茨木童子
酒呑童子が鬼の里に来てから一週間後くらい。茨木童子と出会う話です。
丹波国、とある豪族の屋敷。
蒸し暑い夏の夜、警護の侍は庭に篝火をたき、怪談に花を咲かせていた。勇猛な侍たちに、ありふれた怪談が怖いはずもなく、笑しか起こらない。
「そんな物の怪、俺なら一太刀で殺してくれる。もっと怖い話を知っているやつは、いないのか?」
一人の侍が鼻で笑って、十人ほどの仲間たちを見渡した。彼らも、わざとらしく飽き飽きした様子を作って、笑い混じりに首をふる。
「もうねぇなぁ。怖い話なんか、だいたい怖くないからな」
「そういえば知ってるか? 茨木童子の話」
一人が思い出したように、身を乗り出した。
「ああ、最近噂になってる盗賊団の首領だろ。そんなの、怖くも何ともねぇよ」
「だが、茨木童子は鬼だって話だぞ」
仲間の薄い反応に、話題をふった男は眉をひそめて、なお身を乗り出す。
「この屋敷が襲われると思うか? 茨木童子の盗賊団は二十人程度らしいじゃねぇか」
この屋敷には、この侍たちの他にも大勢の武士が詰めている。富豪の家であるにもかかわらず、襲われたことはない。
「それに鬼がなんだって――」
男が言いかけたとき、凍りつくような寒気がその場に走った。誰もが言葉を失った、その瞬間、鋭い閃光と共に血飛沫が飛ぶ。
薙刀の一振りで、五人の仲間が絶命した――。残った者がそう悟る間もなく、青い目が彼らをとらえた。
死んだ侍に足を掛け、血に濡れた薙刀の刃をぺろりと舐めるのは、水色の水干に身をつつんだ青い髪の少女。彼女は、湖の底のような瞳で侍たちを見据えている。
「ひ……っ!」
侍が悲鳴を上げたのと、薙刀が大きく旋回したのと、ほぼ同時だった。侍たちは首や胴から血を噴出して倒れ、その直後、竹垣を破壊する音を響かせながら、盗賊が敷地に乗り込んだ。
騒ぎをききつけ、屋敷内に侍っていた者が駆けつける。だが、門前や垣の周りを守っているはずの侍が、誰一人として姿を見せない。
盗賊はやすやすと屋敷に押し入り、下人や侍女を殺し、手当たりしだいに財宝を持ち出していく。
首領の茨木童子は、殺した侍の前を動かなかった。阿鼻叫喚に包まれる屋敷を背に、一人、静かな目で死体を見下ろしている。篝火が彼女の白い頬を赤々と照らし、青い瞳に不気味な光を生じさせる。
彼女はふいに薙刀を上げると、勢いよく死体の腕に突き刺した。外にいた警護の侍の血を残らず吸った薙刀だ。それが、何度も何度も死体へ振り下ろされる。
しばらくして茨木童子は、血だまりの中から千切れた肉片をつまみあげ、口へ運んだ。味わうように噛みしめ、ふと口元をほころばす。
それから黙々と彼女は食らい続けた。仲間が運び出す財宝には目もくれず、青い髪の先が赤く染まるのもかまわずに、血をすすり、肉を食らった。
「茨木、ずらかるぞ」
仲間の盗賊が、茨木の肩を叩く。
彼女は、はっとしたように顔を上げ、少女らしい笑みを浮かべて振り返った。
「みんな仕事が速いのだー。ちょっと待ってね、足を斬りとっていくから」
「早くしろよ」
茨木は再び死体を向く。先刻とは打って変わっていきいきとした表情で死体の足に薙刀をいれる。
仲間の盗賊は、心の底からぞっとしてそれを見ていた。
*
茨木たちは、奪った財宝を廃寺に持ちこんだ。傍には沼があり、羽虫が飛び交い、生い茂る雑草がいかにも不気味なところである。
「これで当分、やっていけるな」
絹の着物、砂金、螺鈿の手箱、銀の椀、唐草模様の鏡などの宝を囲み、盗賊たちは笑った。二十人ほどであるが、中には女の姿もちらほら見える。
「茨木、そろそろ別の国に行かないか?」
