夜風と笛の音
丹波国。
頼親が盗賊と戦っているころ袴垂と鬼同丸は、適当な廃寺を見つけ、そこに泊まろうとしていた。一晩ここで休み、明日になればまた、京を目指すのだ。
「なぁ、鬼同丸」
「何だよ」
着物にくるまった鬼同丸が、眠そうに返事をする。
「お前、土蜘蛛の復讐が終わったらどうする?」
袴垂は上体を起こしたまま、廃寺の空虚な闇に眼をやっていた。
「どうするって……」
「土蜘蛛の復讐が終わったら、大江山にいる必要もなくなるだろ? 行くあても、やるべきこともなくなる」
他の仲間と違って、朝廷に恨みのない袴垂は、復讐さえできればそれでいいというわけにはいかない。京に盗賊仲間がいるが、鬼同丸はそこに加わろうとはしないだろう。
「鬼同丸、どうせ行くとこないなら、旅でもするか」
鬼同丸が身じろぎする。あのな袴垂、と微かに声がもれる。
その続きは、がやがやと廃寺に侵入してきた何者かによって閉ざされた。
鬼同丸と袴垂は瞬時に息を殺し、神経をとがらせる。袴垂が小刀に手を伸ばしたとき、鬼同丸はその手を押さえ、首を横に振った。
近づいてくる武骨な足音は、十数人のものだ。彼らの手にする灯りが及ぶ前に、鬼同丸は袴垂を引っ張って、破れた壁から外へ飛び出した。
「何で逃げたんだよ」
廃寺から離れた野原で、袴垂は不満気に赤毛の子鬼を睨む。
「明日はまた歩くんだぞ。疲れたり、怪我したりしたらどうするんだ」
鬼同丸は、あらかじめ用意しておいたような返答をし、さっさと寝る準備を始めていた。
「廃寺にひそむ鬼が人間を見て逃げるんだから、笑っちゃうよなー」
袴垂はからかうように言って、ぴょんと廃寺のほうへ一歩を踏み出す。
「俺、ちょっと様子みてくるわ」
「あ、こら!」
「一人であの人数とケンカはしねぇよ。眠たくなったら、戻ってくる」
袴垂は遊びに出かける童の笑顔そのままに、廃寺に駆け戻った。
廃寺の中では、ボロ布をまとった男たちが座したり、寝転んだりしていた。誰もが傍らに、鉾や太刀、弓などの武器を置いている。
袴垂は、木の壁の裂け目から、それをうかがっていた。
「やっぱりこの寺、不気味だよな。さっき何かいたと思ったんだが、鬼なんかが出ないだろうな」
「犬か狐だろ。臆病だな」
そんなんで、頼光を殺れるのか。一人の男が、仲間を笑う。
――頼光?
袴垂は、思いがけない名前にぐっと耳を壁に寄せる。
「そうだぞ。それに鬼は、憎き頼光を殺してくれるかもしれないじゃないか」
「鬼退治の直前に、頼光らを襲う。俺たちは負けるかもしれないが、いくら頼光といえども、一戦を交えたあとに鬼とまともに戦えまい。賊に襲われたがために、鬼と戦わずに都に逃げ帰ったとなれば、それこそ世間の物笑い」
にきび面の男が顎髭を撫でながら、下卑た笑みを浮かべる。男の傍に置かれた灯りが、彼の顔に現れる憎悪を赤々と照らしだしている。
「奴らには、何人仲間を殺されたかわからん。ただ、ほんの少し、腹が減ったから貴族様の屋敷から食糧を拝借しようと思っただけなのに」
「俺は兄を殺られた。お前は父親だったな」
まだ幼さの残る青年が、拳を握って強く頷いた。
「そうだ。父上は、幼い俺を飢えさせないために盗賊になったんだ」
――なるほどな。
袴垂はどこか冷めた気持ちで、彼らの心の内を見つめる。
「なんとしても、この機会に頼光を――」
父親を亡くした青年が瞳に闘志を燃やし、低く吐いたときだった。扉の朽ち果てた、廃寺の入口で人影が揺れた。
「随分、大勢に呼ばれたもんだ」
穏やかとも思える声。決して大きくはないのに、すぐそばで囁きかけられたかのように、この場にいる者全員の耳朶をうった。
「鬼退治の直前じゃなくて、今じゃだめか?」
一歩一歩とその人は近づき、灯りが、その姿をぼんやりと映し出す。
ふんわりと夜風に揺れるのは、白い狩衣だ。凛と整った顔には、ほのかな笑みが漂っている。
「頼光……!」
一人がその名を言い切ったとき、もうその男の首は胴を離れていた。
悲鳴とも怒声ともつかない声があちこちで起こる。賊の男たちは手に手に武器を取って、敵の姿を探す。
