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突破口

 渡辺綱わたなべのつなは、何故か、森の中を走っていた。

 これは夢だ。見えている景色は鮮明なのに、現実味を感じない。

 姫君らしいうちぎを羽織った幼い綱は、頼光(らいこう)に手を引かれている。後ろからは、頼光に足を斬られた土蜘蛛の悲鳴が聞こえてくる。

 頼光は前を見ている。醜怪な化け物を斬ったあとなのに、その表情からは恐怖も高揚も感じられない。

 見知らぬ少年の、迷いない手。

 綱は、ずっとそれに導かれてきた。

 ――頼光様……。

「綱、起きろ。大丈夫か?」

 綱は軽く頬を叩かれてうっすらと目を開ける。

「……頼光……様?」

「悪いな、俺だ」

 季武すえたけは笑顔を作ろうとしたらしいが、すぐに、唇が結ばれ、何かに耐えるような表情になった。

 飛び起きると、こめかみに痛みが走った。その他にも、あちこち、切り傷か打ち身か、何かしらの痛みがあった。

 綱は、これまでのことを思い出す。

 あの揺れのあと、板の床がめきめきと音を立てて割れた。外ではあちこちで地面が盛り上がり、鬼の里は土煙に包まれた。次の瞬間、目に入ったのは一面の白い糸。それは体にまきつき、目を隠し、口と鼻を覆い、あっという間に何も分からなくなった。

 気がついたら、ここにいた。

 綱は周囲を見渡す。洞穴のようだ。鼠か何かの小動物が、ちょろちょろと走っていく。  

 小さな火の玉が、横たわっている黄色の髪の鬼に寄り添っている。その灯りが、おぼろげながら、辺りを照らしている。

 あの場にいた鬼と人が、集められているのか。皆、座り込んだり、横になったりしている。

 貞光さだみつは壁に背を預けて、ゆっくりと肩で呼吸をしている。いつもの無表情を保っているが、その手は、血で染まった脇腹を抑えている。その隣では金時きんときが、まさかりを抱きしめるように抱え、不安を殺している。保昌(やすまさ)の表情は、前髪で隠れて分からない。彼は左肩がざっくりと切れていた。

「頼光様、頼光様は?」 

 綱は季武に詰め寄る。白い巫女装束の右袖は獣に噛まれたような穴があき、赤く染まっている。

「綱、お前が一番……近くで見たんだろ」

「……今、どこにおられる? 頼光様の……お体、は?」

 季武にすがる手が震える。季武は唇を噛んで顔を伏せる。

「たぶん、土蜘蛛に――」

 その言葉を待っていたかのように、洞穴の奥から低い笑い声が這ってきた。いや、奥ではない。恐らく入口の方だ。暗くて分かりにくいが、微かに風が入ってくる。

「その通りだ。お前らの大将は、我らのもとにいる」

 声と共に、何かが地に落とされる。

 一振りの太刀だ。綱は反射的に、それに手を伸ばした。

「鬼切……」

 装飾のない、高貴で上品な太刀。綱が頼光へと返した、頼光が持っているはずの太刀である。

 闇の中から、ぬっと顔を出したのは一匹の土蜘蛛だ。その巨体と洞穴の天井は、わずかな隙間しかない。

酒呑(しゅてん)は……?」

 抑揚のない声とともに、青い影がゆらりと前へ出る。鬼火のせいか、茨木童子(いばらきどうじ)の顔はいつになく青白い。

「酒呑は、刺されたくらいじゃ死なないのだ。あの毒だ。あの毒が……。酒呑は、どうなったの?」

「安心しろ、生きている」

 茨木童子の目が青く光る。弱々しく握られていた薙刀に、力がこもる。

「返すのだ」

「我の糸は、やつらの見張りと繋がっている。我に何かあると、すぐに伝わる。そうなると、お前らの大将の命はない」

 土蜘蛛の尻からは糸が出ていた。目を凝らすと、洞穴の入口付近には蜘蛛の巣が張り巡らされているようだ。鬼の茨木には、その糸が外まで続いているのが見えているのかもしれない。