指についた血を舐めていた茨木は、目だけを動かして仲間を見やる。すぐに自分の指へ視線を戻すと、彼女は大きく伸びをして立ち上がった。
「私はどこでもいいから、皆で決めておいてほしいのだ」
「もう寝るの? これからちょっとした宴でもやろうかって、思ってたんだけど」
奥の部屋へ向かう茨木の背に、女盗賊が声をかける。
「私はいいや。お腹いっぱいだし」
茨木は振り向かずに、陽気にそう言って仲間から離れた。
茨木は、埃っぽい板張りの床に寝転がった。暑い夏の夜だ、夜具はいらない。
自分の両手を枕にして、茨木は蜘蛛の巣のかかった屋根裏を見上げる。
――私も宴、参加したかったな。
眠気はない。彼女は、仲間に嘘をついていた。
盗賊を初めて、もう一年になる。それまでは、普通の人間の中で暮らしていた。
――捨てられていた鬼の私を拾って、育ててくれた母上、父上、村の皆も優しかったのに。私が、人さえ食べなければ……。
摂津の茨木村。それが、彼女が育った場所だ。茨木村に捨てられていた童子、茨木童子だ。
あることをきっかけに彼女は血の味を覚え、それから、人を食らいたい衝動にかられるようになった。気がつけば、隣で寝ている母を、一緒に遊んでいる友人を、襲いそうになった。
だから、逃げてきたのだ。
――どうして、人を食べたいのに、人と一緒にいたいんだろう。
茨木はため息をついて、目を閉じる。真っ暗な世界が訪れるこの瞬間、自分には仲間がいるということに安堵する。
一人は嫌だ。でも、誰かといると、その人を食らってしまう。そんな彼女が、盗賊になったのは正解だった。盗賊の仲間ができ、その仲間を食わずとも、襲った屋敷の者を食らえばいい。
――でも、そろそろ限界かな……。
壊れた遣戸の隙間から、仲間たちの話す声が漏れてくる。食器の触れあう音も、笑い声も、楽しそうな空気と共に、茨木の耳をかすめる。
それを遮断するように、茨木は寝返りをうって遣戸に背を向けた。
人の血肉が欲しくなるのが、速くなってきている。次にどこかを襲うまで、仲間に近づかないようにしようと、彼女は決めていた。
だが三日後、茨木は我慢ができなくなる。
盗賊の仲間たちと、隣国へ歩を進めていたときだ。
茨木は、むしの垂れ衣のついた市女笠を被いて角と髪を隠し、令嬢のような壺装束に身を包んでいた。それを仲間たちが護衛のように囲んで、ゆっくりと歩く。高貴な女性のプライベートな物詣、といったところだ。
日が暮れてきたころ、大江村という村にさしかかった。大江山という山の麓だ。
「このあたりで飯にするか」
あばら屋を見つけたとき、盗賊の一人が言い、背負っていた笈を下ろした。その中には、乾し飯などの食糧と、食糧にかえられる財宝が入っている。
「そうね。茨木、もうそれ、取っても大丈夫よ」
仲間の言葉に、茨木は市女笠を両手で持って頭を垂れる。
茨木はそのまま、呟いた。
「でも、飯の前に一仕事なのだ」
その場の全員の視線が、彼女に集まった。彼らの胸を得体のしれぬ恐怖がよぎり、それを掻き消すように一人が口を開いた。
「仕事って、こんな村を襲うのか? まだ金もある――」
言いかけた男は、はっと口をつぐんだ。
市女笠を取った茨木の青い瞳が、深い湖のような、冷たい光をたたえてこちらを見据えていたからである。
*
茨木童子が来る少し前。
赤い髪をした鬼が、四人の鬼に連れられて、大江山から下りてきた。
「酒呑、ここが大江村だよ」
黄色の髪の鬼、星熊童子に示され、酒呑童子は目を細める。山を覆う木々から抜けたすぐそこには、草で葺いた小屋がぽつぽつと建ち、田畑の広がる、ありふれた村の姿があった。
