主を慕う
「まったく、ここどこだよ」
卜部季武は壁に手をつき、薄暗い洞窟の中で大きく息を吐く。清らかなはずの巫女装束は、すっかり血や土で汚れてしまっている。
「殿は見つからねぇし、なんだか、ぐるぐる同じところを回ってるみたいなんだよな」
呟きながらも季武は歩を進める。途中、何度か土蜘蛛に出くわし、矢も残り少なくなっていた。
できれば敵に会いたくないな、と思った季武の耳に、かすかに衣擦れの音と足音が届く。
左の穴を歩いているようだが、その人はすぐに姿を現すだろう。季武は、そっと弓に矢をつがえる。
出てきたのは、土蜘蛛の仲間の少年だ。
彼は、自分にぴったりと向けられた矢に、あっという顔をした。
――殺さないで脅せば、色々教えてくれるかも。
季武が考えていると、少年は季武の顔をまじまじと見、何故か安心したように余裕のある笑みを浮かべた。
「なんだ、脅かしやがって。ろくに外も歩いたことのないような姫君の弓など、ここまでも届かないぞ」
「はあ?」
季武は、相手の全く警戒心のない様子に弓を引く力を弱め、矢じりを下げる。
「まさか姫君の中にも、こんな洞窟の中をさまよってまで逃げようとする者がいるとはな。どこで手に入れたのか知らないけど、見よう見まねで弓なんか引いてもダメだぞ」
少年はずかずかと歩いてきて、季武の弓をひったくるように奪おうとする。状況を理解した季武は、抵抗せず手を離した。
泣き崩れるふりをして、か弱い女の声を出す。
「私の父は貴族ながらに剛の者。しかし……やはり私にはこのような恐ろしいことはできません」
「そうだろ。できっこないんだ」
ほら行くぞと、少年は季武の手をつかんで歩き出す。季武はされるがまま、少年についていく。
「こんなに大変なときに、まったく面倒なことをしてくれる。全て終わるまで、他の姫君と大人しくしていろ」
「では、終わったあと、私たちはどうなりますの?」
「さあな。都はなくなっているだろうから、帰る場所はないけど……」
少年は偉そうに大股で歩きながらも、ちらりと振り返る。
「土蜘蛛がどうするか知らないけど、俺たち人間は、あんたらが妻になるなら殺さないでやってもいいと思ってる。庶民を苦しめてるのはマツリゴトをしてる男たちだからな」
「まあまあ、ガキのくせに」
「何か言ったか?」
「いえ何も」
大人ぶった少年の物言いに季武は笑いをこらえる。
やがて、縦にも横にも広がった部屋のようなところに出た。歪な形をしており、やはり、あちこちから他の道にもつながっているようだ。
その片隅に姫君たちはいた。
とても姫君にはふさわしくないが、莚だけは敷かれている。彼女らはそこに座し、こそこそと話をしていたが、こちらに気づいて、はっと口元を袖で覆った。
少年は気にすることなく、季武の手を離す。
「もう逃げ出そうなんて考えるなよ。俺は忙しいんだからな」
「はいはい、ご苦労様」
季武は少年の肩を叩くと、喜び勇んで姫君たちのほうへ駆けていく。
「……ホントにあんな姫君いたっけな。いた、よなぁ……?」
少年はぶつぶつ言いながら何度か足を止め振り向いたようだが、結局、季武の正体には気づかずに去っていった。
姫君たちは、身を寄せ合って戸惑ったように季武を見ている。
姫君は八人いた。さらわれたと聞いているのは六人なので、残る二人は問題視されなかった下郎の女房だろう。
その中で季武と目が合ったとき、泣きそうに瞳を潤ませた人がいた。
「あなたは、源頼光殿の……」
花園中納言の娘である。血のついた着物を洗濯し、鬼の里はあっちだと頼光たちに教えた姫だ。
季武はにっこりとほほ笑み、片膝をつく。
「お助けに参りました」
姫の大きな瞳から、涙が零れ落ちた。それはとどまることを知らず、姫の袖を濡らしていく。
「さあ、俺と一緒に――」
季武が手を差し出したとき、
「逃げられますかね、武器なしで」
冷めた声が割って入り、姫は伸ばしかけていた手を引っ込めた。
「弓はどうしたんです?」
貞光は無表情なまま季武を見下ろしている。
「なんつータイミングでやってくるわけ?」
「ばっちりじゃないですか」
季武はわざとらしくため息を吐きながら立ち上がった。
「まあ確かに、武器なしで姫君を洞窟の外までお守りできるか微妙だったけどな」
「外が安全というわけではありませんよ。とりあえずは、ここを脱出しなければいけませんが」
そうだなと頷き、季武は姫君たちを振り返る。
「では、俺たちについてきてください。さあ行くぞ、貞光」
「はい」
勇ましく前を向いたまま、二人の足は動き出さない。
「貞光、早く行こうぜ?」
「ええ、行きましょう」
二人の足は止まったままだ。
「……お前、出口知ってる?」
「知りませんよ」
特に表情を変えることなく、さらっと言う貞光に、季武は頭を抱えてしゃがみこみたくなった。
