茨木童子2
大江山、鬼の里。
茨木童子が大江村に侵入した翌日、雨が降った。朝からどんより曇っていた空は、昼ごろに耐えきれなくなって、ぽつりぽつりと雫をこぼした。
里の中心にある館の縁側に出て、酒呑童子は一人、物憂げに天を仰ぐ。外で遊んでいる鬼の子どもたちは、少々の雨など気にせずに走りまわっている。
「降ってきたね」
屋根の上から、星熊童子が顔を出した。ぶらりと逆さまである。鬼火は雨にも負けず、彼の周りをゆらゆらと飛んでいる。
「落ちるぞ」
酒呑が言うと、星熊は一旦頭を引っ込めてから、すとんと着地した。
「そんなヘマはしないのさ。酒呑は何? 字の練習、飽きたの?」
「飽きた」
酒呑は人差し指についた墨に目を落とし、親指の爪でこすってみせる。
先ほどまで彼は、館の中で読み書きの練習をしていた。鬼の大将たるものが字も知らなくてどうすると、石熊童子から、いろは唄を渡されたのだ。
近江の小さな村で一般庶民として育った外道丸が、字など知っているはずもない。紙すら、普段、目にすることがなかった。
「で、石熊は?」
星熊は、縁側に上がり、這うように部屋の中を覗き込む。この前宴を開いた大部屋ではなく、その周囲に設けられた小部屋である。
「お前が屋根で昼寝をしている間に、金童子を探しにいった」
金童子は、昨日、盗賊退治に行ったまま帰ってこなかった。彼女は、重度の方向音痴らしい。
『いつものことだよ。どうやったら、大江村で迷うんだろうね』
昨夜、石熊は軽い調子でそう言っていたが、今朝になっても金童子は帰ってこなかった。それも、いつものことだそうだ。そして、面倒臭そうに石熊が彼女を探しにいくのも、いつものことなのだろうと酒呑は睨んでいる。
「虎熊は、大江村の人が昨日の盗賊のことで何か困ってないか、見にいってるんだっけ? 真面目だね」
「お前、今日は大丈夫なのか」
酒呑は、縁側に寝転がる星熊の顔色をうかがう。それに気づいた星熊は、にやりと笑った。
「大江山にいるときは、気分がいいよ。あとは、廃寺やあばら屋、都の一条戻橋や羅城門なんかの、いかにもってところだね。そういうところにいれば、体力を使いすぎないかぎり大丈夫だ」
「大変なんだな」
「まったくだよ」
星熊は腹筋をつかって軽やかに立ち上がると、さて、と首を回した。
「俺は雨のお散歩でもしてくるか。酒呑、あの子のことは頼んだよ」
「あの子?」
「君しだいだからね」
酒呑が何の話か聞き返えそうとしたときには、星熊はすでに屋根の上へ跳んでいた。鬼火はまだ、躊躇うように屋根の下を飛んでいる。
「……ついていかなくていいのか?」
怒られたかのように身を小さくして、鬼火はそそくさと雨の中へ出て行った。
――あいつはどうも、よく分からんな。
あの子とは誰のことかと、思いを巡らせたとき、
「しゅてんのおにちゃん!」
里の子どもたちが、ひどく慌てた様子で駆けよってきた。五人ほどいるが、彼らはさきほどまで、雨も気にせず追いかけっこをしていたはずである。
「知らない鬼でね、なんだかちょっと怖そうな鬼がいるの」
子鬼たちは酒呑の袖をつまんで、あっちあっちと指さした。
里を囲む木々。その一部が、がさりと揺れる。雨は勢いを増し、景色を霞ませる。そのぼやけた世界の中に、酒呑は青い影を見た。
「茨木童子――」
「お腹がすいたから、食らいにきたのだ」
茨木童子は、雨に濡れた前髪を払うと、ぞっとするような暗い笑顔を向けた。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかった」
鬼の里の外。茨木は木の合間を縫って走り、隙をみて、赤鬼に薙刀を振り下ろした。
「これから食う相手の名前なんて知りたいか?」
赤鬼は、それを太刀で受け止め、力いっぱい弾き返す。茨木は、くるりと回転して、片腕で木の枝にぶらさがる。
「じゃあ赤鬼さん」
「酒呑童子だ」
名乗ったかと思えば、赤鬼の太刀は風をきって茨木に迫っている。茨木は、つかんでいる枝をしならせて、真上へ飛ぶ。
「酒呑童子、良い名だ――とか言ってみたかったのだ」
