猫
京、頼光邸。
早朝、頼光の異母弟、源頼親は、周囲に誰もいないのを確認して、庭に出た。
寝殿の簀子縁の下を覗きこむ。白くてふわふわしたものが、こちらを向いた。
「ほら、メシだぞ」
干した魚をちらつかせると、子猫はじっとそれを見たまま、少しずつ前へ出てくる。完全に体が外へ出ると、後足で立つようにして魚へ躍りかかった。
頼親は、おっと、と声をこぼして、魚を上へあげる。
「食べる前に、ちょっと運動しとけ」
猫の動きに合わせて、魚を上下に動かす。頼光が甘やかしているのだろう。この屋敷に住み着いている猫は、全体的に丸い気がする。
しばらく続けていると、猫は諦めたのか、頼親の足にすりよってうずくまった。
「おいおい、根性が足りねぇぞ」
頼親の呆れを、猫は、ふぬけた欠伸で流す。
しょうがねぇな、と魚を足元へ置き、そっと背を撫でようとしたときだった。
「猫と遊んでる場合じゃないよ!」
一体どこから現れたのか。浅黄の水干をまとった少年が、腰に手をあてて頼親を見下ろしていた。
頼親は猫から飛び退き、伸ばしかけていた手を背に隠す。
「あ、遊んでねぇよッ!」
見たことのない少年だ。子どものくせに、身にまとう空気が大人びている。いや、それ以前に、人間臭さがないのか。
頼親は、この近所に住んでいる人物を思い出した。
「お前、陰陽師のなんかだろ」
「なんかじゃないよ、式神だよ」
式神の少年は、くるんと宙返りをし、片手で逆立ちしてみせた。まったく質量を感じさせない動きで再び跳ね、もとの体勢に戻る。
「その、式神が何の用だ」
頼親は腕を組んで、さりげなくどこかへ行けと子猫の尻を足先でつつく。子猫は嫌そうに鳴いたが、一歩も動かず、すぐ頼親のやった魚を食べ始めた。
「嫌なものがね、都に近づいてるんだよ。僕の主君含め、陰陽寮の陰陽師たちは、内裏に結界を張るのに大忙しさ」
ただならぬ話に、頼親は眉をひそめる。
式神の顔つきが、真面目なものに変わった。
「強力な怨念だよ。それが、どんな形をとって害をなすのかは分からない。疫病になるのか、地震か、野分か、それとも、もっと具体的な形をもっているのか」
鬼や土蜘蛛の姿が目に浮かび、頼親は無意識のうちに、脇腹の傷跡に手をやっていた。
あれが都に攻めてくる――。
「いつでも戦えるようにしておいて。君は、大事な戦力なんだからね。頼光の代わりの――少し、劣るようだけど」
式神がくすりと笑う。羞恥でかっとなった頼親が太刀に手をかけたとき、彼は、頼親の肩に乗っていた。
「それでもさ、化け物を前にして逃げない人って貴重なんだよね。いくら兵を集めても、戦えなくちゃ意味ないから」
「……下りろよ、化けモン」
重さは全くない。違いないや、と笑って、式神はひらりと地に下りた。
「俺は、いつか兄貴を抜かすんだからな」
「まずは、今度の災いから生き延びられることを祈ってるよ」
式神は霞のように姿を消した。頼親の足元では、子猫が何も気にせずに魚を食べている。
――俺だって、清和源氏、源満仲の次男だ。
頼親が拳を握りしめたとき、騒々しい足音と共に、対屋の影から為頼が駆けてきた。
「頼親様! 猫をつかまえてきま――あ」
「頼親様! 全部で三匹いま――あ」
続いて現れた氏元も、頼親を見ると足を止めた。為頼は二匹、氏元は一匹の子猫を抱えている。
何だ、と尋ねる前に、頼親は、部下たちの目が自分の足元に注がれているのに気づいた。
「猫、もう一匹いたんですね!」
「魚が……」
ぼそりと言う氏元に、頼親はどきりとして、猫を隠すように前へ出る。
「ち、違うぞ! これは初めっから落ちてたんだ!」
タイミング悪く、猫は魚を食べ終えたらしい。おかわりをねだるように鳴いて、頼親の足にすりよってきた。
「随分、なつかれておいでで」
「さすが頼親様、羨ましいです!」
必死で笑いをこらえている氏元と、純粋に顔を輝かせる為頼。
「勝手になついたんだ! 俺は何もしてねぇからな!」
「え、エサやったり、遊んだりしていらっしゃったんじゃないんですか?」
為頼からは何の悪気も感じられない。それが逆に腹立たしい。
「てめぇら、今から死ぬまで稽古――」
「た、為頼、あれだ。頼親様が頼光様に似ていらっしゃるからだ!」
「へ?」
「主人の頼光様に似ていらっしゃるから、何もしなくても猫が頼親様になつくんだ」
ですよね、と氏元は冷や汗の流れた笑顔を頼親に向ける。
「え、ああ、そうかもな」
これ幸いと頷き、頼親は足元に目を落とした。猫はまつわりついて、離れようとしない。
それをじっと見て、頼親は考える。
「……もし、もしもだけどな、エサやってたとしても、普通、数日でこんなになつかねぇよな。別に兄貴と似てたって嬉しくねぇけど……ほんとに、その、そういうことってあるのか?」
「あります、あります。猫には分かるんですよ、頼親様に流れる頼光様と同じ血が」
「そうか……いや別に嬉しくはねぇけど」
照れ隠しのために二人から顔を背け、頼親はそっと太刀の柄に触れた。
――俺は次男だもんな。
「さ、頼親様、頼光様の弟として今から猫と遊ぶべき――」
「よし、稽古だ!」
氏元が言い終わる前に、頼親は晴れやかな表情で振り返る。
「源頼光の弟として、もっと強くなるべきだろ。お前らは、四天王くらいな」
「む、むちゃくちゃですよ……!」
「二人しかいませんよ?」
困ったように辺りを見渡す為頼の腕を取って、氏元が走り出した。彼らの腕から猫が飛び出した。
逃げんじゃねぇと、頼親は部下を追いかける。
四匹の子猫は、ひとかたまりになって、呑気そうに彼らの背中を見ていた。
しかし、それから刻一刻と時が進むにつれて、猫たちはそわそわし始める。意味もなく地面をひっかき、空を仰いでは不安げに鳴き声をあげる。
大きな恐怖が、じわじわと近づいてきているかのように。
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます!
今更なんですが、猫、平安時代の日本ではマイナーな動物なんですよね。もともと日本に猫はいなくて、唐からもらってきてたそうで……。源氏物語で猫が出てくるので、普通に書いてしまったんですが、野良猫とかはいないと思うんですよ……。というわけで、頼光の家にいるのは、どっかの貴族が飼ってたのが逃げ出して住み着いたということで……。
土蜘蛛の顔「化け猫のような~」としてしまったんですが、猫が化けるという考えもなかったんじゃないかなぁ……と今更……orz すみません。
次回は鬼の里です。久しぶりに、虎熊やら石熊やらです。




