夜の山を歩くのは
少し前。
子鬼をつれて山を下りていた虎熊童子は人間の気配を感じ取った。まだ遠いが、少しずつ近づいてきているようである。
虎熊は子鬼たちにそこで待つように言い、木から木へ飛び移っていく。いくらもたたぬうちに、彼らの姿が見えてきた。
旅人らしき六人である。後ろ歩いている一人は、長身で金色の髪をしていた。
「こっちは鬼の里だ。死にたくなかったら、近づかないほうがいい」
虎熊は彼らの前に降り立った。金棒を地面に突き立て、普段の温厚さを押し殺す。
先頭を歩いていたのは、二十代前半くらいの青年。端正な顔には、凡夫とは思えぬ凛とした強さと、静かさが漂っている。
青年は、虎熊を見ても僅かに目を細めただけだった。
青年の後ろで、小柄な少年が殺気立った目で虎熊を睨みながら太刀に手をかける。青年はやんわりとそれを制し、一歩、足を踏み出す。
虎熊は、ぞくりと背筋が凍るような嫌な感じを覚えた。
この人は、ただの旅人ではない。
警戒心を強め、金棒を握る手に力を込めたとき、青年が笑った。
「この先に里があるのか?」
青年は笑った。ただそれだけだ。
虎熊の固めていた気持ちがほどけていく。体から力が抜けていく。
それを自覚した虎熊は、信じられない気持ちで青年を見た。
青年は大人びた瞳に好意の色をたたえ、じっと虎熊の返事を待っている。
「……鬼の里だ。聞こえなかったのか?」
「鬼がいようと何だろうと、里があるなら嬉しいな」
虎熊がなんとか口にした挑発も、青年は柔らかな声で包んでしまう。
「道に迷って困ってたんだ。夜の山を歩くのは、危ないから」
「鬼が出るからな」
違いないな、と苦笑したあと、青年は急に真面目な顔になって虎熊を見つめた。
「だけど、猟師だって懐に入った鳥は殺さないだろう?」
虎熊は息を呑む。
それが鬼を見る目か。化け物を、こうも真摯に見つめられるのか。
小柄な少年は、唇を固く結び、祈るような目で青年を仰いでいる。その少し後ろでは、非常に冷めた目をした男が、興味がないかのように視線を横へ流し、巫女装束を着た美女は虎熊と目が合うと、赤い唇に笑みを点した。一番年輩と思われる男は、暗い瞳をこちらに向け、静かに成り行きを見守っている。
金髪で長身の青年は、皆の後方で、心配そうな顔をしていた。身長の割に顔を幼く、青年と呼ぶより、少年と言ったほうがいいかもしれない。その外見とは裏腹に内面はもっとも純朴そうだが、彼からは、鬼の匂いがした。
虎熊は戸惑う。困っている人には手を差し伸べたい。弱いものは守ってやりたい。もともと、虎熊童子とはそういう鬼なのだ。
虎熊は、自分自身に確認するようにゆっくりと発音する。
「鬼の里に、泊まりたいのか?」
「一本の木の陰に入るのも、同じ川の水を飲むのも、前世からの縁だ。だから、どうか宿を貸してはくれないか」
リーダーと思しき青年は、縋るような眼差しを虎熊に向ける。
初めの笑みは、無理をしていたのだろうか。追い詰められた人間が、なんとか鬼と仲良くなるために。
日の落ちる山で迷った彼らにとって、鬼の里は一縷の望みなのだ。
「人間の六人組、か」
虎熊の話を聞いた酒呑は、思案するように呟く。
「その人たちさ、ここが鬼の里だって知って、泊まりたいって言ってるんだろ? 食われても文句言えないよね」
楽しげに目を光らせるのは石熊である。虎熊は、むっとしたように一歩前へ出た。
「俺は……本当に困ってるなら、助けてやりたいと思うけど」
「僕だって思ってるさ」
「泊まってもいいけど、誰かがつい、その人たちを食べてしまっても責任は取らない。石熊は、そう言いたいの」
ね、と金童子が石熊と虎熊の間に入る。
まぁそうだねと石熊がうなづき、みんなの視線が自然に酒呑に集まった。
酒呑は、朱に染まった太陽の光に目をやり、ややあって立ち上がった。
「とにかく対面してみよう。ここに連れてきてくれ」
虎熊は黙ってうなづき、身を翻した。
*
屋根の上で眠っていた星熊童子は、ぼんやりと目を開く。鬼火が、彼の頭を覚まさせるように目の前を飛び回る。
「……誰か来たみたいだね。人間の――」
星熊は体を起こし、彼らをよもうと鬼の里を囲む木々へと目を向ける。しばしその辺りを見つめ、ふと表情を険しくする。
「誰かが呪をかけてるね。彼らのことが分からないように」
星熊は左目の下の星形のあざを、指でなぞる。
星形は魔封じだ。
「俺にこの呪をかけたやつなんかより、もっと強力な陰陽師だ。彼自身はそこにいないようだけど」
ねえ月夜、と星熊は無理に笑顔を作って、鬼火を手の上へ招く。
彼らの内を見ようとすればするほど、大きな五芒星が星熊の視界を支配する。星形のあざがうずき、内部から食いつくされる錯覚を起こす。
「月夜、何かあったら起こして――」
星熊は額の汗を拭って、倒れるように再び眠りについた。
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。
次回はほとんど御伽草子通りに進みます。人間と鬼の心温まる(?)交流、です。