「名乗るんじゃなかったな」
茨木は、酒呑童子が追ってくるのを確認しながら、木から木へ飛び移る。雨は徐々に勢いを増してきている。気を抜くと滑りそうだ。
ごうごうという川の音が聞こえてきた。ここは大江山の頂上に近い。雨で増水した川が、下へ向かって龍のように唸っていた。
その勢いに一瞬気をとられた次の瞬間、茨木は地面に叩きつけられていた。脇腹はぱっくりと裂け、どくどくと血が流れている。
「茨木童子」
酒呑がゆっくりと歩みよってきて、血のついた太刀の切っ先を茨木の喉元に向けた。
「首をつらぬいたら死ぬか? 刎ねたほうがいいか?」
「どっちも……やったことないから、分かんないのだ」
茨木は血の流れる脇腹を押さえ、痛みに震える体に力を込めて、酒呑に引きつった笑みを返す。
「お前、何がしたいんだ?」
酒呑の声に、初めて苛立ちが現れた。
「俺に勝てないことは、昨日ので分かっていただろ。まさか、本当に鬼を食らいにきたんじゃないよな? 何しに来た?」
突きつけていた太刀を離し、酒呑は地に膝をついて、茨木に視線を合わせる。
赤い瞳。静かな怒りをたたえ、茨木の本音を待っている。
茨木は初めて、その鬼を、一人の鬼としてはっきりと見た。幻影のような赤が形をとり、朦朧としていたものが焦点を結んだ。
今まで何も思わなかったのが不思議なほど、綺麗な鬼である。
「別に、何の用もないのだ」
茨木は目を逸らせて、転がっていた薙刀を引き寄せる。傷はもう塞がっていた。
「もう来ない」
薙刀を杖に立ち上がると、頭がふらふらした。傷は治っても、血が流れたことは事実だ。それに、昨日から何も口にしていない。
茨木は気力を奮って、木に跳び乗る。
――ほんとに、何の用もないのだ。
赤い鬼の影が、目の裏をちらついて仕方なかったのだ。仲間はもういない。行くところもない。
ただ、あの赤鬼に会えば、何かが落ち着く気がした。
後ろで、草を踏む音がする。酒呑が遠ざかっていく音だ。
茨木は深く息を吸って、大江山を出るための心をなだめる。先の見えないどこかへ向かうための底知れない恐怖を静める。
川面から突き出ているあの岩へ向かって跳ぼう。それから、向こう岸へ渡るのだ。
茨木は跳んだ。が、思ったより体は疲弊していたらしい。それとも、雨で滑ったのか。どちらにせよ、彼女は、足から力が抜ける感覚を覚えた。
岩まで届かない。川へ吸い込まれるように落ちていく。
彼女は自分が落ちる音と共に、水の腹からの呻きを聞いた。視界はちらちらと緑に光り、体内まで水に侵食され、一体化してしまうような錯覚を起こした。
彼女が育った茨木村。そこを出るとき、彼女は川に顔を映した。鬼の、自分の顔を。
――川に呑みこまれるのは嫌だ。鬼に呑みこまれるのは。
茨木は手を伸ばす。ゆらめきながら伸びていく己の手が、何かに触れたとき、彼女は必死でそれを捕まえた。
人の胴くらいの太さの、今にも流されそうな倒木だった。岸に生えていたものが根本近くで折れ、ほとんど皮一枚で、己が分裂するのを防いでいる。
「助け――助けて!」
どれほどの声が出たのかは分からない。言葉になったのかすら分からない。茨木は、顔が水面から出るたびに、水を飲みながら叫び続けた。
「それをもう少し、早く言えっ!」
ほんとにそうだ、もっと早く、川に落ちる前に――。
酒呑は、左手で傍らの木をつかみ、それを支えとして、川へと身を入れる。深さは、長身の酒呑でも、足がぎりぎりつくか、つかないかくらいだ。水がまるで獣の群れか、猛りきった兵士のように、吠えながらぶつかってくる。左手を木から離せば、あっと言う間に押し流されてしまうだろう。
酒呑は、消える前の炎のようにもがいている青鬼へ手を伸ばす。
茨木のほうが、酒呑より川上にいる。彼女の捕まっている倒木が、もう少し流れに押されてしなってくれれば、届きそうな距離だった。
いや、そうなれば、あの木は完全に千切れてしまうのか。
「茨木! こっちに手を伸ばせ!」
茨木の青い瞳が、酒呑を向いた。一瞬、泣きそうな笑顔を浮かべたように見えた。
