家族
しとしとと雨の落ちる京の夜道を、為頼と氏元は、頼光邸へ向かって歩いている。二人は主の頼親を頼光邸へ運んだあと、頼信の家来に促され、もう一度土蜘蛛退治に出たのだった。
火は徐々に勢いを弱め、もう破壊の音は聞こえない。
「何でか分からないけど、すぐに土蜘蛛がいなくなって良かったよな」
「俺たちに恐れをなしたんじゃねぇかな」
為頼は安心しきって、足取りも口調も軽い。氏元の呆れたような視線を無視して、すたこらと歩いていく。
「頼親様も目を覚まされてるかもしれねぇし」
「……そうだな」
二人は小走りになる。血の混じった水溜りが跳ね、その傍らには枯れ枝のような土蜘蛛の足が転がっていた。
*
頼光邸、母屋。
「頼信……ッ! あいつどこ行きやがった!」
「お、落ち着いてくださいよ」
「まだ動いちゃダメですって」
目覚めると共に飛び起きようとする頼親を、為頼と氏元は必死で抑える。しばらく抵抗した頼親だったが、やはり本調子ではないらしい。すぐにその力は弱まっていく。
「あの野郎、思いっきり殴りやがって」
諦めた頼親は、二人を振り払って舌打ちをする。弟に気絶させられたことがよほど悔しいのだろう。
氏元は冷や汗を感じながら、なだめるような笑みを作る。
「まあまあ、頼親様を思ってのことですよ」
「そうですよ。さっきも様子を見に来られて……」
「ほんとか?」
「寝顔を見て、鼻で笑って去っていきました」
「やっぱり許さねぇッ!」
再び立ち上がろうとする頼親に、二人は素早く跳びかかる。この人は本当に怪我人なんだろうかと二人が疑念を抱いたとき、
「頼親、いるのか?」
姿を現したのは、保昌である。髪は濡れていたが、血で汚れた狩衣は着替えられていた。
「お前があのあと、どうなったか気になってな。頼信の家来がいたんで、聞いてみたらここだと。無事で安心した」
「無事どころか元気すぎて――」
「てめぇは黙ってろ」
為頼に肘鉄砲を食らわせると、頼親は保昌をまじまじと見上げ、遠慮がちに口を開く。
「……叔父さん、あの、保輔は……」
「ああ」
保昌は頼親の正面に腰を下ろすと、暗い瞳に微笑を浮かべた。
「帰ってきたよ」
帰ってきた。その言葉はふわりとしていて、なかなか現実の色を帯びない。頼親は、その一語一語をよく見つめて、ようやく肩の力を抜く。
「そうか」
どっと広がる喜びは限りなく疲労感に近い。頼親は続きの言葉を探す気もなくて、なんとなく視線を落とす。
「今は家で寝ている。目が覚める前に帰ってやらないと――」
口元に笑みを残したまま、保昌は夢でも見ているかのように立ち上がる。
湿気た風がふいと吹き込んだ。御簾が開け、明けはじめた空が見える。雨の線は、時折、思い出したように視界へ降りる。
保昌は白々と広がり始める朝に目を細め、ぽつりと呟く。
「本当に頼光の仕業かもしれないな」
突然現実味を帯びた保昌の声は、鮮明に耳朶をうつ。頼親は思わず身を乗り出して、為頼と氏元を慌てさせた。
「兄貴が何だって? そうだ、叔父さんは鬼退治に行ったんじゃねぇか。それはどうなったんだ。兄貴は……」
保昌の暗い瞳は、外を見たままである。
「大江山には土蜘蛛の大将がいた。それを討ったのは頼光のような気がする」
「……無事、なのか?」
「無事じゃ済まないはずなんだ」
言葉を失う頼親を振り返って、保昌はいつになく真剣な眼差しを向ける。
「都が助かったことを喜んでやれ」
兄の頼光が、何より守ろうとしていたもの。その巨大な存在は息絶えることなく、動き、先へと続いている。静寂の中にその息遣いを感じ取り、頼親はぞくりと肌を粟立たせる。
「そうだな」
夜の闇は、静かに引いていこうとしている。保昌はふと表情を緩めて、外へ出ていく。
しんとした中に、気まずさを感じたのか為頼が身じろぎする。
「……ええっと、や、保輔様のことは本当に良かったですね」
「そうですよ。頼親様のおかげですよ」
無理に明るい調子で話す家来に、やりにくさを感じながらも、頼親は曖昧に相づちをうつ。
再びしんみりとした空気が流れ始めたとき、ぱたぱたと渡殿を走る音がした。
「さっき、保昌の叔父さんがいたような気がしたけど」
ひょいと顔を覗かせたのは頼信である。
「頼信……!」
頼親が叫んだのと同時に、為頼と氏元が彼に跳びつく。
「だ、ダメですよ!」
「大人しくしてないと!」
「まだ何もしてねぇだろ!」
いいから離せと二人を振りほどき、頼親は頼信に目を向ける。