だた、鬼と交流があるという点を除いて――。
酒呑が鬼の里に来てから、一週間が経っていた。今日、星熊は、昔から鬼の里と深く結びついているというこの村に、酒呑を紹介するという。
米や着物などをもらうかわりに、大江山の鬼は、ここの人を襲わない。鬼の近くに住むここの住民は、先祖代々そうして生きてきた。今では、鬼の力をいかして川に橋を作ったり、災害や盗賊から守ってやることもあるという。
「まず、村長のところに行こう。今日君が来ることは、知らせてあるから」
星熊が、慣れた様子で歩き出す。白髪の鬼女、金童子も、辺りを気にすることなく星熊に続く。
何となく躊躇いがちに歩を進める酒呑の背中を、橙色の髪をした大柄な鬼、虎熊童子が落ち着かせるように叩いた。
「ここの人は、鬼を見て驚いたりしないから、普通にしてて大丈夫だぞ」
「酒呑を見たら、別の意味で驚きそうだけど」
そう言って笑うのは、灰色の髪の鬼、石熊童子である。ねえ、と絡まれるが、酒呑はわざとらしくそっぽを向く。
「でも、今日、なんか人が少ない」
金童子がすっと辺りに視線を走らせて、呟いた。
彼らが歩いているのは、民家と畑に挟まれた大通りである。畑の中には、人影らしきものが見えるが、道を歩いてくる人はいない。
石熊が、首をまわして、困ったような笑みを浮かべた。
「あー、たぶん僕のせいだ。言いふらしすぎちゃったな」
何を、と誰かが口にする前に、曲がり角にある小屋の陰から少年がひょっこり姿を現した。
麻の着物を着た、村の住人と思しきその少年である。彼は酒呑たちの姿を見ると、あっという表情になった。
「鬼の大将さんが来たよ!」
少年ははしゃいだように叫んで、ばたばたと来た方へ走っていく。
「そこを曲がったら、村長さんちなんだけどね――」
星熊の声は、近づいてきた喧騒に掻き消された。
がやがやと曲がり角から現れたのは、村の住民らしき娘たちだ。中には男の姿もあるが、圧倒的に女性が多く、あとからあとから出てきては、酒呑を見て、息を呑んだ。
「……ほんとに、美人さん」
「あれ、本物? 幻覚的な何かじゃない?」
「ちょっと、どいて! 見えないじゃない!」
あれよあれよと酒呑の周りに人垣ができ、彼は逃げ場を失った。
女に囲まれるのは慣れている。だが、そのとき酒呑の頭をよぎったのは、彼に惚れた女が死んだという話だった。
「と、虎熊!」
酒呑は、人に押されて離れかけていた虎熊の腕をつかみ、その大きな体に身を隠す。
「あれ? 酒呑、そんなに照れ屋だったか?」
「いいから隠せ……!」
困惑気味の虎熊を楯に、酒呑は顔を伏せるが、四方からは遠慮のない手が伸びてくる。
「この鬼さん、人間に慣れてないのかしら?」
「別に、とって食いやしないのにね」
やめろ、離せ、という酒呑の声は完全に掻き消され、彼はあっという間に人波に呑まれた。
女にもみくちゃにされる酒呑と、彼をどうして助けようかと困っている虎熊――。
さっさと人ごみから離れた石熊は、彼らを眺めてしみじみと呟いた。
「ここまで人が集まると思わなかったな」
「石熊、言いふらしたってまさか……」
星熊が呆れた眼差しを石熊に向ける。
「うん。今度、超美人な大将さんを連れて村長さんちに行くよーって。美人、イケメンを強調しすぎたかな」
「どーでもいいけど、困ってるみたいよ」
金童子が石熊にぴったりと寄り添って、興味なさそうに視線を逸らし――血相を変えて走ってくる一人の男の姿をとらえた。
「と、盗賊だ! 茨木童子が来た!」
*