しゅてん、茨木の口がそう動き、彼女は倒木から手を離した。
「は――」
俺は、手を伸ばせと言ったんだぞ――なんて、言っている場合ではない。酒呑は、木の葉のように水にもまれながら流れてくる茨木の体を受け止めた。
両手で。
――しまった。
支えを失った酒呑は、茨木を抱えたまま水に体を攫われる。
つい先刻聞いたばかりの、星熊の言葉が蘇った。
『君しだいだからね』
――星熊、俺にも決定権がないぞ。
酒呑は目を閉じると、流れに身を任せた。どうせ、鬼だ。簡単には死ぬまい。
茨木は、酒呑の腕の中で安心したように眠っていた。
*
余談。
大江村近くの破れ寺。
白髪の鬼女、金童子はそこで、ある人を待っていた。寺の中は、いたるところに蜘蛛の巣がかかり、蔦がはびこっていて薄暗い。
金童子は腐りかけた円柱に背を預け、薄い霧に包まれている。徐々に強まる雨音に、心細さを掻きたてられながらも、その人をじっと待つ。
「金童子」
夏の若葉の香を含んだ風が吹いて、優しく霧を散らした。
「よくまぁ、こんな風情のない場所にいれるもんだね」
「石熊」
金童子は、もともとの憂い顔に隠しきれない笑みを浮かべて、呆れたように寺を眺めている石熊童子に駆け寄った。
石熊は寺から出てきた金童子に、二人用の大傘をさしかける。
「雨、途中で降ってきたから、大江村で借りてきたんだ。方向音痴の君が迷子になるのはいつものことだけど、どうせ迷子になるなら、せめて天気のいい日にしてほしいな」
「でも、いつも探しに来てくれる」
「坂東まで行かれても困るからね」
石熊はふいっと顔を逸らせて、すたすたと歩き出す。金童子は傘から出ないようにと理由をつけて、石熊の背中にぴったり寄り添った。
「でも、大江村で迷うって相当やばいよな……大江山、見えてるのに」
石熊は顎に手をあてて、金童子に言うともなく呟いている。
――ごめんなさい。
子どものように心臓を弾ませている金童子は、ひかえめな笑顔を作って、石熊の背中に無言で話しかける。
本当は迷子になんてなっていない。方向音痴は本当だが、行きなれた大江村ではもう迷わない。
石熊が悪いのだ。最近、酒呑ばっかり構うから。
*
『ねぇ、外道丸』
若い娘が媚びたような声で、外道丸の袖をつかまえる。村の娘だ。
外道丸は、離せと袖を引く。先ほど、弟か妹が生まれそうだと知らせがあった。臨月を遠に超えている。まだかまだかと不安に思いながらも、待ち続けた兄弟だ。
『今日こそ、二人でどこかへ行こう?』
『兄弟が生まれそうだと言っただろ。俺は、早く帰りたいんだ』
しかし、娘はかたくなに外道丸の袖を離そうとしない。余裕のある表情をわざとらしく切なげに歪めて、でも、と口を開く。
『でも、そうじゃなくても、一緒にいてくれないんでしょ?』
娘は、村一番の美女だと言われている。しょせん、下賤の者、粗末な格好ではあるが、肌が白く、黒い髪が豊かだった。
彼女と外道丸が二人でいるときは、他の女は身を引く。そうでなくても今日は、弟か妹が生まれそうだと言うと、他の女はつきまとってはこなかった。
『ねぇ、外道丸――』
『分かった。今日じゃなかったら、どこへでも行ってやる』
だから今日は帰らせろ、そう言う前に、娘は外道丸の腰へ腕を回していた。
『嬉しい。ずっと想い続けてきたんだもの』
娘はそっと体を離し、外道丸をうっとりと見上げる。細くて白い腕が伸びてきて、外道丸の頬に触れる。
『ほんとに好きよ。私の恋人になってくれる?』
外道丸が、頬に触れるその手を取ると、彼女は体を硬直させて頬を染めた。
『俺のどこが好きだ?』
『え?』
『外見以外で、俺の好きなところを一つでいいから言ってみろ』
彼女は、何を言われたのか分からないという表情をした。
そんなこと、考えたこともない。声にはならない彼女の言葉は、目を通して外道丸の琴線に触れた。
外道丸は奥歯を噛みしめて、娘の手を離す。
『それなら、俺と同じ姿をしたヤツを探して、そいつに付き合ってもらえ』
結局、誰も本気で好きになりはしない。この姿でいる限り、彼は本気で愛されはしない。
