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手を伸ばすこと

 源頼光みなもとのらいこう酒呑童子しゅてんどうじと共に解放され、地面の上で小さく呻く。

「……痛ぇ……もうちょっと、丁寧に起こせよ――」

 言いながら、頼光は自分の状況を思い出す。瞬時に頭を切りかえ立ち上がると、八方から迫ってくる振動に構える。

 天井からはさらさと砂が落ち、上も、下も、横も割れんばかりに揺れる。

 ――糸が切られたからか。

 横穴から飛び出してきた大きな影は、まぎれもなく土蜘蛛だ。だが、先ほど話をした大将らしき者ではない。

 頼光は身を滑らせて、突っ込んできた土蜘蛛を避ける。立ち上がる間もなく、天井を突き破って土蜘蛛が落ちてくる。

 転がってかわしたが、もうもうと砂埃がたちこめ、視界を霞ませた。

 ――俺、武器もってないんだっけ。

 頼光は咳き込みながら腰のあたりを探るが、その手が太刀をつかむことはない。

 薄れてきた砂埃の中に、土蜘蛛の大きな口が見えた。頼光は傍らの石をつかみ、投げつけると同時に走り出す。片目を潰された土蜘蛛の呻き声は、他の土蜘蛛が迫る音に掻き消される。

 頼光は土蜘蛛の足をかいくぐりながら、どこか逃げ込める穴はないかと目を走らせるが、どこからも土蜘蛛が這い出してきている。

 ぽっかりとあいた穴の、土蜘蛛の腹の下、頼光の目は、吸い寄せられるように何かをとらえた。

蜘蛛切(くもきり)……!」

 そこに落ちているのは、確かに蜘蛛切だ。小さく振動し、ときに大きく跳ね、こちらに向かっている。

 土蜘蛛が起こす振動による偶然か。しかし、それは自ら進んでいるようにも見える。

 蜘蛛切、もとの名を膝丸ひざまるという。名前をかえたのは、土蜘蛛を斬ったからだ。

 膝丸が初めて血を吸った土蜘蛛は、七本足のそれだ。

 そんなことを思い出したのは、どういうことだろう。頼光は、わき目もふらず蜘蛛切に直進する。

 蜘蛛切に手が届くのと、足に土蜘蛛の糸が絡まるのと同時だった。頼光は倒れ込みながら蜘蛛切を抜き放つと、足の糸を斬り、土蜘蛛の額を割る。

 そのとき、ふと頭に一人の女の姿が浮かんだ。というより、電撃が走ったかのように一瞬、見知らぬ女が頼光の頭の中に姿を現したのだ。

 褐色の肌で、鹿の毛皮をまとっていた。黒く野性的な瞳は、訴えかけるような強い光を放って頼光を見ている。

 一瞬だ。次の瞬間には、頼光は土蜘蛛を倒すべく太刀を振るっている。

 一匹の胴を裂いたとき、思いがけないところから土蜘蛛の巨体が飛んできた。 頼光はとっさに伏せたが、風圧で少しの距離を地面を転がるように飛ばされた。

 その土蜘蛛は、自らの力で突進してきたのではなく、投げ飛ばされてきたのだ。

 頼光は痛みに顔をしかめ、片膝をついてそれが飛んできたほうを見やる。

 酒呑童子だ。赤い髪をした鬼が、苦しげな息を吐きながらも、投げ飛ばした土蜘蛛のほうを睨んでいる。

 頼光と目が合うと、酒呑童子はいっそう顔を歪め、舌打ちをしたようだ。頼光に背を向けようとし、ふらりと倒れそうになる。

 彼は太刀を支えに、なんとか体勢を保つと、ふらふらしながらも、急いだ様子で一つの穴へ入っていく。その周囲には、土蜘蛛の骸が転がっていた。

外道丸(げどうまる)

 頼光はふと、決して届かない声で呼んでみる。

 鬼の大将酒呑童子にしては、今の彼は普通のひとだった。何かを追うように走っていくが、それはきっと大きなものではない。彼が求めているものも、守ろうとしているものも、案外、普通のものだ。