御笠(みかさ)様からの指示があるまで、大人しくしていろ」

 土蜘蛛は徐に方向をかえ、去っていこうとする。

 綱は鬼切を抜き放ち、土蜘蛛の背に突進する。

「ああ、そうだ」

 土蜘蛛がわざとらしい笑みを浮かべ、顔だけで振り返った。

「頼光も生きているぞ」

 その言葉は何よりも強く、綱の動きを止めた。季武は息を呑み、壁に背を預けていた貞光は僅かに身を乗り出し、金時がはっと顔を上げ、保昌は前髪の間から土蜘蛛を見据える。

 土蜘蛛は今度こそ、悠々と去っていく。

「頼光様が……?」

 綱は抜き身の太刀を手にしたまま、呆然と呟く。酒呑童子の太刀が、頼光を貫通した瞬間が眼裏にちらついた。

「はったりでしょう」

 貞光が疲れたような息を吐き、再び、気だるげに壁にもたれかかる。

「私たちを大人しくさせるための、はったりですよ」

「……けど、貞光」

 金時の金色の瞳が、囁くような声とともに瞬かれる。綱はぎゅっと口を結んで、貞光の唇が静かに動くのを見る。

「腹の真ん中を貫かれて生きていける人間はいません」

 綱の肩は、どうしようもなく震えだす。

 綱は鬼切を握りしめる。大きく息を吸うと、震えが治まってくる。

 先ほど土蜘蛛を攻撃しようとした自分を心中で笑う。頼光についていくと決めたのだ。死出の道までも供をすると誓ったのだ。

 ――頼光様、お一人でいかれては困ります。……俺が守ります。

 鬼切の刃を己の首に添える。

 眼尻から堪えきれなかった涙が滑ったとき、季武の手が、太刀を握る綱の手を柔らかく包んだ。

 綱にだけ聞こえるように、彼はささやく。

「俺は都を出る前に、夢を見た。お前と、殿と、土蜘蛛が一緒に出ている夢だ。土蜘蛛は本当に現れたんだ。お前は、殿ともう一度会えるかもしれない」

「……どんな夢だ?」

「まぁ、あんまりいい夢じゃないけどな。それでも、今はまだ死ぬな」

 季武は言い終わると綱の肩を叩いた。


 朝廷に滅ぼされたかつてのまつろわぬ民、『土蜘蛛』は復讐するらしい。全部、そのための計画だった。都の姫君は、土蜘蛛のもとにいる。

 星熊童子ほしくまどうじは、この場にいる全員に淡々と説明した。終わって彼は、疲れたように壁にもたれかかる。

「まったく、君たちはとんでもないことをしてくれたよ。ねえ月夜」

 前よりも一回りも二回りも小さくなってしまった鬼火は、ちょろちょろと星熊の周囲を飛ぶ。

「頼光がいないなら、俺たちはあの土蜘蛛を殺すべきだな。この洞穴から出て、姫君を助けるべきだ」

