酒に注意
『鬼同丸』
外道丸は弟の背に呼びかける。市からの帰りだ。夕暮れの中、鬼同丸は追いかけっこをして遊ぶ人間の子どもを眺めていた。
帰るぞ、と言うつもりだったのに、何を思ったのか、外道丸の口からは別の言葉が滑り出ていた。
『遊んでいくか?』
鬼同丸は顔を上げて、何を言われたのか分からないというような顔をした。
『遊ぶって、兄さんと?』
弟の驚きに外道丸は、羞恥と苛立ちを覚える。
『俺以外誰がいるんだ。あいつらの仲間に入れてもらえるなら、そうしろ』
そっけなく、人間の子どもたちを視線で示した。鬼同丸が彼らに受け入れてはもらえないと知っていながら。
案の定鬼同丸は、なんだよ、と外道丸を睨む。
『別に誰も、遊びたいなんて思ってねぇよ』
兄さんとなら、なおさらだと吐き捨て、鬼同丸は一人で駆けていった。
――結局、遊んでやったことなんか、一度もなかったな。
酒呑童子はぼんやり昔を思い出しながら、瓶子の酒を口に含む。鬼の里、館の縁側には心地よい風が吹いて、酒呑の赤い髪を揺らす。だが、彼の心はそのように穏やかではない。
茨木の証言で、鬼同丸が生きていることは分かった。彼が、兄の居場所を知った上で会いにこないことも。
――一体、俺の何が気に入らないんだ。
ぐいと瓶子を干したとき、寝転んで書物を読んでいた茨木が、こちらを見ているのに気がついた。
「酒呑……なんか怖いのだ」
「……」
無意識のうちに顔に出てしまっていたらしい。茨木から目を逸らし、酒呑は眉間をほぐす。
「面白いのか、それ」
「これ?」
茨木が苦笑いを浮かべて、書物をばさばさと振る。
「全然面白くないのだ。石熊がすすめてくれたんだけどね、和歌ばっかで、意味分かんない」
石熊童子。灰色の髪と瞳をもつ、風流な鬼だ。彼は昨夜、スパイとして土蜘蛛の中にもぐりこんだまま帰ってこなくなった鬼女、金童子をつれて帰ってきた。
「昨日石熊が帰ってきたときは、何も言われなかったんだけどね。石熊がこの書物のこと思い出す前に、少しでも読んでおかないと」
茨木は気合を入れるように言うと、再び、真剣な顔で書物に向き直る。
酒呑は、すいと視線を外へ滑らし、何本目になるか分からない瓶子を手に取る。
金童子は、土蜘蛛に鬼のスパイであることがバレたらしい。源頼親討伐に利用され、大和まで行っていたそうだ。
土蜘蛛の復讐は、着々と進んでいる。金童子によれば、人間の幼子――孤児や売られた子をさらい、仲間としているらしい。
本格的に都を襲う日も近いだろう。
――この里に影響さえしなければ良いが。
そのとき、ぼんやり考える酒呑の視界を強風が奪った。書物が飛ばされる音と、茨木の間抜けな悲鳴が聞こえる。
酒呑が目を開けたとき、そこにいたのは灰色の影。風を起こした犯人である石熊童子だ。
「酒呑っ、お願いだから匿って――」
「石熊、どうして私から逃げるの?」
突如霧が発生し、澄んだ女の声が石熊の言葉を遮る。霧で姿は見えないが、金童子であることは間違いない。
「私はスパイが失敗してヘコんでるんだから、傍にいてくれてもいいのに」
「充分いたじゃないか! 君が怒るから、一歩も離れずに!」
「それより、霧をなんとかしろ」
酒呑の言葉に金童子が従ったのかどうか、霧が徐々に薄くなっていく。もともとの憂い顔をさらに暗くして石熊を見つめる金童子の姿が浮かび上がる。
茨木が焦ったように、二人の間に割って入った。
「金童子、失敗のことならヘコまなくて大丈夫なのだ。石熊だって本当は金童子のこと――」
「あー! 茨木、僕の書物、ぐちゃぐちゃじゃないか!」
「へ」