この寺にいる十数人の中で、自分のすべき動きを分かっているのは頼光だけだ。薄闇の中で、真っ白な狩衣、源氏の色がひるがえる。
袴垂は、瞬きするのさえ忘れて、彼の動きに魅入っていた。
頼光の顔に、もう笑みはない。何の感情も読み取れない。
ほんの一瞬の間に、賊の手が飛び、心臓が貫かれる。額が割れ、腹からは臓物が飛び出る。
それをやっている頼光という男は、まったくの高揚を見せない。かといって、冷酷な表情もみせない。日課をこなすように淡々と殺していく様に、袴垂は得体のしれない不気味さを覚えた。
「ら……いこう」
地獄から這い上がってくる亡者のように、血だまりの中で塊が蠢く。
「父上の……かたき……ッ!」
その青年には、すでに片腕が無かった。重そうな太刀を片手で握り、ふらつく体を怒りで支え、雄叫びと共に頼光へ突進していく。
頼光の瞳は、湖面のように静かだった。白い狩衣が、音もなく動く。血に濡れた蜘蛛切が闇の中で閃き、青年の脇腹を裂く。
青年は声もなく、仲間の血の海に沈んだ。
動くものがなくなった廃寺で、頼光は軽く息をついた。さて、と呟いたその目が、袴垂のほうへ向けられる。
壁の裂け目ごしに目が合って、袴垂が息を呑んで身を固くしたときだった。
「頼光様!」
松明を持った小柄な少年が、姿を現した。足元の血が跳ねるのも構わず、頼光に走り寄る。
頼光は袴垂から目を離して、振り返った。
「……綱」
「頼光様、これは一体……お怪我は?」
頼光四天王の一人、渡辺綱だ。辺りの死体を見渡したあと、すぐ頼光に視線を戻し、心配そうに見つめている。
「ないよ。鬼退治の前に、ヘマしなくて良かった」
まるで苦戦したかのように、頼光が安堵の息と共に笑みを浮かべる。
穏やかで温かい。頼光を取り巻く空気が一変している。
「あ、でも、怪我して、神便鬼毒酒、試してみたかったな。鬼が呑むと毒に、人間が呑むと薬にってやつ」
「駄目ですよ! そんな理由で、わざと怪我など……!」
頼光は袴垂のことなどすっかり忘れた様子で、綱と二人、歩いていく。
袴垂は、これ幸いと廃寺から離れた。
猫の爪のような細い月が、雲の中で消えそうに揺らいでいる。その下を、袴垂は走る。頼光と目が合ったときに感じたのは、確かに恐怖だった。なのに、今は、心臓が高鳴り、妙な昂揚感に包まれていた。
今見た、すごいものを鬼同丸にも教えてやろう。
頼光が倒そうとしている鬼が、鬼同丸の兄であることを彼は知らない。
綱と頼光は、廃寺を出て、夜道を歩いていた。行先は、丹波国の国守の家だ。今夜はそこに泊めてもらうことになっており、頼光は、歓迎の宴の途中で屋敷を抜け出したのだ。
「誰にも気づかれないように、そっと抜け出したはずなんだけどなぁ」
俺もまだまだだと笑う頼光に、綱は僅かに眉をひそめて足元に目を落とす。
「そうじゃありませんよ」
聞こえなかったのか、頼光は、ん、と目を瞬かせた。綱は小声で、吐き捨てるように言った。
「俺は頼光様をずっと見てたんです。だから、気づいて当然です」
隣を歩く頼光の気配が、唐突な風に吹かれたかのように揺れる。
「それは、気づかなかった」
静かな声からは、僅かに動揺が読み取れた。
「何か用があったのか?」
動揺はもう消えている。普段よりも優しいとさえ感じる声に、綱は、いえ、と答えるしかなかった。
鬼退治の前に、頼光と二人きりで、少し話がしたかった。だから、機会がないかずっと見ていた。
「頼光様」
「うん?」
「よ、夜風が気持ちいいですね」
「吹いてないぞ?」
綱は真っ赤になって項垂れた。違う、夜風なんかどうでもいいのだ。もっと他に、頼光に言いたいことがあるのに、口がもごもごと動くばかりで言葉が出てこない。
せっかく、待っていた機会がやってきたというのに。
「あ、吹いた」
「え?」
綱が顔を上げると、頼光の穏やかな視線とぶつかった。
「風、今吹いただろ。そろそろ春なんだな」
続いて夜の風が、ふわりふわりと綱の頬を撫でていく。綱は髪をかきあげる。
「何度目の春でしょうね」
頼光様と出会って、と付け加え、足を止める。
