戦闘2
碓井貞光は、ちらりと後方に視線を走らせる。館が見える。その縁の上では、金時がマサカリを大柄な鬼とぶつけ合っている。
二人が得物を振るたび、大風が起こる。ぶつかり合った衝撃で、館が震える。
あれでは、誰も近づけまい。
「よそ見?」
しんとした女の声と共に、鋭い刃が空を斬る。身をかわしても、あとを追うようにもう一本の小刀が繰り出される。
それを太刀でがっちりと受け止め、貞光は白髪の鬼女に冷めた目を向ける。
「弟分の成長を見ておこうと思いまして」
鬼女、金童子の憂い顔に怒りが滲む。彼女の周りから、白いもやが立ちこめる。
霧だ。
――これがやっかいだ。
数刻前、頼光が太刀を抜いたと分かった刹那、貞光は、周りの鬼を、五人ばかり斬って捨てた。不意打ちとはいえ、拍子抜けするほどあっけない。こんなものかと血濡れた太刀を見やったとき、襲いかかってきたのがこの鬼女だ。
そのときの霧は、保昌と灰色の鬼が戦っている辺りから吹いてきた強風によって散らされたのだが――。
貞光は、霧から逃れようと後方へ跳ぶ。彼女に目を置いたまま駆ける。
金童子は二本の小刀を携えて、高く跳躍した。霧は散り散りになるが、矢のように降下してきた金童子と、貞光は、再び刃を交えることになる。
振りほどいても、彼女の二つの刃は、貞光を簡単に逃がさない。
視界が、白く霞んでいく。金童子はさっと霧にまぎれた。
「これで、何も見えない」
「もう一度、風が吹いてくれるといいんですがね」
貞光は淡々と言葉を返しながら、金童子の気配を探る。霧はますます濃くなっている。
「石熊は、もう少し、私のことを考えて攻撃してくれてもいいのに」
白い世界できらりと何かが光った。貞光は咄嗟に、迫るそれに太刀を向ける。
軽い手ごたえ。太刀にあたった小刀は、虚しく地面に落ちる。
「それは、おとり」
振り向いた貞光の横腹に、小刀が突き刺さった。
じわじわと生暖かいものが狩衣を濡らしていく。貞光は小刀の柄を、突き刺している手ごとつかんで、彼女の体を突き飛ばすように引き抜いた。
金童子が宙で回って、とんと着地する気配がする。
「でも、あなたたちの大将より、卑怯じゃないと思うの」
「……あの風は、あの灰色の鬼のものですか」
貞光は呼吸を整え、太刀を構える。
金童子から返答はない。霧の中に、箏の弦のように張りつめた緊張が高まっていく。
金童子の動き出す気配がしたとき、貞光は口を開く。
「――どうりで、もう一度、風が吹かないわけだ」
真っ白な空間が、しんと静まった。
「惜しいことをしましたね、保昌様は。あれほど舞が巧みな者もいないのに」
金童子は弾かれたように、振り返った。よく考える余裕もなかった。
「石熊――」
駆けだそうとした彼女の背中に、白刃が振り下ろされる。
白い霧の中に、赤い飛沫が散った。
「まぁ、今のところは大丈夫ですが」
地面に転がった金童子の目に映ったのは、凍りつくように冷めた目だった。
星熊童子は、混乱の中をかいくぐって走る。逃げ惑う鬼とぶつかり、怒りにまかせて人間に突進していく鬼に突き飛ばされ、星熊は館を目指す。
その奥で酒呑と頼光が戦っているはずだ。
「……おか……しいんだ」
星熊の息は、すでにあがっていた。鬼火が彼を止めるように、激しく彼の周囲を飛んでいる。
六人の旅人の正体を隠していた五芒星は、もう消えている。
彼らは、勅令で鬼退治に来た。さらわれた姫君を助けるために。
「俺たちは、都の姫君なんて――」
ふらふらする足に力をこめ、再び走ろうとしたときだった。星熊は、何かにつまずいて転倒した。
仲間の鬼だ。腹部に矢を受けて苦しんでいる。
大丈夫か、と抱き起して星熊は気づく。周囲には、彼と同じように矢を刺したまま、呻いているものが何人も転がっていた。
――酒呑は、茨木は、石熊は、金童子は、虎熊は……。
里を守るはずの彼らは、一人を相手するので精一杯なのか。
――あの人間たちが、それほど強いなんて。
星熊は呆然とする。
突然、鬼火が倍以上に燃え上がり、星熊の横に飛び出した。光線のようなものが、鬼火の中に飛び込み、途端、力を失ってそれは落ちた。