 保昌の低い声は、たとえ小さな呟きでも、洞穴の中でよく響く。彼は暗い瞳を地面に向け、どこか他人事のような、そんな表情をしている。

「あの土蜘蛛を殺す? そんなこと、させるもんか。酒呑がいるんだ」

「そうなのだ」

 星熊の言葉を聞いた途端、茨木童子が色を取り戻す。青い瞳に冷たい炎を宿し、綱たちを凝視する。

「何かしようとしたら、あんたら全員、ここで殺してやるのだ。いや、そうでなくても今ここで」

「酒呑童子だって、本当は死んでいるんじゃないのか」

 綱が季武の手をどかし、一歩、茨木に詰め寄る。

「酒呑は……簡単に死なないのだ」

「さあ、どうだろうな。あの毒をくれたのは、世に並びない陰陽師だからな」

 冷静を取り繕った綱の言葉に、茨木の体がわなわなと震える。

「茨木、落ち着け」

 跳びかかりそうになった茨木の腕を、たくましい手がつかまえる。橙色の髪をした、顔に虎のような模様のある鬼、虎熊童子(とらくまどうじ)だ。

「あの土蜘蛛は、大人しくしてろと言ったんだぞ。とりあえず、酒呑を楯に御笠が何を要求してくるのかが分かるまでは……」

「ああ、そっか。御笠の要求なんて、分かりきってるじゃないか」

 茨木より先に声を上げたのは、灰色の髪の鬼、石熊童子(いしくまどうじ)である。爽やかな黄緑色の水干は、あちこち破れ、血が染みついている。壁を支えに立ち上がると、どこかが痛んだらしい。彼は一瞬、顔をしかめたが、すぐに押し殺す。

「都を襲え、だろ。僕らが迷う理由はないんじゃないか。僕は、綺麗な楽器や調度のある貴族の屋敷を壊すなんて反対だけど。まぁ、酒呑をとられてる以上は仕方ない」

「俺たちは、どうだろうな」

 季武が、他の四天王の顔を見渡す。

「殿がいないなら、保昌様の言う通りにするのが一番だと思うけど、そしたら、あちらの鬼さんたちが黙っちゃいないしな」

「俺は、頼光様が生きておられる可能性が少しでもあるなら、土蜘蛛に従う」

 吐き捨てるように言って、悔しげに唇を噛むのは綱だ。そんな彼女に、脇腹に大怪我を負っている貞光の冷たい視線が滑る。

「朝廷に刃を向けるつもりですか」

「俺の主君は頼光様だ。頼光様が都をお守りしているから、俺もそうしているだけだ」

 感情を殺しきれない綱の目が、貞光に噛みつく。貞光は腕を組み、虚空に視線を投げる。

「まず、第一に、土蜘蛛が、私たちにもそのような要求をしてくるかどうか。頼光様が刺されたのを目にしているうえに、私たちは官人です。直接の主君は頼光様ですが、あなたがどう思おうと、本当に守るべきとされているのは、この国、帝ですよ。そんな者たちに、都を襲わせるなんて、信用できないと思いますがね」