踵を返して歩き出した外道丸の背を、娘は追いかけてきた。
『え、ちょっと、外道丸――』
肩にかかった手を乱暴に振り払い、外道丸は、いいかげんにしろと怒鳴る。
彼女はびくりと立ち止まり、大きな瞳を見開いて外道丸を凝視した。
『俺はお前の名前すら覚えていない』
吐き捨て、再び歩を進める。言い寄ってくる女の名前も覚えていなければ、もらった恋文がわりの花も全部、家に持ち帰りもせず捨てた。そんな男なのだ、自分は。
娘のしゃくりあげる声が聞こえてきた。また明日、彼女を慕う男が怒ってくるだろう。面倒だ。外道丸はそんなことをちらりと考えただけで、足を止めることはしなかった。
生まれてくる赤子は、兄として外道丸を必要とするだろう。外見など関係なく、一人の人として、外道丸を必要とする――。
今まで、母を除き、彼にはそういう存在がいなかった。
酒呑童子が目を開けると、ぼやけた緑が視界いっぱいに広がった。
緑――ここは、大江山だ。小降りになった雨が、しとしとと赤い瞳へ落ちる。
酒呑はべっとりと張りつく髪を払い、上体を起こそうとして、自分が腕に抱いていたものの存在に気がついた。
「茨木、茨木童子」
腹の上でうつ伏せになっている青鬼の体を揺らす。彼女は、小さな呻き声を漏らし、手を動かす。その手が地面を探り当てると、それを支えに、ゆっくりと体を起こす。
「あ……」
青い瞳に、酒呑が映る。
「助かったみたいだぞ」
だいぶ下のほうまで流されたようだ。勢いの弱まった川が、傍らで音を立てている。
――問題はこれからだな。
茨木は、自分に起こったことが信じられないのか、夢から覚めていないような顔で酒呑を見ている。
酒呑は雨を避けるように、目を伏せる。この青鬼をどうするか。助かった。だからもう、どこかへ行け。そう言う気にはならなかった。
――どこかへ行かれてもいいはずだが。
妙な倦怠感に包まれ、酒呑は小さなため息と共に、山の緑へと視線を滑らせる。
そのときだ。茨木が、わっと泣いて酒呑にしがみついたのは。
怖かった、と泣き声の間に漏らし、痛いほどに酒呑の体を抱きしめる。
酒呑は少なからず、狼狽えた。
拒否するのは慣れている。だが、受け入れるのは慣れていない。
「今は怖くないんだから、泣く必要はないんじゃないか?」
酒呑は迷いながらも、茨木の背中へ手を伸ばす。その手はしばし宙をさまよい、やがて彼女の背をぎこちなく撫でる。
「怖いときは、川の中だったのだ。水中で泣くのは、難しいのだ」
泣きじゃくりながらの言葉に、酒呑は、なるほどなと頷いた。
「鬼だろ。人間に舐められるぞ」
なんとか考えた励ましを、茨木は、首を振って否定した。違う、鬼だから怖かったのだと泣き声で訴える。
「私は鬼だから、一人ぼっちで川へ沈むのが怖かったのだ。手を伸ばしてくれて、うれしかった。目が覚めたとき、そこにあんたがいてすごく安心した」
酒呑は手を止めた。彼女の体温を確かめるように、背中に置いたまま。
「お前、行くところはあるのか?」
茨木は首を振る。
――それなら、俺と来い。俺と一緒にいればいい。
湧き起った感情は、そのまま口をついて出そうになった。すんでのところで呑みこんで、そうしてしまった自分に酒呑は舌打ちをする。
「いいかげん下りろ」
自分の足に乗っている青鬼をどかし、その手を取って立ち上がった。
「酒呑?」
茨木の手を引いて少々乱暴ともいえる足取りで歩き出す。
「散々、人を振り回しておいて、お前に決定権なんてないからな」
酒呑は前を睨んだまま、小さく吐き捨てた。え、何、と茨木の困惑した声が雨を通して伝わってくる。
「ちょっと、酒呑――」
「だから、俺と来いと言ってるんだ」
意を決して振り向いたとき、酒呑の手から茨木のそれがするりと抜けた。彼女は、力尽きたように地面に崩れる。
「おなかすいたのだ……」
*
鬼の里。
星熊童子は雨に濡れるのも構わず、館の屋根の上に寝転がっていた。鬼火はふてくされたように彼の傍らで小さくなっている。
雨は小降りになってきている。
「今夜は星、見えないかな」
星熊は曇った空を凝視する。
