正義
館の中。
酒呑童子は頬から流れる血を拭う。ほどけた髪が血と汗で、うっとうしく身体にまとわりついている。
肩で呼吸をしていた頼光が攻撃の姿勢を見せる。彼の白い狩衣にあちこち散らばった赤い染みは、彼自身の血か、それとも酒呑の血か、分からない。
頼光が動く。白刃が閃く。
汗で手が滑ったか。酒呑の太刀に噛みつく前に、頼光の愛刀から力が抜けた。
酒呑はそれを逃さない。頼光の太刀を弾き、彼の腹を突き飛ばすように蹴る。鬼の力の前に、頼光の体はあっけなく飛ばされ、背中から柱に激突する。
蜘蛛切は彼の手を離れ、虚しい音をたてて落下した。
「惨めだな」
酒呑は息をついて、頼光へ歩み寄る。何故か、足がふらついた。そんなに血を流しただろうか。軽い眩暈さえ、感じる。
頼光が酒呑の気配に、ゆっくりと顔を上げる。口の端からは血が流れ、苦しげな呼吸が洩れている。
だが、目は静かだ。
「何も、ないのか」
酒呑は、頼光を見下ろす。
諦めているようには見えない。だが、生に執着している顔でもない。
「あんな騙し方をしておいて、お前は、ちらりとも罪悪感を見せなかったな。今、後悔はしてないのか、悔しくはないのか、怖くはないのか」
感情がないのか。酒呑は付け加えて、太刀の先で頼光の心臓のあたりをつつく。酒呑を見上げる頼光の瞳が、ざわりと揺れた。
そこに現れる感情が何なのか。それが酒呑に伝わる前に、閉じ込めるように頼光は笑う。
よりみつ、と名乗ったときそのままの笑顔だ。
「お前は、俺に謝ってほしいのか? ほんとは、すごく悪いことをしたと思っていてほしいのか?」
「頼光――ッ!」
酒呑は言いようのない怒りに囚われる。内にたまっていた熱が、目元に上がっていく。
『それで、お前は会いたいわけだ』
頼光は、鬼同丸の話を聞いてそう笑った。凝り固まった熱を溶かすように、優しく、柔らかく鬼の心を包んだ。
「死ぬほど後悔しろ、頼光。生きたまま食らってやる」
酒呑は、頼光の胸倉へ手を伸ばす。彼は、笑みを引っ込めて静かに言う。
「だけど、酒呑童子、お前は俺の酒を呑んだんだ」
どくり、と体の中で何かが蠢いた。内部からじわじわと締め上げられているように、呼吸ができなくなる。
酒呑は、思わず手で口を覆った。苦しい息とともに、吐き出されたのは真っ赤な鮮血だ。
指の間を、だらだらと赤い血が滑り落ちていく。
「頼光様!」
渡辺綱の甲高い声が、館に響き渡った。
「お返しします!」
銀色の刃が板の床を滑るように飛んでくる。
酒呑は、とっさに頼光に太刀を向ける。頼光は鬼切を手にすると、突き出された刃に自らつっこんだ。
頼光と酒呑の腹には、それぞれの太刀が貫通している。
頼光は、酒呑の見開かれた美しい瞳を見る。頼光は意識が途切れる前に、鬼切に目を落とす。
父上、と彼は微かに唇を動かし、ふっと目をとじる。
鬼切は頼光に届いた。綱は、呆然と頼光と酒呑童子を見つめる。
差し違えた。敬愛する主君は、鬼の大将を討った。
――頼光様……。
張り裂けそうな悲鳴をこらえて、綱は頼光の横顔を目に焼きつける。
「酒呑……?」
茨木童子の絶望的な声が背後で聞こえた。丸腰の綱は、もう振り向かない。
時が止まったかのような瞬間。
地面が激しく唸った。
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。
原作とは違う展開になりました……。でも、そろそろ終盤です。
次回は久しぶりに頼親です。