「まったく、使えねぇ……」
「それは私が言いたいですよ。私は戦えますが、あなたはそれもできないじゃないですか」
「お前の武器のその小刀、俺のなんだけど」
「もらいましたから、私のです」
「え、貸しただけ――」
「そんなこと一言も聞いてません」
貞光は冷めた目で平然と言ってのける。
「お前……いっぱつぶん殴ってもいい?」
「それ、いいって言う人いるんですかね」
よし殴ろうと季武が拳を握ったとき、か細く戸惑った声が二人の間に割って入る。
「あ、あの……私、出口までなら分かりますわ。川へ連れて行かれたときに……」
花園中納言の言葉に、季武と貞光は顔を見合わせた。
*
坂田金時は鼠に導かれ、主がいた場所へと辿りつく。
金時は呆然と辺りを見渡す。鼠は彼を見上げ、ちゅうと鳴く。
「ここ、なんだな?」
乾いた血が一面にこびりつき、千切れた土蜘蛛の骸があちこちに転がっている。骸は虚しく、ここに動くものはない。
中央には大きな岩があり、ぶっつりと切られた蜘蛛の糸が岩を囲むように地に落ちていた。
金時は骸を踏んで歩き、その糸を手に取る。
――頼光様……。
血に汚れた糸。その中に、鬼にとってはたまらない人間の血の匂いはない。
地面に溜まった土蜘蛛の血か、酒呑童子のそれだろう。
金時は息をつき、手を下ろす。
とにかく頼光はいない。動けないほどの怪我は負ってはいないとみて、安心するべきなのか。
――刺されたのは見間違いか。
金時は違和感に眉をひそめる。足元をちょろちょろと動く鼠を手に乗せ、無意識のうちに撫でる。
「俺は鬼と人の子だ。だけどあの人は……」
鼠の柔らかな鼓動が妙に意識され、金時は金色の目を伏せる。
「何者なんだろうな」
*
洞窟内に主君を求める甲高い声が反響する。渡辺綱は息をきらせて、何度も何度も、頼光の名を叫ぶ。
声は薄闇に吸い込まれ、綱は壁に手をついて立ち止まる。頬を伝う汗をぬぐう。右手に握った抜き身の鬼切からは、血が滴っていた。
土蜘蛛を斬りながら進んできたが、頼光はどこにもいない。
綱の心臓は焦りに脈打っている。噛みしめた歯の間から、くそ、と声がもれる。
「……頼光様」
名前を呟くと、ため息がこぼれ出た。
頼光は生きている。そう信じて進んでいる。だが、ふとした瞬間、それが揺らぎそうになる。
会いたい。生きている姿を見たい。
そうするまでは、やはり信じきれないのだ。綱は目の前で、頼光が刺されるのを見た。
――じっと待ってることなんか、できやしないんだ。
綱はうっとうしく垂れ下がってくる髪をかきあげ、再び、足を動かす。
幼いころ、乳母のもとから逃げ出して走った夜道が、今の洞窟と重なった。記憶はさかのぼり、華やかな小袿が頭の中を流れていく。琴の弦をはじく白い手。あなたは美しい子だからと弱々しく笑む母の顔。狩りへ連れていけとせがんでは、父の郎党のススキを困らせていた。
――俺は坂東の勇、源宛の子だ。頼光四天王の渡辺綱だ。
息が上がってくるが、足は力強く地を蹴っていく。
――高貴な姫君なんてまっぴらだ。友達でも、家族でも、恋人でも、誰か大切な人が危険な目にあっているときに、待っていることしかできないじゃないか。あの綺麗な着物の袖を、涙で濡らしながら。
俺は違う、と綱は強く自分の心に吐き捨てる。
ふいと、一人の女性の姿が頭を過る。
『私も、同じだった』
そう言った人がいた。
『私は、大将の御笠様をお慕いしていました。官軍相手に、御笠様と共に戦ったのです』
綱は自分の呼吸と心臓の音の後ろで、よみがえる彼女の声を聞いている。褐色の肌をした彼女の、野性的な瞳が綱を見つめている。
その人のことは、ずいぶんと昔から知っていたはずだ。姿こそ醜怪な土蜘蛛だったが、彼女は幼い綱をさらおうとし、頼光に足を一本斬りおとされた。
綱は足を止める。このまま進めば、ぽっかりと広がり部屋のようになっているところに行きつく。そこから、地を這うような声が響いてきていた。
綱は呼吸を鎮め、ゆっくりと歩を進める。部屋の手前で壁に背をつけ、中の様子をうかがう。
異様に大きく、深い土色をした土蜘蛛がいる。
それを見たとき、綱は言いようもない不気味さを感じた。それこそ、土の底から這いあがってきた黄泉の国のような空気をまとわせている。
それの前に、小さな人影がある。
いや、鬼だ。赤い髪をした子鬼だ。
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。
今、吉川英治の「新・平家物語」を読んでいます。新潮文庫の表紙が素晴らしいやつです。頼光や頼信の子孫が大活躍です。歴史は繋がってるのが面白いですね。
この時代もいいですね……!
次回は、茨木&酒呑と鬼同丸&御笠です。




