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異変

 京。

 源頼親みなもとのよりちかは馬に乗り、朱雀大路を南へ駆けていた。後ろからは、郎党の為頼ためより氏元うじもとがついてきている。

 黒ずんだ雲に、夕焼けの残滓が散っている。風は生暖かい。

「この辺りか」

 四条辺りで、頼親は速度を落とす。左に曲がり、小路を慎重に進んでいく。

 道を歩く人はない。各家からは、か細い読経の声が聞こえてくる。大きな屋敷の前には、数多の侍が強張った顔で立っている。

 京に異変がある、という噂は広まっているらしかった。

 氏元が、ちらちらと周囲に目を走らせる。

「ほ、本当に出るんですかね?」

「知らねぇよ。ただ、あの陰陽師の式神が、ここで待機してろっていうんだから……まぁ、何かはあるんだろうな」

 内裏を中心に、陰陽師たちは結界を張っているらしい。怨念はそこらに近づくことができず、下京の方から姿を現す可能性が高い。

 内裏周辺はもちろん多くの者が警護についているが、それ以外の場所にも、頼親のように武勇の誉れ高い武者が配置されていた。

 頼親は馬を止め、異様な空を仰ぐ。

疫病(えやみ)や、地震(ない)の類じゃねぇってことだな」

「大和に帰りましょうよ――」

 為頼が消え入りそうな声で呟いたとき、馬が前足を上げていななき、直後、地面が揺れた。

「よ、頼親様ぁ!」

「来るぞっ!」

 頼親は馬から飛び下りる。

 地面は今にも破裂せんと呻き、怒りに震えている。

 頼親が太刀に手をかけたとき、後方で轟音が沸き起こった。めきめきと建物が破壊される音、続いて、悲鳴。

 貴族の豪邸だ。頼親が振り向いたとき、彼の右で、左で、後ろで――都のいたるところの屋敷で、それは地面を破った。

 ――まさか。

 頼親は目を見開く。

 巨大な蜘蛛の化け物が、その巨体で屋敷の柱を折り、弓を引き絞っていた侍を頭から食らっている。真っ白な糸が辺りに散らばり、その中で人間がもがいている。

 土蜘蛛は、頼光(らいこう)が退治したはずだ。

「よ、頼親様、ご指示を……!」

 氏元の声で頼親は我に返る。太刀を抜き放ち、部下を振り返る。

「覚悟があるなら、ついてこい!」

 言うや否や駆け出し、頼親は阿鼻叫喚の中へ飛び込んでいく。破壊された築垣からは、老若男女がなりふり構わず逃げていく。

 糸に絡まって倒れている男に、一匹の土蜘蛛が迫っていた。

 頼親はその間に滑り込み、男を踏み潰そうとしていた足を斬り払う。噴出した血がかかる前に跳躍し、体勢を崩した土蜘蛛の首筋に刃を叩きこむ。

 土蜘蛛の頭部はぼとりと落ち、頼親は血だまりの上に着地した。

 半壊状態の、薄暗い屋敷の中で無数の影が蠢いている。金色に光る瞳が、ゆらゆらと頼親を向く。

 頼親は静かに太刀を構える。

「俺は源満仲みなもとのみつなかの次男、頼光の弟、源頼親だ。今度は俺が、一匹残らずお前らを退治してやる」

「よ、頼親様、あんまり大きなことは言わないほうがいいですよ……!」

「一人で一匹残らずは、ちょっと無理ですよ……!」

 ばたばたと駆けてきたのは、為頼と氏元だ。彼らは、頼親に助けられた男の糸を斬ってやると、太刀を構えて頼親の左右にぴったりとついた。

 その刃の先は、意外にも震えてはいなかった。

「覚悟、あるのか?」

「土蜘蛛と戦う覚悟ならありません!」

「頼親様と共に戦う覚悟ならあります!」

 土蜘蛛の影がゆらめく。庭のほうでは、弓弦の音と、悲鳴と、血の跳ねる音、人間の骨が砕かれる音が、混ざり合って絶え間なしに続いている。

「……お前ら、俺に何かあっても、ちゃんと戦えよ。俺たちが守るのは都だからな」

 頼親は小声で言うと、すっと前を見据えた。



 少し前。

 袴垂はかまだれは馬で朱雀大路を歩く。仲間の盗賊のたまり場であるあばら屋を通り過ぎ、上京へ進んでいく。

 赤い夕日に照らされた大路は、いつにもまして埃っぽい。眠っているのか、死んでいるのか、道の端に痩せ細った女がじっと横たわっている。

 三条のあたりで、袴垂は馬を下りた。小路へ入る。すれ違った雑色らしき男は、彼の姿を見ると、ひっ、と悲鳴を上げた。

 袴垂は頬についた血を、袖でぬぐう。だが、それはもう乾いてしまっていた。袴垂は舌打ちをする。

 顔だけではない。着物も、もとの色が分からないほど乾いた血で染まっている。

京に着くまでに、何人殺したか分からない。何人殺しても満たされなかった。

 やがて彼の足は、とある貴族の屋敷の前で止まる。門の前に立っていた侍が彼に気づいて、ぎょっとする。

 袴垂は、子どもらしい笑顔を浮かべてみせた。

「なあ、ここの主人に会いたいんだけど」


「き、汚らしい子どもが何を……!」

 侍は空恐ろしいものを感じながら、精一杯、虚勢を張る。

「会わせろよ」

 表情を失くした少年に、侍は射竦められる。嫌な汗が背中をつたい、震えが足元から這い上ってくる。

「……保昌(やすまさ)様は、今はいない」

「いつ、帰ってくる?」

「それは……分からない」

 少年は、黙って彼を見上げている。血にまみれた顔だが、目だけは澄んでいて、無表情に侍を見ている。

 得体の知れない恐怖、命の危険を感じて、侍は顔を逸らす。

「ほ、本当に分からないんだ! お帰りにならないかもしれない。保昌様は、頼光様と鬼退治に向かわれた!」

 言い放って、侍はしばし呼吸を整える。次の瞬間にも、刃が体に突き立てられるかもしれない。そんな恐怖にじっと耐える。

 だが、一向に何も起こらず、侍は恐る恐る少年に目を戻す。

 彼が見たのは、泣きそうに歪んだ子どもの顔だった。


ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。

袴垂は鬼同丸と喧嘩して以来ですね。


次回は鬼同丸です!

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