「何の用だよ」
頼信は胡坐をかいて、つまらなそうに頬杖をつく。
「だから、叔父さんがいたよなって。あの人、鬼退治に行ったんじゃなかったっけ。逃げてきたのか」
「んなわけねぇだろ」
挑発的な頼親の言葉にも、頼信はふうんと言うだけだ。頼親の苛立ちを感じ取った為頼と氏元は、じっとりと主君を見張っている。
「頼光兄さんがどうとか……」
「お前、全部聞いてたんじゃねぇの」
それには答えず頼信は、頼親を見て嘲笑する。
「まあ、頼光兄さんに何かあっても、父上の跡は俺が継ぐから安心しろ」
「兄貴の次は俺だろ!」
「頼親兄さんには無理」
言うや否や逃げ出す頼信の横を、木の枕が勢いよく飛んでいく。
「さっさと河内に帰れ!」
「よ、頼親様、枕なんか投げたら危ないですよ」
「うるせぇ為頼。あの野郎、怪我が治ったらとっちめてやる」
「はいはい、だったら大人しく寝て、早く治しましょうねー」
心底呆れた様子の氏元に促され、頼親はむすっとした表情のまま衾にもぐりこんだ。
頼信が頼光邸で寝泊まりしている部屋へ戻ると、乳母兄弟の藤原親孝がにこにこと出迎える。
「どうでした、頼親様のご様子」
「別に頼親兄さんの様子を見にいったわけじゃねぇよ」
頼信は親孝を押しのけて部屋に入ると、文机に向かって頬杖をつく。
親孝は困ったような表情をしながらも、笑顔を絶やさず、頼信の隣に正座する。
「でも、会われたんでしょう? お怪我の具合は……」
「……もうちょい強く殴れば良かったな」
「お元気そうだったんですね」
嬉しそうな親孝を無視して、頼信は独り言のように呟く。
「頼親兄さんの怪我が治る前に、出ていかねぇと」
「頼光様のお帰りと、どちらが先か。頼光様のことも心配ですねぇ」
頼信は親孝に背を向け、ごろりと横になる。
「……あの人、どっかで昼寝でもしてんじゃねぇかな。俺が頼親兄さんに仕返しされたら、頼光兄さんのせいだ」
「早くお帰りになるといいですね」
頼信は無視を決め込んで、ふわりと欠伸をする。彼を産まれたときから知っている親孝は、あえて本心を引き出さず、にこにこと見守っていた。
*
保昌邸。
柔らかい笛の音に耳朶をくすぐられて、保輔は目を覚ます。視界に広がった高い屋根裏が、まだ夢の中にいるような心地にさせ、すぐに頭が働かなかった。
彼はいつもそうするように、視線を横へ逸らす。そうすれば、自然と目に映るはずの赤い影が今朝はない。
――あいつ、もう起きたのかな。
倦怠感の纏いつく体を起こそうとしたとき、足に痛みが走った。痛みは蘇る記憶と共に、心臓を打つ。
反射的に目を向けた方には、簀子縁に腰かけた保昌がいる。目を閉じて、ただ無心に笛を吹いている。
保輔は、出かかった声を呑みこんでしまう。柔らかで清潔な着物の感触と、微かに漂う香のかおりが、保輔の行動を優しく制御する。
自分は袴垂ではなく、藤原保輔なのだ。
――これで良かったのか、鬼同丸。
保昌の背中を見つめながら、保輔は赤毛の子鬼を思う。彼はどうなっただろうか。喧嘩をしたきり、会っていない。
笛の音が途切れ、ふと保昌が振り返る。
「起きたのか」
「あ、うん。さっき」
声をかけなかった後ろめたさから、保輔の返答は曖昧な調子になる。保昌は気にしたふうもなく、徐に立ち上がると枕元に片膝をつく。
「具合はどうだ。怪我は?」
「大丈夫だよ。……にーちゃん……のほうが怪我とか、色々大変だと思うけど」
着物は着替えられているが、保昌の左肩には大きな傷がある。どんな戦いをしてきたのか知らないが、疲れてもいるだろう。
だが、保昌は暗い瞳に笑みを灯して黙している。弟の無事が何より嬉しいのだ。
「もう少し、休んでいるといい」
保昌は保輔の肩に手をかけ、あお向けになるように促す。保輔は抗うことなく横になり、兄の顔を見上げる。
やがて保昌は目を伏せ、どこか照れたように笑む。
「よく帰ってきてくれた」
密やかなその声は、言葉よりもその心を含んで落ちる。保輔は何も言えずに、ただ保昌の顔を見つめるばかりだ。
鬼同丸に会いに行きたいと、そう告げるとこの人はどうするだろうか。
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。
67話以来の頼親です。源頼親、正確な生没年は不明ですが、けっこう長生きだったようで……。そういうわけで、元気な子のイメージで書いてます。頼信とは、年の近い同母兄弟です。
次回はその後の大江山です。