「頼光様、俺は強くなりました」
身長差は、幼いころよりできてしまったが、もうこの人の背に隠れることはないだろう。手を引かれて、土蜘蛛から逃げることはないだろう。
「ですから、頼光様は鬼を怖く感じなくて当然です。死に対する恐怖なんて、俺がいるのに、頼光様が感じるはずないじゃないですか」
「綱、お前、一体何の話を――」
「頼光様は頼光様です。満仲様じゃありません。俺のただ一人の主君です」
綱は、立ち尽くす頼光の袖を引っ張って踵を返す。
「帰りましょう。少し、寒くなってきました」
嘘だ。本当は、すごく熱い。顔から火が出そうだ。
「今帰ったら、丹波守の郎党と貞光がケンカしてるなんてことはないか?」
「あります。酔ったヤツらが、貞光に絡んでましたから」
このまま真っ直ぐ進めば、丹波守の家についてしまう。少し残念な気もするが、これ以上頼光と一緒にいると、心臓が持ちそうになかった。
だが、頼光はそんな綱の気も知らず、笑って平然と言ってのける。
「それは面倒だな。もう少し散歩していこうか」
「こ、このまま二人でですか!」
「あ、金時も誘いたいのか?」
「いいえ全く」
どこまで本気なのか分からない頼光にもやもやしながらも、綱の心臓はどきどきと高鳴っている。
「金時のヤツは、今ごろ、どっかに隠れてますよ。丹波守の郎党たちが、あの金髪や目を物珍しがってましたから」
「まぁ、そうなるだろうな。季武は?」
「口説かれてました」
「まぁ、そうなるだろうな」
なんだかんだで、頼光と綱は歩いていく。丹波守の家へと続く道を、少し外れて。
*
そのころ、保昌は笛を吹いていた。気がつけば、頼光と綱が席をはずしており、自分も少し酔いをさまそうと外へ出てきたのだ。
宴の喧騒はもう聞こえない。遮るもののない夜空へ、ただ一つ、笛の音だけがすいこまれていく。
明日には大江山に着くだろう。だとすれば、遅くとも明後日には鬼と戦うことになる。
――俺は、そこで死んでも構わない。
任命されたのは頼光だ。保昌には、選択することが出来た。だが、何かの運命だろう。鬼退治の話がでたのは、保輔の死が分かって間もなくだった。
鬼を殺して、そこで自分も果てる。それが、せめてもの保輔への弔いなのかもしれない。
保昌は笛を吹く。天の弟へ届けよと願っても、その音色は虚しいだけだ。
袴垂は高揚した気分のまま、走る。
俺、源頼光の戦うところ見たんだぜ。すっげぇ強いの。ありゃ、お前より鬼だよ、鬼同丸。
――あいつ、俺も見たかったって悔しがるかな。
その様子を想像して、くすりと笑ったとき、袴垂の耳は、笛の音をとらえた。
寂しげな音。懐かしい音。
袴垂は、興奮を忘れて立ち止まる。着物をくれた陰のある男を思い出した。
――あのオッサンの笛に似てんだな。
ぼんやりと思って、すぐに、いやまさか、と打ち消す。自分に笛の音を聞き分ける力があるわけがない。そんなもの、吹いたこともなければ、ろくに聞いたこともないのに。
笛の音が頭を流れ、ふわりと浮かんだのは、あの男、藤原保昌の若い姿。知っているはずもないのに、青年の保昌が笛を吹いている。ふと保昌は視線を落とすと、笛を口から離した。
保昌が目を細めて笑う。誰かの名を呼んで、その者に向かって手を伸ばす。誰かは分からない。袴垂は、その者になったように、その位置から保昌を見ているのだ。
頭を駆け巡った映像に、袴垂は足元から寒気が這い上ってくるのを感じた。
逃げるように走り出す。笛の音の聞こえないところへ、赤毛の子鬼のもとへと袴垂は帰る。
――俺は何も知らない。
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。
藤原保昌とは漢字が違うんですが、何の偶然か、ウチの父親も「やすまさ」というんです。で、この前、重要書類の父親の名前を書くところに、ナチュラルに「保昌」と書いてしまってもうダメだと思いました。『保』は一緒なんですけどね・・・(^^; ・・・お父さんごめん・・・。
次回は、酒呑と茨木+石熊と金童子です。




