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赤い着物

 ――足柄山(あしがらやま)とは違うな。

 坂田金時さかたきんときは、大江山の草を踏みしめながら故郷を思い出していた。

 久しぶりの、深い緑の匂い。土の匂い。川は緩やかに流れているし、生命の動きも感じる。

 綺麗な山だと思う。だが、何かが決定的に違うのだ。

「金時」

 前を歩いていた貞光さだみつが振り向いた。

「遅れますよ」

 考えごとをしているうちに、足を止めてしまっていたらしい。金時は、慌てて貞光に追いついた。

 頼光らいこうを先頭に、鬼退治の団体は進んでいく。皆徒歩で、笈を背負っている。

「何かありましたか?」

「いや、何か変な山だなって思って」

 貞光は冷めた瞳を細めて、しばらく金時を凝視し、そうですかねと目を逸らした。

「今のところ、変わった点は見られませんが」

「見た目は普通なんだけな、何かこう……」

「さっきから、何だ。はっきりしろ」

 いつから話を聞いていたのか、つなが振り向いて、睨んでいた。

「山なんかどこも一緒だ。鬼退治か狩りでもなければ、平野を馬で駆け回っているほうがよっぽどいい」

「山のどこが悪いんだよ。動物はいるし、果物もなる。人も少なくて静かだし――あ、お前は小さすぎて、山にいたらホントに目立たなくなるもんな」

「なんだと貴様!」

「こらこら、やめろって」

 ケンカの声に引き返してきた季武すえたけが、綱の肩を引く。巫女装束の、緋の袴が森の緑に鮮やかだ。

 季武は呆れたように笑って、綱にささやく。

「殿に遅れちまうぞ」

 頼光は保昌やすまさと話しながら、ずいぶんと前を行っていた。綱は、金時を睨んで舌打ちをすると、頼光のほうへ走っていく。

「お前らも、殿の傍からあんまり離れんなよ。いつ鬼が出てくるか分かんねーんだから」

 季武はにっと笑うと、身長ほどもある弓を持ったまま跳ねるように綱のあとについていった。

「言ってるわりに、緊張感のかけらもないですね」

「そういう貞光も普段通りに見えるけど」

 金時の呟きが聞こえたのか、聞こえていないのか、貞光は息をついて足を速める。

「あ」

 普段と変わらぬ彼らの姿を見て、金時の中にあった疑問がするすると解けた。大江山に感じた違和感。

「どうしました?」

「山というより、都に近いんだ」

 初めて都に足を踏み入れたときを思い出した。都の表玄関、羅城門らじょうもんをくぐったときだ。

 ぐにゃりと地が歪んだような目眩を覚え、一瞬、別の世界に迷い込んだように錯覚した。想像よりも寂れてはいたが、華々しい町、京の都へ入ったのだ。それなのに、金時が感じたのは、どろどろとまとわりつくような魔だった。

 ――繋がっているんだな、都も、この山も。

 山に魔はつきものだ。だが、ここは都の羅城門と同じように魔界との境目になっているように感じられた。

「都もここも、あちらと繋がっている、ですか」

 金時の話を聞いた貞光は、特に興味を示した様子を見せず、思い出すように視線をあげる。

「この山のことはよく知りませんが、羅城門に限らず、都はそうかもしれませんね。一条戻橋いちじょうもどりばしなんかは、死んだ人が生き返った話が残っていますから。あの世から戻る橋」