石熊が指さす方向へ、茨木が振り返る。部屋の端に、しわになった書物が開いた状態で落ちていた。
「こ、これは、石熊の風のせいでしょ!」
「何でまだ読んでないんだ。ああ、火事になった貴族の家から持ち出した、貴重な和歌集なのに」
石熊は書物のしわを伸ばすのに必死で、金童子がじっとりと睨んでいるのに気がついていない。
酒呑は関わり合いにならないようにしようと、外を眺め、酒を口につける。
「石熊、私もその和歌集読みた――」
「あー! 酒呑、またそんなに呑んで!」
石熊が金童子の声を遮ったかと思うと、酒呑の手から瓶子が取り上げられた。
「まだ、そんなに呑んでないぞ」
「十本! これで十一本目じゃないか!」
石熊は、酒呑の周りに転がっている瓶子を数えて青ざめる。
酒呑は構わずに、返せと座ったまま手を伸ばした。石熊が、酒呑の体調を気遣っているわけではないことは、よく知っている。
石熊はひょいと手を上げて、酒呑から瓶子を遠ざける。
「それに、土器に移しもしないで! まったく、品がない。その容姿でそんなことしたらダメだ」
「酒を呑むのに、顔が関係あるか。早くそれを置いて逃げないと死ぬぞ」
酒呑は、石熊の後ろで小刀を抜いて思いつめた顔をしている金童子を見て言ったのだが、石熊は勘違いをしたらしい。
「酒を取り返すのに暴力って、最悪だよ。ああ、もったいない。この上なく見目はいいのに、舞も楽器もできない、大酒呑みの乱暴者。もったいなすぎる。君には失望したよ」
「お前に望みを持たれていても、気持ち悪いだけだ」
「ああそうか。もういい。僕は君の弟を探す旅に出る」
石熊がぷいっとそっぽを向く。
「俺の弟?」
予想していなかった言葉に、酒呑は眉をひそめた。今にも石熊を刺そうとしていた金童子が動きを止め、茨木の顔に緊張が走る。
「いるんだろ? 行方不明の。君がダメなら、彼に望みをかけるしかないじゃないか。性格まで酒呑に似てなかったらいいけど」
「顔も似てないぞ」
「僕はそんなの信じない!」
「酒呑、ほんとに似てない?」
石熊を押しのけて、金童子が前へ出る。先ほどまでのことを忘れたかのように、真剣な表情をしていた。
「似てないな。髪と目の色は一緒だが」
「……土蜘蛛の中にいたの」
土蜘蛛の中にいた。すぐに、その意味を呑みこめたものはいなかった。
「土蜘蛛の仲間に、酒呑には全然似てない赤毛の子鬼がいた」
その夜、酒呑童子は一人、土蜘蛛の住処へ向かう。
「鬼の大将が、何をしに来た」
山を下りている途中だった。月明かりを遮るように、木の上から土蜘蛛がぬっと顔をだした。
土蜘蛛の大将、陸耳御笠だ。彼の巨体では、木の枝へ乗ることはできない。蜘蛛の糸が、枝から枝へと張り巡らされていた。
酒呑はひょいと跳んで、御笠の向かいの木へ登った。
「ただの散歩だ」
御笠は、呑気なものだなと鼻で笑う。
「お前こそ、復讐してなくていいのか」
「今日はその前祝いに、月を眺めていたのだ」
御笠は徐に、その化け猫のような顔を空へ向ける。復讐のために生きているやつが風流なことをするもんだと、酒呑はしばし彼の姿を目にとめる。
御笠は、金色に光る目を酒呑に向けた。
「早く立ち去れ、酒呑童子。スパイが失敗したゆえ、自ら我らを探る気か」
「お前ら土蜘蛛は、鬼も仲間にしているそうじゃないか」
酒呑は御笠の反応をうかがいつつ、それとなく鬼同丸のことを聞き出そうと試みる。
「それがどうした。お前らには関係のない子鬼だ」
「鬼の里の子鬼もさらわれたら、困るからな」
「あれは、近江の山で死にかけていたのを私が助けたのだ」
御笠が不敵に笑う。酒呑の心臓がどくりと音を立てた。
「帰るところがない憐れな子鬼よ」