茨木童子は氷のように冷たい目で、土の床に転がる老婆の死体を見下ろした。死体からは真新しい血がどくどくと流れ、小屋の中を汚していく。
茨木は薙刀についた血を舐めると、苛立ったように薙刀を死体へ突き刺した。
――どうして、こんなに人がいない。
老婆の腕だけ斬りとって、茨木は小屋を出る。これで五軒目だった。道にも人の姿はなく、ようやく見つけたのが先ほどの老婆だ。
茨木の血がうずく。もっと、若くて力のある血肉が欲しい。
仲間もあちこちの民家に押し入って、人を探している。人を見つけなければ、自分たちが食べられると察しているのだろう。
茨木は彼らを無視して老婆の腕を食み、一人、歩を進める。
ある場所から、濃く人の匂いがする。人が集まっている場所がある――。
盗賊の男は、水を運んでいた女を追い詰めていた。桶が転がり、腰を抜かした女の周りは、水浸しになっている。
ようやく見つけた人だ。こいつを殺して、茨木に差し出さなければ仲間が殺される。盗賊はぎらぎらした瞳で、太刀を振り上げる。
女が悲鳴を上げようとしたとき、嵐のような風が吹いた。風は実体があるかのように盗賊を襲い、その体を大木へ叩きつける。
崩れ落ちようとした盗賊が最後に見たものは、灰色の瞳ときらりと光る直剣だった。
「大丈夫?」
盗賊の首をはねた石熊は、爽やかな笑顔で女を振り返る。
放心していた女は、徐々に我を取り戻し、目に涙をためて何度も首を縦に振った。
「村長さんちに行きな。星熊と酒呑が守ってくれるから」
石熊は女を立たせると、その背をとんと押す。女は、短く礼を言うと、足をもつらせながらも村長の家のほうへ駆けていった。
金童子は、民家という民家を風のように見てまわる。
その家には、草鞋を編んでいる男がいた。金童子が入ってくると、男は手をとめて目を丸くした。
「早く逃げて」
「何かあったのか?」
慌てて立ち上がる男に、金童子は、盗賊がきたとだけ伝え、彼を外へ連れ出した。
三人の盗賊が、太刀や鉾を構えて待っていた。
金童子は、とっさに村の男を背中に隠し、二本の小刀を握る手に力をこめる。
「金童子、跳べ!」
虎熊の声が聞こえるや否や、金童子は村の男を抱えて跳躍する。直後、轟音とともに地面が割れんばかりに揺れた。
盗賊たちの体が跳ね、地面に叩きつけられる。
虎熊は振り下ろした金棒を、ゆっくりと持ち上げる。よろよろと起き上がった盗賊たちは、彼の姿を見て、崩れるようにその場に座り込んだ。
村人は、村長の家で身を潜めている。
外で見張りについているのは、酒呑童子と星熊童子だ。
「茨木童子か……。石熊たち、大丈夫かな」
「そんなに強いのか、その、茨木童子は」
酒呑は、女にもみくちゃにされて乱れた着物を治しながら、星熊に視線を下ろす。ちらりと目を上げた星熊の顔色は、あまり良くない。
「前に、虎熊と酒を呑みながら話してただろ。青鬼だよ。盗賊の首領の」
「ああ、そいつのこと――あのとき、お前いたか?」
「不思議なこともあるもんだね」
ねえ月夜、と鬼火に笑いかけるその顔には、どこか無理がある。
「星熊、お前――」
「そうだ酒呑、君さ」
星熊がふいに声をひそめ、酒呑の袖を引いてささやく。
「ここの人は、そう簡単に魂を奪われないから大丈夫だよ」
酒呑は息を呑んで、彼の黄色い瞳を凝視する。星熊は、にやりと笑って、なんとなくねと答える。
「ここの村の人は、鬼に耐性があるっていうのかな。長いこと付き合いがあるから慣れちゃってるんだろうね。鬼の魔力には簡単にかからない」
「……いくらそうでも、一緒に暮らしてはないんだろう? 昔からの付き合いなんだったら、時を重ねるうちに、鬼の里の中に人間が、この村に鬼が混ざってもおかしくないと思うんだが、そういうことはないみたいだ。やっぱり、途中で問題が生じるんじゃないか?」