 さて俺は一体何を考えているんだと、頼光は不思議に思う。

 ――俺は都を……。あの土蜘蛛を倒す。

 蜘蛛切を携えた源氏の大将は、御笠(みかさ)が消えたほうへ走り出す。


          *


 細長い洞窟の中で、鬼同丸(きどうまる)の心臓は激しく脈打っている。地を蹴る足より、荒い呼吸より、何より心臓がどくどくと音を立てる。

 ――兄さん、兄さんだ。

 足がもつれ、何度も転びそうになるが、鬼同丸の頭には兄の顔しか浮かばない。先刻兄の頬に触れた指先が妙に熱い。鬼同丸はその手を握りしめる。

 酒呑童子は立った状態でしばられたまま、赤い髪を垂らし、顔を伏せていた。

 死んでいるのか。鬼同丸は震える足に力をこめて、酒呑童子に近づいていく。頭からすっぽりと被った黒衣を握りしめる。

 伏せられた顔を仰ぎ見ると、もう抑えられなかった。今までの憎しみや悲しみ、葛藤、何もかもが懐かしさの波にのまれて、鬼同丸は酒呑童子の頬に手を伸ばす。ぴくりとも動かぬ幻影のような美しい顔に、生があることを確認する。

『兄さん』

 他の言葉は出てこない。それに全てが詰まっているような気がした。

 鬼同丸は兄をいましめている糸を切る。太刀を投げ捨て、あとも見ずに駆ける。黒衣が落ちるが、気にも留めなかった。

 ――俺は、土蜘蛛を裏切った。

 鬼同丸は破裂しそうな心臓を服の上から押さえる。それでも何かを振り切るように、洞窟内を走る。

 迷路のような洞窟を、鬼同丸は迷いなく進む。それだけの時間を土蜘蛛の中で暮らしてきたのだという実感が、今更、彼の心を刺す。

 ――御笠様。

 堪えきれず心の中でその名を呼んだとき、鬼同丸は勢いよく飛び出してきた何者かとぶつかった。

「鬼同丸!」

 ぐいと肩をつかまれ起こされる。薄く開いた視界には、青い瞳が映っている。

茨木(いばらき)……」

「鬼同丸じゃない! どうしたのだ、こんなところで――って、そんなことを言ってる場合じゃないのだ」

 鬼同丸は茨木に引っ張られるようにして、よろよろと立ち上がる。茨木が口を開く前に、鬼同丸は自分の後ろを指さす。

「酒呑童子なら、あっちだ」

「……鬼同丸、もしかして」

 少しの沈黙のあと、酒呑を逃がしたのは――と茨木の青い目が問う。

 鬼同丸は軽い笑い声を上げ、自分の頭を指さす。

「同じ髪の色だからな、なんとなく、逃がしてやろうと思っただけだ。たまたま、こんな洞窟に迷い込んで、そしたら、あんなことになってたから」

「私……知ってるのだ」

「早く行けよ。毒の酒、呑まされて弱ってんだろ。土蜘蛛に襲われたら、危ないぞ」

 はっとする茨木の横を、鬼同丸はじゃあなと駆け抜ける。

「鬼同丸! 私は知ってるのだ! あんたが酒呑の弟だってことも、土蜘蛛の仲間だってことも!」

 鬼同丸は足を止めない。どこで知ったんだよ、俺に会ったことは酒呑童子に言うなって言ったのに。そんなことを考えると、何故だか口元がほころんだ。

「逃げて! 逃げるのだ! あとで、絶対……」

 茨木の声が小さくなっていく。鬼同丸はどこか幸福さえ感じながら、それを聞いている。

 鬼同丸が向かっているのは、御笠のところだった。



ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。

七本足の土蜘蛛……だいぶ前の話になりますが、御笠の恋人の匹女です。彼らが人間だったころの話を番外編として次くらいに投稿しようと思っているのですが、なにせ平安時代よりずっと昔のことなのでもう知識が追いつかない……orz 

さらっと投稿してすぐ本編に戻ります!


本編次回は、頼親と保昌です。頼信もちょこっと出ます。

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