矢だ。
「便利な火の玉だな」
矢を放った格好のまま、どこか陰鬱な表情で言うのは巫女装束の青年。星熊は彼を凝視する。忌々しい五芒星はどこにもない。彼の名は、卜部季武だ。
鬼火はゆらゆらと光り、徐々に形をかえていく。火のままだが、凛とした獣の形をとって季武を見据えている。
星熊は鬼火――月夜を見つめたまま、呼吸を鎮めて立ち上がる。徐々に湧き上がってきたのは、身を縛るような悔恨だ。見破れなかった。満足に戦うこともできない自分が、彼らの正体すら分からなかった。
「……ここは大江山だ。あの世とこの世の境目だ」
星熊は地面に手をかざす。
星熊は、無理矢理その入口をこじ開ける。彼の手の前で、黒い点が墨汁のように広がっていく。
開きにくい場所だ。人間が来たせいか、開きやすい場所が見つからない。
星熊の頬を、一筋の汗が流れる。きりきりと、内部から身を食われる痛みに襲われる。
遠い昔、星熊にかけられた呪いが、ここぞとばかりに彼を苦しめる。
「俺の命と引き換えにしても、あいつらを地獄に落とす価値はあるかな。あるよねえ月夜」
月夜は吠えるように口を開くと、地を蹴った。
季武は弓を引き絞り、星熊に向かって矢を放つ。真っ直ぐ走っていた火の獣は跳びあがり、自らの体でそれを受け止める。
矢は落ちる。燃えているわけではない。見えない力に抑え込まれ、勢いを失うのだ。
しなやかに着地した月夜は、そのままの勢いで季武へ跳びかかる。
季武は袖をひるがえして、身をかわす。
向こうでは、星熊が膝を折って地面についていた。だが、彼は手をかざしたままだ。その前で、黒い穴は広がっていく。
星熊の傍らで倒れていた鬼が、そこへ吸い込まれるように落ちた。
――里全体を覆うつもりか。
季武は月夜の攻撃をかわしながら、ちらりと星熊をうかがう。
何か、違和感がある。鬼の里についてから、ずっとだ。宴の途中、館の屋根に上がって里中を見渡してみたが、どこにも都の姫君がいそうな場所がないのだ。
何者かの手のひらの上で踊らされているような、おぼつかなさ。
あの穴の向こうは、あの世だ。鬼は大丈夫だろう。むしろ、力が増すのではないか。
じわじわと広がる闇の先に、人影がある。
「貞光!」
貞光は、倒れている白髪の鬼女に太刀を振り下ろす。鬼女は、背中から血を流し、瀕死のように見えたが、仄かな笑みを浮かべると、払われた刃を抱きしめるように受け止めた。
肩から胸にかけてざっくりと裂け、手からも血が噴き出るが、鬼女は太刀を離さない。ぐっと力を込めて、それを握り、後ろへ突き放すように押した。
貞光の狩衣は、脇腹から流れる己の血で染まっている。彼の体が、ふらりと後方へ倒れる。
黒い穴に落ちていく。続いて、広がるそれに白髪の鬼女が呑まれた。
季武は、炎の牙をむいて飛びついてきた月夜に腕を出す。鋭い痛みが腕を刺すが、熱くはない。
炎のように見えているが、ただの魂だ。女狐の怨念が、季武の腕を裂く。
その隙に季武は懐から札を取り出し、彼女に押し付けた。声もなく、札のまわりから炎は霧散していく。一度散った火の粉は、苦しげに宙で渦巻き、形をとれないでもがいている。
「月夜……!」
地面にうずくまっていた星熊が、汗の流れる顔をあげる。途端に、闇の広がりは止まり、縮小していく。
季武は地を蹴って、渦巻く闇に手を伸ばす。短く呪を唱えると、その中に光が射す。季武は、微かに見えた貞光の手を取って引っ張り上げた。
「貞光、生きてるか?」
貞光の冷めた目が細く開かれたときだ。
季武は、それこそ闇に呑まれたかのような恐怖感に包まれる。地面だ。地の底から、何かがくる――。
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。
特に進展もなくぐだぐだと続いた人対鬼も次回の頼光と酒呑で終わりです。
この前、貴船神社に行って保昌と和泉式部であろうと思われる刺繍のはいったお守り買いました。この二人、仲がいいのか悪いのか。いつか書きたいです・・・(^-^)