土蜘蛛のところにいる鬼はそれだけだ、さらいはせぬと断じて御笠は背を向けた。
御笠が人の形をしていたなら、酒呑はその後ろ襟をつかまえ、詰め寄っていただろう。
どういうことだ、あいつに、鬼同丸に会わせろ――。届かない手で拳をつくり、酒呑は出かかった声を噛み殺す。
鬼の大将の弟だということが分かれば、鬼同丸はまた、はずれものだ。
「これより、土蜘蛛の住処に近づくな。我ら土蜘蛛と鬼は、月を眺めて話すような仲ではないはずだ」
御笠は自分の張り廻らした糸の上を進み、闇へ溶ける。
酒呑は舌打ちをして、地面へ下りた。土と落ち葉の、柔らかい感触さえ気に入らない。
来た道を辿り、鬼の里に着いたときだ。館の屋根に人影が見えた。
「星熊」
酒呑が呼ぶと、鬼の青年ははっとこちらを向いた。淡い黄色の髪に瞳。角は一本で、その左目の下には、星形のあざがある。
彼、星熊童子は酒呑の姿を認めると、すとんと地面へ下りてきた。青白く光る鬼火が、彼の肩のあたりを飛んでいる。
「酒呑、山を下りていたの?」
「ああ。……御笠が、月を見ていた」
星熊は、へえ、と目を丸くし、柔らかく口角を上げる。
「それでかな。土蜘蛛の復讐がどうなるか、星を見てたんだけど、もやがかかったみたいに分からないんだ。彼らの念が邪魔してるのかも。ねえ月夜」
星熊は鬼火を手の上に招き、笑いかける。鬼火は彼の言葉に呼応するかのように、ふわふわと揺れ、妖しく光っている。
「早く中に入ったほうがいいぞ。今夜は冷える」
「これくらい大丈夫だよ。最近は体調がいいんだ」
星熊はそう言うと、左目の下の星形のあざに触れた。ねえ月夜、と鬼火に優しい眼差しを向ける。
酒呑は、そうかと頷いて館へ上がろうとした。
「あ、まって」
星熊の声に、足を止める。
「酒呑、しばらく酒に注意したほうがいいみたいだ」
「なんだそれ。呑まないほうが危ないぞ」
酒呑は真面目に言ったのだが、星熊は声を上げて笑った。
「酒呑の場合はそうかもね。でも、あんまり呑んでると、そろそろ石熊がキレるよ」
「じゃあ、あいつに見つからないように注意する」
酒呑は、あるかなしかの笑みを浮かべて館へ上がった。
酒に注意――。彼は、深くその意味を考えなかった。
*
「道に迷った旅人のふりをしようと思う」
頼光はいつになく真剣な表情で、四天王と保昌に言った。彼らの中心では、焚火がぱちぱちと音を立てている。
大江山はすぐそこだ。明日、明るくなれば、登り始める予定だった。
「鬼がうまく騙されてくれれば、この酒を呑ませるんだ。どこまで強力な毒なのか分からないけど」
頼光は神便鬼毒酒の入った竹筒に、視線を落とす。
「異論はないな?」
四天王は誰からともなく頷き始める。保昌は、腕を組んで黙ったままだ。全ての判断は頼光に任せると決めている。
焚火が六人の顔を赤々と照らしていた。
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。
江戸時代くらいに作られた川柳に『頼光も 鬼が下戸なら どうだろう』というものがあるんですが・・・もしそうなら、頼光、どうするんでしょうね。酒呑童子に酒を勧めたところ「あ、俺、呑めないんだわw」とか言われて、おろおろする姿が目に浮かんでしまいました・・・。
諸事情により、一ヶ月~二ヶ月くらいインターネットが使えなくなります。次の投稿まで少し間があいてしまうかもしれませんが、書くのをやめたわけではないので、お待ちいただければ幸いです。(フリースポットなんかがうまく使えればいいんですけど(^^;)
次回は、袴垂と鬼同丸です。