星熊は、いよいよだるそうに壁にもたれ、それでも平生のように口を開く。
「そりゃあそうさ、鬼と人だもの。俺もだめだ、ここは」
「大丈夫か」
「茨木童子が来たら、君に任せるよ」
星熊が目を閉じる。鬼火が彼の前を、行ったり来たりしている。
彼は、武器を携えていない。鬼火は常に、彼を守護するようにつきまとっている。
酒呑は星熊を見下ろす。彼の左目の下にある星形のあざが、今更ながらひっかかった。
「来たみたいだ――」
星熊が徐に瞼を開く。
酒呑は前方に視線を滑らせ、赤い目を細める。
日の暮れかけた道を、水色の水干を着た青い髪の鬼が歩いてくる。枯れ枝のような人間の腕をかじり、薙刀をひきずって、ゆらりゆらりとこちらへ向かってくる。
それを見た瞬間、酒呑は、凍りつくような悪寒を感じた。あの歩いてくるものに血が通っているとは思えない。感情というものがあるとは思えない。
酒呑は太刀に手をかける。
ゆらゆら歩いていた茨木童子が、食べかけの腕を捨て、ぱっと地をけった。
茨木童子は薙刀を振り上げて、人間の匂いのするところ――村長の家へと一直線に突進した。血に飢えた彼女に、その前に立つ二人の鬼のことを考える理性は残っていない。
そのうちの一人が、茨木の眼前に躍り出る。茨木はそれを『障害』と見なし、躊躇いなく薙刀を袈裟懸けに振り下ろす。
大抵は、目にも留まらぬその一撃で勝敗が決まるのだが、茨木の手に伝わってきたのは、固いものにぶつかった痺れだった。
太刀で受け止められたのだ。茨木はそう悟ると同時に、後方へ宙返りをして、風をきって迫る刃をかわした。
距離をとって着地した茨木の目にうつったのは、気負った様子なく太刀を構える赤い髪の鬼。
「女か」
その鬼は赤い瞳に茨木を映して、意外そうに零した。
茨木は薙刀を頭上に上げ、ぐるりと回す。どうやらこいつを倒さなければ、自分の欲望は満たされないらしい。
茨木は姿勢を低くして、反撃に出る。薙刀を大きく旋回させて、赤鬼の足元を狙う。だが、薙刀の切っ先がとらえたのは、赤鬼の残像だった。
跳躍した赤鬼は、すでに茨木の背後に回っている。茨木は咄嗟に、体を転がした。一瞬前まで、彼女の体があった場所を白刃が光のように通る。
息をつく間もなく振り下ろされる刃を、茨木は寝転がったまま薙刀で受ける。渾身の力を刹那に込めて太刀を押し上げ、刃が離れたすきに、地に片手をついて自らの体を跳ね上げる。
「茨木!」
茨木が宙を回って地に下りたとき、彼女の仲間の声がした。後ろから走ってくるのが分かる。
足音からすると、三人くらいだろうか。茨木は僅かに口角を上げて、赤鬼を見た。彼の太刀を握る手に、力がこもったのがわかった。
仲間が追いつくころを見計らって、茨木は地を蹴る。赤鬼は動かない。何故か茨木の後ろに視線をやって目を見開き――
「え――」
茨木は背中に衝撃を覚えて、動きを止めた。服に、じんわりと生暖かいものが広がっていく。
彼女の腹から飛び出しているのは、鉾の切っ先だった。
盗賊と思われる風貌の男が、茨木童子を刺した――。
呆気にとられる酒呑の前で、盗賊は乱暴に鉾を引き抜いた。茨木の背中から血が吹きだし、彼女は膝から崩れ落ちる。
「な……んで?」
戦っていたときの冷たい空気は、完全に彼女から消え失せていた。困惑と苦痛に顔を歪めて、普通の少女のように仲間を見上げる。
茨木を刺した男と、同じように鉾を持つ女、抜き身の太刀を提げる男。三人の盗賊は、荒い息を吐きながら茨木を囲んでいる。