「それなら、土蜘蛛は……」

「私たちは殺すでしょうね。だから私は、保昌様の意見に賛成ですよ」

 貞光の目が鬼たちに向く。表情にこそ出さないものの、彼の顔色は良くない。太刀は、あの戦闘で失ってしまった。それでも、貞光の目には冷たい殺気が宿る。

 保昌が静かに腰の太刀に手を伸ばす。

 星熊は苦しそうな様子のまま目を細め、石熊は、おや、と軽い声をもらし、虎熊は困惑したような顔をしながらも金棒を握る手に力を込める。

 茨木の周りの空気が冷えていく。綱は、鬼切の意識を彼女に集中させる。

 おいおい、マジかよという季武の声は、虚しく地面に消える。

 いつ切れてもおかしくない、張りつめた静寂。鼠の鳴き声が、いやに大きく響く。

 誰かが動き出そうとした瞬間、それまで黙っていた青年の声が洞穴に響いた。

「頼光様が逃げ出せた! 酒呑童子も一緒だ!」

 金時は金色の瞳を喜びに輝かせ、場に不釣り合いな笑顔を見せる。

 小さな鼠が、その手の上に乗っていた。

 威圧するような視線を一斉に向けられて、金時はたじたじとする。鼠を両手で包み、守るように胸の前へ持っていく。

「こ、こいつに見てきてもらったんだ。そしたら、今、頼光様と酒呑童子が逃げ出せたって……」

「言ったのか、鼠が?」

 呆けたように言うのは、虎熊である。

「そうだ。こいつは、この辺りに住んでいて、土蜘蛛の巣穴に詳しいんだ。土蜘蛛の仲間の少年にいじめられたことがあるらしくって……え?」

 金時の手の中で鼠が鳴き、金時は耳を寄せる。

「そうか、それを助けてくれたのが鬼なんだな。うんうん……酒呑童子と同じ髪の色をした……」

「季武」

 皆が呆然と金時を見つめる中、貞光が立ち上がる。冷めた目は、季武へ向いている。

 季武は苦笑したかと思うと、弓に矢をつがえた。笑みはもうない。あっと言う間もなく引き絞られた矢は、土蜘蛛が去っていたほうへ放たれる。

 凡人なら届くはずのない距離だ。季武の矢は、先の見えない闇を斬り裂き、直後、土蜘蛛の悲鳴が洞穴を揺るがした。

「今日だけは貴様を信じてやる」

 綱は吐き捨てるや否や、地を蹴っている。

 金時は不満げに、今日だけってなんだよと呟くと、鼠を肩へ上らせ綱を追う。

「貞光、小刀ならあるぞ」

「充分ですよ」

 季武が貞光に小刀を投げ渡し、二人は一度だけ視線を合わせて駆ける。

「鼠の言うことを信じるなんて、どういうことさ」

 石熊は、左肩の傷をおさえて立ち上がった保昌に目を向ける。

「俺に聞くな。俺はあいつらの主人じゃない」

 保昌は暗い瞳をちらりと向け、ふいと影のように走り出す。

「酒呑――」

 茨木は消え入るような声で呟き、ふらりと足を前へ出す。その瞳に光が宿ったときには、彼女はもう駆けだしていた。



 ぽっかりとあいた出口の前には、背に矢を受けて怒り狂っている土蜘蛛がいた。綱は、扱いなれた鬼切で、それの足を薙ぎ払う。

 金時が走ってきた勢いのまま跳びあがり、マサカリで土蜘蛛の頭を砕いた。

 綱は外へ飛び出す。緑の匂いと夜の風が、身を包む。

 木々が嘲笑うかのように、一斉に葉を揺らした。木と木の間には、大きな蜘蛛の巣が張り巡らされ、行く手を阻んでいる。

 ――頼光様……。

 外へ出られれば、すぐに会えるような気になっていた。綱は、この山の、この世の広さに立ち尽くす。

 眼前の茂みが揺れた。葉擦れの音があちこちで響き、洞穴を囲むように近づいてくる。

 金時が横に並び、マサカリを構える。

「綱、あの土蜘蛛に何かすれば、すぐ他のヤツに伝わるんだっけ?」

「くそ……!」

 数多の土蜘蛛と人間の少年は、すぐに姿を現した。

 季武と貞光も追いつき、綱は鬼切を構えるが、焦る気持ちがざわざわと治まらない。

 隙をつけないか。できることなら、戦わずに、ここを突破したい。

 ざっと数えたところ、土蜘蛛五匹に、少年が三人だ。彼らはこちらの隙をうかがいつつ、じりじりと迫ってくる。

 綱の耳は、背後から走ってくる足音をとらえる。保昌だろう。

 おそらく、彼がこの場にそろったとき、戦闘は開始される。綱はそう直感し、鬼切を握る手に力をこめる。

「ここは俺だけで十分だ」

 保昌は、そのまま土蜘蛛の前へ飛び出した。

 同時に動き出した土蜘蛛の首を、彼の刃が鮮やかにとらえる。保昌は胴体を蹴り上げ、他の土蜘蛛の足を止める。

 一瞬の突破口。

 保昌様、と叫びかけた綱に、彼の低い声が届く。

「頼光のもとに行ってやれ」

 金時の懐から鼠が飛び出す。

「こっちだ!」

 金時が走り出す。彼の金色の瞳は、暗い山の中で、確かに一匹の鼠をとらえている。この中で、頼光の居場所を知っているのは、あの鼠だけだ。

 綱は、思い切って金時についていく。

 季武は保昌に何か言おうとして、唇を噛み、綱に続く。貞光も冷めた目を僅かに伏せ、季武のあとに続いた。


ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。

……金時を動物と話せる設定にしておいて良かった……。本当は熊が良かったんですが(^^;


次回はすぐこの続きです。できるだけ早めに投稿します、多分……。

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