。

 貞光、と頼光が呼ぶ。

「俺が鬼だったら、無事でいるのはおかしいんじゃないか」

「は」

「あの酒、神便鬼毒酒じんべんきどくしゅだっけ。不味かったな。まさかあんなに苦いとは思わなかったから、酒呑童子の前でひやひやした。――あいつは、美味いと言っていたけど」

 神便鬼毒酒。人が呑むと薬に、鬼が呑むと毒になる酒。

 頼光は確かにそれを呑んでいた。一口呑んで、美味しいですよと酒呑に差し出した。

 酒呑童子には毒に、頼光には薬になったのである。

「呑んでいれば、万が一のことあっても大丈夫だとご存じで」

「まさか。そしたら、お前らにも呑ませてるよ。怪我してから呑むもんだと思ってた」

 神には敵わねぇよ、と頼光は息をつく。そこには畏怖より、移ろう季節を眺めるような、親愛と諦観がうかがえる。

「さて、宴だ。これ以上、待たせられないからな」

 頼光は身軽く立ち上がり、ふっと笑う。

「俺は人間だよ」

 


ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。

一応、御伽草子『酒呑童子』は神仏を信じましょうという話なので。あまり書けませんでしたが、頼光たちは、必勝祈願のために神社に行ったり、お経を奉納したりしたようです。鬼退治の途中、何回か道に迷って、神様に助けてもらってます。道に迷ってうろうろする頼光一行書きたかった(^^;


次回はエピローグで最終話です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