「鬼がいるなんて聞いてないぞ? 茨木、お前のせいで、みんな殺された!」
「私たちの前でだけ人間づらして! 本当はみんな、あんたのことが怖くて仕方なかったのよ!」
仲間の言葉に、茨木の表情が固まる。青い瞳がざわりと揺れた。
「そこの赤鬼さん」
盗賊の男が、血に濡れた鉾を下げて酒呑を振り向く。
「茨木さえ死んでしまえば、俺たちはこの村に用はない。全部この茨木が――」
最後まで言う前に、男の首が飛んだ。続いて、残る二人の盗賊の胴が大きく裂け、彼らは、真っ赤な血を噴出して糸がきれたように倒れた。
「刺したぐらいじゃ、私は死なないのだ」
鮮血のしたたる薙刀を突いて、茨木がゆらりと立ち上がる。水色の水干には腹部を中心に赤い染みができていたが、新しい血が出ている様子はない。
「丈夫な体だな」
酒呑はそっと太刀を構え直し、彼女に意識を集中させる。
茨木の顔に、自虐的な笑みが浮かんだ。泣きそうにも見えた。
「村人はもういらないのだ」
茨木は女盗賊の死体を肩に担ぎ、踵を返すと跳躍した。木へ飛び乗り、枝をしならせ、軽やかに跳んで、薄暗い空へ消えていく。
酒呑は彼女が消えた方を見ていたが、しばらくすると太刀を収め、盗賊の死体の前にかがんだ。生首の頬についた血を指で拭き取り、ぺろりと舐めてみる。
人間の姿をしていたときは、さびた鉄のような味だと思っていたが、なるほど、美味いかもしれない。
――やっぱり、鬼は人といるべきじゃないな。
酒呑は、目を見開いたままの青白い生首に影を落とした。
*
茨木童子は大江村を出て、藪の中に身を隠した。
彼女は肩で息をし、女の死体を横たえる。鬼の茨木にとって、それはちょっとした荷物でしかなかったが、彼女はひどく疲れていた。
茨木は鈍く痛む頭を抱え、その場にしゃがみこむ。夜の帳は下りきって、虫の声が錯乱しそうなほどに響いている。
赤い、髪と瞳。茨木の頭の中で、鮮やかな色が点滅する。今になって、あの鬼の姿が彼女に纏わりつく。
あれは悪い夢だろうか。自分以外にも鬼がいたなんて。
捨てられていた自分を拾ってくれた、養母と養父。仲良くしてくれた友人。一年ほど前、彼らを食らいたい衝動にかられ、茨木は家を飛び出した。走って走って、水を飲もうと寄った川。そこに映ったのは、青い目だ。青い髪に、二本の角だ。
――やっぱり、私はみんなと違うのだ。
自分の髪や瞳が青く、角があることは以前から知っていたが、一人になって、初めて異形であることを自覚した。
寂しい。鬼が自分だけであるより、他にも鬼がいると知った上で一人ぼっちであるほうが、ずっと寂しい。
幻影のようなあの赤鬼の目に、仲間に殺されそうになった青鬼はどう映ったであろうか。
茨木童子は虫の音を遮断するように、小さく小さく膝を抱える。女の死体は食べなかった。
ここまで読んでくださったかた、ありがとうございます。
小説では省略しましたが、茨木が血の味を知った理由・・・。茨木を拾った夫婦が床屋をやっていて、茨木はそれを手伝っていたんですが、あるときお客さんの顔を傷つけてしまいます。そこから出た血を慌てて指でぬぐって舐めたところ、くせになったんですね。養母や養父を襲いそうになったというのは創作で、本当は、血を舐めるために茨木が客の顔をわざと傷つけるようになり、両親に怒られ、しょんぼりと川に顔を映してみると鬼になっていた、というわけです。
でも、平安時代に床屋はないらしいんですよね・・・。というわけで、省略しました。
あ、鬼と交流がある大江村というのは完全に創作です。
次回は、この続きです。