酒呑童子がこの里の大将になるのは、運命だ。どう足掻いても変えられない運命だった。
しかし、茨木童子は分からない。彼女の軌道は、酒呑童子にゆだねられている。
――戦闘中に殺してしまえば楽だろうな、彼の心は。
「おい、星熊。そろそろ、下りてこいよ。体に悪いぞ」
縁の上から、虎熊が心配そうに呼ぶ声がする。彼は、昨日の盗賊騒ぎで困っている村人がいないか調べに行き、先ほど帰ってきたところだった。
星熊が曖昧な返事をしたとき、虎熊は大傘をさして、外へ出てきた。
「やっぱり俺、酒呑を探してくる。茨木童子と戦いになってるかもしれないんだろ?」
「僕も行く!」
虎熊の傘の下に飛び込んだのは、石熊童子だ。
「雨の中の酒呑は、拝んでおきたいからね」
「石熊」
静かだが恨みの籠った声と共に、金童子が館から傘へと滑り込む。少し前、石熊と同じ傘の下、帰宅したときは機嫌が良かったのだが、石熊が酒呑のことばかり話すせいで、すっかり気分を害したようだ。
「私とここで待ってるのは嫌なの? 酒呑のところに行くほうが良いの?」
「か、金童子、なんだか背中に短刀を突きつけられてるような気がするのは、気のせいかな?」
「お前らなぁ、俺は本気で酒呑を心配して、探しに行こうって言ってんのに――」
虎熊の呆れた声が、途切れる。彼は、はっと顔を上げ、雨の向こうに目をやっていた。
星熊は上体を起こし、目を凝らす。
――酒呑?
結んでいた赤い髪はほどけ、うっとうしく彼の体に纏わりついている。着物は乱れ、泥だらけだ。それでも、水をしたたらせたその鬼は、不思議な色香を醸しだし、妖艶な美しさを身に纏っている。
まぎれもなく、酒呑童子だ。なのに、星熊はそれを疑った。彼から感じられる気の色が、いつもより柔らかかったから。
――驚いた。
星熊は、屋根からすとんと飛び下りる。
酒呑は長い睫を伏せ、しっかりと茨木童子を腕に抱えていた。
*
「茨木、そんなに食べて大丈夫か?」
「平気ー。人間の肉がないのが残念だけど」
茨木は、鍋にたっぷり炊かれた雑煮を、椀に移しては掻き込んでいく。
「酒呑も、呑み過ぎ注意なのだ」
「そんなに呑んでないぞ」
言いながら酒呑は、五本目の瓶子を手に取る。着物も替え、髪も乾き、さっぱりした様子だ。
そんな二人を、四人の鬼は遣戸の隙間からうかがっていた。
「昨日は敵だった相手を……ほんとにいいの?」
「金童子は心配性だな。いいじゃないか、あの食べっぷりには感心しないけど、なかなか綺麗な子だし――」
「やっぱりダメ。追い出そう」
石熊の後頭部を強打し、金童子は出て行こうとする。虎熊が慌てて、その腕をつかんだ。
「まぁ落ち着けよ。ほら、酒呑と茨木、良い感じじゃないか」
「……あの二人がくっつけば、石熊は私のもの」
「そ、そういうことだ!」
「なんにせよ、酒呑がそう決めたんだから、彼女はここにいるんだよ。ねえ月夜」
星熊は鬼火に顔をよせ、美味しそうに雑炊を掻き込む青鬼を見やる。
茨木童子が再び暴走したら、酒呑童子が鬼の大将として、責任もって彼女を止める。酒呑は、星熊らとそう約束した。
『星熊、俺がこういう選択をすることは決まっていたことか?』
手拭いで髪を拭きながら、酒呑はぼそりと言った。
『いいや、君が決めたことだよ』
『……俺が、あいつを助けたいと思うことも?』
『そんなに不思議なの? おかしいね、月夜』
星熊が笑うと、彼は、うるさいと小声で怒り、赤くなった頬を手拭いで隠した。
――そんな、わざわざ口に出して確認するほどのものかな。
星熊は、食べる茨木と呑む酒呑を見て呆れたように笑う。
確認するまでもない。鬼の大将酒呑童子は、青い髪の少女を助けたいと思ったのだ。
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。
これで、酒呑童子と茨木童子の番外編は終わりです。恋愛ものっぽくなってしまいましたが・・・茨木童子は酒呑童子の恋人だったという説もあるみたいなので。
次回は本編に戻ります。鬼退治に出発した頼光の家で留守番をする頼親の話です。