 それで戻橋かと金時が感心したとき、貞光がつまらなさそうに零した。

「取り込まれることのないよう」

 あの世とこの世の境目。金時は、自分が鬼と人間の境目にいることを思い出した。



 藤原保昌は聞くともなしに、後ろの貞光と金時の話を聞いていた。先ほどまで保昌は頼光と話していたのだが、綱と季武がやってきたので、なんとなく後ろに下がったのである。

 ――魔界との境目か。

 金時には半分、鬼の血が流れていると聞く。そういうことが分かるのも、それゆえか。

 ――俺には分からんが……。

 ふと傍らを流れる川へ目をやって、ぎょっとした。

 透明な水の中に、赤い液体が流れている。それは筋となって薄い布のようにひらひらと泳いでは、溶けていく。

「頼光――」

 保昌が呼んだときには、前を歩く彼らもそれに気づいていた。足を止め、視線は川上へと向かう。

 汚れた小袖をまとった女がいた。地に膝をつき、すすり泣きながら川で洗濯をしている。

 洗っているのは赤い着物――血で染まった着物だった。

「姫君」

 頼光は状況が呑みこめたのか、躊躇いなく歩を進め、彼女を呼んだ。

 女が洗濯の手を止めて、顔を上げた。卑しい身分のものではないと一目で分かる品の良い顔立ちをしていた。

 女はすぐに顔を袖で隠し、怯えたように背を向ける。

「私は源頼光。勅令で、鬼退治に参った者です」

 頼光は片膝をついて、ご安心くださいと女に微笑みかけた。素でやっているのか、演技なのか定かではないが、頼光のあの声と笑みには、人に心を許させる魔力めいたものが宿っているのは事実だ。

 女は蚊の鳴くような声で、鬼退治に、と聞き返した。

「どうして泣いておられるのです? もしや貴女は、鬼にさらわれた都の姫君ではございませんか?」

「……私は花園はなぞの中納言の娘にございます。鬼に食べられてしまった姫の着物を洗濯するよう命じられたのです」

 洗い途中の赤く染まった着物は、桶に入れられていた。頼光の目はそれを捉え、すっと細められる。

「鬼の住処はどこですか」

「鬼は――いえ、本当は」

 姫は何かを叫ぼうとし、途端に、首を抑えて苦しげに体を折った。

「姫君?」

 頼光が慌ててその背に手をかけると、姫は体を起こし、首を横に振った。

「私の帰りが遅いので……鬼が怒っているのでしょう。私がこれを洗い終え、帰らなければ、他の姫君が殺されてしまいます」

 姫はまだ苦しそうに息をしながら、手を山の上の方へ伸ばす。

「住処には、この先をずっと行けば辿りつくでしょう。どうか、鬼を……酒呑童子しゅてんどうじをお討ちください」

「酒呑童子――」

 頼光はその名を口の中で繰り返したのち、立ち上がった。

「この源頼光、悪鬼を平らげ、必ずや貴女をお助けいたします」

 立ち去る素振りを見せた頼光に、姫君は心細そうに彼を見上げる。

「大丈夫っすよ。俺たち、腕に自信はあるから」

 季武は頼光の肩に跳びつくと、な?と同僚たちに同意を求めた。

「当然です。自分の腕を疑ったことは、一度もないですね」

「お、俺も、戦うことだけは――」

「姫君全員、頼光様の手を煩わせることなく救い出してやる」

 綱は、珍しく声を上げた金時の言葉をぶった切り、むすっとした表情のまま踵を返すと、ずんずん山を登っていく。

「何でそんな機嫌悪いわけ? あ、殿が美人な姫と――」

「黙れ。季武、貴様から退治するぞ」

 にやにやと笑う季武を睨む綱。へこんだ様子の金時を急かして、貞光があとに続く。

 姫に一礼して振り返った頼光は、保昌と目が合うと、照れたような苦笑を浮かべ、上へと歩を進めた。

「これで勝てなかったら、相当かっこ悪いですね、俺」

「俺は、お前が鬼退治を嫌がっていたり、毒酒使おうとしてるのを知ってるから、もう十分にかっこ悪いと……」

「あ、俺、先頭歩かないと」

 逃げるように足を速めた義理の甥に、保昌は呆れて息をついた。


 

 花園中納言の娘は、去っていく六人の背を悲痛な表情で見送っていた。

 違う。そっちではない。本当の敵は、鬼ではない――。

 行かないでという言葉を呑みこみ、姫は静かに涙をこぼす。彼女が、頼光たちに会ったのは偶然ではない。待っていたのだ。鬼の居場所を教えるために。彼らを鬼の里へ誘導しろという命令のために。

 姫の首には蜘蛛の糸が巻きついていた。


ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。

山や坂、橋、道と道が交わる辻、大きな木、門などはあの世との境界になり得るそうです。(境界いっぱいや……)


次回は都で留守番中の頼親です。

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